✽ 元女公爵、昔語りをする ✽ 第7章 王太子の婚約者候補(フランソワーズ視点)
私には五つ年上の兄がいたの。名前はドクトールといってね、まるで天使のように本当に美しくて繊細な人だったわ。そして見かけどおりにとても優しい人だったの。
兄は私の自慢だった。でも、とても体が弱かったの。
だから、剣も握れない軟弱者だと陰口を言う人も多かったのよ。
今では文武両面で活躍しているけれど、元々我がモントーク公爵家は武門の長として名高かったから。
それでも、両親はあまり気にしないようにと兄に言っていたわ。男の子は案外幼いころに虚弱だった子の方が、大人になったとき却って丈夫になる。そういう話もよく聞いていたから。
そもそも、公爵家の当主に必要なのは剣の強さより頭脳の方だと両親は常々口にしていたの。実際に戦いの場に出向いても、トップの役目は最前線で戦うことではなくて、的確な指揮をすることなのだから。
それでも両親は先のことを見据えて、兄の両腕になってくれそうな、嫡子ではない優秀な男の子を二人、一族の中から見つけ出して兄と一緒に教育を施したわ。
その一人が今現在この公爵家を支えてくれている家令のボードバーグ卿で、もう一人が貴女のお祖父様のマーチンだったの。
ボードバーグ卿は剣の腕前は人並み(つまり凄腕!)だったのだけれど、貴女も知っているとおりかなり頭脳明晰だったの。彼は子供のころからまさに切れる男だったわ。しかも冷静沈着。
そしてマーチンは頭脳がそこそこ(かなり優秀!)だったけれど、とにかく剣が強かったの。
しかも厳しい訓練を重ねる事にさらに強くなって、この国一の頑強な戦士と呼ばれるようになったわ。なんたって、剣だけでなくて、弓も、馬術も、体術、何をやらせても飛び抜けていたのだから。
そんな彼らを見ているうちに、私も二人のように将来兄の役に立つ人間になりたいと思うようになったの。私は兄が大好きだったから。
それで勉強に励むだけではなくて、鍛錬にも参加するようになったのよ。彼らの邪魔にならないように気を付けながら。
するとね、どうやら私には剣の才能があったらしくて、ぐんぐん上達してしまったのよ。
そしていつの間にか、乙女将軍なんて恥ずかし二つ名で呼ばれるようになってしまったわ。でも、それがいけなかったの。
そのことに私が気付いたときはもう後の祭り。なんとモントーク公爵家の後継者には私がなればいいと言い出す者が出てきてしまったのよ。
ボードバーグ卿とマーチンが支えるのならば、病弱な兄より女でも丈夫で剣を扱える私が当主になるべきではないかと。
兄の為にと頑張ったことが裏目に出てしまって、私はかなり困惑したわ。
兄の耳に入る前になんとかしないと焦っていたときに、王太子の婚約者候補の一人に選ばれたの。
本来我が家と王家とでは縁を結ばないことが暗黙のルールだったわ。
でも王家の力が弱まっていて我が家の後ろ盾を期待したのでしょう。
でも本気で私を王太子妃にするつもりではなくて、候補者でいる間だけでも援助してもらいたかったみたいなの。
それを聞いて、これだわ、って私はこの話に乗ったわ。
私が婚約者候補になったら、その時点でモントーク公爵家の後継者になる可能性がかなり低くなると思ったの。
将来が不確定になってしまった私を推そうする者はきっといなくなるだろうと。
けれど、なぜ自分に相談もせずにそんな大事なことを決めたのだと、温和な兄が激怒したの。
王太子があまり褒められるような人間ではないという噂は、まだ十二歳だった私だって知っていたわ。
でも兄は王太子と同級生だったから、殿下をよく知っていたのよ。
頭はそこそこ良かったらしいけれど、素行不良で女好き。とても王になれるような器ではないと。
二人の王女が誕生した十年後にやっと生まれた王子だったので、国王夫妻だけでなく周りの者まで溺愛して甘やかした結果だったみたいよ。
そんな人間に大切な妹を嫁がせるわけにはいけない、と兄は言ったわ。
でも、そもそも王家の申し出を断ることなんてできなかったのよ。だから、お受けしたのは仕方ないことだったのだと、私は淡々と兄に告げたの。
でもこれが余計にいけなかったのだと思うわ。普通のご令嬢なら泣き叫んで嫌がるものね。
それなのに平然と受け入れている私を目にして、聡い兄は勘付いてしまったの。
自分を後継者にするために妹が王太子の婚約者候補になったことを。
でも実際のところ私は、兄が結婚して後継者に指名されたら、さっさと本性を露わにするつもりだったわ。
そして王太子の婚約者候補から外してもらおうと考えていたからこそ、平然としていただけなのだけれど。
兄は私をケダモノ王子から守るために、一足先に学園卒していたマーチンに、近衛騎士になるように命じたわ。
でもマーチンは兄を守るための人間だから、私の護衛をするなんて本末転倒でしょう? 当然私はそれをお断りしたの。
ところがなんと父もそれに同意してしまった。いくら私が強くてもまだ子供だし、もし数人がかりで襲われたら抵抗できないって。
(え~っ! 王太子って人を使って抑え込んで襲うの? しかも子供を?
私は成人前で初潮だってまだこない少女なのに。なんて卑怯で情け無い男なの!)
私は憤慨したわ。父はそういう可能性だってあると言いたかっただけらしい。
けれど、私の頭の中では、王太子は熟成した大人の女性より少女を好む変態で、卑怯で情けない男なのだとインプットされてしまったわ。
まあ実際にどうしようもないクズ男だった点は間違いじゃなかったけれど。
結局王太子は学園卒業後、すぐに侯爵家のご令嬢だったスカーレット様と婚約したわ。そして挙式はその一年後に決まったの。
これで他の婚約者候補達は皆お役御免になるはずだった。ところが、私だけは解放されなかったのよ。
それはなぜかというと、何かと問題の多い王太子をスカーレット様一人で支えるのは無理そう。
そこで王家は結婚後数年したら側妃を迎えようと算段したのよ。
そしてその相手に、五つ下の私の存在は丁度良かったらしいわ。
今から教育すれば、スカーレット様の良い補佐役になると判断したのでしょうね。
私は本性だけでなく、自分の持つ能力をずっと隠していたのよ。それでも私は周りからは優秀な存在に思われていたようね。
それにしても、王家には人を見る目がなかったわ。そして判断力もね。
だからあんな愚かな王子を王太子にしたのよ。いいえ、ちゃんと王族として教育できなかったのがそもそも駄目だったのだけれど。
この王家の決定に、両親や兄だけでなく一族みんな激怒したわ。
この国一の名門モントーク公爵家の一人娘を、王太子の側妃にしようとするとは何事だとね。
我々は王家に蔑ろにされ見下されたのだ。これまでずっと王家に忠誠を誓ってきたというのに。
こんな裏切りは許せない。
我が一族は王家に反旗を翻そうと一致団結したわ。
でもそれをマーチンから聞いた私は、急いで公爵家の屋敷に戻って私の計画を家族に伝えたの。
あんな愚かな王家のために、我が一族が謀反人の印を押される必要なんてありませんと。
両親と兄は驚愕したけれど、私の説明をちゃんと聞いてくれた。
そして結局それを受け入れてくれたの。その計画が失敗したら、そのときに改めて王家を潰せばいいのだからと。
読んでくださってありがとうございました。
明日からは夜一回の投稿となります。
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