✽ 卒業式は華やかに ✽ 第66章 変化(エリック視点)
領地からユリアーナや弟達と王都に戻ってから二月ほど経った。
十日も休んだせいで、その後は超多忙の日々を過ごした。
しかも帝国の王太子の結婚式に参列する準備もあったのでなおさらだった。
それは婚約者となったユリアーナも同様だった。
すでに学園の授業はなく、公爵夫人としての勉強は学園卒業後から始まることになっていたので、勉強自体はなかった。
しかし、友人達の今後の進路の相談にのっていたので、毎日忙しく動き回っていたのだ。
それでも毎晩必ず、共に遅めの夕食を取り、卒業パーティーや結婚式の段取りや、王城や学園内の情報などを話し合った。
そして甘い雰囲気になりかけると、侍女のアンや侍従のカールの邪魔が入るのがお決まりのパターンになっていた。
早く結婚したい。婚約式はマックスに譲ったが、結婚式はサッサとこちらが先に挙げるつもりだ。
そして、いよいよ卒業式の前日になった。やはり国王陛下一行はまだ帰還しなかった。
帝国の結婚式からすでに一週間は経っているはずなのだが。
「卒業式の挨拶は、やはり王太后殿下がなさるのでしょうか?」
「ああ、そうだろうね。例年なら王妃殿下が式に参列されるのだが、今年はご療養中だからね。
王位継承権を持つお方は、王弟ヴァルデ公爵を含め数名いらっしゃる。
しかし、皆様臣籍降下されていて、王族と名乗れるのは陛下や王太子殿下を除くと、あとは王太后殿下しかおられないからな。
まさか、卒業生でもあるブライアン殿下を来賓にするわけにもいかないしな」
「そうですね。
・・・・・
王妃殿下は今どのようにお過ごしになっているのでしょうか」
ユリアーナが躊躇いがちにそう問うてきた。彼女が王妃殿下について訊いてきたのは初めてだった。
ブライアン王太子のことよりも、むしろ王妃に対する感情の方がより複雑なのかもしれない。
王妃は能力的にはかなり高い方だった。だから、彼女から教わっていたお妃教育に関してはユリアーナも尊敬の念を抱いていたようだ。
しかし日和見主義の王妃とユリアーナでは、元々相容れないものはあっただろう。
特に王太子に対する接し方には、正直我慢ならないものがあったようだ。まあ、想像できるが。
それでも母親の親友だと信じていたので、気を使って表面的には、それなりに上手くやっていたようだ。
王妃には王太子のことで常々謝罪をされていたので。
まさか、あんなに悪意を持たれているなんて、ユリアーナは露にも思っていなかっただろう。
「王妃殿下は離宮にいる王太后殿下の下にいらっしゃる。絶えず圧をかけてきた陛下から離れられて、ずいぶんと落ち着かれたそうだよ。
生まれて初めて人から情をかけてもらえて、子供のように笑っているって。
時間はかかるが、これから本当の意味で大人になれるのではないかと、王太后殿下はおっしゃっているそうだよ。
ただし、陛下が変わらない以上、二人を会わせるつもりはないそうだが」
「そうですか」
ユリアーナは私の話を聞いて何か考えているようだった。
そして少し間を置いてから次の質問をしてきた。
「それにしても、ブライアン殿下は卒業式に出席されるのでしょうか?
もうすでに五か月も学園に姿を見せていないそうですが」
王太子の話はタブーになっているし、元婚約者であるユリアーナにその話をする者もいないのだろう。
ユリアーナにあの男の話など聞かせたくはなかったが、いずれ知ることになるだろう。仕方なく私はこう言った。
「卒業自体はできるだろう。どんな成績だろうと公表しないのだからいくらでも誤魔化しがきくからな。
出席日数が足りないのも、本当に病欠のせいだし。
しかし式には参加しないだろう。あの顔は誤魔化せないだろうからな」
ちなみにユリアーナも四か月近く学園を休んだが、単位はそれ以前に全て取得していたし、それまで無遅刻無欠席だった上に、課外活動と慈善事業が認められて、出席日数も問題にされることはなかった。
「殿下の怪我はそんなに酷いものだったのですか?」
「陛下はお祖父様に鍛えられていたから、相当腕っぷしが強いらしいのだ。そんな人から渾身の力で何度も殴られたのだよ。想像がつくだろう?
陛下と比べると王太子は怠け者の根性無しだっただろう? ろくに鍛錬をしてこなかったから、受け身や防御もできずに一方的にやられたのだろうな。
傷を負ったというレベルじゃ済まなくて、鼻と頬の骨が折れたと前に話しただろう。
しかも、治療されずにそのまま放置されたままだったんだ。骨が曲がったままくっついてしまって、顔が見てわかるくらい歪んでしまったんだよ。
今はもうベッドで寝ているというわけではない。自由に動けるのだが、本人が人と接するのを嫌がって自室に閉じこもっているのだ。
だから卒業式にも顔を出さないと思うよ」
「治療をしなかったと聞いてはいました。けれど、まさか本当に何もしなかったとは思ってもいませんでした。どうしてそんなことに!」
ユリアーナは眉を顰めて訊いてきた。
「陛下の罰だろう。己と息子に対する……」
「罰?」
意味がわからないという顔をしたユリアーナに、私はあくまでも自分の想像に過ぎないが、と断りを入れてからこう話した。
「さすがに陛下も、ブライアン殿下をこのまま王太子しておくことは無理だと悟ったのだろう。
何せ多くの人間がいる中で、君との婚約破棄だけてなく、浮気相手のリンジー=マントリー子爵令嬢との婚約発表をしてしまったのだから。
しかも、昔美人局などの詐欺行為で、男性からお金を巻き上げていたという彼女の過去の犯罪歴が、ヘンリー叔父上によって詳らかにされてしまったのだ。
しかも、子爵令嬢は学園で多く婚約カップルの仲を引き裂き、婚約解消させる事態まで引き起こしていた。それは、全く過去を反省していなかったことを証明している。救いの無い屑だ。
彼女は多くの貴族の恨みを買ったが、その矛先はすぐに王太子にまで向けられてしまったのだ。
なぜなら、本来なら王族は、貴族としてのあるべき礼儀や規律を周りの者に教え導く立場にあるはずなのだ。
それなのに、注意を促す婚約者のことを完全に無視して、側近と共に子爵令嬢を溺愛し甘やかし、そこまで増長させたのは王太子自身なのだから。
この約半年で、多くの国王派の貴族が王弟派へ流れた。あるいは改革派へ。
こんな状態なのにブライアン王子を国王の座に就けたら、この国は近いうちに崩壊してしまうだろう。
とはいえ、唯一の息子を王太子の座から自ら降ろす胆力が陛下にはもうなかったのだと思うよ。
だからこそ、息子をどうしても王太子にはさせられないという事態に、自らを追い込んだのだろう。
つまり、息子を人前には現せられない姿にすれば、自分も息子も否応なしにそれを受け入れざるを得なくなるだろうと」
「だからと言って、怪我をした息子をわざと放置するなんて!
思わず殴りつけた気持ち自体はわからなくもないわ。正直、私だってあの時殴ってやりたかったもの。けれど、家族や一族、領民のことを考えて必死に堪えたのよ。
けれど、もし殴っていたとしても、後で治療くらいは受けさせるように進言していたと思うわ」
見かけは庇護欲を誘うような儚げな美少女だが、幼いころから兄達同様に厳しい訓練を受けてきたユリアーナは、案外武闘派だ。
もし襲われそうになったら、相手がたとえ大の男だったとしても殴り倒すことが可能だろう。
しかし、精神面も鍛えられているから、理性で殴りたいという感情さえも、彼女は抑え込められたのだろう。大したものだ。
それに優しい子だから、たとえどんなに憎むべき相手だろうが、怪我をした人間を見たら見捨ててはおけないだろう。戦場でもない限り。
しかし、私としては陛下の気持ちが分からないわけでもなかった。
周りからどんなに批判されようと、それくらいのことをしなければ、たとえ愚息であろうとも後継者にすることを諦め切れない、と思ったのではないだろうか。
そして自分の欲望のまま無理矢理に息子を後継者に推し続ければ、いずれ己自身も、あの悍ましい父親と同じ愚王と呼ばれるようになってしまうかもしれない。
その結果父親のように、自分だけでなく息子も王太后から厳しく断罪される、と思ったのかもしれない。