8.さらば聖徳太子~AGNUS DEI
一九八一年二月にローマ教皇ヨハネ・パウロ二世が来日した時は、大騒ぎだった。ルーカス神父を始めとした教会関係者が大忙しだったのはもちろんだが、栄子もあちこち走り回っていた。この時には、日本中ににわか信者、ミーハー信者が大量に発生したのだった。もちろん宇八は、こんな一時的なブームにはそっぽを向いていた。ヴァチカンの実態も、政治的な思惑も知らないおめでたい奴らが踊らされてやがると思っていたのだった。
「あんたの曲も出来上がっていれば教皇様に献呈できたかもしれないのに。広島のアピールのときに上演ってことも……」と栄子が言うのに、
「あんな口当たりのいいアピールで、原爆で死んだ人たちが浮かばれるとでも思っているのか? 今さらなんだってもんだ」と毒付いていた。
この時期、こうした一過性の騒ぎに彼は、不愉快な思いを抱いていただけでなく、肝心の『アニュス・デイ』の作曲への意欲を失いかけていた。というのもキリスト教自体に彼としては深刻な疑問を抱いていたからだった。その理由は、昔から理解しにくかった三位一体、父と子と聖霊の意味がこの騒ぎで、なんとなくわかってしまったからだった。いつもながら論理的な話ではない。いずれにしても三位一体が理解できたなら信仰への道を歩んでもよさそうなものだが、そこがこの男の困ったところ、いっぷう変わったところではある。
彼がいささか強引に考えたところによれば、“父”とはユダヤ教の神、旧約聖書に表わされたヤハウェのことであり、“子”とはもちろん新約聖書に表わされたイエス・キリスト、“聖霊”とはそれらの間に見え隠れする土着宗教の神々なのである。聖霊は一神教的な神ではなく、ドルイド教やゲルマン神話など、まあ、なんでもいいのだがそういった神々なのである。
つまり、三位一体なんてのは、全然別個に誕生した“神”を無理矢理くっつけたものだから、わかりにくいのは当然であり、だからこそそれらの関係が神学上の大きなテーマになるのである。まあ極論すれば日本の神仏混淆と変わるところはない。カトリックの十一月一日の『万聖節』や翌日のレクイエムが演奏される『万霊節』といった行事は土俗性に満ちていて、正月やお盆、お彼岸と同様のものである。言うまでもなく、日本のそうした季節の行事、お寺のかき入れ時は元々のお釈迦様の教えとは無関係である。
そんなふうにわかってしまえば、誰でも思いつきそうな簡単なことで、どうせ誰かがどこかで言っていると思うと、よけいにがっかりしてしまった。キリスト個人が言ったことはすばらしいが、それ以外のものはなじみにくいことばかりで、何も信仰など持つに及ばない。まあ、はなからそう思ってはいたのだが、今改めて醒めてしまったのだった。
世の中というものは皮肉にできているもので、彼がレクイエムを完成させる気がなくなりつつある、ちょうどその時、ルーカス神父によれば逆に東京において彼の作品を演奏しようという動きが進行しつつあった。神父の熱意が教団を動かし、これとマスコミに、したがってプロモーターにも顔が利く、植村美沙子の動きが連動する形になった。
ロックバンドを教会に入れることに抵抗がありそうなので、オルガンのある一般のホールを使う。その方が一般のクラシックファンも集めやすいだろう。宗教曲、日本人の作品というのは、客を集めにくい、プロモーター泣かせの代物だが、テレビ局の主催でなくても、後援として、スポットCMで宣伝するわ、安田らも動いて役所の後援名義も取ってバックアップするわ、その力で動員もしてしまおうという企みである。
コンサートに来る客は、みんな元を取りたいのである。精神的な満腹感を得たいのである。それには、みんなよく知っているありきたりの曲がいい。そう、音楽室に肖像画が飾ってあるような作曲家の作品が無難である。欧米人の指揮者、欧米のオーケストラで、日本人が大好きな本場物を聴かせてやるのがいちばん間違いがないのである。
そんなわけで、せめて指揮者は外国人でどうかということで話が進んでいた。『ジャパン・レクイエム』なのに。……そうだ、歌詞がまだできていない。しかし、誰もそんなことは気付かない、宇八がスコアにラテン語を書き入れていたから。それにその方がありがたみがあるかもしれない。それでは看板に偽りありだが、まあ日本人が作曲したのだからかまわないだろう。……
話が動き始めるとトントンと進む。こうした一連の話をルーカス神父から(もちろん神父はこんなひどい説明はしない。彼が筋の通りにくい話をたどたどしく説明するのを宇八がそう理解したということだ)聞いても、宇八は別に反発もしないし、異議を唱えることもしない。作曲してしまったものは、ある意味自分のものではない。みなさんでご自由におやりくださいと素直に思っている。
ただその関係で引っ張り回されたり、書きたくもない『アニュス・デイ』を書けと言われるのはいやだった。後者は免れた、それがなくても誰も困らないから。前者は的中した、興行上必要だったから。前回の上京の折の彼の印象を植村たちが二年半前のことをちゃんと覚えてくれていれば、そうしたことにはならなかったのだが。
まあ、話を始める前から繰り言めいたことを言うのはやめよう。ルーカス神父の勧めもあり、栄子も「名誉なことじゃないの」と何回も言うので、植村たちに会うのは気が進まないものの渋々東京に行くことになった。ただあいにく神父は教会の方が手が離せず、栄子も高血圧だかで体調が優れないといったことで、同行できない。それでひょんなことから月子が同行することになった。
折角の機会なのにぐずぐず言っていると栄子が月子に電話でぼやいてるうちに、東京に知り合いがいて、前から一度来てみたらと言われてたので、一緒に行ってもいいということになった。夫一人よりしっかりした姪に付き添ってもらった方が栄子も安心だ。
七月初旬のある日の午前、宇八と月子は仲良く新幹線の座席に座っていた。
「伯父さん、夜あたしに変なことしないでよ」
「おまえ、期待してるのか?」
「お生憎様。夜は別行動だから」
「ふん。そんなところだと思ったよ。……こっちはダシにされてるようなもんだ」
「へへ。……彼ってさ、バンドやってて、すっごくギターうまいんだよ」
『知り合い』が新幹線に乗ったとたんに『彼』になっている。民家が疎らになるにつれ、ひかりのスピードが上がっていく。
「そんなの、東京じゃ掃いて捨てるほどいるだろ」
「うん。でもさ、ライヴとかじゃすごい人気なんだって。特に最近……」
「で、おまえも一緒に東京に行きたいのか?」
さっさと先回りして言う。
「うーん。ちょっと迷ってる。その彼とさ、昔同じバンドで、あたしヴォーカルだったんだよ」
「ふーん。才能あるかどうかみてやるよ。歌ってみな」
「いいよ。伯父さんの専門って、暗い暗いクラシックでしょ?」
「そんなもの一緒だよ。声が前に出てるかとか、音程がしっかりしてるかとか」
その点で月子が歌がうまいことは、新年会で聴いた時に気付いていた。それ以上にこいつは歌うのが好きなんだという印象も残っている。するめ、柿ピーナッツをつまみにして、缶ビールを二人で飲む。
「そういうの自信ないな。……だから踏み切れないんだ。それに」
「うん、それで?」
「いや、やめとく……」
話す気になれば向こうから勝手にしゃべるだろうと思い、それ以上追いかけずに窓の外を眺める。姪といっしょでも彼は窓際に座る。ビールを飲み干すと、彼は深く眠った。目を開けると浜名湖が白く光っている。しばらくすると月子が宇八の方を見ずに話し始めた。
「五、六年前さ、あたし族、暴走族にいたのよ」
「ふーん。人気あったんじゃないの?」
何の驚きも示さずに言う。
「ありがと。……うん。あたしと付き合う前はケンカとかレースばかりやってた。付き合い始めてから少なくはなったけど、義理だ面子だと言ってやめられなかったみたい」
「かわいいもんじゃないか」
苦笑しながら、アイスクリームの車内販売を呼び止めて二つ買い、一緒に食べる。
「でさ。そん時の彼が族のアタマで、カッコイイのよ。バイクも早いし、ケンカも強いし、でも人望あんのよ」
「そういう奴はいるな。五十人、百人、人が集まれば一人や二人はいるもんだ」
スプーンをくわえながら応える。月子は少し早口になってきている。
「まあ、そう言わないでよ。あたしゾッコンだったのよ。だのにさ……いつもみたいにあたしを後ろに乗せて、突っ走ってて……彼が小さく、あって言ったかと思ったら、次の瞬間、ポーンってバイクが空を飛んだのよ。あたしらに迷惑してた人がピアノ線を張ったらしいんだけど。あたしも逆さまに飛びながら、あ、死ぬなって思ったの」
少し言葉を切って、伯父の顔を窺うようにする。普段通りのぼおっとしているとしか表現できないような伯父の表情である。
「それで……死ぬのが怖いっていうより、先に彼がバイクと一緒に頭の方からゆっくり落ちて行くのが見えて。その気持ち悪いくらい長い一秒にもならない時間の間、ああやめてって何回も思ってたんだ。後は暗くなって。……その後、身体中痛くて、しゃべろうとしてもしゃべれなくて目が覚めると、病院のベッドの上だったんだ。パパやママやお兄ちゃんが泣き笑いみたいな顔で覗き込んでた……彼は即死。あたしは全身打撲と前歯が一本折れただけ」
最後は付け足しのように急いで言う。ぼんやりした目で月子を見ると、ふだんと同じニコニコした愛想のよい表情の上に涙が流れている。
「おまえ、アイスクリームがしょっぱくなるぞ」
「やな人だね、伯父さん」
「それで、それはいつなんだ?」
「……五年前の七月」
今日は何日だったっけと宇八は考えた。自分にとってはそれだけの日でもこいつにはいろんな意味づけのある日なんだろうなと思った。
月子は少しの間しゃくり上げていたが、言ってしまうとすっきりしたらしく、鼻をかんでアイスクリームを食べ続けた。
「それでさ、あたしそんなバカやってたけど、今さ、ちゃんとしてるでしょ?」
「うん」
「でも輪子ちゃん、その時のあたしと同じくらいの年なんだよ。なんか心配なんだな。あの子、わりとあたしと似た性格なのに、それを表に出さないのよ。バカやってないからって、安心してていいのかなって」
彼にとって不意を衝かれた思いだった。と同時に月子がどこまで考えて、この話をわざわざしたかに思いが及び、あわてて窓の方に顔をそむけて黙り込んだ。
東京駅に到着してから、オレンジ色の中央線の快速に乗る月子と別れる時、宇八は言った。
「おい、ロックはうまい、下手じゃないぞ」
「何?」
「どれだけ好きかどうか、それだけだ」
そう言うと、さっさと山手線への階段を上って行った。これは格好をつけたのではなく、いくらなんでもこうした物言いが恥ずかしかったからだが、どうもこの姪の前では、我々の主人公は子どものようになってしまうようである。
宇八は渋谷に向かった。演奏が行われるホールの中の会議室で、打ち合わせが行われるからである。電話で道順を聞いていたにもかかわらず、駅で降りてから道に迷ってしまった。元々方向音痴っぽいところがあるにもかかわらず、こっちからも行けるはずだと、人通りの少ない方をわざと選んだりしているうちにわからなくなり、さらに道を変えるとまた傷口が広がっていく。
この時期にはめずらしいカンカン照りである。……早めに到着するはずが、大汗をかいて着いた時には、二十分以上遅刻してしまった。へどもどしながら、ロクにあいさつもせずに席に着いた。どうも雰囲気がなじめない。プロモーター、スポンサー、支援者……作曲者なんて上演に向けた数々の作業の中では、主体的に動くような役割はない余計者である。植村美沙子の顔も見える。安田や椎名の顔は見えない。それはそうだろう、平日の昼間に霞ヶ関の役人がいたら問題だ。
聴衆の見込み、経費の見積もり、数字が並べ立てられる。植村は色々なアイディアを出している。教団関係、学校関係、多様なルートを活用しよう、パンフレットは内容をわかりやすく、意義をていねいに説明すべきだ。家族向けの割引券はどうだ等々。みんなメモを取っている。宇八は筆記用具すら持っていない。的確な質問があちこちから飛ぶ。ゼミの部屋を間違えた出来の悪い学生になった気分だ。……
この作曲家は、遅刻した挙句、居眠りを始めてしまった。いびきまでかいて。やっぱり呼ばない方が良かったのだ。また目配せが始まる。大物なのか? 大物気取りか? ただの新人、アマチュア作曲家じゃないか。なんとか先生も意欲的だが素人臭いって言ってたじゃないか。うん、かんとか先生は、君たち勇気があるねえって言ってた。それを担がされるおれたちもいい面の皮だ。
だって教団が肩入れしてるんだろう? いや、突き詰めて言えば反対はしないってところだ。やれやれ、人が真剣にやってるのになあ。しっ、植村さんが気の毒だ。……
そんなひそひそ話混じりの会議が終わり、植村のテレビ用の声と笑顔で宇八は起こされた。
「お疲れのところ申し訳ありません。先生、ぐっすりお休みで」
忍び笑いで状況を飲み込んだが、ぼやけたままの顔で、
「ああ、よく寝た。すみません、会議中に」と目をこすりながら応えた。
「いえ、もう終わりましたので。……よろしければ、もう少しお付き合いいただきたいのですが」
そう言って、新宿に連れて行った。支援してくれる財団にあいさつに行くということだった。役所のOBらしい役員が何人も出て来て、そのたびに勧められたソファから立ち上がって、名刺の交換をする。なんだか、屈伸運動をするために東京に来たような気がする。
相手は、聞いたことのない、あやしげな中小企業のおやじがなぜ作曲なんかするのか不思議そうである。しかし、植村が誰がどうしてる、彼がこうしてるといった会話を楽しそうにしているので、しゃべる必要のない宇八は楽である。植村の名刺を見ると『古賀美沙子』となっている。あれっと思っていると、外に出た後に古賀が本名で、植村は旧姓、テレビではそれで通しているのだと教えてくれた。ふーん、ややこしいものだなと思った。
夕方には安田や椎名も交えて、旧知の仲(と言っても一回顔を合わせただけだが)で、食事をしましょうと植村が言って、時計を見たときだった。新宿駅東口近くの交差点で、それは聞こえてきた。
なんだこれは? あ、『十字架上のイエス・キリストの言葉』じゃないか。なぜこんなところで、シュッツの音楽が聞こえるんだ?
そんなはずはない。カメラ屋の騒がしいテーマ・ソングも、車の騒音も、内容のない話し声も、そういうのが全部一緒になった、新宿の新宿たる音が遠ざかり、少しかすれた弦の響きがはっきりと聞こえる。
空耳か? 幻聴か?……そんなことはどうでもいい。音楽はどんどん進んで行く。植村が何か言っているが、切れぎれで意味がわからない。空が見える。なんて広い空だ。本当に新宿なのか、ここは? とても澄んだ空気だ。音楽は止まらない。イエスがヘブライ語で言葉を吐く。どういう意味だ?……意味なんかどうでもいい。すばらしい音楽だ。本当にすばらしい。そうさ、音楽が好きだから、おれは。……あ、あれは。
その時、宇八は新宿の雑踏の中に紘一、消息不明になっていた双子の片割れの横顔をはっきりと見たのだった。
「おい、紘一」と呼んで、吸い寄せられるようにあとを追いかけて行ってしまった。……
暗くなってから(どこをどう歩いたかは自分でも憶えていないのだが)、新宿西口の高層ビルの前の広場で、ぽつんと座っている自分を発見したというのがその時の彼の心理状態に最も近い言い方だろう。
もちろん植村も誰も周りにはいない。これはまずいことだとは思い、植村の名刺の電話番号に電話したが、誰も出なかった。
「仕方ないな」と呟いてホテルに引き上げた。と言うとすんなり行けたようになるが、今日体験したこと、何より自分の頭がおかしくなったのではないか、またあのようになるのではないかという疑念、恐怖感が這い上がってくるのを抑えきれなかった。
そのため、何回も電車を乗り間違えたり、乗り過ごしたり、プラットホームに立つのが恐ろしく、階段でしゃがみ込んだりして、夜も十時を回って、後楽園のビジネス・ホテルにどうにかたどり着いたのだった。……
ベッドに入ってからも、朝、目が覚めてベッドの中にいる時も、どうあのことを理解しようかとずっと考えていた。こんなことは長い間、そう、四十歳の誕生日以来なかったことだった。なぜ、ああなったかを考えても仕方ないだろう。一種の異常体験だからかえって良くない。……
いや? 宇八は思わず起き上がった。そうだ、理由を考えてみよう。あれは『アニュス・デイ』を、レクイエムを完成しろという啓示と考えればいいじゃないか。それがいい、それが早い。そう思ったとたん、宇八は朝のベッドの中で、再び眠り込んでいった。
その次には電話のベルで目が覚めた。ホテルの電話のベルというものは、音が小さすぎるか、大きすぎるかのどちらかだ。この時には、後者の方で、びくっと飛び起き、電話の向こうで植村がカンカンに怒っているような先入感を持って、
「あ、すみません」と出るなり謝ってしまった。
「伯父さん、どうしたの? おはよ、もう十時だよ」
「ああ、おはよ。二度寝しちゃったよ」
「昨日の晩、遅かったんじゃないの?……まあいいけど」
「そうさ。内政不干渉で行こうぜ」
月子との電話が終わって、植村に電話してみるが、やはり出ない。仕方ない。二人とも用事はもうないが、何も急いで帰ることもない。だが、どこかに行く当てもないといったところだった。それで東京タワーに行った。二人とも、
「これじゃ、田舎者丸出しだね」とか言っていたが、行くのは初めてだった。
スプレーのような雨が降っていた。傘を差すほどでもないのかもしれないが、差さないといつの間にか服がしっとりと湿ってしまうような降り方だった。平日の午前中なので展望台にも人影が少ない。すぐに別料金を払って上の展望台へ行った。
「お上りさんならお上りさんに徹しないのは、おれの主義に反する」とかなんとかぶつぶつ言っていた。
月子は別に照れることもないのにと思っていた。上の展望台から見るとかえって雲だか雨だかにけぶって、街がよく見えない。筑波山とか富士山とかが見える方角が示してあるが、新宿や渋谷だってわからない。二周半回って、どちらからともなく降りようということになった。下の展望台の方が人も多く、景色もずっとはっきり見える。
「あっちが新宿で、そうすると左の方かな? 高円寺は」
「昨日はそこへ行ったのか?」
「うん。小さなライヴハウスだけど、もう満員でさ。すごいよ、燃えたよ。久しぶりに頭吹っ飛んじゃった」
「おまえも歌ったのか?」
「まさか。でも客が帰ってからちょっとね」
「で、東京に住むのか?」
「彼と同じこと言わないでよ。もう昨日の晩、そればっかなんだから」
「そうか。じゃやめよう。……どう見える?この街」
手すりの向こうに子どもがするように少し身を乗り出して言う。
「どうって、ただごちゃごちゃビルがあって、車が走ってて。……でもその中にたくさん人がいるのかなって」
月子は身体を斜めにし、まぶしそうな目で言う。
「そのとおりだ。おれたちは今、鳥が見ているような風景を見ているんだ。……この街は機械と人間とカラスの街なんだ。これからもっと機械が増える。コンピュータみたいな人間に近い機械だ。だから人間はもっと機械に近づく。でもそれをカラスは、ふーん、でもぼくらもいるんだよねって思いながら、風を翼に受けて飛んでいるんだ」
「伯父さんって、やっぱり変な人だ」
いつもどおりニコニコしながら言う。
「まあ、いいさ。でもな、機械になりかけているなら、それでいいじゃないか。だから、本当に困って行き詰まった時は、機械みたいに『動作確認』しろよ。呼吸はしているか、よし。心臓は動いているか、よしってな。ちゃんと手を当てて確認するんだ。それからまた始めるんだ」
言い終わるとすぐにエレヴェータに向かって歩き始めていた。
東京タワーの下で、植村に電話したらやっと通じ、簡単に昨日の詫びを言った。彼女は彼の急用を思い出したのでという言い訳を事務的に、
「そうですか」と返事しただけだった。
雨の中をもう行きたいところもないので、東京駅の地下街でハンバーガーを食べてから、新幹線に乗った。
座席に座ると、宇八は輪子へのみやげに買った東京タワーのミニチュアの付いたボールペン(とても彼女が喜ぶとは思えないが)で、ハンバーガー店のチラシの裏に『アニュス・デイ』のスケッチを書き始めた。ミニチュアが付いているのでペンのバランスが悪いし、チラシは油染みが付いていて書きにくかったが、他に筆記用具がないから仕方がない。
線の曲がった五線譜に音符を書き込んでいくのを月子はあきれたように見ていたが、何も言わなかった。一段落して、宇八がタバコに火を点けたところで、話し掛けてきた。
「ねえ、お札が新しくなるって知ってる? 朝、テレビでやってたんだけどさ。一万円札が福沢諭吉になるんだって。えーと、夏目漱石も出るって」
「ふーん、知らなかったな。漱石が五千円なのか?」
「いや、別の誰か知らない人だったんじゃないかな」
「じゃあ、どっちにしても聖徳太子はいなくなるんだ」
「まあ、何年か先みたいだけど」
「ふうん。……前に千円札が変わった時、おまえまだ子どもだったかな。お札がそれだけいっぺんに変わるとおもしろいぞ。新しいのはおもちゃみたいで、全然おカネに見えないんだ。ただの紙だ。でもしばらくするとちゃんとおカネに見えてくる。その感じは、神がただの人になるのと同じだな。おカネも神様も後光があるんだ」
この物語の終わりの時期より後、一九八四年十一月に実際に新紙幣に切り替わった時、月子は伯父との会話をいろんな意味での予言だったように感じることになる。
東京から帰ると宇八は、『アニュス・デイ』の構想をまとめていった。弦楽五部と通奏低音のオルガンだけなので、そんなに複雑なことはできない。独唱と合唱に工夫をすることにした。かつて親戚の新年会でやった十字形の配置を思い出した。これは、シュッツも『音楽のお葬式』”Musikaliche Exequien”の演奏で推奨している配置でもあった。
教会の場合の奥、祭壇のある方にソプラノの独唱を置き、そこから反時計回りにアルト、テノール、バスと配置する。合唱は祭壇に向かって右が男声、左が女声である。この配置の下、三行とも共通の前段の歌詞、「世界の罪を消し去る神の小羊よ」をバス、テノール、ソプラノが順次歌っていく。つまり左側(心臓側と言った方がいいだろうか)のアルトは沈黙したままである。後段の「彼らに安息を与えてください」は男声合唱が歌い、三行目の「永遠に」の部分で、女声合唱も独唱も参加したフーガとなり、四方から響くという趣向である。
この最後の語句はいわば独立した七番目の部分として取り扱われているのであった。通奏低音部は、HABE ADの音型を終始刻む。もちろんこれは”Ich habe Agnus Dei.”(私は神の小羊を抱く=私にはキリストがいる)という意味である。
こうした基本構想を得て、作曲は順調に進められていった。ほとんど考える必要はなかった。書き直しもほとんどない。曲が手を触れられるような形でくっきりと見えていて、それを音符に書き留めていくだけのことだったから。……
あともう少しで書き上げられるかという日曜日、宇八がさっぱり行かなくなったミサから戻って来た栄子が少し緊張したような顔で、
「神父様があんたに会いたいって言っているの」と言った。
嫌な予感がする。来週にするかと思ったが、気になるのでその日のうちに教会へ行った。栄子もついて来る。まだミサの時の服装のままのルーカス神父が現われた。
神父は言いにくそうに話を始めた。この間の上京の時に不意にいなくなってしまったのはまずかった。植村も(夕食の約束をしていた)安田や椎名も、ああいう常識はずれの行動をする人物の支援をする気持ちが薄らいでしまった。
その次の打ち合わせで、その話をついうっかりと植村が周囲に漏らしてしまったところ、プロモーターも思いの外、深刻に受けとめてしまった。……
「まあ、身から出た錆ですな。それで神父さんのお考えは?」
「わたしとしても残念です。羽部さんは大丈夫ですか?」
「上演の中止ですか? それとも……まあ、どちらも大丈夫でしょう。レクイエムはもう少しで完成できそうですし、上演はやれればいいかな、やれなければそれだけのことってくらいの気持ちしかないですから」
「そうですか。そうなのかもしれませんね。……ただ上演するために羽部さんにいろいろと耐えていただかなければならないことがあったと思います。そうしたことにできれば我慢していただきたかったというのが。……あ、でもこれは私の立場とは違うのかもしれません。ごめんなさい」
「いや、お詫びしなければならないのは、おれの方でしょう」
二人の男の話はそれで十分だった。
しかし、いちばん失望したのは栄子だったのかもしれない。紙に書かれただけの楽譜なんて子どもの落書きと変わらない。それが音になって、初めてきちんとした『形』になる。夫の仕事がやっとみんなに、社会に認められるものになる。
実は栄子は、それを強く待ち望んでいたのだった。結婚して三十年近く、何か事業を始めてもどれ一つとしてうまくいかない。口ではもういい加減にして、仲林のような地味でもまっとうなことをやれと言い続けていても、あんなに楽しそうに熱中していることなんだから、一つくらい実を結ばせてやってもいいじゃないか。それが意味のあるもの、値打ちのあるものかどうかは、さっぱりわからなかったが。
そう、栄子は夫の求めているものがなんなのか、理解できたことは一度としてなかった。だが、そんなことは問題ではない、この人生においては。……
ルーカス神父との会話では、気にしていないようにしていた宇八だったが、それからひと月ほど経った八月の終わり頃、正式に上演中止の連絡を神父から電話で受けた後、宇八は家で酒を飲みながら荒れた。おれが何をしたって言うんだ。あんなところで、あの音楽が響いて、あいつが見えれば、誰だってああなる。
いや誰だってあることじゃない。あれは特別なことなんだ。あれに出会えば導かれて行くしかないじゃないか。あれがあったから、おれはレクイエムを完成できるんだ。そのことがその上演を妨げる。音楽の知識をゴミ箱のような耳に突っ込んだ奴らが、おれの音楽の邪魔をする。カモノハシ以下の眼しかないような連中が。……なんて皮肉だ、完璧な逆説だ。
こんなことを口走れば、夫が変なことを言っていると栄子が思うのも無理はない。いや、いつも変と言えば変だが、今日は様子が違う、興奮して手や脚をバタバタさせたりもしている。怖くなって、こういう時は、ああそうだ仲林さんにと電話を取ろうと立ち上がったとたん、くらくらっとしてお膳に手をついたが、支えきれずに倒れ込み、そのまま意識を失ってしまった。
その物音に宇八とヘッドホンで月子のバンドの録音を聴いていた輪子がびっくりして駆け寄った。救急車だ。叔母さんたちには? まだ早い。……まだってなんだ? 自分で言ってすごく嫌な気がする。バカな。早く来ないのか、救急車は。酔いも鬱憤もいっぺんに消えていく。
アパートの中にどやどやと救急隊員と担架が入って来る。見慣れた部屋が違って見える。狭い救急車の中で、栄子の手を握りながら不自然な姿勢をしていると吐き気がこみ上げてきて、我慢するのに一苦労した。
古くて地下室のような病院に着く。夜の病院の廊下は、どうしてどれもこれも同じような不吉な白さをしているんだろう。病院の場所を聞いた輪子があとからタクシーで着く。
「お母さんは?」
「まだ中だ」
短い会話しかしない。
当直の若い医師が処置室から出て来る。
「軽い心筋梗塞でしょう。ただ……」
医者ってのは、なぜ「ただ」って言うのが好きなんだ?
「ただ、この際、よく身体中を検査された方がいいんじゃないでしょうか」
嫌なことを言いやがると思ったが、輪子が聴いているのを意識しながら、尋ねた。
「それは、年も年だから念のためという意味ですか? それとも具体的な徴候なり、症状なりがあるんですか?」
「それはなんとも。……まだ血液検査とか、そういった検査結果が出ていませんから」
ああそうかい、あんたも数字を読むしか能のない機械なんだなと思った。ちらっと鋭い視線を投げて、床を見る。
処置室からストレッチャーで運ばれる時に、栄子が駆け寄った夫と娘に小さい声で、
「大丈夫」と言った。
病室のベッドに移された後、まもなく眠ったようだ。その様子を見て、廊下で輪子に小声で言う。
「今夜、どうこうってことはないってことだな」
「お父さん、帰ったら? あたし、ここにいるからさ」
おれだって心配しているからと言いたいところだが、確かに妻に付き添っていて役に立つのは輪子だろう。
「そうか。悪いな」と言って、独りでアパートに帰り、誰もいない部屋、これまで見たことのない部屋に入る。
様々な悔いが湧き上がってくる。『何、大したことないさ』と口をついて言葉が出てくる。おい、栄子。おまえは身体が丈夫なのが取り柄だったんじゃないのか。約束が違うだろ。おれは深刻にはならんぞ。ちゃんと検査しろよ。数字を出すんだ、ちゃんとした。……
栄子は結局、四日間入院して、退院した。次の朝から元気で早く出たがっていたが、検査結果が出るのに日数が掛かったのである。結果は初めに言われたのとほぼ同じだった。
その間、達子や光子や欽二が見舞いに来て、花や果物籠でベッドの周りを埋め尽くした。月子も来てくれて輪子を助けて、宇八の食事などにも気を配ってくれた。アパートで二人でテレビを見ている時に、九月中に東京に引っ越すことにしたとだけ言った。
九月のお彼岸にいつものように、教会におはぎを持って行った。ルーカス神父も見舞いに来てくれていたので、そのお礼の意味もあって家族三人で行ったのだった。
入院時に病院の食事に辟易していた栄子がこっそりと大福餅を輪子に持って来させたのが口に白い粉が付いていて看護婦に見つかってしまったといったエピソードなどを話しながら、みんなおはぎを二つ、三つ食べた。神父が淹れてくれたお茶もお代わりした頃、神父が訊いた。
「栄子さん、もうお身体は良いのですか?」
栄子は神父がもう三回も同じことを尋ねたのを不審に感じた。同じことを言ったり、訊き返したりするような疎漏な人物ではないはずなのに。
「神父様、もう大丈夫ですよ。ええ、もう本当に」
「すみません。わたし、今日ちょっとおかしいですね。……そう、申し上げないといけません。わたし、来月、オーストリアに戻ることになりました。これ、なんていいますか。そう、命令、辞令ですね」
おはぎを持ったまま栄子は神父の目をじっとみつめ、ほんの一瞬逸らして、また目を見て、それからおはぎを見つめながらぼろぼろと涙を流し始めた。しゃくり上げるように泣き出した妻の手から、おはぎを取ってやった宇八もその様子を見て、少し目頭が熱くなった。輪子も鼻をすすり上げるようにして、静かに泣いている。ルーカス神父は眼鏡を外してハンカチで目を拭っている。心の中ではもっと前から泣いていたのかもしれない。
とても悲しくて我慢できない。だから、そういうとき人は同じことを繰り返す。本当に帰るのか、帰らなくてはならない。既に思い出に変わろうとしている楽しかった記憶を言葉にする。
暑い日、寒い日、クリスマス、復活祭。こういう時、宇八は静かな聞き役である。悲しみの淵に溺れてしまった妻の体調が悪化しないか様子を注視している。神父もそれを心配している。お互いにそのことは気づいている。
さよなら、ルーカス神父。レクイエムは完成した、来週コピーを取って届けるよ。ありがとう、羽部さん。楽譜を読みながら、頭の中で演奏するのを楽しみにしています。あなたとあなたのご家族に祝福あれ。二人の男はそうしたことをとても少ない言葉と目線で語り合った。
AGNUS DEI
Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis pecata mundi: dona eis requiem sempiternam.
アニュス・デイ
世界の罪を消し去る神の小羊よ、彼らに安息を与えてください。
世界の罪を消し去る神の小羊よ、彼らに安息を与えてください。
世界の罪を消し去る神の小羊よ、彼らに永遠の安息を与えてください。