表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/30

独りの夜


海猫亭の賑やかな灯りを後にし、貞子は自分のアパートへと戻った。

古びた階段を上がる足音だけが、静かな夜の空気に響く。鍵を開け、暗い部屋の灯りをつけると、そこには一年前に引っ越してきた時と変わらない、質素ながらも整えられた空間が広がっていた。


「……そういえば、もう一年になるのね」


貞子はポットにお湯を沸かし、一人分の茶を淹れた。湯気の向こう側で、この一年間に起きた出来事が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。


あの日、神奈川の羽田にある「海門」の封印に立ち向かった時の、あのアザミの花のような、切なくも力強い感覚。羽田梓の力を引き継ぎ、自分が何者かの意志を継ぐ存在であることを自覚した激動。


自分自身の負の感情が「脱け殻」となって現れ、鏡に映る自分と対峙するように、その醜さも悲しみもすべて受け入れた葛藤。あの時、逃げ出さずに自分を抱きしめたからこそ、今の「芯」のある自分がいるのだと、貞子は改めて噛み締める。


そして、先日の猫島――


自分のルーツが、切り離され、捨てられた「影」の系譜にあることを知った。けれど、それは決して絶望ではなかった。呪いを恐れるのではなく、それを「癒し」に変えることができるのだと、お静さんや石仏たちが教えてくれた。


「(色んなことがあった。……本当に、色んなことが)」


貞子は自分の掌を見つめた。かつては冷たく、何かを掴むことさえ怖がっていたこの手が、今は料理を通じて誰かを温め、葉月や沙織さん、店長といった「家族」のような人々と繋がっている。


ふと、机の端に置かれたデザートの試作ノートに目をやる。

そこには、自分にしか作れない「静寂の味」へのヒントが、いくつも書き込まれていた。


「ルーツを知った今の私だから、作れるものがある。……空っぽの器として逃げてきた先祖たちが、最後に見つけたかった安らぎを、形にしたい」


窓の外では、博多の街の灯りが遠くで瞬いている。

この街のどこかに、あの不思議な雰囲気の男や、大島で自分たちの道を歩む四姉妹がいる。


潮が動き出し、隠されていたものが姿を現わしたこの年に、自分がこの場所に居合わせたのは、決して偶然ではないだろう。

貞子は、冷めかけた茶を最後の一口まで飲み干すと、静かに立ち上がった。

不安はない。一年前の震えていた自分はもういない。


「……明日も、頑張ろう」


一年の重みを力に変えて、貞子は明日、葉月との「真剣勝負」に挑む。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ