その2・モニターに選ばれしもの、まず人間二人と黒柴ヨシ伸
月曜の午前10時30分、私は平イド7丁目の公営集合住宅跡(廃墟になっている)の草ぼうぼうエリアに達していた、愛車で。
実は今日も10時からパートの仕事は入っていた。パート仲間にラインで呼びかけたら、若い(と言っても三十歳)パートの子が快く交代を申し出てくれた。代わりに来週の日曜私が勤務する、彼女はカレシと会社の共済組合でゲットしたパスポート券で子ズニーシーに行くんだそう。
――おーし、がんばれ! そのまま乗っちゃいな流れに。
年下カレシは建設系と聞いたことがある。玉の輿(もう死語?)かどうか知らないが、映画のシナリオにハマってめっちゃ婚期遅くなった私としては、パートの後輩に一年でも早い円満結婚と他力本願になっちゃうけど少子化に一石を投じてもらいたいもあるわけで。
……話めっちゃ逸れたが、こうして私はナツ原ラボのモニター応募第一権利を得たわけである。
昨日、旦那のコンセンサスもとっておいた。
「夢? AI? 3Dプリンター?」
旦那・真ウチ郎は私が見せた、野ヂ朗のチラシを一行も理解できてなさそうだが、怪しそうだから止めておけとも言わなかった、逆だ。
「なんだかわからないが、面白そうなイベントじゃん? 行きたいなら行けば」
旦那は何につけて適当だ。それだから家事てきとう、生活設計てきとう、義実家との付き合いてきとう、趣味で書いてる小説にだけ真剣な嫁と付き合えるんだが……まあ、ありがたいこっちゃ。
とはいえ変に心配させないため、チラシの赤髪青年がマンション5Fの手すりを飛び越えたことは伏せておいた。いや、ぱっと見てイケメン青年が謎のモニター募集してる構図に、マルチ商法や、ホストクラブの勧誘とか呼び込みの可能性って考えないか? ひとりしかいない奥さんが騙される可能性を怪しまないのか……
――まあ、いいや。
私の勘では悪だくみはなさそう、まず無い……ただの勘だけど。
とにかく今自分の中でモヤモヤしている、チラシによればナツ川ラボの所員・野ヂ朗が、モニターに映ったデリバリ飛び降り野郎と同じ人物か? これを確認したい。なんて呼べばいい? 作家志望の本能が求めてる…? 阿久湯賞を目指しているのはミステリというよりハードボイルド・アクションなんだけど、それも少しあるかもしれないが「確認したい」が最大の動機だった。
建物全体が鉛色の鉄板で覆われた、倉庫というより昔の特撮の秘密基地のような……小窓が上方の階に二個並んでいるせいで、巨大ロボの頭部に見えなくもない。ナツ原ラボである。
遠くから見たことしかなかったが近づくと意外と大きい。5F建てのうちのマンションと同じくらい高さがある。幅はないから巨大ロボよりモアイ像似? そして市営住宅の廃墟と嵐が丘(と呼ばれていると同じマンションの中学生から教わった)、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」なら読んだぞ。荒れ野にヒースが生い茂っている。だがここに生えているのはススキとセイタカアワダチ草、どこもヒースと似ていない。中学女子の夢を壊すわけにいかないから「なんか、かっこいい」と言っておいた。中学生には「かわいい」より「かっこいい」が上位互換、なんとなくこれも勘だけど。
チラシに書かれた開場時間より2時間早く赴いたのには理由がある。
一年半ほど前。美タカ市で市民向けに地域商品券を販売した。一万円払うと一万三千円お買い物ができるやつ。一人5口まで買えると美タカの広報紙に書いてあった。よっしゃー! と特設会場に販売開始の9時に自転車を漕いだ――が、買えなかったぐぬぅ。販売開始の5分前には現場に延々と長蛇の列が出来ていた。いちおう近い駐輪場にチャリを停め30分くらい並んだ頃、係の人が列の後ろの方までお知らせに来たのである。
「並んでもらっても、ここよりずっと前のほうで売り切れまぁす」
うそッ! と叫んだけどその後パートが入っていたし、お買い物で15000円得する商品券をそこで諦めた――そんな苦い経験があった。こんなド怪しい企画に大勢押し寄せるとは考えにくいし、先着七名なんてスーパーの卵パックの売り方より雑だが、対策して攻略法に活かすのが主婦の知恵だ。言葉のチョイスがちょっと変か?
と、ナツ原ラボの建物ギリギリに蔓延るセイタカアワダチソウの間に駐輪スペースを探していたら――
「スタ香さん!」
ちょっと甲高い声の主を振り返ると、見覚えのあるグレー系のチェックスカートとネイビーのベスト……アイ音ちゃん⁉︎ マンションの一階に住んでいる「嵐が丘」を教えてくれた中学生だ……っておい、学校はどうした?
「セイ香さんもナツ原ラボのモニターに来たんですか?」
そ、それはそうだけど中学校……授業をサボってきちゃったキミ? 詰問した過ぎて空気だけかみかみしてやっとのこと、
「今日、学校は?」
「1時間目の古文だけ出席して、2時間目の数学は頭痛ひどくて無理そうです……のども痛いし新型コロナかもしれないって、ちゃんと申請書いてから……早退しちゃった」
「中二の数学って何やってる今?」
「……連立方程式と関数」
「数学、得意?」
「全然わかんない」
「…………わかる」
本当は注意しようと思ったのだ、大人の社会人としては。どんだけ嫌いで苦手でも中学数学をサボってはいけないと……でも。
「のど、まだ痛い?」
「…………全然」
だろうね、めちゃめちゃ声よく出ているから。
アイ音ちゃんは制服のポケットから四つ折にしたチラシを取り出し広げた。
「これ。めちゃくちゃ気になって……夢ってカタチに出来るもの? 本当の話? 作り話? それしか考えられなくなってたら、昨日の夢に野ヂ朗さんが出てきて、来るよね? 絶対来るよねって約束させられた……ってカンジ?」
カンジ? 言い訳くさいけど理解はできた。さわやか下心なしイケメンの笑顔だけが、女子の純な好奇心を後押ししていい。「夢とAIと3Dプリンター」のモニターに参加したいという気持ち。私が中学生なら同じような動機で、やっぱり自主休講しちゃうかなあ? 悩んでしまうが、まあいいか。もう来てしまってるんだし。
一階のアイ音ちゃんにチラシが届いていた、ってことはマンションの全世帯にチラシを入れていた? じゃ、どうやってセキュリティを突破したのよ?
ぐるぐる思考を止めたのは、わほという控えめな鳴き声だった。
次に、セイタカアワダチ草がガサガサ揺れうごいて、黒っぽい白と茶色も混じった毛に包まれ、黒くて濡れた鼻の持ち主。草の間から顔を覗かせたのはシバ犬だった。
「わほ」彼はもう一度存在を主張するように、鳴いた。
「ヨッシー! ヨシ伸くぅん」
その後ろから追いかけるようにしわ枯れた声がした。




