✽ 公爵令息は重すぎる愛を自覚している ✽ 第24 優先順位(エリック視点)
ユリアーナと婚約したいと告げたとき、その瞬間だけ父は大きく目を見開いた。しかしその後少し逡巡してからこう私に問うてきた。
「スラレスト王国の再興について、お前はどう考えているのだ?
昨年お前を狙う輩が現れたとき、お前は私達と共に奴らの征伐に密かに参加したな。
同郷の者を己の手で殺めるのは辛かっただろう?
だがこれからも、お前を担ぎ出そうという輩が出て来るかもしれない。それは旧国王派に限らず、あの謀反人達もだ。
何しろ他国に吸収されて自国が消滅してしまったのだから、奴らは忸怩たる思いをしているだろうからな。
まあ身から出た錆であるのに、お前を担ぎだそうなんて図々しい話だが。
それでお前自身はどうしたい? スラレスト王家を復活させたいか? それとも謀反人達に復讐したいか?」
「父上。私はサーキュラン王国のモントーク公爵家の人間です。
私にとっても最も大切なのはユリアーナと公爵家、及び一族の者達です。スラレスト王国への思い入れなど一切ありません。
もしもその大切なものを害されそうになったら、これからも躊躇うことなくそいつらを成敗します」
私が間髪を入れずにこう答えると、父親は呆れたような顔をして
「お前は母上にそっくりだな。大事なのは国よりも愛する家族と宣って、その家族を守るためなら思い悩むことなく敵を切り裂く。躊躇うことはないのか?」
だから私は父上に言った。
「私にとっての優先順位は揺るがないので、悩む必要などないのです」
すると父はこう意地悪い質問をしてきた。
「家族全員が揃っているときにもし敵に襲われかかったら、お前はまず誰を救うのだ?」
「もちろんユリアーナです。次は乳母のマノアです。弟達は私の助けなど必要としていませんし、母上は父上が、そしてお祖母様はお祖父様が守るでしょう?」
もっとも、母も祖母も自力で身を守れそうだけれど。
出生の秘密を知ったとき、私はまだ十歳で、ショックを受けて自室に引きこもりかけた。
それまで私は、家族を愛し愛されて幸せに暮らしていた。
それなのに私は養子だったのだ。しかも実の両親は今は無きスラレスト王国の国王と王妃で、暴徒に惨殺されていたのだ。
しかも、己が気付かないところで、自分を利用しようとする者達に何度も狙われていたという。
それを祖父母とモントーク公爵家の私設騎士団が退治してくれていたのだと知った。
それまでの私は、まだ子供なりにモントーク公爵家を継ぐ者だという矜持を持って精進してきたのだ。
しかし自分には後継者の資格がないと知り、自分の立ち位置がわからなくなった。
これから自分はどうすればいいのか。何を目指せばいいのか。皆に迷惑をかける自分がこのままここに居てもいいのか?
ぐるぐると不安だけが頭の中で駆け巡り、私は息をするのも苦しかった。
いつもは何かとちょっかいを出してくる弟達も、事情がわからなくても黒い負のオーラを出しまくっていた私に怯えて、近寄ろうとはしなかった。
しかし、末っ子のユリアーナだけは全く変わらなかった。
まだ五歳で幼かったせいかのか、空気を読めないタイプだったのか、マイペースだったせいなのか。
「おにいさまぁ〜、絵本を読んでちょうだい」
「おにいさまぁ〜、今日のおやつは私の好物のラズベリーパイなのです。おにいさまはあまりおすきではありませんよね? わたしにすこしだけおのこししておいてくださいね」
「おにいさまぁ〜、おばあさまのバラがさきました。とってもきれいなんです。いっぽんだけほしいって、おじいさまにおねがいしてくださらない? わたし、おじいさまやおばあさまとおはなしできないから」
「おにいさまぁ〜、だっこしてほっぺにスリスリしてくださ〜い」
あどけない仕草で甘えてくるユリアーナ。ただひたすら兄を慕って信頼を寄せてくる妹を見て私は思った
私がしっかりしないとスラレスト王国の残党にこの家が狙われてしまう。
そうなればこの可愛い妹や弟達を危険な目に遭わせてしまう。
こうやってただ引きこもって逃げているばかりではだめだ。私自身が心身ともに強くならなければ大切な家族を守れない。
亡き両親や祖父母に対しては、確かに申し訳ない思いがあった。
しかし、残念ながら彼らに対する記憶が全くなかったために、肉親の復讐してやろうとか、祖国を再建したいとかいう気持ちは湧いてこなかった。
私を暴徒から命がけで守ってくれたのは、乳母のマノアがだと祖母から聞いた。
そして私のために祖国を離れてこの国に付いて来てくれたのだと。
彼女はいつも控えめで優しい女性で、私にとって彼女はもう一人の祖母のような存在だった。
彼女とはそれこそ色々な話をしてきたが、彼女からスラレスト王国や王家の話を聞いたことなどなかったので、彼女の故郷がスラレスト王国だと聞いて素直に驚いた。
マノアは祖父母に促されて真実を語った後で、私にこう言った。
「エリック様がお生まれになったときから私はずっと、貴方を立派なスラレスト王国の王太子に育てなければと思っておりました。
しかし、あの暴徒に襲撃されたとき、亡くなられた王妃様にこう言われたのです。
何があってもこの子を守って欲しい。王子でなくても平民の子としてでもいいから、どうか生きて欲しいのだと。
そして天のお恵みか、フランソワーズ奥様に助けていただきました。
しかも若旦那様や若奥様はエリック様を実子として迎えてくださるとまで言ってくださいました。
私は皆様に感謝し、このモントーク公爵家に忠誠を誓いました。
ですから、実のご両親のお話は一切いたしませんでした。それを亡き国王ご夫妻もお望みだと思ったからです。
でも、憎きあの裏切り者達が貴方様のお命まで狙っていると知り、真実をお伝えしなければその御身が危険だと私も思いました。
どちらの国を選ぼうとも、そのご決断はお辛いものになるでしょう。
しかし、亡きご両親様も現在のご両親様も、きっとエリック様の意志を尊重してくださると私は信じております。
皆様の願いは貴方の幸せなのですから」
最終的に私は、サーキュラン王国のモントーク公爵家の息子であることを選んだ。
それを決断できたのはユリアーナと、祖母と、乳母マノアのおかげだった。
それ以降私は、自分の決断を否定する者や邪魔をしてくる者に対して、毅然と立ち向かい戦ってきた。
祖父母や我が家の私設騎士団と共に、国内外のスラレスト王国の残党狩りに心血を注ぎ、秘密裏に処理してきたのだ。
元スラレスト王国の国民達の多くは、併合された国々の中で、リトル・スラレストと呼ばれる町を作った。
そして、自分達の文化を大切にしつつも、併合された国の人々とも共存して暮らし始めている。
それなのに、ただ自分達の理想郷や郷愁の念のためだけに、自分勝手に時代の流れを過去に戻そうとする者達を私は許せなかったのだ。
最初の戦闘のとき、
「お前はサーキュラン王国の人間だと言いつつ、ちゃんとスラレスト王国の国民のことも考えている。
私の自慢の孫というだけではなく、さすが私の尊敬するドクトール義兄上の孫でもある。
そんなお前を天の上から皆誇らしく思っていることだろう」
キング・オブ・ナイトと称される、この国最強の騎士である祖父マーチンに頭を撫でられ、私は血で染まった両手をぎゅっと握りしめた。
大切なものを守るということは綺麗事ではない。頭ではわかっていたが、それを改めて思い知ったのだ。
鉄のような臭いが鼻に纏わりついて吐きそうだった。
しかし後悔はしなかった。むしろそのことで私の決意がさらに強固になったのだ。
愛する者達、大切なものをどんなことをしても守り抜くのだと。
私は大切なものを絶対に見失ったりしない。あのとき私は強くそう思った。
私の中には優先順位が決まっている。だから一瞬たりと迷わない。
私がそう思い至るようになった経緯を話すと、父はこう言った。
「そうか。そうだよな。優先順位をきちんと把握さえしていれば迷うことなんてないのだな。
これまではこの家をどうやって守ろうかと、ずっと一人で思い悩んできた。
しかし、母のことは父に任せておけば良かったのだな。
どうせ一人では全員を守り切れるわけがないのに、私は勝手に考え込んではあたふたとしていたよ。
私は妻と子供達のことを心配してさえいれば良かったのだな」
と呟いた。
ああ。父はこれまで女公爵である母親の下で、自分の立ち位置について色々と思い悩んでいたのだろう。
「父上は家族の長としてこれまで私達を守ってきてくれました。そのことに私はとても感謝しています。
来月父上は公爵位を継承されますが、何も一人で背負われる必要はないのではないですか?
母上はあのとおり立派な奥方です。そして私達も大分成長してきています。今後は少しずつ父上をお助けできることも増えていくと思います。
それに私はこれから、兄としてだけではなく、婚約者としてもユリアーナのことは見守って行くつもりです。
ですから、父上はどうか安心して母上のことだけを考えてください」
「おいおい、私はまだ二人の婚約を認めたわけではないのだぞ」
父はそう言って笑いながらも、最終的には母と同じ条件で許してくれた。
そして私の要求に応じて仮の婚約証明書まで書いてくれたのだ。
それなのに父は、私との約束を反故にしてしまった。
そして彼の中の、大切なものの優先順位を大きく変えてしまったのだった。