鏡の中の断罪
目の前には、無惨に胸が垂れ下がった一人の女が立っている。 脱衣所の、青白い蛍光灯が容赦なく照らし出すその姿は、まるで時間という重力に敗北した哀れな戦士の成れの果てのようだった。二十代の前半までは、これほどまでに残酷な現実を突きつけられる日が来るとは想像もしていなかった。かつての私は、自分の乳房がこれほどまでにその形を崩し、谷間が虚しく開き、乳首が水平を向いて、まるで「もう終わりだ」と宣告するかのように地面を見据える日が来るなんて、夢にも思っていなかったのだ。 鏡の中の自分を凝視する私のすぐ後ろ、薄いプラスチックの扉を隔てた向こう側では、シャワーが規則正しい音を立ててタイルを叩いている。隼人君だ。彼がその若々しい肢体を湯気に晒していると思うだけで、私は自分の皮膚が、急速に枯れていく古い和紙のように感じられて仕方がなかった。 以前よりも、確実に垂れている。私は、自分の身体が変化していく速度を、秒単位で計測しているような恐怖に駆られた。 二十代の半ばまでは、私は自分を「老けにくい特別な人間」だと思い込んでいた。それは決して根拠のない自信ではなかった。かつての同級生たちが、高校生や大学生という人生の絶頂期であるはずの時期に、笑うたびに刻まれるびっしりとしたほうれい線を身に着けていくのを、私は冷ややかな優越感とともに眺めていたのだ。 クラスの中心にいて、いつも大声で笑い、陽気に振る舞っていた女たちほど、その表情の代償として目尻の皺や口元の溝を深くしていた。私には、そんなものは一切なかった。タバコなんて吸ったこともない。お酒も、体質に合わないからとほとんど飲まなかった。徹夜なんてそもそもできないし、最低でも八時間は眠らなければ気が済まない、規律正しい自堕落さを守り続けてきた。 健康には、人一倍気を遣ってきたつもりだった。それなのに、どうして。 (……もっと胸が小さかったら、こんな無惨なことにはならなかったのかな) 重力は、私が大切に守ってきた「女としての誇り」を、質量という物理法則をもって奪い去っていく。私は、年を取るという現象を、極端なまでに、生理的な嫌悪感を覚えるほどに憎んでいた。それはもはやコンプレックスという言葉では生ぬるい、魂の拒絶反応だった。 かつての記憶が、脳裏にどす黒い澱のように蘇る。 二十四歳ぐらいの時、私は名前も思い出せないような小さなレストランで、単発のアルバイトをしていたことがあった。ある日の夕暮れ時、一組の老夫婦がやってきた。 二人とも、びっしりと均一に整った白髪を蓄え、背筋を伸ばし、気品溢れる格好をしていた。それは、誰が見ても「理想の老後」を体現しているような姿だった。彼らは、その店で最も高価な三千円もするディナーセットを注文した。 そのレストランは、一見すれば高級な装いをしてはいたが、実態は大学生のアルバイトに電話応対から調理まですべてを丸投げしているような、ハリボテの店だった。私はすでに大学を卒業し、最初の会社も辞めた後だったため、自分より遥かに幼い大学生たちに囲まれて働くことに、吐き気を催すほどの居心地の悪さを感じていた。けれど、そこには怒鳴り散らす上司も、数字を突きつけてくる同僚もいなかったから、当時の私にとってはマシな逃げ場だったのだ。 その老夫婦は、大学生の素人がマニュアル通りに作った、値段に見合わない粗末なセットメニューを、慈しむように分け合って食べていた。 本来であれば、その光景は「愛の象徴」として称賛されるべきものなのだろう。けれど、当時の私の目に映ったのは、あまりにも救いのない「醜悪な終焉」だった。 (あんなふうに、枯れ果てた身体を寄せ合って、偽物の贅沢を分かち合うのが人生のゴールなら……そんなものに、何の意味があるの?) 彼らの優雅な仕草の一つひとつが、死へ向かうカウントダウンを華やかに飾っているだけに思えた。シワだらけの手が触れ合い、濁った瞳が笑い合うたびに、私は猛烈な吐き気に襲われた。 その時、私は自分の中に一つの冷徹な決断を下したのだ。 (……三十になったら、自殺しよう) それが、当時の私が出した唯一の解決策だった。 仕事もなく、金もなく、恋人はおろか友人すらいない。親の脛をかじり、ただ部屋で呼吸をしているだけの自分と、この「老い」という絶望が待ち受ける世界に、何の価値も見出せなかった。 死に対する本能的な恐怖さえなければ、私は間違いなく、あの日に線路へ飛び込んでいただろう。けれど、死ぬ勇気すら持てないまま、私はただ「三十歳」という期限だけを心の支えにして、泥のような時間を繋いできた。 なのに……。 なのに、どうして、私は彼に出会ってしまったのだろう。 「由紀子さーん、お風呂空いたよ。入らないの?」 唐突に、現実が浴室のドアを突き破って私を引き戻した。 湯気と共に、隼人君が顔を出した。 タオル一本を腰に巻いた彼の身体は、まだ筋肉の筋が浮き出るような、無駄な脂肪の一切ない瑞々しい輝きを放っている。その若さがあまりにも残酷で、私は心臓を掴まれたような衝撃を受け、思わず彼から視線を逸らした。 「……ええ。今、入るわね」 私は努めて明るい、年上の女としての余裕を含んだ声を絞り出し、鏡の中の、形を失いかけた自分から視線を剥がした。 かつての私は、「三十歳」という死線さえ超えれば、この苦しみから解放されると信じていた。何も持たず、誰にも望まれなかったあの頃の私なら、未練なく消えることができたはずだった。 けれど、今は違う。 若い彼に必要とされ、彼に抱かれ、彼に「美しい」と言われる快楽を知ってしまった今、私はかつての「死にたかった自分」に、もう戻ることができない。 十二月の誕生日まで、あと半年。 三十歳になるまで、あと百八十日。 刻一刻と迫るその数字は、もはや救済の合図ではなく、私を奈落へ突き落とす断頭台の足音のように聞こえていた。 私は彼が使ったばかりの、まだ温かい湿り気が残る浴室へと足を踏み入れた。 鏡を見ないように、自分の身体を直視しないように、私はただ、彼が残した若さの残り香を必死に吸い込み、迫りくる老いという死神から逃れるようにして、熱いシャワーを浴びた。 彼を繋ぎ止めるために。 三十歳になっても、彼に愛される「特別な女」であり続けるために。 お湯に流される自分の涙さえ、今はただの、冷たい水の粒にしか感じられなかった。




