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サウナ殺人事件  作者: にゅーむ
1/1


 自殺を前にこんなところに好んで来る女が果たして居るだろうか。


 拘置所の面会室へ向かう廊下の中には、私と案内役の足音のみが響いていた。外は小春日であるというのに真っ白な廊下は凍ったように冷たく、足回りに異様な冷気を感じながら淡々と歩くしかなかった。


「こちらです。」


 案内役が指した部屋に入ると、特徴的な横長のガラスが視界に入ってきた。中心のまばらに穴の開いた円、そして手前と奥にカウンターとパイプ椅子が構えており、記録係の机が奥の右端に見える。


 私は何かを警戒するかのように冷たいパイプ椅子にゆっくりと腰を預けた。


 待機中、この面会ではお互いの共通の雇用先の契約のいざこざを話すという内容の台本をぼんやりと思い出していた。そして、赤の他人の殺人犯に会うために、わざわざ世話のかかる工作をしたことにもまた思いを巡らせていた。関係の深いものではないと面会の許可を貰えないために、まったくの他人である彼に出した手紙の文面にはほとほと苦労させられた。


 この面会も強制退室が先か、話を聞き終えるのが先か、私は多少の心配をしながら指先を弄んでいた。


 ほどなくして、正面の扉から彼が現れた。


 私はこんな時でも、殺人犯にも意外に清潔感あるんだな、というのが第一印象だった。


 彼は全体的にやせ形で、20代後半、または30くらいに見えた。頭は角刈り、眉は細くてきりりとしている。が、やはりというべきか、よく見ると目の下は浅黒く、頬は表情筋のない野暮ったい様相であった。


 彼がストンと椅子に腰を下ろすと同時に、私は大きな昂揚と些細な罪悪感を覚えた。


 私の日常にとってこれは異常な事態だ。この対面自体、犯罪めいた工作を材料に仕立てられた、一種の舞台である。そして、その舞台にいる役者は、報酬や名声を全く必要としない自殺志願者なのである。おそらく世の生活とはかけ離れた現実の始まりに、私は一瞬の悦を覚えるのであった。


「やあ、久しぶりだね。人事の池浦さん。」


 彼はぎらついた目をしながら、興味深そうな面持ちでこちらに話しかけてきた。


 池浦と言うのは拘置所に提出した書類上での私の名前である。私はニュースで彼の名前を知っているが、彼は私の本名は知らない。本来は綿密に口裏を合わせただけの初対面の男女である。


 私は一瞬だけ視線を記録係と刑務官の方へ向けた。ひとまずはバレていないということだけが彼らの所作から読み取れた。私たちは怪しまれないように、あたかも同じ会社に勤めているかのように雇用について最低限の話をした。


 芝居も終わり、ここからが私の目的、犯行に至るまでの話を聞くことだ。


 彼は妙に焦点の合わない目をこちらに向け、にやにやしながら語り始めた。


「池浦さん、あなたも私と同じく、相当な好事家なようですな。私が会社に暇を出される前に話を聞いておきたいなんてね。


――いやいや、嫌味などではありませんよ。単純に嬉しいのです。拷問を共に耐え抜いていた仲間を、地獄の釜の底で見つけたような、そんな気分なのですよ。」


 彼はこう言う。私はこれに安心感を覚えた。彼ならこうやって言ってくれると思っていたからこそここまで来たのだ。


 彼は、さて、と一拍置きながら椅子に軽く腰掛けなおし、悠々と続けた。


「好きなだけ喋っても良いとのことなので、遠慮なく。


 私は普通の、準貧困程度の家庭で生まれましてね。友達は少ない方でしたがね、高校までは何不自由なく、それなりに楽しく生活していたのですよ。行事や学業に困りすぎることもなければ、良いことがありすぎるわけでもない。本当に普通のことだったのですが、“楽しかった”という所感だけを持っていましたね。


 大学は理系の方へ進み、一旦地元を離れる形となりました。木の黒くなった古い下宿を借りて、安物の乾麺を馬鹿のように買ってアルバイトに明け暮れる、そうやって毎日の生活を繋いでいました。


――いえいえ。哀れに思われるかもしれませんが、一介の学生の生活基礎などそんなものですよ。これでも進学に関しては両親に感謝しているのですから。


――そうですね。陰りが見え始めたのは大学二年の頃でしょうか。その頃にもなると、高校の頃の交友関係も希薄なものとなりました。皆それぞれの場所で新しい仲間を得るのです。ですが、私はどうでしょう。それまで勝手にできていた友人というものが、てっきり出来なくなったのです。


 私はその時初めて気づきました。学業や仕事に生真面目だった私は、その歳まで人間関係という人間の必須科目的な事柄に関しては学ぶことを怠っていたのです。頭ばかり大きく、相応の応対も冗談をこなすこともできない、そんな愚かな人間と一緒にいても、楽しい学生生活が送れるわけがありますまい。」


 始めは優雅に話していた彼の語気に、熱が籠り始めた。その言い方の静かな荒さに、自身や周囲に対する赤黒い感情が見え隠れしている気がした。


 言い終わってから彼は自身が感情的になっていることに気が付き、ひとつ長い息を吐いてから、すまない、と改めた。


「人と話すなど数年振りでね、どうしてもこうなるのはどうか容赦していただきたい。


 とにかく、私はいつの間にか、人間関係の経験値という面において、追いつけないほどの差を周囲に感じ始めたのです。


 あなたもそうだと思うのですが、私という生き物は何事も考え過ぎてしまう質でしてね。周囲と比べることが良くないと思いながらも、次第に何かにつけて自身と周囲を比較するようになりました。


 さらに悪いことに、その頃にようやくインターネットを覚えまして。――ええ、珍しいでしょう。私はそれまで、まともにそれを見ることが無かったのです。そして最も良くないタイミングにて、私は比べる対象を世界へと広げる次第となるのでした。」


たぶん次はサウナ出ます

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