✽ 公爵令息は重すぎる愛を自覚している ✽第36章 王家への思い(エリック視点)
超一流料理店の個室を叔父ヘンリーが茫然自失したまま出て行った後、私はマリアンヌ嬢に深々と頭を下げて感謝の言葉を述べた。
父を含めた三兄弟の思い込みを、一体どうやって払拭すればいいのかと長年悩んできた。それを彼女のおかげでようやく解決できたのだから。
すると彼女は慌ててこう言った。
「嫌ですわ、エリック様。頭を上げてください。私は何もしていませんわ。私は知っていることをそのままお話ししたけだけですから。
それでも貴方のお役に立てたのなら嬉しいです。いつも助けてもらってばかりいますから。今日も庇っていただきありがとうございました。
エリック様のおかげで、先輩教師も良い仕事先が見つかりそうですし。
あの方なら若い騎士様達を正しく導かれると思います。上辺だけではなくごく自然に、女性と男性を等しく考えられるように」
「私の叔父が、貴女に失礼なことばかり言って本当に申し訳なかった。嫌な思いをさせてしまった」
「騎士団長様のような立派な方でも、ああいう無自覚に偏見を持っている方って案外多いので、全く気にしていませんわ。
でも、今回のことで、あの方がこちらの側の陣営に入ってくださるといいですね」
マリアンヌ嬢はそう言って微笑んだ。
そうであればいいが、と私も思った。騎士団長がこちら側の味方に付けばかなり力強い。まあそうはいっても、すぐには無理だとは思ったが。
そしてその後、ヘンリー叔父上は義叔母に確認して、自分が大きな誤解をしていたのだということにようやく理解したようだった。
まさか長年妻を苦しませてきたのが、母親ではなく己自身であったとは。
たしかに叔父は、これまでも妻や息子達に勘違いを指摘されてはいたのだが、どうしてもそれを素直には信じられなかったのだ。
しかしそのことを、さすがになんの関係もない第三者から、客観的に妻子の気持ちを教えられて、ようやくそれを受け入れざるを得なくなったのだろう。
その後、ヘンリー叔父上はそれを末のケンドル叔父上にも伝えたらしい。
それから長兄である私の父に伝えようとしていたらしいが、あの王太子の婚約破棄騒動宣言があって、その機を逸してしまったようだ。
まあ、そのおかげといっては語弊があるだろうが、父が誤解したままだったおかげで、ユリアーナは私の思いどおりに祖母の下へ送られたというわけだ。
もしあの騒動が、伯父達から祖母の話を聞いた後に起きていたら、父はユリアーナに祖母の元へ行け、とは言わなかっただろう。
祖母がユリアーナを叱りつけ、再教育などするはずがないのだから。
ユリアーナに教育し直すところなどはない。もちろんお妃教育においてもだ。
彼女に必要なものがあるとすれば、それは休息くらいだと、祖母が一番よく知っているのだから。
というか、なぜユリアーナが婚約破棄をあっさりと受け入れたのか、その理由を聞いていれば、さすがに王太子に許しを請えなどという恥知らずなことは口にしなかったと思う。
私も領地に着いてから、祖母と共に怒り狂った。
「王太子が他のご令嬢によそ見をしたのは、貴女に魅力がないから悪いのよ。
それに、頭が良いからってそれを鼻にかけているから、貴女は鬱陶しがれたのよ。元女公爵や公爵夫人と同じね。
それに公爵令嬢といっても所詮元子爵令嬢の娘などに、王太子を満足させられるはずがなかったのよね。こうなるのも仕方ないことだったのかもしれないわ」
王妃はそう言ったらしい。
私達は王妃だけでなく、父に対しても腹が立った。
自分の母親と妻、そして娘をこれほどまで侮辱されていたのに、自分の娘の方が悪いと決め付けて、謝罪するように強制したのだから。
そして、さらに私達を激怒させたのは、王妃がユリアーナの貞操観念を疑ったことだった。
誰よりも貞淑で清らかな私のユリアーナが、王弟ヴァルデ公爵の嫡男ランドール公子と浮気をしているだと! ふざけるな!
しかも二人で王位を狙って、王太子の暗殺を企んだなんて、なんという妄想をしているのだ!
ランドール公子は妹や王太子の二歳年上で、父親であるヴァルデ公爵に次ぐ王位継承権第三位の持ち主だ。
しかも才色兼備で文武両道。王太子殿下より次期国王に相応しいと噂されている人物で、私もよく知っている。
何せ同じ公爵家ということで、幼いころから交流があったからだ。なぜだか彼には妙に懐かれていて、私にとってはもう一人の弟のような存在だ。
そんな彼は十二歳のころ、我が家のお茶会に母親と一緒にやって来て、なんとユリアーナに一目惚れをしてしまった。
その瞬間を目の当たりにした私は、すぐさま彼に釘を刺した。ユリアーナには女魔王の決めた婚約者がいるから諦めろ。
彼女に邪な思いを抱くと、公子だろうが王太子だろうが、女魔王の差し向けた刺客に狙われるよと。
私の言葉に、まだ少年だった公子は震え上がった。私の祖母であるフランソワーズ=モントーク女公爵の伝説を、この国で知らない貴族はいない。それがたとえ子供であろうとも。
祖母は学生のころ、隣国の二人の王子を叩きのめしたことで有名だ。
その上、スラレスト王国でクーデターが起こったとき、女の身でありながら私設の騎士団を引き連れて一番乗りして、謀反人どもを蹴散らした。
その逸話は、小説や歌劇になったくらいで、すでに伝説化していた。
(実際は単に私を守るための行動であり、私憤によるものだ。その後両国がどうなろうと、祖母は構わなかったらしいが、世間では義憤に駆られた行動だと捉えられてしまった。
そのせいで祖母は、我が国並びに近隣諸国では英雄に祀り上げられてしまったのだ。本人はずっと否定しているのだが、誰もが祖母は謙遜しているのだと信じ込んでいる。
それ故に、公子は私の話を聞くと震え上がり、それ以後ユリアーナに近付くことはなかったのだ。
しかし、妹が王太子と婚約した後、彼は血相を変えて私に文句を言いにやってきた。
ユリアーナには婚約者などいなかったではないかと。あんな嘘をつかれなければ、自分が婚約を申し込んだのにと。
だからこう言ってやった。
「私は嘘なんてついていない。ユリアーナには公にはしていない婚約者がいた。それにも関わらず、父の一存で王太子の婚約者にされてしまったのだ。
母や私達兄弟の悔しさは、君とは比較にならないほど大きいのだ。妹を溺愛している祖母に至っては、実の息子を絞め殺したいほど怒っている。
しかし、祖父を亡くしたばかりで体調を崩して療養しているために、祖母はそれができずに悔しい思いをしているのだ。
君はかつて一度諦めたのだから、もう妹のことは綺麗さっぱり忘れてくれ。
もし妹に好意があると知られたら、今度は女魔王ではなく、国王夫妻から命を狙われるかもしれないからな。
王位を狙うためにユリアーナと懇意になって、情報を入手しようとしているとか、王太子を暗殺を企んでいるとか、冤罪をでっち上げられるかもしれない。
国王達は、優秀で人気のある君に嫉妬しているからね。なるべく目立つ行動はせず、王宮にはできるだけ近寄らない方が君のためだと思うよ」
王太后は王太子に、王族として当然身に付けるべき王学を学ばせようとしただけだった。それなのに国王夫妻は、無理に勉強を強制されたとか、虐められたとか周囲に言い放つ愚か者だ。
三人の姉達だって同様の教育をされていたというのに。
つまりそんな王太子が、女魔王に瓜二つのユリアーナを好きになるはずがない。あの男にとって祖母である王太后と、元女公爵は同類で天敵だからな。
しかし、それをランドール公子に教えてやるつもりはなかった。ただし、彼を敵視しているのは事実だったのだから、正しい忠告だ。
私は、王太子に対しては何の心配もしていなかった。
ユリーナの在学中、たとえハリボテでも妹の虫除けにさえなってくれればいいと思っていた。あんなやつとはいつでも婚約解消できるのだから。
しかし、相手がランドール公子だとそうはいかない。彼はケチのつけようがないくらい有能、有望な人物だったのだから。
そのために私は彼に対しては慎重かつ完璧に対策を施さなければならなかったのだ。
それに彼に無駄な思いを持ち続けさせるのは酷だろう? ユリアーナと結婚するのは私しかいないのだから。
それなのに、あの妄想王妃はあり得ない言いがかりをつけ、ユリアーナとランドール公子を侮辱して貶めようとしたのだ。
私が公子を怖がらせるために言った例え話が現実となるとは思いもしなかった。それくらいあり得ない話なのに。
いくら精神状態が悪いとはいえ、このことは看過できない。二大公爵家に冤罪をかけようとしたのだから。王都に戻り次第、彼女を療養させなければならない。
ついでにお疲れ気味の国王と宰相にも、休養を取ってもらわないといけないだろうな。
特に父上は、かなり疲労が蓄積されているみたいだし。
ユリアーナに早く愛を告白したい。そしてこれかもずっと一緒にいて欲しいと伝えたい、と気が焦った。
なんとなく、ユリアーナがこの国を出ようと考えているような気がしてならない。王太子に婚約破棄されては家族に迷惑をかけてしまうと、彼女が考えそうで怖い。
しかし、ユリアーナの婚約がまだ正式に解消されたわけではない。それなのに、私が思いを告げてしまっては、ユリアーナと不貞していたと思われる可能性もあるのだ。それだけは絶対に避けなければならい。
だから彼女のことは祖母に任せて、私は急ぎ王都に戻って、婚約をきちんと無くさなければならなかった。
ついでに国王夫妻と父に制裁を加え、引退してもらわないといけないし。
領地に着いたその翌々日の朝、私はいつものように
「僕のユリアーナ、大好きだよ」
そう言って優しく抱き締めた後で、彼女の目をしっかりと見つめた。そして
「お祖母様の元でゆっくり過ごせ。そしてこれからの人生で自分にとって、何が一番大切なことなのかを考えてごらん」
と告げて王都に急ぎ戻ったのだった。あと少しだけ私を待っていて欲しいと願いながら。