✽ 公爵令息は重すぎる愛を自覚している ✽ 第33章 秘密の婚約者(エリック視点)
「我々のスパルタ教育に付いてきたのだから、なかなかの根性の持ち主ですよ。しかも、性根の方は全く揺るぎませんでしたから、かなりの悪女ですね」
「人を蹴落とすこと、見下すこと、嫉妬させることに生き甲斐を感じていて、そのためにならどんな努力も惜しまない人間ですね。まさに悪女という言葉がぴったりです」
「しかし、基本それほど頭がいいというわけではないので、何かやらかしたら、その悪事の証拠を掴むのは容易にできるでしょう」
これがローリー卿によって選出された三人の家庭教師達のリンジーに対する感想だった。彼らはもちろん皆モントーク公爵家の私設騎士だ。
ちなみにマントリー子爵家から支払われた給金は全て彼らに受け取ってもらった。それでは給与の二重取りになってしまうと彼らはそれを固辞しようとした。
しかし、あんな最低最悪な環境下で働いてもらったのだから、臨時賞与だと思って欲しいと半ば無理やりに納得してもらった。
彼らには本当に申し訳なく思った。なにせ子爵父娘は本当にクズだったからだ。
言葉も態度も最悪の品性下劣な連中で、父親の方はマナー教師の若い女性騎士に、娘の方は若い男性の騎士に色目を使ったり迫ってきたりで、その対応にがそれはもう大変だったらしい。
その女性騎士曰く、一番辛かったのは、子爵の首を捻りたくなるのを我慢することだった、と後に言っていたくらいだ。
学園に入学後、リンジーはすぐにその美貌と天真爛漫さ、そして平民として辛い思いをしてきたというお涙頂戴の作り話で令息達の同情を集めた。そして、彼らとの仲を徐々に深めていった。
当然女生徒からの反感を買った。それは彼女に婚約者や恋人、想い人を奪われた者達だけではなかった。
もちろん、リンジーの美貌に対する嫉妬もあったろう。
しかし、付け焼き刃の丁寧な言葉使いや仕草、それに下品で男に媚びる笑顔を見て、彼女の側に寄る気が起きなかったのだろう。ユリアーナに付いていた護衛がそう言っていた。
リンジーと親しげに接している婚約者を見て、最初のころは嫉妬し悋気を起こしていたご令嬢方も、王太子にそれを咎められてからはそれを控えるようになった。
そして、リンジーに大っぴらに寄り添っていている婚約者の王太子を見ても、凛として振る舞っているユリアーナを見ているうちに、彼女達もそれを見倣うようになった。
彼女達も婚約者達を見限ったのだ。
その後ユリアーナが勉強会なるものを立ち上げると、彼女達もそれに参加するようになった。そして仲間達と勉強をしたり、語らうことを楽しむようになっていった。
将来当てになりそうにもない婚約者に何か期待するよりも、自分を磨くことに意味を見出し始めたのだ。
そんな中、理不尽な理由で婚約破棄された一人の先輩が、とある資格を取って家から独立することに成功した。
そのことが、将来に暗澹たる不安を抱いていたご令嬢方の一筋の光となった。そして、不誠実な婚約者と婚約解消を積極的に目指すご令嬢まで出てきたのだった。
そんなある日のこと。
私と学園でマナー教師をしているマリアンヌ=レノマン女史が、騎士団長をしている叔父ヘンリーに呼び出された。
それは学園でも王城でも騎士団の官舎でもなく、王都の中心街にある一流料理店の個室だった。
防音設備も整っているようで、隣室からの雑音は一切入ってこなかった。
私は友人と数か月ぶりに顔を合わせた。まだ招待した人間は現れていなかったので、私達は簡単に業務?報告を交わした。
「今日呼び出されたのは、婚約解消を求めるご令嬢が増えた件に関することですよね?
ご令嬢に余計な知識を与えるなと注意されるのでしょうか? それとも説得しろということなのでしょうか?」
「マリアンヌ嬢は話を聞いているだけでいいよ。君には一切責任のないことだからね。勉強会は生徒が自主性に行っているものなのだから。
それにそ婚約解消なんて生徒個人というより家の問題なのだから、そもそも教師には関与できない事柄だ」
「そうですよね。でもそれを言うのなら、エリック卿こそ全く関係ないではないですか」
「そのとおり。ハニートラップをしかけて、苦い体験をさせたいと言い出したのは騎士団長自身だ。
まあ、その案を提示したのは確かに私だし、依頼を受けて、その仕掛をしたのも事実だ。
しかしあくまでも依頼されてその依頼を忠実に遂行しただけだからね。その責任はその作戦を決定し、命令した者にある。その結果がどうなろうと、そんなこと私には関係ないよ」
どこで誰に盗聴されているかわからないので、私とマリアンヌ嬢は余計なことは言わず、当たり障りのない会話をした後でアイコンタクトを交わした。
例の子爵令嬢を使ったこの一連の現象は騎士団長の作戦によるものだった。我々はその流れに便乗して自分達の計画を進めたが、そのことに何も問題はないはずだ。
しかし、私達の思惑など全く知らないユリアーナまでが、無意識にそこに加わり、さらにその流れを推し進める原動力になったことに、私は内心喫驚していた。
ユリアーナが王太子の婚約者になったと聞かされた瞬間から、あの男から絶対に彼女を奪い返すのだと私は決意をしてした。
そしてその目的に向かってこれまでひたすら行動してきた。
もちろんその間、ユリアーナが極力辛い思いをしなくても済むように心掛けてきたつもりだ。
宰相である父の補佐官になったのも、別に父の後継者になりたかったわけではない。
まあ、王宮の動きがいち早くわかるようにという意味合いもあったが、普通なら厳しく制限される王宮への出入りが割と自由になるのが最大の目的だった。
何か不測のことがあったときに、すぐにユリアーナを助けられるようにと。
一歩外へ出れば絶えず気を使い、学園の授業や厳しいお教育妃でハードな日々を過ごしているユリアーナ。
そんな彼女を少しでも休ませてやりたくて、屋敷にいるわずかな時間くらいは快適に過ごせるようにと、私は母と一緒に色々と気を配った。
食事は栄養のバランスを考えながらも、苦手なもの食べてストレスを溜めないように気を使った。
そして、彼女の大好きなデザートをわざわざ並んでまで入手したり、紅茶をブレンドしてみたり、香りの良い花を飾ったり。
そして事あるごとにユリアーナを優しく抱きしめて「僕のユリアーナ、大好きだよ」と耳元で囁いた。
本当は昔のようにその美しい額にキスしながら囁きたかったけれど、いくら妹だとはいえ、キスはまずいだろうと弟達に言われて我慢をした。
実際は妹としてではなく、愛する婚約者に対するキスをしていたので、弟達も何か危うい雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。
ユリアーナもまるで私の気持ちがわかっているかのように、潤んだ目で見つめてきたから、愛しさでもう堪らない気分になったものだ。
私達は既に婚約者同士であったが、両親との約束で彼女にはまだそれを教えることはできなかった。
だから必死に自分の欲求を抑え込んでいた。それでも、私がユリアーナのことを一番に考え、大切に思い、愛していることだけは伝えておきたかったのだ。
その思いはきちんと通じていたと思う。家にいるときのユリアーナは、いつも自然な笑顔を私に向けてくれていたから。外で貼り付けている完璧な淑女の微笑みではなくて。
しかし私達だけでなく、彼女自身も自ら動いて自由になるために行動を起こしていたのだ。
まあ、ユリアーナは自分のためというよりは、友人や仲間達のために動いていたのだろうが。
私にとってユリアーナは、ずっと庇護しなければならない大切な大切な存在だった。
しかしいつしか彼女は、ただ守ってもらうばかりの小さな子供ではなくなっていたのだ。
それを少し寂しいと感じる同時に、とても誇らしいと私は思った。これからはきっと、一緒に手を取り合って、並んで歩いて行けるに違いないと。