✽ 公爵令嬢、領地(天国)で女子会をする ✽ 第51章 婚約破棄に至る真実(ユリアーナ視点)
王太子の恋人であるリンジー=マントリー子爵令嬢のことを、私はわざわざ調べたりはしなかった。
なぜならそんなことをしなくても、彼女の言動から、彼女の本性などおおよそ見当がついていたからだった。
彼女は本当に愛らしい少女だった。赤味の強い鮮やかな金髪と、青碧色の大きな垂れ目気味の瞳のその少女は、庇護欲を唆った。
しかしそれと同時に、男性を甘えさせる妖艶さを隠し持っていた。そのことに私はすぐに気付いたのだ。
リンジー嬢が子爵の婚外子だということは聞いた。しかし、引き取られてからはきちんと貴族令嬢として躾を受けていたようで、入学当初の彼女はそれなりに振る舞っていて、特に問題があるようには見えなかった。
ところが、徐々に高位貴族の令息に、自分から擦り寄るようになっていったのだ。
時折彼女の怪しい瞳の輝きに気付くことがあって、その度に背筋が凍る思いがした。まるで獲物を狙っている獣のようだと感じたからだった。
私は幼いころから兄や従兄弟、そして一族の若者達と共に狩りや野外訓練にも参加していたので、そんな獣達とも度々遭遇していたのだ。
だから私は、王太子殿下に彼女には気を付けた方がいいと何度も忠告したのだ。まあ、結局無駄だったけれど。
彼女は今の父親に引き取られる前は、おそらく平民として暮らしてきたのだろう。
しかしそれは、決して健全で良心的な生活ではなかったに違いないと、すぐに想像ができた。
そこで私はこう考えたのだ。おそらく彼女は王太子妃の座を望んでいるに違いないと。側妃とか愛人で我慢できるようなタイプにはどうしても思えなかったのだ。
だって元平民でありながら、こうやって貴族としての振る舞いと教養を身につけられる、頭と能力と根性がある野心家なのだから。
それなら、さっさと彼女に王太子の婚約者の地位を奪ってもらいましょうと。そうして、王太子の有責で婚約破棄となれば、我が家の被害も最小限に抑えられるのではないかと。
とはいえ、冤罪でもかけられたらたまったものではないから、私は絶えず信頼のおける誰かと共にいるように心掛けたわ。証人になってもらえるように。
こうして王太子に対して吹っ切れた後も、私は悲しげで切ない雰囲気を演出して日々を送っていたわ。
そしてできるだけ二人には接触しないように心掛けたわ。
休み時間やお昼休憩のときは勉強会の行われる部屋へクラスメイドと直行したし、授業が終わるとすぐに王宮へ向かった。侍女や護衛と共に。
婚約者の恋人に嫉妬したせいで虐めをしていた、なんていう冤罪を掛けられたのでは堪らない。そのあげくに婚約破棄されるだなんて、そんな不名誉な事態だけは絶対に嫌だった。
そうはいっても、私が二人を完全に無視し続けたら、マントリー子爵令嬢の敵愾心を煽れず、彼女のやる気を削ぐことになったら困ると思った。
彼女には絶対に王太子妃の地位を狙ってもらわないといけないのだから。そこで私は、二人の姿を遠くから未練がましく、切ない目で追っている婚約者を演じ続けたわ。
マントリー子爵令嬢は婚約者である公女のこの私に勝ったと、さぞ気分良く過ごせたことでしょうね。
そして、その私の思惑は成功し、あの日の婚約破棄騒動が起きたのだった。
この三年近くはまあそんな感じで過ごしていたので、王太子殿下との婚約期間は、周りの人達が思うよりも悲惨なものではなかった。
殿下とのことは早々に諦めて、割り切っていられたから。ただし、別の意味で切ない思いで過ごしていたけれど。
なぜなら王宮に通っていたために、兄が女性に囲まれている姿を頻繁に目にすることになり、心揺さぶられる日々を過ごしていたからだった。
つまりこの三年近く何が辛かったかというと、王太子妃教育でも、王太子の浮気でも、仕事を押し付けられることでもなかったのだ。
だから、学園内の勉強会の時だけが辛いことを忘れて楽しくすごせる憩いの場所だったのだ。たくさんの良い友人もできたことだし。
しかし私が無い知恵を絞って策略を巡らせなくても、婚約は解消される手筈になっていたなんて。私は脱力した。お母様やレイラお義叔母様からは、よく頑張ったわねとほめられたけれど。
真実を隠して王太子と婚約させたことを、お母様や叔母様達は腹を立てていたけれど、私はお父様を憎んだり恨んだりすることはできなかった。
むしろ父から愛されていたのだと知って嬉しかったくらいだ。婚約も兄の秘密のことも全て私のためを思ってしてくれていたのだから。それがたまたま裏目に出てしまっただけで。
十二歳のあのとき、兄の秘密を知らずにいたら、きっと私は実の兄に恋をして、その罪の意識に耐え切れなくて、それこそ家出をするか、川に身を投げていたかもしれないもの。
修道院へ入りたいと言っても、その理由を答えられなかっただろうし。そう考えると、やはり父には感謝の気持ちしか湧かないわ。
だから母には父のことを許してあげて欲しかった。二人は大恋愛をし、共に血の滲むような努力をしてようやく結婚したのだと聞いているもの。
それなのに、鎹になるはずの子供のせいで離婚となったら悲し過ぎるし、申し訳ないもの。
だから祖母に相談してみたわ。すると祖母は優しく私の目を見つめながらこう言った。
「ユリアーナは本当に優しい子ね。愚かな父親を罵ってもいいのに、怒りもしないで許してあげようとするのだから。
でもね、やはりハロルドのしたことは間違いだったのよ。いくら愛する貴女のためにしたことだったとしても、自分一人の思いだけで娘の人生を決めてしまうなんて。
まあこの国では当然のことなのかもしれないけれど、世界から見たらそれはもう非常識な考えだもの。しかも、あの子もそれを理解していたはずなのに。
国政の要に関わる重要事項だったとしても、せめて自分の妻で貴女の母親であるロジーナとは相談すべきだったわ。
あの子はたとえ自分の意思を曲げても、夫の意志を尊重できる妻であろうという、強い覚悟を持って夫婦となったのだから」
両親は身分の差を乗り越え、苦労した末に結婚した。
何故身分差が問題なのかというと、価値観がどうしても異なってしまうからだ。
高い地位になればなるほど、私より公に重きを置かなくてはいけなくなる。妻がそれを理解できないと、家は上手く回らない。
理解を得られずに、妻には一切秘密にして事を進める夫も実際に多いという。そうなると夫は妻の補佐を受けられず、一人でその激務を背負う羽目になってしまう。
地位や身分が高ければ高いほどその責務は重くなる。本来ならば夫婦は比翼の鳥とならなければ、そんな辛い世界を飛び続けて行くことは難しいというのに。
それ故に、高位貴族としての確固たる意志や矜持を幼い頃から当たり前のように身に付けているご令嬢との縁組が、最良とされているのだ。
もちろん、高位貴族のご令嬢だといっても、全員がその理想の妻になれるわけではないと思うけれど。
お母様はお祖母様から侯爵家の当主夫人教育を受けた。そしてモントーク公爵家の当主夫人の覚悟が出来たと認められたからこそ、結婚を許されたのだろう。
それなのに、お母様はお父様と比翼の鳥にはなれなかった……そう思い知らされたのだろう。
「それではどうやってももう、二人は別れないといけないのですか? 元には戻れないのですか? 私には何もできないのですか?」
「こればっかりは、ハロルド自身が行動に移さなければどうしようもないわね。
他の人間ではどうしようもないわ。
でも、あの子は今も自分の部屋に引きこもっているというのだから、無理かもしれないわね」
親族会議が開かれた日、母から離縁を突き付けられてショックを受けた父は、自室に籠もってしまったのだという。そして未だに外へ出ていないらしい。
つまりそれは、ずっと登城していないってことなの? これまで無遅刻無欠勤だった、あの生真面目で責任感が強かったあの父が?
信じられない!
うーん。どうしたものか。どうにかしてお父様を部屋から引っ張り出して、お母様を迎えにここまで来させなければいけないわ。
しばらく思い悩んでいるのと、突然あることがパッと閃いた。
そうよ、「困ったときのボードバーグ卿詣で」だわ!と。