✽ 公爵領は国際交流の舞台となる ✽ 第56章 意外な嫉妬心(エリック視点)
「私、ここに残ってお祖母様やお父様のお手伝いをしようと決めました。
お二人の崇高な理想を実現させるために、微力ながらお役に立てたら素敵だなと思ったので」
ユリアーナのこの言葉を聞いて私の頭は真っ白になった。
領地に残る? なぜ? ユリアーナは私の婚約者だ。王太子との偽りの婚約は解消になったし、ユリアーナとの結婚を望んでいたランドール公子も、サリナ嬢と婚約した。
私達の結婚の支障となるものは何もないのに、なぜ領地に残ると決めたんだ!
「お兄様、お兄様、どうなさったのですか? もうご用がないのなら切りますね。魔石代も馬鹿になりませんから」
ユリアーナのこの言葉で私は我に返った。
私は外堀を埋めるのに必死になり過ぎて、まだ自分の気持ちをきちんと彼女に言葉で伝えていなかったことに気が付いた。
しかし、まさか迎えに行くまでに、こんなに長く時間が掛かるとは思わなかったのだ。
王位継承問題はもっと早く解決できると思っていたし、まさか父上が引きこもった挙句に宰相の仕事を辞するなんて予想もしていなかった。
こんなに急に、父から当主の座を譲られるなんて想定外もいいとこだ。
いや、そんなのは言い訳だ。ケンドル叔父上が作った魔通話を使って、私の気持ちをユリアーナに伝えておけば良かっただけのことだ。
「妹としてではなく一人の女性として貴女を愛している」
と。電話でなくても手紙で。
でも声や文字などではなく、直接会って顔を見て話したかったのだ。しかしそれは単なる自己満足に過ぎなかったのだと、今さらながら後悔した。
おそらくユリアーナは、両親やお義叔母達からそれとなく私の気持ちを知らされていただろう。
それなのに、いつまでも私は自分の気持ちを彼女に伝えなかった。そのせいでユリアーナは、悶々としたまま三か月過ごさなければならなかったのだ。先が見えず、さぞかし将来について不安になったことだろう。
辛い思いをさせてしまった。しかし、私はユリアーナを妻にすることだけは絶対に諦めない。
今から王都を離れて領地に向かうとユリアーナに告げると、私は急いで魔通話を切った。
そして叔父ヘンリーと共に数名の護衛騎士と従者を連れて、その日のうちに騎乗して領地へと向かった。
鬼気迫る勢いで疾走する私と叔父を見て、何か大事件が起きたのではないかと、その後街道筋では大きな話題になっていたらしい。
ほとんど休みなく走ったので、三日目の夜に私達は領地に到着した。
そして迎えてくれたユリアーナをいきなり強く抱き締めて、
「君を愛している……私の花嫁になってくれ……」
と呟いた後、私の意識はプツンと切れたのだった。
目を覚ますと、そこには心配そうな顔をした父の顔があった。
「やっと気が付いたな、エリック。なかなか目を覚まさないからずいぶんと心配したよ」
「今何時ですか?」
「夜の七時だ。ほぼ丸一日寝ていたな。これじゃあ、無理して急いで来た意味がないじゃないか。
馬を交換するだけで、あとはほとんど食事や休みも取らずに駆け抜けてきたんだってな。あの屈強なヘンリーがレイラに縋って、キツかったと泣いていたぞ。
そもそもこの三週間近く、ろくに寝ていなかったのだろう?」
誰のせいだと思っているのだと心の中で舌打ちをした。すると父も私の気持ちを読んだようで、済まなそうな顔をした。
「悪かったな。私が全て投げ出したせいでお前に大変な思いをさせてしまって」
「まあ、それで母上とのやり直しができたのだから構いませんよ。
ただ、父上がこんなに早く元気になって、マックス達の婚約式をやってくれるのがわかっていたのなら、何も私が当主にならなくても良かったなとは思いますが。
父上のあの状態がいつまでも続いたのでは、マックスやランドール公子の婚約話が進まないのではと心配だったのですよ。
だからこそ私は、こうして跡を継ぐことを承諾してしまったのですが」
「いや、私が当主のまま王都にいたら、おそらくマックスの婚約式はもっと遅くなったと思うよ。
私があんな状態だったからこそ、ここで婚約式を行おうと母上が言い出したのだからな。
まあ、そのおかげで三国どころか、五か国会談が開催される運びになったのだから、母上はすごいよな」
父は明るい顔で笑った。父の笑顔を見るのは久しぶりだ。しかも祖母の話題でこんなに和やかな雰囲気を醸し出していることに、正直驚いた。
まあ、父はあんなにボロボロな精神的な状態であっても、自分にとって大切なのは母親と妻と娘だと即答したとボードバーグ卿から聞いた。父はその時点ですでに祖母への蟠りを捨てていたのだろう。
「しかしそのせいで、まさかユリアーナがここで私達の手伝いをしたいと言い出すとは思いもしなかった。
まあ愛娘と一緒にここで仕事ができるなんて、私にとってはこれほどの僥倖はないが、お前には悪いことをしたな」
父がニヤリと笑った。そうだった。元々父が私とユリアーナの婚約を認めたのは、愛娘と一緒に暮らせるからだった。
それを思い出して私は青褪めた。いくら魔通話ですぐ話ができるようになったとはいえ、王都とモントーク公爵領の距離が縮まったわけではないのだから。
遠距離結婚? まさか私との結婚そのものを無しにしたいというわではないよね?
私はガバッと起き上がり、父に向かって叫んだ。
「ユリアーナをここに残すために、父上が何か言ったのですか!」
すると父は首を横に振った。そしてすまし顔でこう言った。
「三か月も放置されているうちに、ユリアーナも色々と考えたのだろう。
まあ、毎日お茶会が開かれて、ご婦人方に色々な話を聞かされただろうからな。
しかし、私はお前に対して申し訳ないという気持ちがあったから、余計なことは一切言わなかったぞ。
それがお前の望みだったわけだしな」
父のその言葉に私は黙り込んだ。余計なことを言わずに、素直に父達に助けを求めれば良かったのだ。あの魔通話の会話をした後から、ずっと悔やんでいる。
「ユリアーナは今何をしているのですか? やはりおもてなしの準備で忙しくしているのですか?」
「いや。一時間ほど前に早めの夕食を取らせて無理やりに眠らせたよ。
昨夜から一睡もしないでお前の側に付いていたからな」
その言葉に私は目を見開いた。すると、父はまたニヤリと笑って言った。
「何を驚いているのだ。愛するお前が目の前で倒れて気を失ったのだから、そりゃあ心配で側を離れられないだろう。
無精髭を生やしてゲッソリ痩せて窶れたお前を見て、ユリアーナは悲鳴を上げていたぞ」
あっ! しまった。いくら少しでも早くユリアーナに会いたかったとはいえ、途中の川でせめて髭をそって顔と髪を洗って、服を着替えてから屋敷に入ればよかった。
埃と汗塗れの上に無精髭のままでユリアーナの前に姿を現すなど、貴公子としてあるまじき失態だ。
そう後悔しながら顎に手をやると、そこは滑らかだった。
「寝ている間に誰かが身綺麗にしてくれたのですか?」
もし侍従にやらせてしまったのなら申し訳ないと思った。彼らも私同様に疲労困憊だったはずだから。
すると、父は相変わらずニヤニヤしながらとんでもないことを言った。
「いやあ、あまりにお前が汚かったから服を脱がせて、せめて体と顔だけでも拭かせようとしたのだ。
だが、お前の侍従もヘトヘトで可哀想だったから、最初はメイド達にやらそうとしたのだ。
ところがユリアーナは、自分がやるから他の者は手を出すなと叫んだのだ。
そしてみんなを部屋から追い出したのだよ」
「えっ?」
「まあ、さすがに服だけは私とケンドルが脱がせて、清拭が終わった後は服も着せたけれどね」
「あの? どういうことですか?」
「つまり、ユリアーナにしたらお前は自分のものだから、お前の素肌を他人になんか見せたくないし、まして触らせたくなかったのだろう。特に女性には。
メイド達が目をキラキラさせながら、自分達が当主様をお綺麗にして差し上げますと言ったから、嫉妬したのだろうな」
「嫉妬? ユリアーナが?」
信じられなかった。ユリアーナが私のことで他の女性に嫉妬するなんて。
しかし父が言うには、ユリアーナは子供のころから、私に近付くご令嬢に対してことごとく嫉妬していたらしい。
それをマナー教師と母によって厳しく指導されて、その結果、嫉妬心を人の前では見せなくなったのだという。