✽ 公子は祖母の慧眼の力に改めて感心する ✽ 第39章 父の言い訳 (エリック視点)
「父上が腹を立てた気持ちはわかりましたが、事情を何も知らなかったユリアーナにその怒りを向けたことは許せません。
王太子に突然婚約破棄され、王妃から罵倒された挙げ句、父上から縋ってでも許しを乞えと言われたあの子の気持ちを想像できますか?」
マックスの怒りの声に、さすがの父も凹んで申し訳なさそうな顔をした。
「まさかあんな王太子からの婚約破棄で、あの子が家を出ようと考えるなんて思いもしなかった」
「女性なら誰しも、婚約破棄されればそれは本人だけでなく、家の不名誉だと考えるのが当然だと思いますけれど。
優秀なお義兄様ともあろう方がそのことに考えが至らなかったなんて、信じられませんわ」
ヘンリー叔父の妻であるレイラ義叔母にそう言われて、父はハッとした顔をした。今頃気が付いたのかと、私は呆れてしまった。
しかし今日は本当に驚くことばかりだ。まあ、その中でも一番驚いたのは、この場にはいなかった祖母のことだったが。彼女の突出した慧眼力には脱帽だ。
「ハロルドは本当に優秀な子なのよ。頭脳明晰で判断力にも優れているの。その上真面目で努力家。
しかも、自分は頭がいいからと驕っているわけでもないわ。
けれどね、あの子は人と争うことが何よりも嫌いで、人に迷惑をかけることを何よりも恐れるの。
全て自分一人が頑張れば、我慢すれば済むと、何でも自己完結させようとしてしまうところが難点なの。つまり、それがあの子の唯一の欠点なのよね」
さすがの祖母も親馬鹿で、息子を高く評価し過ぎているとそのときは思った。
しかし、先ほど父の話を聞いて、祖母のその評価は間違いなどではなく正しかったことがよくわかった。
父上、なぜその計画を補佐である私に話してくれなかったのですか?
私の能力は認めてくれていたのですよね? それならば是非とも教えておいて欲しかったです。
そうすればこちらの計画も父上に伝えて、皆で協力し合えたと思うのですよ。
まあ、たしかに差し替え予定の相手は、私達と父上では違う人物だった。
けれど、どちららにせよ、あの王太子よりはずっとまともで優秀な人物を、もっとスムーズかつ高い確率で後継者に指名できたと思うのですよ。
こんな大規模な計画を成功させるためには、いくら優秀な父上でも一人じゃ無理だ。それくらいわかっていたでしょう?
たとえ自分一人で責任を負いたいからと言っても、あまりにも無謀だし目茶苦茶ですよ。
私がため息を漏らすと、父はなぜかいじけた様な顔をして、言い訳するように再び口を開いた。
「愛する娘に向かって、あんな物言いをしてしまったことは本当に悪かったと深く反省している。
しかし、家を出ようとまで思い詰めるとは、本当に思わなかったのだ。
むしろこれでようやく大嫌いな王太子と別れて、エリックと結ばれると喜ぶのかと思ったのだ。
だからこそ、浮かれている場合か!
これでは計画が頓挫してしまうではないか!
と余計に腹が立ってしまって……」
「「「えっ……?」」」
その父上の言葉に、私だけではなくてその場にいた全員が呆気にとられて、口をポカンと開けてしまった。
特に私は衝撃が大き過ぎて硬直していると、スコットがその聞き捨てならない言葉の意味を訊ねてくれた。
「何を言っているのですか? ユリアーナは兄上の素性など知らないはずですよね?」
そうだ。ユリアーナが知っているはずはない。もし知っていたら私への態度が変わったはずだが、これまでそんな素振りはなかった。
それにそもそも、ユリアーナには私の出生の秘密を知る術がないのだから。
私の出自のことはトップシークレットで、両親と祖母と叔父のヘンリー、そして王太后殿下しか知らない。下の叔父ケンドルでさえ婿養子なってもう他家の人間だからと、今日まで知らされていなかったはずなのだから。
「ユリアーナは大分前から知っていると思うぞ。あの子に聞かせるようにわざと、ヘンリーとの会話の中でエリックの秘密を振ったからな」
「「「なっ!!」」」
「なぜそんなことをしたのですか! ユリアーナがデビュタントを迎えるまでは秘密にしろと言ったのは父上ではないですか!
しかも、王太子の婚約者になってしまった後は、デビュタント後も話しては駄目だと!」
私が叫ぶと、父は滅多に見せない笑顔、しかも不気味な笑みを私に向けた。
「まあ、それは建前だ。考えてみろ。デビュタントを迎えてから真実を聞かされたのでは、さすがにショックが大きいだろう? 十七といえばデリケートな年頃だというし。
それにいくら好きだといっても、兄だと思っていた相手をそう簡単に恋人や結婚相手には考えられないだろう?
肉親の情から異性への愛情への切り替えなんて、そう容易にできるものじゃないぞ。
エリックならば、ユリアーナが心の準備を整えるまでいつまでだって待つつもりだろう。
しかし、実際はやはり無理だという可能性だって考えられるだろう?
ところが、もしそうなってからまた相手を探そうとしても、良縁は期待できない。エリックはまあ困らないにしても、ユリアーナは女性だからそうはいかない。
だから、早めにユリアーナがエリックを一人の男として見られるようにしておいた方が、どちらに転んでもあの子のためになると思ったのだよ」
「しかし、父上は私には話すなと言いましたよね?」
「ああ。それは最初に言ったとおり、お前に愛を告白されたらあの子は挙動不審になると思ったからな。そのせいで周りから何か怪しいと勘ぐられてしまっては困るからな。
しかし、たまたま聞いてしまったという設定ならば、あの子は冷静さを装い、素知らぬ振りをとおすに違いないと思ったのだ。
あの当時あの子はまだ十二歳だったが、貴族の令嬢としての振る舞いをすでに完璧に習得していたからな。
案の定あの子は誰にも悟らせなかっただろう?」
ユリアーナは十二歳のときから、私が実の兄ではないと知っていたというのか? 私は改めてショックを受け、思わずこう呟いてしまった。
「どうしてそれを知ってもあんなに平然としていられたんだ……」
つまり、実の兄でなかったと知っても、一緒に育ってきた私のことを兄としてしか認識できなかったということなのか?
だからこれまでのユリアーナへのあの愛しているという言葉も、単に妹に対する親愛の言葉に過ぎないと平然と受けとめていたということか。
ここ数日の、私の熱過ぎる思いのこもった愛の言葉も。
五年経ってもその認識だということは、私を異性として見るということは、もはや不可能だということか?
体中の力が一気に無くなって、私はその場にへたり込んでしまった。みっともないという気持ちさえ湧かなかった。生まれて初めて感じる絶望感だった。
自分の出生の秘密を知ったときよりも虚無感が酷かった。何もかも、もうどうでもよくなったような気持ちになった。
そんな私の肩に優しく手を置いたのは母だった。母は腰を落として私と同じ目線の高さになると、挨拶以外で今日初めて口を開いた。
「エリック、そんなに絶望しなくても大丈夫よ。ユリアーナは兄としてではなく、異性として貴方を見ているはずよ。
なぜなら、王太子殿下との婚約の話が出たとき、当然あの子は嫌がってはいたけれど、周りの者達が心配するほどは落ち込んではいなかったのだから」
母の発した言葉の意味が理解できずに、私は緩慢な動きで頭を横に傾けたのだった。