✽ 公爵領は国際交流の舞台となる ✽ 第58章 二度目のプロポーズ
ケンドル叔父様の煎じた、睡眠効果のあるお茶を夕食後に飲んだせいなのか、私はすぐに眠気に襲われた。
そして目を覚ますと明け方だった。あの後お兄様は目覚めたのかしら。
とても気になったが、この時間では皆眠っていてそれを聞くことはできない。
それにお兄様の部屋に入り込むのも躊躇われたので、仕方なく確認するのを諦めた。
しかしこのまま部屋の中でじっとしていることに耐えられそうにもなかった。
そこで一人で着られる簡易的なドレスに着替えた。さすがにこちらに来てからずっと身に着けている、いつものメイド服姿をもしお兄様には見られたら嫌だな、と思ったから。
そしてその決断は正解だった。なぜなら向かった先の庭園に、エリックお兄様が佇んでいたからだ。
「お兄様?」
その後ろ姿から兄のエリックだと確信したものの、以前と比べるとかなり痩せていたので、声掛けというより疑問形になって呼びかけた。
すると、朝日が昇ったその瞬間にその人は振り返った。眩しすぎて咄嗟に片手で目を覆ったが、その直後、私は広くて硬い胸板に顔を押し付けられた。
「おはよう、ユリアーナ。君に会いたくて我慢できずにここに来たのだが、まさかこんなに早くその願いが叶うとは思わなかったよ」
「私も同じです、お兄様。お兄様が目覚めたのか心配で。でも寝込みを襲うような真似はできなくて」
「はは。君に襲われても、私は一向にかまわなかったけれどね。
心配をかけてすまなかった。それに情けない姿を見せて申し訳なかった。君の前ではどんなときでも凛々しい貴公子でいたかったのに」
「いいえ、お兄様があんな風になってまで急いで逢いに来てくれて嬉しいです。
お父様がよれよれになって、両脇を支えられてやって来たときと同じくらい感動しました」
私がこう言うと、お兄様が頭上で吹き出すのがわかった。
「ユリアーナが男のかっこいい姿よりも、ダメな部分に惹かれるダメンズ好きだったとは知らなかったよ」
お兄様は苦笑いしながら言っているのだろう。私を抱き締めている両腕が震えている。
しかしそれは誤解だわ。私だって勇ましくて堂々とした立派な男性が好みだもの。でも、そんな人がたまに弱みを見せたときに胸がキュンとするだけで。
公爵家の嫡男としていつも威風堂々としているお兄様が、あんな汚れた風貌をしているのを初めて見た。
しかしそれが自分のためだったのだと思うと、申し訳ない気持ちとともにとても嬉しかったのだ。
完璧なお兄様には、私なんて不要だと思っていたから。
そう説明すると、お兄様が自分は完璧な人間などではないよと呟いた。むしろ寂しがりやで気の弱い情けない人間なのだと。
「私はこの家の養子で、実の両親や祖母、そして一族郎党が惨殺されて、自分だけが生き残ったと知らされたとき、絶望したんだ。
家族だと信じていた人達が他人だったとわかって、何もかも信じられなくなった。孤独で寂しくて悲しかった。
その上いつ命を狙われるかわからない自分の未来に、ただただ不安で恐ろしかったんだ。
誰の顔も見たくなかったし、話もしたくなくて自室に閉じこもったよ。少し前までの父上のようにね。
そんな私にどう接していいのかわからなくて、父上や母上、そしてお祖父様や叔父上達も困惑していた。
そしてそんな緊張感は自然と周りにも伝わるから、スコットやマックス、そして使用人もみんなおどおどしていた。
乳母のマノアでさえおろおろしていたよ。それが余計に腹立たしく感じた。
ところが、しばらくすると食事が運ばれる度に、君が一緒に部屋に入ってくるようになったんだ。
そして気に入ったデザートを見つけるとそれを欲しがったんだよ。もちろん私には食欲なんてなかったから好きにさせていたんだ。
ところが数日後、君はフォークでパンケーキを刺して、
「これ、とっても美味しいからおにいさまも食べてみて!」
って言うと、無理矢理に私の口の中に入れようとしたのだよ。
食欲なんてまるでなかった。しかしいくら実の妹ではないとわかっても、これまで誰よりも大切にしていたユリアーナのお願いだ。それを無下にはできなくて仕方なしに食べたんだ。
すると君はまさに天使のような明るい笑顔で
「ねっ! 美味しいでしょ」
って、さも自分が作ったかのように自慢気に言うものだから、私は思わず吹き出してしまったのだよ。
その後、私は自室で君と一緒に食事をするようになった。しかもその時間以外でも、ユリアーナは私の部屋に入り浸るようになったのだ。
そして「絵本を読んで!」「お人形遊びをして!」「一緒にお昼寝して!」って、おねだりの連発さ。
やがて気が付いたら、いつの間にか私は、君を連れて庭を散歩するようになっていたのだ。
すると今度は、スコットやマックスも以前のように私にまとわりつくようになって、以前と全く変わらない生活に自然に戻っていたのだよ。
つまり、私は君に救われたのだよ、ユリアーナ」
お兄様はいつもの優しい笑顔でそう言った。だから私はこう訊ねた。
「お兄様が私を好きになったのはそれがきっかけなの?」
「私はロリコンではないから、それで君を異性として好きになったというわけじゃないよ。
だけど、たしかに私にとって一番大切な存在になったきっかけではあるね」
「そうだったのね。ということはやっぱり、お祖母様が私達の縁結びの神様だったのね」
「お祖母様? どういうことだい?」
疑問符を浮かべるお兄様に、私はここへ来てから知った話を教えた。
実のところ、お兄様が引きこもっていたときのことはあまり覚えていない。突然大好きなエリックお兄様に会えなくなって大泣きしていたことくらいしか。
だってその当時、私はまだ五歳だったのだから。
部屋に引きこもってろくに食事を取らなくなったお兄様のことだけでも、周りの者達はひどく困惑していたのだ。
それなのに、さらに私までいつまで経っても泣き叫んで暴れていたので、両親だけじゃなくて、屋敷の者達はみんな頭を抱えてしまっていたらしい。
そしてついにお父様が耐えられなくなって、当時はまだ離れに住んでいたお祖母様に頭を下げて、何とかしてほしいと頼んだのだという。
するとお祖母様は私に、
「エリックお兄様が部屋から出てこないのは病気だからなのよ。
それなのに貴女がそんなに泣き叫んでいたら、お兄様はゆっくり休めないでしょ。
早く良くなってもらいたいのなら、貴女はおとなしくしていましょうね」
と諭したらしい。そしてようやく泣き止んだ私に、お祖母様はさらにこう言ったという。
「病気を治すためにはちゃんと食事を取らないといけないのよ。でも、一人きりだとなかなか食欲がわかないものなの。
だから、エリックの食事時間になったらユリアーナが側に付いていてくれると助かるわ」
って。
私から昔の話を聞いたお兄様は、やっぱりお祖母様には敵わないなと、苦笑いをしていた。
それから真面目な顔をして、一昨日に続いて二度目のプロポーズをしてくれた。
「八年以上前から貴女は私の唯一で、心の支えでした。心から愛しています。ずっと側にいてください」
だから私も一昨日と同じ返事をしたわ。
「私も貴方を心から愛しています。だからずっと貴方の側にいます」
すると、エリックお兄様は聞くのは二度目のはずなのに、この上もなく嬉しそうな顔をして、私の目を食い入るように見つめた。
そしてその後で、その美しいペリドット色の瞳を閉じたので、それに倣って私も目をつぶった。するとそのすぐ後に、私は自分の唇に柔らかなお兄様の唇が重なったのを感じたのだった。




