✽ 公爵令嬢、領地(地獄)行きを命じられる ✽ 第2章 女魔王と呼ばれる祖母(ユリアーナ視点)
私の祖母のフランソワーズ=モントークは、かつてこの国最強の女とか女魔王と呼ばれていた。(いや、正確に言えば今でもそう呼ばれていると思う)
モントーク公爵家だけでなくその一族のゴッドマザーだ。彼女に対抗できる人間は王族を含めてこの国にはいない。
それどころか、隣国の王家にだっていないと思う。
かつてこの国に留学してきた両隣の国の王子達が、この国の公爵家令嬢だった祖母を自分のものにしようと悪さを仕掛けてきた過去があった。
そのとき、彼らは祖母の反撃に遭って痛めつけられたあげくに敗北し、それ以降彼女に頭が上がらなくなったのだ。(これはもちろんトップシークレットとなっている)
しかもそのことがきっかけで女遊びに懲りた王子達は、その後すっかり真面目になった。そのため、彼らの婚約者(後の王妃)達にとても感謝され、それ以来ずっとこの二つの王家との関係は良好なのだ。
つまり、祖母は両隣の王族からも未だに一目置かれた存在だということだ。
そしてそれはもちろんこの国の王族も同じなのだ。彼らは先代モントーク女公爵には逆らえない。なぜなら、彼らは彼女に多大な恩義を感じていたからだ。
ただし現国王は、妻である王妃や孫の王太子にはそれを理解させることがでなかったみたいだけれど……
先代国王は無類の女好きだった。
そのためにかつて、このままでは王宮及び王城に仕える若い女性が皆国王のお手付きになってしまうのではないかと、臣下達を怯えさせていた時代があった。
しかしそんなある日、突然王妃は王宮の女官や侍女達を全員、城の別の部署へ移動させてしまったそうだ。
そして彼女達の代わりに、男性の官吏や侍従だけを配置するように命を下した。
当然国王は激怒したけれど、王宮内の差配は王妃の役目だから口を出すなと、それまでお淑やかで控えめだった彼女はそう言い放ったと聞いている。
その結果国王は身支度から入浴、マッサージまで全て男性から世話をされるようになり、次第に大人しくなっていったという。
国王は男の尊厳を傷付けられ、それを誰にも告白できずに相当苦しんだらしい。
王妃は国王の悩みを知らなかったというが、実際は知ろうともしなかったのだと思う。いや、知っていたのに素知らぬ振りをしていたに違いないわ。
他人にしたことはいずれ自分に返ってくる。だから自業自得だとしか王妃は思わなかったのではないかしら。
その後国王は気の病に罹って離宮で静養することになったようだ。しかし、まだ幼い王太子が即位するのは無理だった。
そこで療養中の国王に代わって、妻である王妃が摂政として国政を担うことになったのだ。
その後彼女は、愚王のせいで傾きかけた国を見事に建て直したため、中興の王妃と呼ばれている。
しかし、貴族達は皆知っていた。王妃の功績は、彼女の親友であるモントーク女公爵の後ろ盾があったからこそ成し得たことなのだと。
それが女公爵に対抗できる人間が、この国には存在しないと言われるゆえんである。
そしてそんな祖母を恐れていたのは、王侯貴族だけでなく身内も同様だった。
モントーク一族の人間が何か悪さをすると、それが大人でも子供でも必ず周りの者達からこう言われるのだ。
「そんな性根の腐ったやつはお祖母様の所へ行け! そして一から根性を鍛え直してもらえ!」
年に数度王都のタウンハウスにやって来る祖母は、屋敷内ではほとんど口を開かず、誰とも会話を交わさなかった。
いや、昔ながらの家令であるボードバーグ卿とだけは何やら人目の付かない場所で語らっていた。
しかし、息子夫婦や四人の孫達に対しては、若い時となんら変わらない厳しい目で睥睨しているだけだった。
そしてその目と運悪く合ってしまえば、その圧倒的威圧感に漏れなく全員震え上がった。
国王の片腕と呼ばれて普段威風堂々としている現公爵もかたなしであった。
そんなわけで、モントーク公爵家の末子である私は、この世に生を受けてから十七年、一度たりと祖母から声をかけてもらったことがなかった。つまり挨拶以外ほぼ会話をしたことがなかったのだ。
それなのにその祖母の元へ淑女教育をし直してもらえ!と厳命されたのだ。その瞬間、私は震え上がった。そして絶望した。
でも私は決して祖母を嫌っているわけではない。むしろ尊敬している祖母にずっと会って話をしたいと思っていた。
しかし、公爵令嬢として恵まれた環境を与えられているというのに、私は何一つ真っ当にその役目を果たせていない。
そんな自分が尊敬する祖母にどんな目で見られるのか、それを簡単に想像できてしまうから怖かったのだ。
それでも、領地の祖母の屋敷に向かう道中、私は朧気ながらも今後の自分の進路についていくつか考えてみた。
しかしいくら考えても現実社会を知らないので、全てが絵空事のように感じてしまった。
だからどんなに叱責され軽蔑されようとも、どうにかして祖母からを何かしら助言を得よう。私は震えつつもそう覚悟を決めたのだ。
ところがである。
「ユリアーナ、よく来たわね。待っていたわよ」
長兄エリックと共に領地にやって来た私は、祖母に笑顔で迎えられて仰天した。
そして晩餐の席でなぜあんなに驚いていたのかと祖母から訊ねられて、私は少し気まずい思いでこう答えた。
「失礼なことを言いますが、初めてお祖母様の笑顔を見たのでとても驚いたのです。
それにお祖母様が私の名前をご存知だったということにも」
すると、祖母はそれまで穏やかそうに見えていたのに、まるで苦虫を噛み潰したような顔になった。
「私のことをたった一人の孫娘の名前も忘れるほど耄碌していると思っていたということかしら? まあ、事実大分老化はしているけれどね」
機嫌の悪くなった祖母の顔を見て、余計なことを言ってしまったと血の気が引いた。
するとそこに兄のエリックが口を挟んだ。
「お祖母様、妹をからかうのはお止め下さい。この子は真面目過ぎてお祖母様の言動を全て本気だと受け取ってしまいますからね。
ただでさえ、ここに来る途中もひどく緊張して何度も吐いたのですよ。アレと地方巡視に行った時でさえ吐かなかったこの子が」
「お兄様こそ、お食事の席でそんなお話はお止めください。
申し訳ありません、お祖母様。お兄様をお叱りにならないで。みんな私が悪いのです」
私は祖母に向かって頭を下げた。私にとって長兄だけはいつも味方になってくれた大切な人だ。
自分を庇ったせいで祖母の機嫌を損ねて、もし兄が後継者の地位を奪われたら……そう不安になって、私は必死にそう言い募った。
そんな私の死にそうな顔を見て、祖母はやれやれという顔をした。
「何をそんなに必死になっているのかしらね。別に私は貴方達を怒っているわけではないのに。
そもそも腹を立てる要素がないじゃないの。怒った顔はちょっとからかっただけだわ。
どうやったら、これを真に受けるような子に育てられるのかしらね?」
「そりゃあ、お祖母様のせいでしょう」
「私のせいなの?」
「我が一族は、みんなお祖母様を怖がってクソ真面目な人間になりましたからね。捻くれている僕以外は」
「確かに私は厳しかったかもしれないわね。でも、我が家は飴と鞭を使い分けて教育してきたつもりだったのだけれど」
元女公爵である祖母は小首を傾げた。
「飴とはお祖父様のことですか? それなら意味を成していませんでしたよ。
確かにお祖父様は優しい方でしたが、お祖母様に逆らったり悪く言う者にはそれこそ容赦がなかったですからね。
むしろお祖父様の方が、お祖母様よりある意味ずっと怖い存在でしたよ」
「えっ、そうなの?」
「お祖父様はなんたってお祖母様のことが一番大切でしたからね」
兄の言葉に頬を染める祖母を見てユリアーナは喫驚した。これまで抱いていた祖母のイメージが崩れた。
この国最強の女、ゴッドマザー、鋼鉄の元女公爵……
そう思っていたのに、目の前にいるのは二年半前に亡くなった夫をいつまでも慕っている、とても可愛らしい女性だった。
かつて祖母は、この国一番の美女と呼ばれていたそうだ。
そんな祖母を確かに美しいと、幼いころからずっと思ってきた。しかし、こんなにも愛らしい女性だとは思ってもいなかった私だった。