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愛を私に

作者: そら

これは私が知人から聞いた話を元に書いた話だ。

嘘のような話かもしれない。だけどこれを読んであなたの考えが大きく変わるかもしれない。

 先日母が亡くなった。

こういう時子供に当たる私は泣き悲しむのが普通であろう。

しかしながら、私は泣かなかった、いや、泣くことができなかったというべきだろう。

その時私はどうかしているのではないかと自分を少し疑った。だが、それから少し経ち理由が判明した。

私はその日、母の遺品の整理をしていた。

整理しているうちにあるものを見つけた。

「アルバム。」

一ページ目には私が生まれたての写真があった。

写真を見ていくうちに、家族との思い出を思い出してきた。

母はいつも私に優しかった。

小学校の時、教室の窓を割って先生に怒られてしまった時、彼女は私が泣いて帰ってきたのを見て、私を励ましてくれた。

母は私のことをいつも考えてくれ、そして愛してくれていた。

そう思うとなんだか罪悪感が湧いてきた、と思った時、私は異変に気づいた。小学校までの写真しかない、、、。

私はその時思い出した、中学から記憶を。

私は中学の時、テストで良い点を取るたびに母が喜んでくれるのを糧に、いつも懸命に学問に励んでいた。

常に校内で5番以内には入っていた。

そして迎えた高校受験、私は私立も含め受験した高校を全て落ちてしまった。

そして私は二次募集でなんとか高校に入学することができた。

しかし、私が受験に落ちてから母の態度は一変した。

母は私に何もしてくれなくなった。

何か手伝って欲しいと言うと、「せっかく何かをしてあげても、あなたからは何も返ってこないんだから、やるわけないでしょ。私に何もメリットはないじゃないの。」と言う。

返す言葉もなかった。

そんな生活が続き、高校2年の時、私は事故に遭い記憶障害を起こした。

その時、母の記憶がなくなったのであろう。

これが真実だった。

全く酷い母親だ、なぜか私は笑っていた。

 それから数日後、葬式の時私は母になんと言えばいいのか分からなかった。

写真を見ただけで少し嫌気がさしてきた。

しかし、私は聞いてしまった。

母が死ぬ間際に私に言った言葉を。

「私が母親でごめん、ね」

きっと最後くらい格好をつけたかったのだろう。

たぶんそうだ、きっとそうだ、みんなにいい母親っぽく見せたかっただけだろう。

そんなことを考えながら私は言った。

「大人になった私をもう一度愛してください。」

その時初めて気づいた、私の視界が滲んでいることに。







いかがったでしょうか。子供を育てる、そのことに利は必要なのでしょうか。親だけは選ぶことはできない。何も知らずに幸せな家庭に生まれた子供たちは本当に幸せですね、

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