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10.湖畔のピクニック

「わあ、こうして見るとやっぱり海みたい……!」


 湖面は静かで、対岸は見えなかった。

 フェリスは海を見たことはない。だから、想像の中で思い描いていた。その想像の海は、こんな感じだ。


「海はもっと波があるんですよ」

「波かぁ、どんなかなあ」

「海も今度行きましょうね。フェリス様ならどこに行っても映えます! 湖との相性も最高!」


 指で四角を作ったマオが、そこからこちらを覗く。その身体は、すでに子供に戻っていた。


「ささ、シュークリーム食べましょ」


 フェリスの横に来て座ったマオに頷き、隣に座る。下は柔らかな草で覆われ、座り心地も良い。

 紙袋を開くと、甘い香りがいっそう強くあふれ出す。

 取り出したシュークリームは、王都で食べたものと同じだった。ふわふわで、まさに祈りをスイーツにしたに相応しい。


「いただきま〜す!」


 自分で作ったにも関わらずそんなことを言いながら、マオがシュークリームを頬張る。


(マオくんが、わたしのために作ってくれた)


 つい食べるのがもったいないという気持ちがわいた。しかし、食べないのももったいない。

 それに、これからはマオが作ってくれる。


「いただきます」


 マオの真似をしてそう口に出し、ぱくりと頬張った。

 甘さ控えめで上品なカスタードと、甘いクリームの相乗効果で口の中が一瞬でしあわせに包まれる。


「おいしぃぃ〜っ。はぁ、幸せ……」

「へへ、推しが喜んでる」


 照れたようにほおを染めたマオに、フェリスの胸があたたかくなる。


「マオくん、本当に美味しい」

「推しが僕が作ったスイーツを褒めて……今日が命日……」


 ぱたりと草の上に倒れたマオに、笑いを押さえられず吹き出す。

 聖女フェリスを見て人々は笑顔になっていた。でも、そんなリアクションをするのはマオくらいだ。


「うっ、尊過ぎる……墓に入らなきゃ……あっ、尊みが限界になると墓に入りがちなのはオタクの性なんで気にしないでください」

「マオくん、命日になっちゃったらもうスイーツ食べられなくなっちゃう」

「あっ、それはだめですね! フェリス様にはまだまだ貢ぎ足りません!」


 寝転んだまま鼻息荒く断言するマオにまた笑い、シュークリームの残りを食べる。

 なんだが、とても満たされた気持ちだ。


「こんなに自由なの初めて」


 孤児院にいた時は、下の子たちの面倒に忙殺されていた。聖女として神殿に移ってからは、大量の仕事を黙々とこなしていた。

 これまで、自由な時間などほとんどないに等しかった。

 夜遅く眠る前に祈りを捧げている時が、唯一自分の時間だった日々。


「わたし、ずっとなにしてたのかなぁ」


 シュークリームを食べ終え、マオの隣に寝転ぶ。青い空を、祈りのシュークリームのようなふわふわの雲が横切って行く。

 爽やかな風がフェリスのほおをなでた。


「フェリス様は、ずっと人の役に立っていました。前世の僕は、フェリス様に支えられていましたよ。フェリス様がいるから、パティシエの勉強のモチベーションを保ててたんで」

「前世、かあ……」


 マオの前世やゲームの話を信じられない気持ちはある。しかし、マオの話には一貫性があるのも事実だ。


「マオくん、本当に頭打ったりはしてないの?」

「してませんよ、こっちでは! 前世ではその、交通事故だったんで頭を打ってる可能性はありますけど」

「そっかぁ」


 馬車に轢かれて頭を打った可能性はとても、ある。とは言え、万が一本当だったとしたら。


「こんなことしてる場合じゃないわ! 闇魔法練習しなくちゃ!」


 がばりと身体を起こす。

 えっ、と驚いた声を上げたマオも慌てて起き上がった。


「ねえマオくん! 魔法使う時、詠唱した方が良いかしら⁉︎」

「えっ突然なに⁉︎」

「わたし考えてたの。マオくんのゲームの話はちょっと信じられないけど、わたし闇魔法失敗ばかりしてるでしょ? 勝てないって言われたらそうかもって」

「あ〜不安にさせてたのならごめんなさい」


 マオが気まずそうに頭をかく。


「ううん、冷静に考えたらこのままじゃ勝てないと思う。でね、わたし聖魔法使うのに詠唱したことないんだけど、マオくんは?」

「僕も詠唱はいらないですね」


 そう言えば、リオンたちと戦った時にマオは詠唱せずに魔法を放っていた。


「でも、ミリアは詠唱しないと上手くいかないって。わたしの闇魔法もそうなのかな?」

「うーん、どうなんでしょう。詠唱云々より補正の可能性はあります。それに、そもそもフェリス様、なんかおか……」

「ん?」

「いや、なんでもないです。やってみます? 詠唱」


 一度伸びをして立ち上がったマオに合わせて、フェリスも立ち上がる。


「推しが詠唱する姿とか見た……あ、いや、闇魔法の練習にもなりますしね!」

「うん! ええと、なんて詠唱しようかな?」

「推しに僕の考えた最強の呪文を詠唱をしてもらうチャンス!」


 ぐっと拳をにぎったマオが、真剣に思案を始める。

 マオはなんと言っても魔王だ。いい文言を考えてくれるかもしれない。


「やっぱり隠れ厨二病者としては左腕が疼く感じのやつがいいかな……暗黒に鳴動せし怨恨えんこんよ我が左腕に集え—— 虚空喰魔こくうさんま! みたいな?」


 そう言い、マオはんふふと含み笑いをしている。


「わたし右利きなんだけど、左腕の方が良いの?」

「あっ……いや別に、そこはなんでも良くってぇ……」

「もう一回お願い、全部覚えてない!」

「えっと、そう言われるとちょっと恥ずかしい」


 両手で顔を隠して、マオがいやいやをするように身体を揺らした。

 なにが恥ずかしいのかはわからないが、せっかく考えてくれた詠唱はしてみたい。


「フェリス様が使うんですから、自分の好きな言葉にしてみたら……」

「せっかくマオくんが考えてくれたんだから使いたいわ」

「うっ罪悪感が」


 左腕を押さえてぷるぷる震わせているマオに首を傾げる。

 左腕が疼くというやつだろうか?


「えーと、疼く左手に闇よ集え……?」


 ちょっと自信はなかったが、マオが唱えた文言を思い出しつつ左手に意識を集中する。


「わー、切り取るのそっちなんだー……」


 闇の力が胸で騒ぎ、左手へと流れて行くのがはっきりとわかった。闇の炎が手のひらから吹き出す。


(わ、もしかして良い調子かも⁉︎)


 手を上にかかげた。闇魔法には詠唱が良いのかもしれない。左手は疼かなかったけれど。


「怨恨(ほう)ッ、しゅつー!」

「噛んだ」


 マオの突っ込みは無視し力いっぱい叫んだと同時に、闇が爆ぜた。闇が手から放たれ暴風が巻き起こる。フェリスの髪が大きく巻き上がった。湖面が波立ち、草や葉が飛ぶ。


「いけぇー!」


 闇の暴風は、吹き荒れながらも何ヶ所かに収束して行った。そこから、矢のように鋭く四方八方に散って行く。

 闇の矢は湖面に落ち、地面に落ち、背後の木々に落ちた。落ちた場所から、闇が立ち昇る。


「見てマオくん!」

「んん⁉︎ えっなにが起こってるの⁉︎」


 湖面から、地面から、茂った木の枝からむくむくとわき出す闇。

 それが次々と形を変えて……。


「あれ?」

「わあ、もふもふですねぇ。あはは、フェリス様かわいすぎ」

「な、なんで⁉︎」


 黒々とした闇は、兎になり、小鳥になり、猫になり、犬になった。リスもいる。ありとあらゆる小動物がそこら中にあふれる。

 小動物たちは、飛んだら跳ねたり鳴いたり楽しそうに駆け回っている。

 湖面でピシャと音がし、闇色の魚が跳ねた。


「かわいいですね、もふもふ」

「う、うん!」


 かわいい動物。触ってみたいとずっと思っていた。ぬいぐるみさえ手に入らなかった子供時代から、その毛並みをなでてみたいと————。


「って、ちっがーう! もふもふじゃなくて! ねえマオくん、風が凄かったよね⁉︎」

「そうですね、フェリス様の髪がぐちゃぐちゃになるくらいには凄かったです」


 そう言いながら、マオがフェリスの髪を手櫛でとく。

 その感触に、ぶるっと背筋が震えた。くすぐったい。それに、なんだか恥ずかしい。


「あ、ありがとう……も、もう大丈夫!」


 にっこり笑ったマオの顔は、子供のもの。それなのに、触れられると恥ずかしいのは自意識過剰なのだろうか。

 ずっと誰かの世話ばかりして来て、自分に触れられる経験はそう言えばほとんどなかった。慣れていないことは緊張するな……などと納得する。

 まだ楽しそうにキャッキャしている闇の小動物たちに目を向ける。


「かわいいけど、闇を呼び出せたってことよね?」

「そうですね。まあ一番かわいいのはそんなフェリス様ですよ!」

「も、もう! でもさ、今は小動物だけど、すっごいモンスターとかいっぱい出せたらリオンたちにも勝てるかも⁉︎」


 やはり詠唱が良かったのかもしれない。聖魔法を無詠唱で使えるからと言って、闇魔法もそうだとは限らないのだろう。

 これも向き不向きの問題だろうか?


「でもフェリス様、そんなことしたら……」

「ん?」

「あぁ、いや、なんでもないです。復讐のためにもいっぱい練習しましょうね」

「うん! 本当にありがとうマオくん!」


 マオの両手をにぎってふると、推しが手を……と言いながら照れたように笑った。その子供らしい表情に、フェリスも口角が上がる。

 マオは大人だが、子供姿はやはりかわいいものだ。

 そこら中を駆け回っていた闇の小動物たちが、キラキラ輝きながら空中へと溶けて行く。

 持続時間は十分ある。あとはモンスターを出せるようになるだけ。


「ご褒美スイーツ作らなきゃ……」

「わあ、嬉しい!」


 闇の力も強くなって、スイーツも食べられる。こんな幸せがあって良いのだろうか。いや、良いに決まっている。

 マオが作ってくれるだろうスイーツに、すでによだれが出て来た。


(こんな簡単に幸せってなっていいんだ)


 あくせく頑張っていたのは、そうしたかったからだ。それがフェリスの幸せだった。

 それがいつの間にか苦痛になっていた。頑張っても頑張っても、幸せが遠のく気がずっとしていた。

 簡単なことだったのだ。頑張らなくても、楽しいことがたくさんあればすぐ幸せになれる。その幸せの形は、フェリスにとってはスイーツだ。


「マオくん、これからもよろしくね!」

「はい、もちろんです! フェリス様はリオンなんかには渡さないし、絶対に負けませんから!」

「うん!」


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