✽ 公子は祖母の慧眼の力に改めて感心する ✽ 第47章 (エリック視点)
「ボードバーグ卿、父上のこと、何とかなりませんかね?
このままではマックスの婚約式ができないんですよ。そしてマックスが婚約できないと、ランドール公子も婚約できません」
「そして芋蔓式に貴方様も婚姻できないということですよね。
長年待ってきたというのに」
モントーク公爵家の家令であるボードバーグ卿が、憐れむような目をして私を見た。
彼は私の実の祖父の侍従をしていた人物だ。それ故に私のことも実の主のように仕えてくれている。
七十の坂を僅かばかり越えているが、鍛え抜かれた体はまるで現役騎士のようで、非常に若々しくかくしゃくとしている。
彼はモントーク家の守り神として、祖母と並んで尊敬されている自分だ。特に私にとっては三人目の祖父のような存在だ。
だから身内以外で唯一私がユリアーナと婚約している事実を知っていた人物だ。
たしかに、一刻でも早くユリアーナとの婚約を公表したいというのは、私の正直な気持ちだ。
しかし、私のことよりも、せめて弟と公子の婚約だけはさっさと結ばせてやりたいというのは私の紛れも無い本心なのだ。
二人が未だに婚約できていない原因は、そもそも私のせいなのだから。
「やはり若奥様に、このお屋敷に戻って来てもらうしか方法がないのでは?」
「いや、ここは父上の方が領地へ母上を迎えに行くべきでしょう?」
「本来それが筋というものでしょうが、さすがに若旦那様にも夫としての矜持があるでしょうから、それは無理ではないでしょうか?
もし若奥様の居場所がご実家だというのならともかく、大奥様のいらっしゃる場所ではかなり抵抗があるのでは?」
「普通は逆じゃないかな。妻の実家へ迎えに行く方が嫌でしょ」
「ですが、あの若旦那様ですからねぇ」
ボードバーグ卿にとって父はいつまで経っても若旦那様らしい。それは父を頼りないと思っているからなのかなぁ?
実際に今、妻に離縁を叩き付けられて、引きこもっている状態なのだから仕方ないかもしれないが。
「まあ真面目な話、ヤマトコクーン王国とブリテンド王国の両陛下のお孫様との婚約話なのですから、いつまでもズルズルと放置して良い訳がありません。
いくらフランソワーズ大奥様と懇意な関係とはいえ、甘えは許されません。
しかし、若旦那様の精神的ダメージはかなりのものですから、簡単に復活するとは思えません。
ですからこの際、当主交代なさったらいかがですか? それが手っ取り早いのではないでは?
そうすれば、貴方様が全て自由に決められるではないですか」
ボードバーグ卿の言葉に私は喫驚した。
カタリナ=ブライトン侯爵夫人には、父親であるカクタス国王を王位から引き摺り下ろし、王位に就けと発破をかけている。
それなのに自分は、父親から当主の座を取って代わろうなどと考えたことはこれまで一度もなかった。
もちろん、国王と違って自分の父親が優秀だったからというのが一番の理由だ。
しかし、養子である自分を実子と同じく慈しみ育ててくれた父親から、その地位を奪い取るなどという鬼畜な所業は、たとえ死んでもできないとも思っていた。
たとえ甘いと言われようと、それだけは私にとって譲れない一線だった。
「父上はまだお若い。引退する年じゃないですよ。
それに家督のことはともかく、優秀な父上に代わって宰相を務めるられる人物が他にいない。今父上に引退されたらこの国が保てませんよ」
私がそう言うと、わかっていますと頷きながらも、独り言のようにボードバーグ卿はこう話し始めた。
「若旦那様は幼少のころからとても優秀で、領地領民のために立派にお働きになると誰もが思っておりました。
しかも身分に拘らず誰に対してもお優しくて、良い領主になれる方だと誰もが信じていました。実際にその期待どおりになられました。
しかし、モントーク公爵家の当主は自分の領地のことを考えているだけではいけないのです。
国のために陰の仕事を請け負い、軍事部門の長としても責任を持たなければなりません。
ですから、そもそも争い事が嫌いなあの方にとって、当主の座にいることは大変お辛いことだったでしょう。
本来真面目な性格ですから、仕事を全うするために手を抜くこともできない。その上他人に迷惑をかけたくなくて、何でもかんでも一人で背負っていたのでしょう。
それを皆様に責められて、心が折れてしまったのでしょうね。
特に愛する若奥様にまで離縁を突き付けられてしまっては。
大奥様はいつも若旦那様のことばかり心配して、そして後悔しておられましたよ。
「私は生きる上で最も重要なことをあの子に伝えていなかった。
人間はどんなに優れていてもたった一人では生きていけない。それなのに、私はあの子に人への甘え方を教えてあげられなかったの。
そのせいであの子は誰にも気を許せなくなってしまった。そしていつも重い荷を自分一人で背負い込んでしまうの。このままではいつ倒れてしまうかわからないわ。
その荷をあの子から下ろしてやりたいのに、年老いた私では力が足りないの」
と。
私も大奥様と同じ気持ちです。もうそろそろ若旦那様には誰かのためではなく、もっと気楽に自由に過ごして頂きたいのです。
差し出がましいということは重々承知しております。しかし、お奥様と私の願いを、エリック様に叶えて頂くというわけにはいかないでしょうか……」
その重すぎる願い事に、私は狼狽えてしまい、とてもじゃないが即答できなかった。
するとボードバーグ卿は、顔色を悪くしているであろう私をじっと見つめた後、こんな提案をしてくれた。
「お父上に引退して欲しいとは、貴方の口からはとても言えなそうですね。わかりました。では、余計なお世話かもしれませんが、私が勝手に行動させてもらいましょう。亀の甲より年の功と申しますしね」
それを聞いても私は何も言えず、卑怯にも結局彼に任せてしまった。
そしてそれから一週間後。
父は私に爵位と当主の座を譲ると、宰相の職を辞して、王都を出て領地へ向かったのだ。
私が父の辞職届を直接国王に手渡すと、玉座に座っていた国王がガクッと肩を落とした。
そして呆然と呟いた。
「母や妻だけじゃなく、親友のハロルドまで私の下を去ったのか。なぜ皆私を見捨てて離れていくのだ。
私はこれからどうすれば良いのだ」
「お言葉を返すようですが、父を含めて皆様は好き好んで陛下の下を離れたわけではないと思うのですが」
「それではなぜ皆城からいなくなったのだ」
「王妃殿下は心の病に罹り、その療養のためだと陛下もご存知だと思うのですが。
王妃殿下は大分以前からご様子が変でしたよね? お気付きにならなかったのですか?
実のところ私の父の病も伝染病などではなく、精神的疲労のせいで人に接することができなくなっているのです。
父の辞表と共に医師からの診断書も同封してありましたよね?」
「療養が必要なほど酷いとは思っていなかった。
二人がいなくなって、私はこれからどうすればいいのだ」
散々王妃殿下や父を利用し、こき使ってきたくせに何を今さら言っているのだ。
大切な人達ならなぜ大事にしなかったのだ!と言いたかったが、口にはしなかった。本当に今さら過ぎるからだ。
ただ今後どうすればいいのか、と悩まれているので、少しだけヒントを差し上げた。
「陛下は外遊を好まれませんが、所変われば品変わる、所変わればものの考え方も違うと言います。
ですから、他国を訪問すれば何か良い考えが浮かぶかもしれません。
二か月後の帝国の王太子の婚姻式に、ブライトン侯爵夫妻と一緒に参加されてはいかがですか?
カタリナ様が王妃殿下の代わりに通訳してくださるでしょうから、言葉や専門用語の心配は要らないと思いますよ。
留守の間は王太后殿下にお願いすればよろしいのではないですか。
陛下も本当はご存知なのでしょう? 王太后殿下が離宮へ移られたのは、別に体調が悪いからではないということを」
そして意外なことに国王は、私のアドバイスどおりに、娘夫婦と共にこの二か月後に帝国へ向かうこととなったのだった。
いつも読んで下さってありがとうございます。
そして、誤字脱字報告にも感謝しています。