✽ 公爵令嬢、未来を夢見る ✽ 第12章 プロポーズマニュアル(ユリアーナ視点)
お祖母様の語ったその人生は波乱万丈だった。あまりにもスケールが大きくて、ロマンチックで、私のこれまでの悩みや苦しみなんて些細なことのようにに感じられた。
思わずノンフィクションの小説にしてもいいですか、と訊ねてしまった。
すると、意外にもお祖母様から許しを得ることができた。ただし、
「将来、貴女が生活に困窮してお金が必要になったときならいいわよ。もちろん、私と貴方のお父様が亡くなった後でね」
という条件をつけられたけれど。
私はすでにお妃教育を終え、学園の単位も全て取得している。
今後は修道院に入るか、平民になるための修行をした上で隣国で働くか。このどちらかになるだろう。
どちらにせよ、これまでよりは自由時間を持てるに違いないわ。
これからはお祖母様から聞いた話を忘れないように、少しずつでも書き留めておこうと思った。
そして、それをもとに少しずつ文章を綴っていこう。
それはきっと、私にとって大切なライフワークになるはずだわ。そして生きる目標に。
でも、そのためにはまだ聞かなくてはならないことが山ほどあるわね。
「結局お祖母様はお祖父様と結婚されたのだから、望んでいた言葉を貰えたということでいいのですよね?」
「ええ。でも、あの人はズルをしたのよ。
ずいぶん後になってわかったのだけれど、兄に助けを求めたらしいの。
一月経っても断られ続けている。どうしたらいいのかわからないと。
でも返ってきた手紙には「プロポーズする前にきちんと手順を踏んだのか?」という文字だけが記されていたのですって。
でもあの木偶の坊のマーチンにそれだけで通じるわけがないでしょ。
結局屋敷の人間に恥を忍んで訊ね回ったけれど、男性使用人からはからかわれて終わり。
女性の使用人達からは白い目で見られて、本でも読んで女心を勉強しなさいって吐き捨てられたそうよ」
「それでお祖父様はどうなさったのですか? 本屋か図書館へでも行かれたのでしょうか?」
「そのとおり。知り合いと会うのが嫌だからと、わざわざ隣の町の本屋へ足を運んだそうよ。
そして恋愛本ではなくて、『スムーズに結婚するための手引書』『恋を成就させるための秘訣』というマニュアル本を決死の覚悟で購入したらしいのよ。
結婚して十年くらい経ったころかしらね。書棚の整理をしていたら、奥まったところに隠してあったのを見つけたわ。
さっさと処分しないところがあの人の駄目なところよね」
お祖母様はまるで幼子のいたずらでも見つけたかのように、おかしそうにクスクスと笑った。
恋愛マニュアル本って……
お祖父様って案外現実的で効率重視の考え方をしていたのね。私は意外に思った。
しかし、実際はそうではなく、祖父は本当に焦っていたようだ。
「自分の結婚式には、妹の婚約者として参加するように」
そう大伯父に厳命されていたというから。
当時、祖母には高貴な方々からの釣書が殺到していたらしい。
そのため、国内外の要人が参列する大伯父とスラレスト王国の女王の結婚式の場で、祖母が祖父にエスコートされる姿を見せる必要があったのだという。
祖母にはすでに婚約者がいるのだから諦めろ、と周囲に釘を刺すために。
大伯父はやはり相当妹思いだったようだ。
そして祖父はそのマニュアル本の最初のページで、息が止まるくらいの衝撃を受けたらしい。
「結婚を申し込みたい相手が見つかったら、まず相手に好きだという自分の気持ちを伝えましょう。
自由恋愛は政略的な結婚ではないのだから、最も大切なことはお互いの愛情です。
それ故に相手に自分の気持ちを伝え、相手にも自分を好きになってもらうことが何よりも重要です。
仮に相手も自分に好意を持ってくれているだろうと思う場合もそれは同じことです。
人というものは思い込みが強い生き物です。勝手に都合の良い解釈をしがちで、勘違いが失敗に繋がることも多いのです。
それゆえにまず自分の気持ちを伝えて相手の反応を見てから、その後の対策を考えることが大切です。
もし勘違いであっても、そこから相手に好意を持ってもらえばいいのですから」
(振り返ってみれば、俺は自分の気持ちを彼女に伝えたことがあっただろうか……そんなことわかっているだろうという前提でプロポーズをしていた。
しかし身分違いだったために畏れ多くて好きという言葉どころか、それらしい態度を取ることさえ、俺はこれまでずっと控えてきた。
彼女のために身を呈して守ってきた自負はあるが、他人から見れば単なる忠義心としか思われなかっただろう。
もしかしたら彼女もそうだったのかもしれない。俺の思いは彼女に伝わっていなかったのか?
それなのに勝手に両思いだと思い込んでいたぞ。俺、めちゃくちゃ恥ずかしい男だな)
今まで一度も祖母に好きだという言葉を告げたことがなかった。その事実に祖父は初めて気が付いたのだという。
その後祖父は、祖母に必死に愛の言葉と謝罪の言葉を告げたという。
しかもこれまた毎日朝昼晩と。そして二週間後に、そのしつこさにとうとう祖母も陥落したらしい。
その大失敗から教訓を得た祖父は、結婚後もずっと祖母に愛を囁き続けたのだ。
そんな姿を父や叔父達は幼いころから見せつけられて育った。
そのために彼らには、愛する女性に対しては誠実に愛を伝えることが当然のことだと認識が出来上がったらしい。
その結果、三兄弟は揃って、貴族としては珍しい自由恋愛による結婚をしたというわけだ。
そしてそれは兄達や従兄弟にも継続されている、ということのようだ。
うーん。でもエリックお兄様の愛の告白?はどうなのかしら。私がお兄様の実の妹ではないと知ったのはたまたまなのよ。
普通実の兄から「僕のユリアーナ、大好きだよ」と囁かれたとしても、単にシスコンの兄の冗談としか思わないでしょう?
そんなことを考えているとお祖母様がこう言った。
「エリックはね、最初は純粋に貴女を妹として愛していたのよ。
でもあの子が十歳のときに自分の生い立ちを知ってから、貴女への気持ちが徐々に変わって行ったの。
何しろ貴方は本当に可愛かったから。
それにエリックじゃなくてもあんなに懐かれたら溺愛してしまうわ。
あの子への貴女の態度って、スコットやマックスに対するものとは全然違っていたものね」
「そりゃあそうですわ、お祖母様。
エリックお兄様は、スコットお兄様のように無理矢理にロバの背に乗せようとしないし、マックスお兄様のように蛇の抜け殻を持って追いかけたりしないもの」
私がこう言うと、お祖母様は申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさいね。貴女も知っているとおりに、我が家は男女関係なく教育する方針でしょ?
だからあの二人は、自分達が学んだことを単純に貴女にも教えてやろうと思っただけなのよ。
父親に叱られて最初にここへ送られてきたとき、彼らはそう言っていたわ。
だから私が彼らに教えたのよ。ユリアーナは年下で、しかも性別が違うのだからエリックのように優しく守ってあげなくてはいけないと。
性差別はいけないけれど、それでも配慮は必要なのだとね。
すると二人はしゅんとして、お祖母様はお祖父様より強いから、女の人を守らなきゃいけないという考えがなかった、と言ったわ。
これには正直苦笑いするしかなかったわね。でもそのときにちゃんと本当のことを教えてあげたわ。
お祖母様は強いけれど、お祖父様はもっともっと強いのよ、ってね」
最後はまたお祖父様の惚気になっていて、お祖母様は可愛らしく笑った。
そんな彼女に私は、長年知りたいと思っていたことを勇気を振り絞って訊ねてみた。
「お祖母様は先ほど、エリックお兄様は十歳のときに自分の生い立ちを知ったとおっしゃっていましたよね?
お兄様はお祖母様のお兄様の孫で、今は無きスラレスト王国の最後の国王陛下の一人息子だったのですよね?」
すると、お祖母様は真顔に戻って大きく頷いたのだった。