✽ 公爵領は国際交流の舞台となる ✽ 第62章 現代の魔法使い
「そう、自称発明家は山のようにこの世に存在する。しかし、我々は幸運なことに、身内に本物の天才発明家、現代の魔法使いがいるのだよ。兄としてこんなに誇らしいことはない。
彼の力を借りれば、エリックはみんなの要望に答えることができるのだ。
もちろんだからといって、お前一人に負担を押し付けようというわけではない。
一人では限界がある。重要度が高まれば高まるほど、それに伴って多くの人間の協力が必要になのだと、私も失敗から学んだからな。
私も一族の者も皆でお前に手を貸す。だから心配するな」
「つまり、ケンドル叔父上の発明した魔通話を利用して、遠距離から現場に指示をしろということですか?」
お兄様の言葉にお父様は頷いた。けれど、息子がまだ納得していないのだとわかったのか、こうフォローした。
「現場を見ずして責任のある立場にはなれないと、そうお前は思っているのだろう。いくら私がお前の代理人をしたとしても。
しかし大丈夫だ。私達の自慢の魔法使いは、さらに画期的で素晴らしい発明品を今開発中だからな。
というか、すでにほとんど出来上がっていて、後は試運転するだけらしいのだ」
「一体どんな発明品なのですか?」
「馬車の代わりになる乗り物でな。動力が馬ではなくて魔石エネルギーなのだそうだ。
詳しい仕組みは私にはよくわからないのだが、とにかく馬車とは比較にならない程のスピード走行するらしい。
帝国で敷かれている汽車ほど大量の人間や物は運べないが、線路を必要とはしないから、道さえあれば自由に移動できるというのが最大の利点だな。
実際に走らせて見なければはっきりしたことは言えないらしいが、かなり時間を短縮できるらしい」
お父様が誇らしげに言った。
ああ。それであんなにケンドル叔父様は王都に戻りたがっていたのね。と私は納得した。
そんなに素晴らしい発明品がほぼ完成状態だったというのなら、すぐに試してみたいと思うのが人情だものね。
その事がわかった時点で王都に帰してあげればよかったのに、と思わなくもないけれど、やっぱりそれは叔父様への罰なのかしらね。
ケンドル叔父様は、今まで自分の好きなことばかりしてきたのだから。とはいえ、その罰はなんだか裏目に出そうな気がするわ。
だってケンドル叔父様ったら、焦らされたせいなのか、近頃ではその魔動車というものではない、別のものに興味を持ち始めているみたいだから。
それが何かというと、それはなんとオードトワレだ。
これまでナンシー義叔母様は、オードパルファムと呼ばれる一番ポピュラーな香水を使っていなかった。
そのきつい匂いが苦手なのだという。いや、単に好き嫌いの話ではなく、気分が悪くなるレベルらしい。
それでも、人から漂ってくる香水だけならばなんとか耐えられるのだという。ところが、自分の身体から香ってくる匂いを嗅ぐことは、かなり辛いのだそうだ。
しかし香水を付けていないせいで、香水も買えないくらい貧しいのかと、お茶会やパーティーでご婦人方から嫌味を言われることが多かったのだという。
その事を領地に来て初めて知ったケンドル叔父様は、妻に申し訳なく思ったそうだ。
自分のせいで愛する妻が
「夫がまともに働かない変人だから、香水一つ買えない、いや、買ってもらえない、哀れな妻」
ずっとそう噂されていたのだから。
そこで叔父は義叔母のために、匂いの弱い香水を作ろうと思い立ったらしい。
しかも香りを嗅ぐと、むしろ気分がよくなるオードトワレを。そうすれば妻でも香りを楽しめるのではないかと。
都合の良いことに、領地の広い庭園には多種多様の植物が生えている。実験するにはもってこいの場所だった。
というわけで、ケンドル叔父様は現在、母屋から少し離れた小屋の中で香水作りに没頭している。
お父様やお祖母様は婚約パーティーの準備に忙しくて、そのことに気付いていないみたいだけれど。
おそらく、婚約式が終わってみんなが王都へ戻っても、ケンドル叔父様はナンシー義叔母様とともにここに残ると思うわ。
いくらお父様が、早くその魔動車とやらの試運転をしろと命じたとしても、義叔母様が満足する完璧なオードトワレが完成しないうちは、叔父様はきっと実験をやめないと思うもの。
でも私は、そのことをこの場で伝えるつもりはないわ。
魔電話や魔動車だけでなく、ナンシー義叔母様のために作った香水まで、モントーク公爵家や目の前の王家に好き勝手に利用されたのでは、あまりにもケンドル叔父様が可愛そうだもの。
そりゃあその魔動車なるものができたら、さぞかし便利になることでしょう。これまでよりも短時間で目的地に着けるのだから。
でも、そのせいで却って人は忙しくなってしまうのではないかという不安が、急に私の心の中に湧き起こってきたのだ。
エリックお兄様に、これ以上忙しい思いをさせたくはない。そう私は思った。
領地に来て最初に私が感じたのは、王都にいたころと比べて時間の流れがゆっくりと、そして優しく流れていることだった。
以前はやるべきこと、いいえ、やらねばならぬことが多すぎて、私はいつも時間に追われていた。
本当はもっと色々と考えて、納得してから動きたかったのに、そんな余裕は全くなかった。
だから、たとえ他人から称賛されたとしても、何をやっても満足しなかったのだ。いつも不完全燃焼で未消化のままのような気がしていた。
でもここへ来てからは、やることなすこと全てが初めてのことばかりだったので、上手くいかないことが当たり前だった。しかしそれが新鮮でとても楽しかった。
失敗しても試行錯誤を繰り返し、満足するまで挑戦する時間があった。そして、そうやって成功したときの達成感はなんとも言えない素晴らしかったのだ。
私のやった挑戦なんて比較するのも烏滸がましいことばかりだったけれど、研究や実験をしているときのケンドル叔父様も、こんな気持ちなのだろうな、と思った。
ナンシー義叔母様もおそらく、そんな幸せそうな叔父様を見ていることが好きなのだろうと感じた。そうでなければ、とうの昔に役立たずの婿なんて追い出しているはずだもの。
それに、きっと叔母様も気付いているはずだわ。叔父様の発明品のほとんどが、叔母様のために考えた物だってことに。
私もナンシー義叔母様のように、愛する人の大切な時間を守れるような妻になりたいわ。
だから、エリックお兄様が代表者になって欲しいという要請に返事をする前に、私はお父様にこう言った。
「私とエリックお兄様は、お父様のせいで、恋人同士として過ごす大切な時間を奪われました。
ご自分は学生時代にお母様と散々甘々で楽しい時間を過ごされたというのに。そんなの不公平です。
ですからせめて結婚してからは、二人きりでゆっくりと過ごす時間が欲しいのです。
どうかその代表者には当分はお父様がなってくださいませ。もしお父様では不満があるという方がいられても、どうかご自分で納得させてください。
そして私達が二人きりの甘い時間を過ごして、もう十分だと納得し、なおかつその魔動車なるものの運用が実施される運びになったら、その時、改めて代表の件も考えさせて頂きますわ」
お父様が絶句して、口をポカンと開けた。お祖母様はクスクスと笑っていた。
そしてエリックお兄様はというと、高貴なお客様方がいらっしゃるというのに、私をギュッと抱き締めてこう言った。
「ユリアーナと一緒にいる時間がもう十分だなんて思う日が来るはずがないじゃないか。
私にとって一番幸せな時間は、ユリアーナとともに過ごす時なのだから。
父上、お祖母様、申し訳ありませんが、代表の件はお断りさせていただきます。
父上の体調も大分良くなってきているようですし、代表の座はお譲りします。
争い事を嫌い、安寧な世界を誰よりも願っている父上が適任だと思うので。
そして父上の後継者にはマックスを推薦します。
私は出生の秘密を公にするつもりはありませんので、必ずしも私が皆様に納得して頂けるとは限りません。
しかし、マックスとスレッタ嬢には誰も異議を唱えないでしょう。彼らには三国の血が流れているのですから。
それに二人とも優秀ですから、ここにいる皆様で指導すれば、必ず立派な代表になれることでしょう」
その言葉に、その場にいた全員が瞠目していたが、やがて納得したように頷いた。
しかし心の中では、エリックお兄様に文句をつける人間などいるわけがないのに、と思っているのが丸わかりだった。
モントーク公爵家特有のほんのり赤紫色がかった、眩いほど光り輝くプラチナブロンドの髪。
スラレスト王国の元王族に多かったという、美しいペリドット色の瞳。
幼いころから鍛え抜かれた逞しくバランスのよい体躯。
まるで世界一の名工が生み出した彫像ように素晴らしいその顔で微笑まれたら、誰もが見惚れて言葉を失うだろう。
それはもう老若男女関係なく。しかも外見だけでなく、中身も超優秀なのだ。
しかし、それをいうなら父ハロルドも同じことがいえる。兄エリックとの違いは瞳の色が紫色なのと年齢くらいなのだから。
いや、年を重ねているおかげで、妙な色気や貫禄が加わっているから、より魅力的かもしれない。
そして、濡羽色の美しくて艶のある髪と、同じく黒く輝く瞳をした母ロジーナは、清楚で上品な慈愛深い女性だ。
女魔王と呼ばれているお祖母様に瓜二つの私よりも、お母様が代表夫人である方が、ずっと皆様に安心してもらえると思うわ。
だから、お父様達が代表になっても文句を言う人なんていやしないわと、身内の欲目を捨ててもそう思った私だった。