✽ 公爵令息は重すぎる愛を自覚している ✽ 第22章 父と息子(エリック視点)
「ブライアン王太子殿下が、ユリアーナ=モントーク公爵令嬢に婚約破棄すると宣言しました。
そしてリンジー=マントリー子爵令嬢を虐めたと言って因縁を付けていらっしゃいます」
妹ユリアーナに付けられた王宮の侍従が、宰相の執務室に飛び込んで来るなりそう言葉を発した。
父は思いも寄らない知らせに動転して気付かなかったようだが、私は正しくその情報を受け取った。
彼は王太子が因縁を付けていると発言した。ということは、王太子の言葉を真に受けている者はいないのだということが推測できた。
まあそれはそうだろう。身内の欲目抜きにしても、妹は完璧な淑女でその上才媛だと評価をされている。
それに比べて王太子ときたら、元々の出来がいまいちな上に怠け者の甘えん坊。その上堂々と婚約者を蔑ろにして、浮気をするクズ野郎だ。
どちらが信用に当たる人間なのかは一目瞭然だ。
しかも、二人の婚約が政略的なものであることは、皆に周知されている。そのために、妹が王太子の恋人に嫉妬して虐めをしているなんて思うわけがない。
父の背中を追いながら、私は侍従から簡単に事の顛末についての状況説明を受けた。
こうなるように仕向けたのは自分で、用意周到に準備してきたことだとはいえ、予想より大分早かったことに少しだけ驚いた。
こうも簡単に事を起こすとは正直思わなかったのだ。本当に何も考えていない男なのだと、改めて認識させられた。
王の決めた婚約を勝手に解消したらどうなるか、そんなことさえ考えが及ばなかったのだろうか?
しかも、自分では王太子の役目はこなせないからと、優秀な公爵令嬢と婚約させられたことを忘れたのか?
赤点スレスレの成績しか取れない子爵令嬢を正妃にしようとするなら、最低でも後十年はかかるだろう。
それまであいつは結婚を待てるのか? ずいぶんと気が短そう男なのだが。
四人目でようやく授かった嫡男に、両親である国王夫妻はそれこそ歓喜したと耳にしている。そして甘やかしたその結果があれだ。
上の三人の王女達には、厳し過ぎるといえる教育を施したというのに。
私は王女達とはある意味幼なじみのような関係だったので、彼女達が祖母である王太后に厳しく躾けられていたのを知っている。
まあそれでも、うちの祖母よりは甘いとは内心思っていたのだが。
それにしても、国王のマザーコンプレックスはかなりひどい。
父親を反面教師にして、真面目で堅実な国王であることは間違いないのだろう。
しかし、いつ何時も母親に支配されている感が拭えなかったのだろう。
女性の素晴らしさを知っているからこそ、その反動で女性蔑視する言動をしてきたのだろう。
もちろん他国でそれをやれば非難の対象となり、軽蔑されることがわかっているので、さすがに国内限定だったのではないか、とは思うのだが。
その一番の被害者が彼の妻である王妃と四人の子供達だ。王女だけでなくあの不出来王子だってある意味被害者だと思うのだ。
甘やかされ過ぎてきちんと王族教育をされなかったからこそ、ブライアン王太子は自分の立場も弁えない、自分本位な人間になったのだから。
あんなのが君主になったらこの国は終わりだ。
そんなことさえわからなくなった国王夫妻に、この国はもう任せられない、と多くの人間が思っているのだ。
父もまた国王に同情するだけでなく、忠告や助言をしてやれば良かったのに、守る方法を間違えた。
まさか王太子を更生させるのではなくて、優秀な他人を使ってそれを補わせようとするとは思いもしなかった。
しかも自分の娘を。いや、自分の娘だから人身御供にしてもいいと考えたのか?
子供は父親の所有物などではない。それをあの人はなぜ忘れてしまったのだろうか。
「王太子殿下は真実の愛を見つけられたそうです。私は殿下の幸せのために潔く身を引くことにしました」
父と私が王宮のサロンに着くと、ユリアーナは私達を見てこう言った。
すると何が起きたのかを現状把握する前に、父は激怒した。そして妹を責めて、祖母の元へ行って反省しろと命じた。
父は元々冷静沈着で、大局的に物事を見聞きして判断する人間だった。
だからこそ名宰相として国内外でも評判が高いのだ。
それなのに、なぜこうも父の視野は狭くなってしまったのだろうか。
ユリアーナが嫉妬で虐めをするなんてことあり得ないと、王宮に勤めている者全員がわかっていることなのに。
しかし、この状況は私にとっては好都合だった。
ユリアーナの婚約が決まったと知らされた瞬間から、私はいかにして妹と王太子の婚約を解消させられるか、そればかりを思案してきたのだ。
今回の王太子の婚約破棄宣言も、そうなるように私が仕向けたからだった。
だから本来の計画通りに、このまま婚約解消の手続きを進めよう。
私は、今後発生するであろう王宮のドタバタに妹を関わらせるつもりは毛頭ない。
ユリアーナは祖母のところにいるのが一番安全だ。それにあそこなら、これまで頑張り過ぎて疲労している心身の休養だってできるだろう。
これまで誰にも胸の内を明かせなかったあの子には、祖母ほど適した相談役は存在しない。
しかもこちらが言い出す前に、父から祖母の所へ行けと命じられたのだ。
後になって文句や難癖を吐かれることもなくなり、面倒がなくなって助かった。まさに僥倖だ。
私はユリアーナの手を引いてそそくさとその場を離れた。王妃が真っ青になって必死にそれを止めようとしていたことに気付いたが、私は完全にそれをスルーした。
今さら事の重大さに気付いても後の祭りだ。すでに王太子によって賽を投げられたのだから。
しかもそれに援護射撃をしたのは王妃自身なのだから。
それにしても父は一体どうしてあんな風になってしまったのだろうか。
私は実の子同様に育ててくれた父に深く感謝しているし、愛情も持っている。
実の両親は赤ん坊のときに亡くなっているので記憶には全くない。
十歳のときに祖父母に真実を打ち明けられるまで、自分が養子だなんてことは疑いもしなかった。
両親は弟や妹とも分け隔てなく私に接してくれていたし、嫡男として扱い、そのための教育を施してくれた。
両親からすれば実子であるスコットあるいはマックスを後継者にしたいと思うはずなのに。
自分が養子だと知ったとき、スコットを後継者にして欲しいと両親や祖父母に頼んだ。
するとそのとき、それを誰よりも強く反対したのは父だった。
「本来、お前がこのモントーク公爵家の後継者なのだから、何も気にすることはない。
そもそもあの弟達に公爵家の当主は向かない。それくらいお前だってわかるだろう」
父はそう言った。
当時はそれでも私に気を使ってそう言っているのかと思っていたが、成長するとともに父の苦労や辛さを知って本心であることがわかった。
生真面目で温厚な父にとって武闘派の公爵家の当主を務めるのは苦痛だったようだ。
頭脳明晰で文武両道。世間的には立派な公爵として映っていたのだが、それは父が無理に演じている姿だったのだ。
人間には向き不向きがある。それを一番よくわかっていたからこそ、弟達に跡を継がせたくなかったのだろう。
自由奔放で豪放磊落のスコットは義に熱く、とても人に好かれる。
しかし、貴族の型にはまった形式的な社会には馴染まなかった。
マックスもスコットと同じくらい飛び抜けた体力と剣の腕を持っていた。
その上一見朗らかそうに見えて頭脳派で、人心掌握能力に長けている。
一見当主向きとも思えるが、彼はとにかく一族愛が強く、王家や国よりもそれを第一に考えるタイプだった。
一歩間違えれば独立を考えそうな。つまり、王家を支える立ち位置にあるモントーク公爵の当主には不適格だったのだ。
母も父と同じ考えのようで、私が立派な後継者になるように、優しさの中にも厳しく接してくれた。
だから私も学園に入学する前には、すでに父の後継者になる覚悟を決めていたのだった。