✽ 公爵令息は重すぎる愛を自覚している ✽ 第25章 両親の軋轢(エリック視点)
父は公爵位を継ぎ、宰相の座に就いたことで、以前にも増して世間の心無い辛辣な言葉を耳にするようになったのだと思う。
父がどんなに最善を尽くし、結果を出したとしても、絶えず母親と比較され続けたに違いない。あの女公爵だったらもっと早く解決したのではないか、もっと突飛で斬新なアイデアを出していたかもしれない、とか。
祖母はまだ生存しているにも関わらず、すでに伝説の英雄になっている。そのために、彼女なら何でも簡単にできてしまうイメージが出来上がっていて、その誇大妄想に取り憑かれてしまった人間が今でも少なからず王城にも存在しているのだ。
次第に父の心はすり減っていったのだろう。そんなとき、同じ悩みを抱えている国王に頼られて、共依存するようになってしまったのだと思う。
父上、お祖母様は貴方を心から愛していて、いつも心配しているのですよ。それは母上も同じです。それなのになぜお二人から目をそらし、彼女達を裏切るような行為をしているのですか?
どうして自分の母親が最愛の夫を突然亡くして絶望のどん底に落ちていたときに、あんな酷い仕打ちができたのですか?
娘の幸せを願っていた妻を苦しませ、悲しませてまで一体何がしたかったのですか?
愛娘に大人の失敗の尻拭いをさせ、重荷を背負わせるような真似がよくできましたね? 娘に嫌われて恨まれて憎まれても平気なのですか?
男なら約束をしたことは命をかけても守れと教育しておきながら、息子との約束をよく平気で破れましたね?
まあ私の場合は、あんなろくでもない王太子との婚約なんていつでも解消させられると思っていたので、それほどダメージは受けていなかった。
そもそも学園在学中は王太子に虫除けになってもらおう、くらいに思っていたが。
あの王太子は、自分の祖母である王太后と同様に我が祖母元のモントーク元女公爵を苦手にしている。
なぜなら王太子が七歳になったときに、彼の剣の師匠となったのが祖母だったからだ。私達三兄弟もその場で一緒に指導を受けたのだが、それはそれは生温いものだった。
我々は五歳のときから模造剣を持たされたが、そのときだってもっと厳しくしごかれたものだった。それでも蝶よ花よと甘やかされて育ってきた王太子にとっては地獄のようなしごきに感じられたようで、その夜、高熱を出してひどく魘されたらしい。
それ故に祖母の指導はその一回で終わってしまった。軟弱王太子はたった一回の鍛錬で祖母の剣の訓練に音を上げてしまったのだ。
しかもそれ以降祖母の顔を見る度に「魔王が来る」と言って泣き叫ぶようになってしまった。そのためにしかたなく、その後は別の女騎士が指導係に任命された。
そんな軟弱で根性無しの王太子が、見かけは天使だが中身は魔王である祖母に瓜二つ、そんなユリアーナを好きになるはずがなかったのだ。
国王だってそれをわかっていながらユリアーナを王太子の婚約者にしたのは、妹くらい優秀な令嬢を妃に据えなければ、あの王太子を自分の後継者にはできないと思ったのだろう。
私達兄弟は幼いころから王宮に出入りしていたが、父は妹のことだけは決して王宮へは近付けなかった。祖母のように王家に目を付けられたら困ると考えたのだろう。
それなのに結局その本人が、周りの反対を押し切ってまで娘を王太子の婚約者にしてしまった。
国王に泣付かれたのだろう。まあそんな苦肉の策も、あの馬鹿王子の前では何の意味もなさなかったわけだが。
ユリアーナの婚約を他国で聞いたとき、私は怒りで体中の血が逆流するのではないかと思った。
面と向かってはなじれない私に代わって、母が父に苦言を言い続けたが、父は一切それに耳を貸さなかった。どんなに婚約の解消を求めても無視し、終いには「うるさい!」と怒鳴りつけて母に手を上げた。
さすがにそのときは我慢ができず、弟達と一緒に抗議して謝罪するように父に詰め寄った。
息子とはいえ鍛え上げられた立派な体躯の若者三人を前にして、父は一瞬怯えた顔をした。しかし父とてモントーク公爵家の男だ。父親の矜持で私達を睨み返すと、肩を怒らせてそのまま部屋を出て行った。
侍女の持ってきた冷たいタオルで母の頬を冷やしながら、私は母にこう言った。
「母上、どうか嘆かないでください。ユリアーナと王太子殿下の婚約は絶対に私が解消させます。あんな男のところへなどは間違っても嫁がせたりはしません。
少し時間はかかるかもしれませんが、学園を卒業する前には必ず。約束します。
それまでは母上がユリアーナの側で見守ってあげてください。
(父上と離縁するならその後でお願いします)
もちろん、私はずっと母上の味方ですから、それを忘れないで辛抱してください」
親の命令ではなく、自由恋愛による結婚が我がモントーク公爵家の掟である。それにも関わらず、父は無理矢理に娘を政略的な婚約をさせた。その上、異議を唱えた妻を殴るという暴挙に出た。
モントーク公爵家の当主としてあるまじき行為だ。母が父に幻滅して当然だ。いくら大恋愛の末に結ばれたとしても……
(従順で庇護欲をそそる子爵家の令嬢だったから守ってやりたかった。
それなのに父親に命じられるまま淑女教育や公爵夫人としての教育を完璧にマスターし、あの最強の女公爵に認められて自分の妻になった。
しかもあの母から護身術を学び心身とも強くなり、子供も三人産んだだけでなく、養子まで自分の子と別け隔てなく育ててまさしく賢母になった。
今では夫であり、公爵である自分にさえ意見するようになった。まるで私が苦手にしている母親のようになった妻を守る必要がどこにある?)
おそらく父はこんな風に思っていたに違いない。
大分前から父は母を無視するようになり、まともに会話をしようとはしていなかった。そう、最低限の必要事項しか口にしなかったのだ。
母は父を愛し、父と結ばれたいがためにそれこそ血の滲むような努力をして、祖父母に認められて妻になった。そしてずっと夫のために尽くし、子供を産み育て、家をしっかり守ってきた。それにも関わらず、自分を頼らない妻を可愛げがないと思うだなんて。
父はこれまでずっと母や我々子供、祖父母、一族を必死で守ろうとしてきた。そしてそんな父を、母は純粋に手助けしたかっただけなのに。
父が宰相になってからというもの、ずっと無視され続けてきた母の心はかなり疲労していた。そこへユリアーナの婚約の件があり、母の絶望はかなり深くなっていた。
そして最終的に暴力を振るわれたことで、母の妻として貴族女性としての尊厳は粉々に砕け散ってしまった。
その痛々しい姿に私だけではなく弟や妹達も胸を痛め、父への怒りを感じた。
しかし、妹のためだけでなく母のためにも、結論を急ぐのは得策ではないと私は思った。だから母にこう願ったのだ。妹のためにあと少しだけ我慢してほしいと。
母も私の意図を察してくれたようで、その場で頷いてくれた。そのとき私と弟達は、全力で母と妹を守ろうと誓ったのだった。
その後私は、父がムキにならないように少しずつ説得し続けたが、結局彼はユリアーナと王太子の婚約を解消しようとはしなかった。
いくら娘が婚約者である王太子から蔑ろにされ、辛い立場に置かれていることを知りながらも。
私はそんな中でもユリアーナと王太子の婚約を解消させるために、計画を立て、それを着実に実行していった。
二人の弟や幼なじみの三人の元王女、三女の夫であるブライトン侯爵、そして学園の教師をしている友人のマリアンヌ=レノマン女史などの協力の下に。
そしてお妃教育と学園という厳しい二重生活をしている妹には、母や弟、弟の婚約者に相談役になってもらい、その鬱憤を吐き出させようとした。
しかし淑女の鑑のようなユリアーナが、たとえ家族であろうとも弱みを見せることはなかった。それが不憫で辛かった。
だからこそ私は兄の仮面を被って寄り添い、精一杯兄として愛を告げ、兄として贈り物をし、兄として甘やかした。
しかしそのことが、私の出生の秘密に気付いていたユリアーナをさらに苦しめていたとは、当時の私は思いもしなかった。