✽ 公爵令嬢、未来を夢見る ✽ 第15章 王家への不満(ユリアーナ視点)
領地に来て三日が経ち、私は使用人の皆さんから平民としてのスキルを教わり始めた。
まずは朝の身仕度の仕方から。元々ドレスでなければ一応服だけは一人で着替えることはできていた。
しかし身繕いとなるとなかなか難しいものがある。
少し癖がある上に腰の辺りまで長い髪を自分一人でまとめるのは至難の業だ。
お祖母様に相談すると、アップにできる長さがあれば問題ないということなので、タウンハウスから付いて来てくれた専属メイドのアンに髪の毛を切ってもらった。
彼女は私より二歳年上で、美容に関する腕は一流だ。
「あまりに長過ぎるとヘアスタイルのバリエーションが少なくなるので、前々から短くなさった方が絶対にいいと思っていたのですよ。
でも、殿下のお好みが長髪だったのでずっと切れなかったのですよね。
それなのにセミロングの子爵令嬢を愛らしいだの、可愛いだのとおっしゃって。本当に腹立たしいですわ」
「仕方ないわよ。殿下だって髪の長さだけであの方をお好きになったわけではないでしょうから。
それに、私の髪が長くても短くても、どうせあの方は私を好きになってはくださらなかったと思うし。
まあお互い様だったのだから、もうどうでもいいのだけれど。
私ってお祖母様によく似ているでしょう? 結局それが気に入らなかったみたいだし。
でも、それは陛下だって同じだと思うの。それなのに、なぜ私を王室に入れようとなさったのか、それが本当に謎なのよ。
私の大人しそうな見かけにだまされたのか、王太子殿下の不出来を理解していて仕方なかったからなのか。それとも、お父様と姻戚関係になりたかったからなのか。
あなたはどれだと思う?」
私の問いかけにアンは絶句していた。
私はこれまでなんの不満も口にすることはなかったからだろう。もちろん表情に出すこともせず、私はずっと完璧な王太子の婚約者を演じてきっていたのだ。
それでも私が王太子に恋愛感情が全くないってことくらい、皆わかっていると思っていた。
なにせ紛れもない政略的な婚約だということは一目瞭然だったのだから。
とは言え、まさかこれほどまでに私が不満に思っていたなんて、彼女は気付いていなかったようだ。
なぜ私がこの婚約に納得していると思っていたのか、正直それが不思議だったけれど。
確かに婚約当初の私は、ブライアン様のことを好きでも嫌いでもなかった。だって彼のことを何も知らなかったのだから。
それでも婚約が決まってからは婚約者のことを知ろうと努力したし、歩み寄ろうと試みた。
しかし一年経ってもあちらからはそんな気配が一切なかった。
ブライアン様は決められていたお茶会に顔を出すこともなく、手紙や贈り物を寄越すどころか、言葉さえかけてくれなかった。そして、学園では完全に私を無視したのだ。
そんな態度の王太子を私は尊敬できなかった。
そして、自分ばかりに厳しい要求をしてくる国王夫妻や教育係、侍従達にも正直不満を抱いたわ。
なぜ王太子が失敗をしでかすたびに私が叱られるの? 私はまだ、ただの婚約者であって妃ではないのに。
そもそも妃は王子の補佐をすべき立場かもしれないけれど、それって尻拭いすることとは違うでしょ?
それに注意しようとしても会う機会がないのに一体私にどうしろっていうの?
面談できないから仕方なく手紙を書いているけれど、返事は一度もないのだから、王太子が読んでいるのかどうかもわからないし。
教育を施す必要があるのは、私ではなくて王太子なのではないの?
ブライアン様が四人目でようやく授かった王子だったから、ご両親を始めとして周りの人間が大切にするのはわかる。
しかし大切にするのと甘やかすのは違うでしょ。
王子には、これから国のため国民のために公僕になる意識を植えつけないといけない。そうでないと私利私欲で動く暴君になってしまうから。つまり、先代のように愚王のように。
王宮の人達って、過去の失敗をそんなに簡単に忘れてしまう鳥頭なの?
それとも、そもそも自国の歴史を覚えていないだけなの? そんなことはないわよね? あの方達は難関の官吏試験に合格しているはずだから。
彼らは知識だけはあるけれど、常識や倫理観のない、日和見主義者ばかりだということなの?
私はずっと悶々としていた。それでもそれを表に出さなかったのは、母からこう言われたからだ。
「人間、勉強しておいて無駄になることはないわ。
妃教育なんて滅多にできるものではないのだから、特殊教育を無料で受けられて幸運だと思いなさい。
でもそれは学園の卒業までの辛抱よ。卒業したら、貴女にこれ以上余計な責任を負わせるような真似は、私が絶対にさせないから。
この母を信じてあと二年、このまま猫を被って大人しくしていてちょうだい」
と。
だから表面上私は王太子に尽くす振りをしていた。
しかし、こう母に言われたからといって、私がただ大人しく従っていた、というわけでもなかった。
卒業までのこの一年半、密かに王家に対する反撃の機会を狙っていた。
なぜ私が彼らに敵意を持つようになったかといえば、王妃殿下が侍女達と、こんな会話をしているのを偶然に聞いてしまったからだ。
「ユリアーナ嬢の見かけはフランソワーズ様に瓜二つだけれど、性格は大人しくて良かったわ。きっと従順なお母様の方に似たのね。良かったわ」
お祖母様とお母様を侮辱している……と私は怒りに燃えたわ。
従順なのは貴女の方でしょう。王太后殿下や陛下の顔色ばかり伺って主体性が全くないのだから。
王太后殿下が体調を悪くなさって離宮に籠もるようになってからは、陛下の言いなりになって王太子殿下を甘やかし続けている。
いくら陛下に「自分は母親から厳しく教育をされて辛かったから、息子にはそんな思いはさせたくない」と言われたからといって。
あんな人が国母だなんて情けない、と私は思った。国母はその名のとおり国民全員の母であるべきなのだから。
確かに「中興の王妃」として名声を博している優秀な姑と比較され続けたことは苦痛だったろう。
その上、王女が三人続いたことで、周囲から心無い言葉を投げかけられ、辛い思いをされたことも事実だろう。
でもそんな王妃を、母は身を挺して支えてきたはずだ。彼女を大切の友人だと母は思っていたから。
それなのに王妃は、母のことを単に自分の言いなりになる、便利で都合の良い人間だと思っていたようだ。母のことを何一つわかっていないもの。
母がただの従順な人間だったら、あのお祖母様が嫁として認めるわけがないじゃないの。
それにしてもあの人達は、ブライアン王太子が子爵令嬢のリンジーと仲睦まじくなっても、従順な私ならそれを許し、彼女を愛妾にすることも簡単に認めるだろうと思っていたに違いないわ。
だから息子に注意をせず好き勝手にさせていたのだろう。
まさか息子が本気で子爵令嬢を正妃にするつもりだった、とは思っていなかっただろうけれど。
王妃殿下は普段から私のことを見くびり、内心馬鹿にしていたのだわ。
それなのに王太子やリンジー嬢に対して、私が全く動じず戸惑うことなく冷静に反論したことに驚いたのだろう。
そしてこれはまずいことになったとかなり動揺したのだと思う。
だからこそ王妃は、私が彼女に逆らえないようにするために、あんなに語気を強めて居丈高な態度をとったのではないかしら。
しかしあんなの、キャンキャンとうるさい小型犬の威嚇とそう変わらないわ。
私はモントーク公爵家の娘よ。幼いころから騎士と同じ厳しい訓練をして、狼どころか熊のような怒声を浴びせられてきたのよ。
それに「この国最強の女」の孫娘なのよ。馬鹿にしないで欲しいわ。
あの時、私は冷静にこう考えていたのよ。
もしブライアン王太子の側妃になって、正妃となるリンジー嬢の補佐をしろ!なんて王家に命じられたら、モントーク一族はクーデターでも起こすのではないかと。
だから、それを防ぐためにも、
「王太子殿下は真実の愛を見つけられたそうなので、私は潔く身を引くことにしました」
と、先手を打ってあげたのよ。王妃や王太子が馬鹿なことを言い出す前に。
それなのに父はそれを理解できなかった。
首席で学園を卒業したというのに、本当に残念な人だわ、我が父は。この王宮にいる官吏と同じね。
世間からあんな脳内お花畑の愚かな王太子に捨てられたと思われるのは嫌だった。
でも、愛されなくても二番目でもいいから婚約者に尽くしたい、と勘違いされるのはもっと嫌だった。
そしてそれ以上に、馬鹿な連中からこれからも利用されるのなんて御免だった。
そう。自分で思っていたより私は、我慢のできない人間だったようで、三年も猫を被っていられなかったのだ。
こちらに来て、お祖母様の昔の話を聞いて、お祖母様の忍耐強さには平服したわ。
さすが私が尊敬するこの国の英雄だわ。
もう婚約破棄されたのだから、私には我慢する必要などない。あの王太子と別れられて本当に良かったわ。
正直リンジー=マントリー子爵令嬢がブライアン王太子を好きになってくれて感謝しかないわ。
「アン、私、ずっと我慢していたのよ。ブライアン殿下となんて婚約したくなかったの。
貴族の娘だから政略結婚は仕方のないことだと諦めて、何も言わなかっただけなのよ。
あなたがもし学園や王宮での殿下の態度を見ていたら、私があの方を好きだなんて間違っても思わなかったと思うわ。
だから、婚約破棄された私を憐れむのだけは止めてね。私にとっては好都合なのだから。
平民になることも働くことも不幸なことじゃないわ。修道院へ行くこともね。
だからあなたもビシバシと私を鍛えてちょうだい。この先一人でも生きて行けるように」
私が初めて自分の気持ちを告げると、アンは真っ青になった。
そして、仕えるお嬢様の気持ちをこれまで察することがでなくて、本当に申し訳ありませんでした、と泣きながら謝ってきた。
でも、謝る必要はないと彼女には言った。自分では何も話さないくせに気持ちを察しろと言うなんて、図々し過ぎるものね。
母と兄達はわかってくれていたと思うけれど、それ以外の人々には悟らせなかった私の淑女ぶりってすごくない?
やっぱり私はどこか祖母に似ているのかも知れない。容姿以外でも。まあ祖母ほど辛抱強くはないけれど。