✽ 公爵令嬢、未来を夢見る ✽ 第16章 公爵令嬢の学園生活(ユリアーナ視点)
髪をセミロングにカットしてもらい、それからポニーテールの仕方をアンに教えてもらった私は、初めて自分で髪をまとめてみた。
鏡に映して見てみると、まあまあ恥ずかしくない程度に仕上がっていて気分がウキウキとした。
それから自分の部屋のベッド周りの片付けと、部屋の掃除の仕方を習った。
その後は食事の配膳や片付けの仕方、食器な洗濯などの洗い物の仕方などを学んだけれど、どれもみな思っていたよりずっと大変な作業だった。
普段の鍛錬を欠かさないので、体力的には問題はなかったけれど、初めてのことばかりでかなり神経を使った。ただし気分は悪くなかった。
「みなさん、ずいぶんと教え方が上手なのね」
自分の仕事をこなすだけでも忙しいはずなのに、この屋敷の使用人達は皆嫌な顔一つせずに、私に仕事を教えてくれた。
しかもその指示や注意の仕方に無駄がなく上手なのだ。
すると、メイド長が笑ってこう言った。
「みんなもう慣れているんですよ。このお屋敷には年がら年中騎士の子供達が送り込まれてきますから。
このお屋敷は一種の子供の教育施設というか、訓練施設みたいなものになっていますでしょう?
まあそれも表面上なことで、子供達にとっては楽しい合宿所みたいなものですけれどね」
どうやら兄や従兄弟達だけではなく、モントーク公爵家の私設騎士の子供達もこの屋敷に預けられているらしい。
たまたま今はいないみたいだけれど。
ここで、自分の身の回りのことは自分でできるように躾けられた上で、自然の中で遊びながら体を鍛えられているようだ。
ここって最高の教育環境じゃない?
貴族の家庭ではナニーを雇って子供に躾をし、マナーや勉強はガヴァネスに依頼するのが一般的だ。
けれど、彼らは確かに教育のプロではあるが、成果を出さないと自分の評価に響くために、やたらと厳しく指導する。
基本、子供のことより自分のことが大切なので、個々の子供の能力なんて配慮しないで型にはまった教え方をする。
学園などに入学した途端羽目を外して失敗する者が多いのも、その厳しさの反動からくるのではないかしら。
厳しさはもちろん必要だけれど、人間には息抜きや程よい遊びが必要だと思う。
モントーク公爵家の騎士達はそのことを知っていたから、祖父母に自分達の息子達を預けていたのだろう。
それなのに公爵家の実の息子達は、子供達に罰を与えるために送り込んでいたのだから笑ってしまう。
私は兄達のようにお祖母様の下へは行けなかった。
それでも母や三人の兄、そして次兄の当時婚約者だったカロリーヌ様が十分に甘やかしてくれたので、辛い思いはしなかった。
どんなに勉強や躾や剣の鍛錬が厳しくても。
しかしお妃教育が始めてからの日々はかなり辛いものだった。
学園生活だけでも忙しかったのに、王宮でもハードな予定を詰め込まれたせいだ。
家にはただ寝るために帰っていたようなもので、大好きな家族とはろくに話もできなかったのだから。
そんな生活の中で、私の心の中には少しずつ、醜くくてドロドロした負の感情が積もっていった。そしてそのことが悲しくて情けなかった。
王太子の冷たい態度に関しては正直なんともおもわなかったし、お妃教育の内容も大したことはなかった。
しかし、時折宰相の父と共に王宮にやってくる兄エリックの姿を見る度に、私の胸の中に切なさがこみ上げてきたのだ。
外で見る兄は、当然身内に見せる姿とはかなり異なっていたからだ。まるで別人といってもいいくらいに。
兄は私を目に入れてもいつも完全にスルーしたのだ。
用事があって話をするときも、慇懃無礼な態度を取られた。私のことにはまるで関心がないとばかりに。それがとても寂しかった。
すぐにそれが、私のために兄がわざとしていた演技だったということがわかった。
それでもやはり辛かったのだ。
名門モントーク公爵家の嫡男であるエリックお兄様には、親しくなりたいと願うご令嬢や、近付きたいと野心を持っているご令息が山のようにいたのだ。
しかし孤高の貴公子と呼ばれているお兄様は、容易に他人を近付けなかった。
そこで少しでも兄が親しくしている人間を見つけては、擦り寄る者が後を絶たなかったらしい。
スコット兄様やマックス兄様も、エリックお兄様目当てで近寄って来る者達が後を絶たなかったそうだ。
「ほんと、学園に通っているころは本当に鬱陶しかったよ。俺目当てのご令嬢だけじゃなくて、兄上狙いの奴らも多くてさ。
お前も学園に入学したら気を付けろよ」
「そうそう。声を掛けてくる奴らが山ほど出てくるぞ。
ただでさえお前は可愛いだろう? その上、お前と婚約できて兄上とも懇意になれるなんて一石二鳥で最高だもんな。
それとご令嬢達にも気を付けろよ。兄貴狙いじゃなくても、妬まれるのは間違いないからな。
なにせこの国三大美男子に可愛がれて大切にされている、幸運な女の子だからな」
自慢げに何言っているのよと思いつつ、下の兄二人にこう注意されて、入学前の私は正直怯えていたわ。
だって結局それって、エリックお兄様だけではなく、スコット兄様やマックス兄様狙いの人も私に近寄って来る可能性があるってことなのでしょう?
それに、兄達と懇意になりたいという理由で、私に近付こうとする人達がいるなんて思いもしなかったし。私を何だと思っているのかしら。
肉体的な攻撃ならやり返せる自信があったが、精神的な攻撃に腕力で対抗するわけにはいかない。
卒業するまでそんな状態が続くのかと思うと、とても身が持たないと思った私だった。
しかし実際に学園に入学してみると、男子から声をかけられることはほとんどなかった。
女子からは恐る恐るという感じで、兄達のことを聞かれたこともあったけれど。
というのも入学直前、私は突然王太子との婚約を決められてしまったからだ。
王太子の婚約者に言い寄る男子などいるはずがないし、面と向かって嫉妬や虐めをする女子もいなかった。
ただ、逆に媚を売るご令嬢達がたくさんいて辟易したけれど。
そして、それ以外の方達からは遠巻きにされてしまい、友達ができないことが残念だった。
しかし入学して一年が経ったころには、周囲の私の見方がずいぶん変化していた。
というのも、王太子が半年前に編入してきた子爵令嬢と仲睦まじくなったからだ。
それを私が注意を促したり阻んだりせず静観していたので、その態度が頼りなげに映ったようだ。
それまでは、王太子の婚約者で筆頭公爵家の令嬢である私を畏敬の目で見ていたのだろう。
それなのに、それが見かけどおり気弱な性格だと周りが判断したのだと思う。
なにせ、三人の兄達ともそう親しげな様子は見えなかったのだから。
この感じなら、そう怯えることも敬う必要もないのでは?と。
そんな人を見下す態度は高位貴族令嬢ほど顕著だった。
それに比べて下位の令嬢達は、躊躇いながらなぜか話しかけてくれるようになった。
彼女達の多くが政略による婚約者がいた。そしてその婚約者から少なからず虐げられていた。
上から目線で一方的に従うように圧力をかけられていたのだ。
私は公爵令嬢だけれど、王太子という自分より上の立場の婚約者に逆らえない。
それは結局、子爵令息に逆らえない男爵令嬢と変わりないということらしい。
爵位の差だけで人を見下し、相手を尊重しないこの社会の在り方を知って、私は改めてこの国に嫌悪感を抱いた。
今頃何を言っているのかと彼女達には言われそうだったが、我がモントーク一族が実力主義だったので、私はそれまでそのことに気付けなかったのだった。