5.超法規的勝手にしやがれ~DIES IRAE
≪1977年≫
羽部宇八は怒っていた。なんに対して? 一九七七年九月三十日のダッカ事件に対する福田内閣の取った『超法規的措置』に対してである。
なぜ? そんなことをすれば砂の塊にすぎない国家はバラバラになり、社会などという観念的な幻想は雲散霧消してしまうからである。これは古代ギリシア以来決まっていることではないか。数々の亡国が証明していることではないか。
泉下のソクラテスが聞けば国家、国民に対する最大の犯罪だと断じるであろう。法の守護者たるべき為政者が法を破壊し、犯罪者を野に放つ、秩序を灰燼に帰し、無政府状態を齎すとは。
無政府状態! いかにそれを賛美し、あこがれる者がいようと、ホッブズが示したようにそれは人が人を怖れ、憎しみ合う、恐怖が裁き主となる社会、混沌たる沼なのである。よりにもよって、国家の破壊を希求する連中に対して、うやうやしく秩序の根本を差し出すとは。
日本政府は、世界中に政治、国家についての無知無能ぶりをさらした。このことの影響は深く、広く、長い。……確実にこの国の根は蝕まれていくだろう。人びとは法律を軽視し、社会という言葉を使って妄言を弄するだろう。
道徳や倫理は個人のものに極小化されていき、やがて消えていくだろう。子どもたちはそうした“物分りのいい大人たち”を見習い、“束縛”を解き放って、やがて大人たちに襲いかかるだろう。薄ら笑いを浮かべる利己的で、偽善的なニヒリストだけの国になっていくだろう。
人は訝しく思うだろう。単なる一市民、それもあまり社会秩序の中にお行儀良くいたとも思えない我々の主人公がこうした怒りを発することを。何か他に理由があるのではないか、欲求不満ではないかと。あの人質を取られ、有効な手段もないままで、他にどういう手立てがあったのかと人はまた問うだろう。人質が殺されるのを見過ごせと言うのか? 人命は地球より重いのではないのか?
勝手にしやがれと宇八は思う。勝手にしやがれ。始めから降りてるくせに。苦渋の選択なんて聞き飽きた決まり文句を言いやがって。生まれついての腰抜けのくせに。地球の重さが何トンなのか知りもしないで、センチメンタルなことを言う、薄っぺら野郎のくせに。どいつもこいつも聞いたふうなことばかり言いやがって。
政治家が国民の生命、安全に関わる発言をする以上、きちんと勉強しろ。あの戦争以来、国家の問題を考えるのを逃げてきたんじゃないのか。国家よりも商売、倫理よりもビジネス、そんなふうにあの片割れがこの国を酷評していたのを思い出して嫌な気になる。……彼は自分自身が根本的な問題をなおざりにしてきたことを思い知らされ、しばらく機嫌が悪かった。
七十三年十月の第一次オイルショックとこのダッカ事件を頂点として、この頃に宇八が怒りや嘲笑を浴びせ掛けたくなるような事件が頻発していた。偉そうに日本列島を改造すると言っていた田中角栄の逮捕、すぐに邪魔物になった紅茶キノコ、自分の実家にでも贈ればいい小包爆弾、そういった報道に接するたびに、この年に流行したジュリーこと沢田研二の歌を歌いたくなるのだった。なぜここまで救いようのない奴ばかりになってしまったのか。勝手にしやがれと。
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そんな折、まことに久しぶりに栄子の実家である上川家に親戚縁者が勢ぞろいした。栄子の両親の保や春音が生きていた頃は、長男の正一夫妻が同居しており、盆や正月には羽部栄子、片山達子、鳥海光子、末っ子の上川昭三が夫や妻、子どもを引き連れて実家にやってきていたのだった。これだけでも本家が正一の三人の子を合わせて七人、羽部家が三人、片山家が子ども三人で五人、鳥海家が四人、分家の昭三のところが子ども三人で五人、更に使用人、元使用人などが加わり、総勢三十人ほどのまことににぎやかな集まりであった。
上川保は、雪深い田舎の農家の三男坊で、食えないあまりこの都市に若い頃出てきて、丁稚奉公から始め、刻苦勉励、戦災により一代で料亭を築き上げた。それを空襲ですべて失っても、これからは田舎からもっと都市に人が集まると見抜き、アパートをいくつも持ち、昭三にも分与してやるほどの財を成した人物である。
本名の吾作では田舎者扱いされるので通名を保に変えた弟を田舎に留まった長兄が訪ねて来て、
「吾作! おめえのとこの味噌甕のカスまでおらのもんだぞ」と酔ってくだを巻くのを、
「兄さん、兄さん」と立てるのであった。故郷から追いやったくせに何を言う、弟が出世したのが妬ましいのかと光子たち三姉妹が腹を立てても、にこにこするばかりで内心を明かしたりはしなかった。宇八が保の墓参りだけは素直に行くのも、義理でも何でもなく、墓に向かって敬慕の念を表すのに気兼ねがないからである。
色事にも長けていた保を支え、御していたのが春音であり、晩年でさえ保の浮気の情報を入手するや、同居していた正一の子の晃、裕美子、稔を、ふだんの物静かなおばあちゃんぶりはかなぐり捨て、教育的配慮など一切なく動員して、現場の小料理屋兼あいまい宿の玄関口と勝手口を押さえに行ったりした。そうしたことをよく覚えている宇八は、栄子の中の春音の血がいったん活動すればと侮ってはいない。
この春音が死んだ時の保の悲しみは大きく、持病があるのに酒量が増え、その後急速に衰え、一年半ほどで後を追うことになった。今日は、その保が死んでちょうど十年目の命日である十一月三日に、春音の十二回忌の供養も兼ねて集まったわけである。
しかし、その十年前の保の葬儀の参列者の多かったこと、口々にこんな盛大な葬儀は見たことがないとの声が聞こえた。それは数だけの問題ではない。お義理で来るような人は全くいなかった。親戚でもなく、仕事上の関係もほとんどなくなっていても、故人を忘れられない人びとがその記憶に吸い寄せられるようにして、続々とやって来たのだった。
温泉旅館のように建て増しを重ねたアパートの一角にあまり大きいとは言えない保らの住まいがあり、祭壇が設けられた玄関に近い広間から人があふれた。参列者たちは自分のときに来てくれる人は一体何人いるだろうかという想いを抱かざるを得なかった。
まだ小学生だった鳥海童は、あまりの熱気に辟易して庭の裏口から外へ出た。嘘のように静かだった。きれいに澄みわたった青空の高いところにすじ雲が見える。隣の鋳物工場も今日は休みで、陽が屋根や壁に当たって、ぼんやりした影を作っている。
おばあちゃんが死んで、おとといおじいちゃんが死んで、ママやお姉ちゃんはひどく泣いているし、パパだって時々顔をしかめている。でもぼくはなんだかあまり悲しくない。人が死ぬって、こういうふうになることなのかって、おじいちゃんの土みたいな顔を見ると思う。
おじいちゃんがお小遣いをくれたり、お酒をちょっと飲ませてくれたり、瓶詰めのウニをお箸ですくって舐めさせてくれたり、そういうことがもうないのは、わかる。おじいちゃんが、
「おい、おまえは賢いのか、バカなのか、どっちかわからん奴だな」っておもしろそうに言うことは、もうない。ぼくはそう言われると恥ずかしくて、とてもいやだったけど、あの酔っ払った赤い顔を見ることは絶対にない。いつかぼくが同じようになるまでないんだ。ぼくにはそのことしかわからない。……
一族の主柱がいなくなった後は、いくら本家だと正一が力んでみても仕方がない。保の死の少し後に郊外に大きな家ができた。正一は、両親に楽隠居してもらうために建てたのにと嘆いていたが、彼はそういう時宜に適わないことばかりしてしまう人物なのである。その家に一族郎党を集めて、これまでのようににぎやかにしたいのである。これに追従するのは分家の昭三と使用人たちだけである。
父の座っていたところに跡取りの自分が座り、みんなにちやほやされたいのである。保の遺産、遺品はすべて自分がまず取り、胸先三寸で恩着せがましく分配したい。こうした発想からして人情の機微もわからない人物だと判断できようというものである。後の話ではあるが、先に触れたように金張りの時計と鼈甲のメガネとオノトの万年筆で三姉妹に波風を立てたのも好例と言えよう。
アパートの敷地を始めとした地所については、正一一家の今後が掛かっていたのに対し、三姉妹はそれぞれ生計の途があるから、本気で主張することは考えていない(この当時は家族経営のアパートの法人化はあまり進んでいない)。
しかし、独り占めにはなんやかや嫌味を言いたい。それに対し、兄として正一は人の道とか世間の常識といった言葉を使って、利己的かつ感情的な主張をする。言葉がぶつかり合い、怒鳴り合いが始まる。もう相手の言葉は聞いていない。その時であった。
「栄子叔母ちゃん、達子叔母ちゃん、光子叔母ちゃん、堪忍、堪忍や! お父ちゃんを許したってください!」
晃が身体を投げ出すようにして謝り、泣き叫び続ける。これには三姉妹も矛を収めざるを得ない。『何を出しゃばってるの? この子』、『義姉さんと示し合わせてるんでしょ。全く』、『許して欲しけりゃ、少しは分けなさいよ』などと内心では思っていたが。
三姉妹は、その後も紆余曲折はあったが、共同戦線を張って対抗した。てやんでえである。何言ってやがるである。何も分けてやらないって言うならそれでよし、何もくれるな。こちらも付き合いはご免蒙る。絶交だ。この三姉妹はどうも何かというと絶交という言葉を口走るのだが、それは冷戦というよりも彼女たちの怒りがかっか、かっかと燃え立っているということだった。
結局、一年ほどうるさい妹たちから干し上げられると正一も弱気になり、三姉妹も軟化し、復交となったが、どうしても昔日のような統一感、熱気というものがない。少し他用があれば欠席する、一族の弥栄の象徴のような多くの孫たちも受験だの、就職だので忙しく数が集まらない。……
そういうわけで十年近く経った、結局は両親の権威を借りての今日の法事である。それならいっそのこと、あの思い出深いアパートの一角でやれば良さそうなものだが、あそこは賄いを作る住み込みの使用人に貸し与えているし、そんなみっともないことはしない。現在の広い住まいにごちそうを並べ、愛想笑いを浮かべて歓待した。
正一の妻の勝子、栄子、達子、光子、昭三の妻の順子らが代わる代わる料理や酒を出す。仏間を兼ねた広間では、正一、宇八、幸三、薫、昭三らに成人している晃も入って、酒を酌み交わしている。続きの洋間には本家の裕美子、稔、片山家の暁子、葉子、攻治、鳥海家の菫、童、分家の高保、月子、保伸らがいて、年長者は酒も飲むが、それよりは食べるのに夢中だった。
輪子は気分が優れないと言って自宅で留守番していた。鳥海童は現在浪人中で、欠席する理由は十分あったのだが、親や短大を出て就職していた姉の菫が行くのにつられて、なんとなく来てしまっていた。彼より年下の従兄弟は、輪子がいないので、一つ下の月子と三つ下の保伸しかいなかったが、彼らは進学はしないという話が聞こえてきた。
突拍子もない、妙なトランペットの音が、仏間からみんなの間に響き渡った。上川家の跡とり息子の晃が最近練習している腕前を披露しようと持ち出したのだが、最初のフレーズ以降がうまく吹けない。酒がだいぶ回ってきた証拠だ。
「そんなヘタくそじゃあ、じいさんが出てきて笑われるぞ」
正一がからかう。そこに少しの酒で酔った光子が正一や勝子に遺産をめぐるいざこざを蒸し返し、絡む。
「兄さんが座っているところは、お父さんの席よ」
それを栄子や薫がとりなす。
「まあまあ、今日はお父さんもお母さんも聞いてるんだから」
「だから、聞いてもらってるの。あたしは全然酔ってなんかない。めったに集まらないからこそ言ってるの」
気持ちとしては、栄子も達子も同じだし、昭三などは局外中立を保つのがやっとである。そういう妹からの難詰を笑って聞き流せる正一ではなく、それができるなら兄妹間がギクシャクするようなことはそもそも生じなかった。ムキになって反論し始めてしまう。
「本家の言うことを聞けないような奴は」と酒が回った赤い顔で言い出す始末。それを勝子や昭三が、今度はこっちか、やれやれという顔でなだめにかかる。
両親が存命だった頃は、宴たけなわになると手拍子に乗って少々品のない歌や踊りに興じ、正一は勝子が嫌がり、多感な年頃の裕美子が「お父ちゃん、お願いだからやめて!」と泣いて止めるのもかまわず、汁椀にブラジャーをかぶせて十八番の裸踊りをして盛り上げた。家長は手を叩いて大笑いし、小中学生を中心とした多くの孫たちは転げ回って笑う。……楽しく無邪気な時代は過ぎてしまった。
そんな時、チューニングの合っていないギターの音が洋間から響いた。稔と攻治にそそのかされて、童が中学生の時以来、久しぶりにギターを弾いたのだ。羽部家が居候していた頃、フォークソングの全盛期で、彼もTシャツにジーンズ、長髪、フォークギターという、自由な格好という名のお仕着せを身に付けていたのだ。
その後、音楽を始めとしたありとあらゆるものの上に消えるものは消え、残るものは残るという、変わらぬ時の業が行われたのであるが、ギターを今弾くなど童としても気恥ずかしいことおびただしい。にもかかわらず、そうした点に鈍感な二人の従兄に責め立てられ、仕方なく弾き始めたのであった。
光子の正兄が遺産を独り占めしたとの言葉に気色ばんだ正一が、
「ちゃんと親父が書いた物がある」と言って何か持ち出そうとした矢先だった。童のギターに救いを求めるように、叔父、伯母がこぞって、
「童ちゃん、にぎやかなのをやって」とそちらの方を向いてねだる。リズムの合わない強引な手拍子が始まる。
まあ、親戚の間のケンカというものは、何一つとして明らかになることはなく、何も裁かれずに終わるものである。
こうしたゴタゴタ、ドンチャン騒ぎの間、宇八はにこにこしながら、だが自分からはあまり喋らずに、淡々と酒を飲んでいる。これはあくまで上川一族の集まりであり、その血を受け継いだ者が宴会の中心であるべきとわきまえているからだろうか。それとも口を開くと先述した昨今の政治、世相への憤りが噴き出すからだろうか。いずれにしてもこの男がいつもこうであれば、我々も安心できるのであるが。
ところが、おとなしくしていたのもつかの間、童のヘタなギターに合わせて従兄姉同士が古びたフォークソングやらなんやらを歌っているのを聴いているうちに、彼の目は妙な光を宿し始めていた。それはちょっと書くのを憚れるほどすっとんきょうなアイディアであり、二年前にルーカス神父からシュッツの作品の一節を教えてもらって以来、彼の脳みその中で次第に発酵してきた着想がここのところの怒りを触媒にして、今日の義父の法事で一つの結論を得たといったところであった。
稔はタンバリンを持ち出してきた。どうもこの上川家には子どもが欲しがるものを安易に与えてしまう悪癖があって、子どもたちはいろんなものを持っていた。攻治は稔のリコーダーを借りて歌に合わせる。晃がトランペットで合いの手を入れようとするが、音を外してしまう。保伸はお箸で茶碗を叩いている。宇八は頷きながら耳を傾けている。……
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それからほど経ない日曜日、久々に宇八は家族共々ミサに参列した。終了後、宇八は自らルーカス神父に近づき、言葉を交わしていたが、いつになく低い声であったので、我々が聴き取ることができなかったのは遺憾である。ただ、神父が福音書(四つのうちのどれかはよくわからないのだが)の一節を早口で引用したところだけ、はっきりと聞こえた。
「主は、マグダラのマリアをお赦しになり、盗人の願いをもお聴き届けになられたのです。このように主は、我々にとって尽きせぬ希望を与えられるのです」
その間、宇八は興味深そうに聞いていたが、一個所ひっかかるような表情をして、神父の口元を見つめた。他方、この神父の言葉は、夫が失礼なことを言い出しやしないかと心配顔でそばにいた、栄子にも強い印象を与えた。
ある程度聖書の言葉を聞きなじみ、この一節についても自ら読んだことがあったために、過去の出来事を記憶の奥から呼び覚まされることになったのである。教会の小さな窓は建付けが悪く、澄みきった青空が吹き渡る風のために震えるように見えるのだった。……
≪1971年≫
話は六年前の一九七一年の夏、この物語で言えば羽部一家が夜逃げして鳥海家に身を寄せる一年前のことに遡る。その年の暮れ近く相次いで起こった二つの爆弾テロと同じようなショックに片山家と鳥海家は見舞われていた。当時十六歳の片山攻治が近所の家に盗みに入った容疑で、その数日後に同い年の鳥海菫が売春をした容疑で、相次いで警察の事情聴取を受けたのであった。
攻治は、警察にも家族にも恥ずかしがって、顔を真っ赤にして口を閉ざし、動機などは何も言わないのだが、近所の二十歳過ぎの女に関心をもったためらしく、寝室の前や浴室の辺りをうろうろしていたところを見つかってしまったというもので、カネを盗るためではなかったようだった。菫の方は、本人の弁によると、
「服を脱いだところで怖くなって泣き出した」ために騒ぎになってしまったので、相手の商店主は、
「指一本触れさせてもらってないのに」と警察でぼやいていたそうである。
したがって、これらの事件は、それ自体としては大したものではなかった。ただ、警察が交友関係などについて、かなり執拗に事情聴取を重ねたのは、二人ともシンナー遊びをしていたからだった。任意の家宅捜索(どちらの両親も少しでも警察の心証を良くしようと揉み手せんばかりに迎え入れた)で、攻治の乱雑を極めた部屋からは多くのビニール袋やシンナーの瓶が発見された。菫の部屋はベッドの下にたくさんの服や雑誌が押し込められていたが、やはりシンナーの臭いのするビニール袋が何枚か見つかった。
親たちは青ざめ、言葉を失い、あるいは誰彼かまわず名を挙げて、『悪い友だち』のせいにしたがった。友人も事情聴取を受けたが、当然のことながら逆に彼らが友人やその親たちから石を投げつけられる破目に陥った。
シンナー遊びの集中的な取り締まりは翌年の夏からだったので、幸か不幸か二人はこの関係でも立件に至らなかったが、職務に忠実なだけにうんざりしてもいる少年課の取調官から厳しい説示を両親共々受け、嘆願書だか、誓書を入れさせられ、ようやく帰宅を許された。家に帰ると両家とも、まるで示し合わせたかのように、
「罪を犯すなんてそんな息子(娘)に育てた覚えはない」と嘆き、警察に呼ばれたことの恥辱や不安をそのままに、
「世間体が悪い、おれたちや姉(弟)の迷惑を考えろ」と怒鳴りつけ、自分たちの言葉に興奮して手を上げた。
両家の親たちの言動はこのようにほとんど同じだったが、姉弟の反応は少し違った。攻治の姉の暁子は短大の一年生、葉子は高校三年生で短大の受験を控えていた。暁子は親の尻馬に乗って、
「あたしの就職だって、あんたが警察に捕まったってわかったら、おしまいなんだから」と怒り、葉子も、
「そんなに女の下着が好きなら、あたしのをあげようか?」と嘲った。
ところが童は、姉の事件を聞いて自分の行為でもあるような居心地悪さを感じ、姉とも目を合わせず、しばらく話もしなかった。菫に対して嫌悪感を抱いたということもあるが、それ以上になんだか自分がいちばん隠しておきたいことがあからさまになったように感じていたのである。
さて、こうした両家に出来した不祥事は親戚にも、と言うか三姉妹間でこそお互い秘密にしておくべき事案であった。しかしながら、それだけにどこかに一つだけ穴を開けておきたくなるのが人情で、長女の栄子に妹たちから長電話が相次いで入り、師走の忙しい頃なのに電話口の両方で、感情が高ぶってわあわあ大声で泣き出すという愁嘆場が繰り返された。
おまけに達子に厳重に口止めされていたにもかかわらず、栄子は『光子を励ますため』と自分への言い訳をしながら、攻治のことを鳥海家に脚色を交えて伝えてしまい、逆に菫のことも片山家に伝達され、この二つの事件は三姉妹の共有物となった。
栄子は菫が実の娘の輪子よりよほど自分と外見もちゃきちゃきした性格も似ているため、殊の外かわいがっていたので、
「ご飯より好きな鯛焼きをご近所からいただいても食べる気がしない」と言うほど胸を痛めていた(一つだけ食べたものの胸が焼けたのかもしれないが)し、主観的には攻治についても同様の気持ちを持っていたのだった。
一般的に言うと、この三姉妹は客観的には単なる覗き趣味のような好奇心を発揮している場合であっても、
「あんたのことを夜も眠れないほど心配しているのに、首を突っ込むなとは何よ」と他人を責め立てることが可能な、羨むべき鈍感さを持ち合わせていたのであった。……彼女たちに幸いあれ! 最期の日まで、彼女たちは自らを振り返って見てしまうことで、精神の安定を損なうようなことはないであろう。
それはともかく、当時、宇八は栄子が両家に訪れた最大の悲劇を身振り、手振りで語るのを鼻毛を引き抜きながら聞いていた。
「はしかにかかったのを何を騒いでいるんだ? あれくらいの時分は頭も腰ももやもやしてるもんだ。哺乳類なんだから発情期はあるさ。何もない方が心配だ。……それより黒豆が焦げてるんじゃないのか?」
≪1972年≫
そんな調子だから、その一年後に鳥海家に転がり込んだ時も、まだなんとなくみんなが菫を腫れ物でも触るように接しているのも気にせず、
「どうだ、伯父さんがパトロンになってやろうか?」などとあまり感心しないような際どい冗談を言っていた。菫は菫で、
「伯父さん、おカネないでしょ」とけろっとして、父親や弟の居心地を悪くさせるような受け答えをしていたのであるが。……そう、親たちがいつまでも世間に対してひけ目に感じているほど、子どもたちは次から次へと楽しいことや悩むことがあるから気にしてはいられないのである。
≪1977年≫
我々は再び一九七七年に目を向けよう。ルーカス神父との短い会話以来、宇八はミサにはもう行かずに何ごとかやっている。図書館から何冊も本を借りてきて読みふけったり、大きなレコード店でレコードを買い込んで聴いていたり、輪子の使っていた鍵盤ハーモニカやリコーダーを時折鳴らしながら、ノートに表や図をこちょこちょ書いていたりする。楽譜? いやそうではない、今のところは。少なくとも……
宇八が行っていることが一段落するまでの間(ほぼこの年の終わりまでという意味になるのだが)、見落としがちな彼の一人娘の輪子に注目してみよう。彼女ももう十三歳になっている。中学二年生である、危険な年齢、従兄弟たちのような『はしか』にかかりやすい年齢に差しかかっていると言ってよかろう。
表面的にはあまり変わらない。胸がふくらんでも、他のところがまあどうなっても、手足や腰には曲線が描かれていない。そう、おとなと子どもの混ぜこぜなのである。小柄で両親のどちらにも似ていない無口な性格は以前と変わらず、栄子の陰にいつもいるような感じで、学校でも活発で目立つ子の陰にいて、皮肉屋の男の子に『助手』とか呼ばれていた。父親もこの子は羊のようにおとなしいと見ていた。
しかし、輪子はじっと見ていたはずである。この物語のもちろんすべてではないにせよ、かなりの部分を。そして、これからしばらくもそうであるように我々には思える。輪子はいつ、どうやって自らの『危機の時期』を乗り越えたのか、あるいは乗り越えるのか。これは彼女が目立たないだけに、我々としてもそれとして指摘できるかどうか、自信が持てない。
乗り越えてしまってから、すなわち変化を遂げた後になって、ほら彼女はもうおとなですよと言えるだけのような気がする。それがイモ虫だったのが蝶になりましたよということになるのか、おとなしい羊だったのが猛々しい山羊になったということなのかは、わからない。そういう意味で、輪子はまだ変化していないということしか言えない。
彼女は考えていないわけではない。母親よりも、ことによると父親よりも物事をよく見て、深く考えているのかもしれない。しかしながら、それはまだまとまったものではない。自分でもはっきりとした方向をもって考えることができないことを自覚している。自分に自信が持てないせいかも知れない。
自分を主張することで、周りが様々な反応をし、結局は誤解されてしまうだけなのが予めわかってしまうからかも知れない。鈍重だと思われているのであればそれを強いて否定する必要を今は感じない。……このようなものではないだろうか、ある種類の人の思春期とは。
主人公の宇八に戻ろう。彼は今、自称『泉のごとく湧き上がる楽想』を書き留めるのに忙しいらしい。五線譜に取りかかり始めるや、ほとんど手を止めることなく、食事の間と三、四時間眠る以外、ずっと音符を書き続けている。五十をとうに過ぎた妻子持ちが一文にもならない作曲に没頭しているのだから、困ったものである。
世の中への怒りとともに書き始めたのであるが、いやはやあの時の怒りは彼の中で気に食わない連中を焼き尽くさんばかりの激しい炎のように燃えさかり、こんなはた迷惑な結果を招いていた。今は涙を流しながら音符をしたためたり、愉快そうに鼻歌混じりだったりといった具合で、そういう面でも子どもっぽいと言うか、変わらぬこととは言え、まともではない。……
こういう人物のそういう作品を我々としてどこまでまじめに取り上げるべきなのか、議論が分かれるところかもしれないが、全く無視するわけにもいかないだろう。必要な限度で、変に詳細になって退屈にならないよう留意しながら紹介することにしよう。彼の書いていたのは、『ジャパンレクイエム』という気恥ずかしくなるような大げさなタイトルの作品だった。
しかし、急いで申し上げておくと、これはブラームスの『ドイツレクイエム』と同じく、(通常のラテン語ではなく)日本語を歌詞としたレクイエムという意味に留まるのであり、日本という国とか、日本人とかへのレクイエムといったようなあやしげな意味は断じて持たないのである。この点は我々としても厳に言明しておきたい。
順序が逆になってしまった。レクイエムとは何かの説明が必要だろう。レクイエムは、カトリック教会で行われる様々なミサの中で、死者のために行われるミサ(特定個人の葬式や追悼式、亡くなった信者一般に対する追悼式などがある)のための曲を特にそう呼んでいるのである。なぜそのように呼ばれるかというと、そのラテン語の歌詞の冒頭が”Requiem aeternam”(永遠の安息を)で始まっているからである。
レクイエムが演奏されるミサは、他のミサと若干典礼の式次第が異なっているのだが、そもそもカトリックのミサがどんなものかについて、大方はご存知ないだろうし、ご関心もなかろう。そこでレクイエムの各曲のラテン語名と日本語名だけを掲げておく。
INTROITUS(入祭唱)、KYRIE(キリエ、これだけはギリシア語である)、GRADUALE(昇階唱)、 TRACTUS(詠唱)、DIES IRAE(怒りの日)、OFFERTORIUM(奉献唱)、SANCTUS、AGNUS DEI(神の小羊)、COMMUNIO
ここまでがミサ本体で、日本仏教の葬式か法事と思ってもらえばいいだろう。ミサを司る司祭がミサの式次第に沿って、まあ信者でない我々から見れば退屈なことーーお香を焚いたり、コップを上げたり下げたり、聖書を朗読したり、信者に煎餅のかけらみたいなのをもったいぶって咥えさせたりといったことであるーーが種々行われる。
その合間に上記の各曲が演奏されるのである。さらにそうした式典本体の後にも若干の楽曲がある。葬式の場合には、柩の前で行われる赦祷式の際には LIBERA ME(我を解き放ちたまえ)が歌われ、柩を墓地に運ぶ際にあたかも日本の挽歌のような感じで、IN PARADISIUM(楽園にて)が歌われる。
カトリックのミサは非常に長い歴史を有し、レクイエムも優に千年を超える伝統を持つだけに、その内容も多くの変遷を経ている。いわゆるグレゴリオ聖歌が根本にあるのだが、各時代の作曲家はその伝統を踏まえて(踏んづけているものも少なからずあるが)、自らの個性を発揮している。いずれにしてもほとんど同じ歌詞により、これだけ古くから多くの作曲家によって数々の傑作が生み出された音楽のジャンルは他にはない。ただ各曲全部を作曲した者はほとんどいないようである。
ほとんどの芸術ジャンルにおいてそうであるように、最初の頃は作曲した者の名前は残っておらず、グレゴリオ聖歌は教皇グレゴリウス一世が作曲したのでもなんでもなく、編者としての役割も限定的と言われている。教会と信者という共同体自体が作曲家であり、それが共同体の中で歌い継がれる幸福な時代だったのだろう。
同様に最初に個人としてレクイエムを作曲した者も、薄暮の中の人を見分けるようにあいまいであるが、十五世紀、ルネサンス期のフランドル地方出身の者によってといったところであるようだ。この時期のものは、自分で作曲しなかったところは実際のミサではグレゴリオ聖歌が使われることになっており、ミサのための音楽という実用性を忘れることはなかった。
十七世紀以降のバロック期に入ると、こうしたことから少しずつ離れ、自らの芸術的霊感の赴くままに作曲するようになっていた。簡単に言ってしまえば、『怒りの日』のような劇的な歌詞を持つ個所、おいしいところだけつまみ食いするという傾向が現われ、18世紀後半からの古典派、ロマン派の時代においては、教会以外の場所で演奏会用に大編成のオーケストラのために作曲されるものが多くなった。
ベルリオーズのように最低四百人という巨大な編成と典礼文もあちこちに飛ぶという離れ業が行われたり、先に言及したようにルター派の勢力下にあるハンブルク出身のブラームスがラテン語のミサ典礼文から離れて、自分でルター訳の聖書から好きなところを引用して作曲し、『ドイツレクイエム』として発表するという、考えようによってはずいぶんなことも行われるようになってきた。
歴代のローマ教皇は、音楽は典礼に従属すべきものとして、典礼文が聴き取りにくくなるような音楽的装飾を終始嫌っており、音楽独自の発展は忌避されていたが、時代の変化とともにそうした制約が徐々に弱くなるとともに儀式性が薄れ、個人の信仰心に訴えかける方が真実味があるように思われてきたのだろう。
後期ロマン派から20世紀の音楽となると、ミサの典礼と関係がある方がめずらしいようになってきて、レクイエムは単に『死者を悼む宗教っぽい曲』というような内実になった。そう、カトリック教会への信仰心も既になく、死と死者への感情、情緒だけが残ったのであり、それにもかかわらず伝統があってありがたみが感じられたのか、レクイエムというタイトルは好まれ続けた。
さあ、もう十分退屈させてしまっただろうし、我々の虚栄心も満足したのでこれくらいにしよう。そこで宇八の作曲内容であるが、基本的にはカトリックの典礼に沿ってと考えており、そうでなければレクイエムなどと言わない方がよいと考えたからである。また、一九六二年からの第2ヴァチカン公会議によって、ミサは原則として各国語を用いて行われることになったーー公会議はローマ・カトリックが大きな方針決定をするときに教皇が招集するものであり、この点以外にもこの公会議ではレクイエムに大きな影響を与える決定がなされているが、それについてはまた後で述べたい。この方針に従ったというわけでもないが、ふつうの人が聴いてわからないものを作る必要はないと思い、日本語で作曲することにした。こうした点はブラームスとは似て非なるものがあるのかもしれない。
それがタイトルの由来であるわけだが、その日本語訳となるテキストにはほとほと困ってしまった。ラテン語の原文を少し理解すると、宇八の目からは教会が使っているものはもとより、他の訳もとても使えない。例えば”Dominus”はキリスト教で神の意味の場合にはふつう『主』と訳されている。だが、『しゅ』ってなんだ? 『おぬし』や『ぬし様』なら時代劇とか都々逸に出てくるから、意味はわかる。『しゅ』と音読みなら、『主人』とか『主君』とか何か続かないと変だ。英語だって、ドイツ語だって、日常のふつうの言葉が当てられている。……まあこういう調子なので、曲の構想は進んでもなかなかオタマジャクシが書けなかったのである。
そこでいつものように先へ行ってから考えることにした。具体的にはラテン語のテキストに曲を付け、後で適当な(どうせ適当でしかないのだから)日本語訳を自分で考えることにした。これで『怒りの日』を皮切りに作曲は順調に進んだ。……彼は音楽の専門教育でも受けていたのかと問う人がいるだろう。全くない。ずぶの素人である。
今までだって造形芸術の心得や電子工学の素養などなかったのに、既に述べたようにオブジェを造ったり、ロボットを作ったりして、しかも商売にしようとしたのだった。いつもやりたいことが決まってから、専門書を「ふんふん」と言いながら斜め読みするだけだ。なんたる無謀、向こう見ずだろうか。
そうした不眠不休に近い状態でムダとしか見えないことをしている夫を妻の栄子は、心配そうに、だがヘタに声を掛けようものなら震え上がってしまうような怒り方をされてしまうのがわかっているだけに腫れ物に触るようにして、見守っていた。輪子は無関心だったと思うが、わけのわからないものの虜になってしまった父親に対して心なしか憐れみの色を目に浮かべていたようにも見えた。身から出た錆とは言え、誰だって彼の家族には慈悲の念を抱き、おだやかに休息できる時間があればと思うのではないだろうか。
≪1978年≫
こうして年内にかなりまとまったものができたので、早速音を出してみたくなった。正月に親戚が集まることになっていたので、甥の何人かに電話をして楽器を持って来させることにした。正月二日の正午、少し時代遅れになりかけた結婚式場などをやっている会館の三階に総勢十八人が集まった。立食パーティーふうの食べ物とビール、ジュースなどが三つの円卓に並べられた。羽部家、片山家、鳥海家の全員、上川本家からは息子の晃と稔、上川分家からは順子と子ども三人が参加した。先日の法事で従兄妹会を近々やろうという話になって、それに親たちが加わったという趣きであった。
楽器は晃のトランペット、稔のタンバリン、童のギター、輪子のリコーダーと鍵盤ハーモニカが持ち込まれていて、会場には埃をかぶったエレクトーンがあった。パーティーが始まると宇八はビールを飲みながらフライドチキンを二つ、シューマイを三個食べると、何人かに近寄り、まず楽器の分担を決めた。晃がトランペット、稔がタンバリン、童がギターまではまあ当然として、輪子はリコーダー、鍵盤ハーモニカは葉子、エレクトーンは暁子に割り当てた。
片山家の姉妹はピアノを習ったことがあり、音感の良い暁子にはオルガンを頼んだ。こんなふうだった。コップを割り箸で叩く。
「今の音わかるか?」
「Gかな?」
「ちょっと低い。G♭」
何事も積極的な葉子が先に答え、おっとりした優等生の暁子が慎重に答える。
「暁子にはオルガンと合唱のまとめを頼むな」
「えー? G♭が正解なの?」
「俺に解るわけないだろ。ポイントはどう答えるかだ」
これで合唱は残りの親たちを中心とした、男五人、女六人のメンバーになった。四声部必要なのだが、楽譜が読めない者も多いのに最初からそんな芸当はできるはずがない。だいいちみんな食べたり、飲んだり、しゃべったりで忙しい。
まずユニゾンで主旋律を覚えさせるのと楽器の演奏に慣れてもらうことを主眼に三回通して歌わせた。
「演歌の方がええわあ。こんな辛気臭いの嫌やわ」
「そうだな。都はるみみたいなのがよかったか」
「伯父さん、それならいっそのことピンクレディーがいいんじゃない?」
「まあ、いろんな曲を作曲するから考えとくよ」
決して否定はしない。伯父がせっかく作ったものに協力しようという雰囲気が生まれ、それに親たちもつられる。
この試奏時には、『入祭唱』、『キリエ』、『怒りの日』の一部、『サンクトゥス』だけで、最終稿の半分弱くらいの分量であったし、楽譜もヴォーカルスコアに二段だけ器楽分をつけた簡易なものであった。長すぎてみんな飽きてしまいそうなので、器楽のみの部分はカットしたのだった。
音楽とは無縁な一族、ましてや宇八のような人物の言うことに素直に従うのは奇異な感じもするが、甥っ子たちにとっては子どもの頃から法螺話を聞かせてくれる“おもしろいおじさん”であったし、姪たちにとっても長じるに従って親には言えないようなことも言える“話のわかる、さばけたおじさん”ということで、人気があったのだ。結婚を控えた暁子が自慢の高音を張り切って出したりすると、
「そんな声はみんなに聞かせなくてよろしい」などと茶々を入れて、おじおばたちのやや卑猥な笑いを誘ったりした。
ユニゾンで歌わせて、大体の音感と言うか実力のほどもわかってきたところで、男声と女声の二部に少しずつ分けて歌わせた。おぼつかないながらハーモニーらしくなると、達子や光子でもおもしろがる。慣れると女たちのおしゃべりが始まってしまい収拾するのが大変なので、すかさず考えていた配置を試みた。
ほぼ正方形の部屋の正面にエレクトーンがあるので、そこに木管ということでリコーダーを演奏させ、出入口のところに弦楽器のパートを受け持った鍵盤ハーモニカとギターを、奥に向かって右手にはトランペットを、左手にはタンバリンを配置した。つまり、本来の教会で演奏する際には、オルガンと木管が出入口の真上、弦は祭壇の方、左が金管、右が打楽器ということになる。
指揮をする宇八が部屋の真ん中に立って、トランペット側に男声、タンバリン側に女声を並べた。こうした十字形の配置ができると、女声を二部に分けて歌わせてみた。
「これは十字架の配置なのよ。シュッツっていう昔の作曲家が……」
めずらしく栄子が内助の功を発揮して説明すると、クリスチャンというのは独特の有難みが感じられるのか、まじめに取り組もうという雰囲気になる。
ソプラノは達子、光子、エレクトーンの暁子で、アルトは栄子、菫、月子、順子にした。声の質よりは、合唱としてもバランスを考えて(本人には言わないが)、歌がうまい方を支える側のアルトに回したのだった。ソプラノは暁子がエレクトーンを弾きながら歌えば十分という計算である。
難物は男声である。まあまあの音感で、声が前に出る攻治やギターの童は低い声が出ない、どうしてもテノール系なのだ。それで攻治、童だけをテノールとして、それ以外の幸三、薫、タンバリンの稔、高保、保伸をみんなバスにしてしまった。攻治は自分が大役を任されたと思って、妙に張り切って、
「おい、もっとこう、ギターを丁寧に弾けないか? ガチャガチャ鳴らすばかりじゃなくて。歌も雑だな。バスに引っ張られてどうする」と三歳下の童にあれこれ注文をつける。
もちろん声をほとんど出していない者も少なくないのだが、若い連中の中にはおもしろくなってきた者、うまく歌えるよう頑張ろうとする者が出てくる。そういうのを横目で見ながら、頭の中にあるフルスコアの手直しすべきところも大体わかってきたので、練習は打ち切って、水割りを片手に鮪や烏賊のにぎり寿司やサンドイッチに手を伸ばした。
みんなも壁際に置かれたいすに腰かけたり、円卓の料理の周りに群がったりしているが、攻治だけは年下の従弟妹を集めて練習を続けるよう命じ、そう乗り気でもない童にギターを弾かせて加山雄三を歌ったりしている。……
その後、宴会は三時過ぎまで続き、歌よりも甥や姪への冷やかしの方が多かった光子が「また、みんな集まってにぎやかにやろうね。義兄さん頼むわよ」と言った。親戚の親睦会としては成功だった。
三々五々帰る際、古ぼけた赤いエレベーターの中で宇八と童だけが一緒になった。二人とも家族と一緒に行動しようという意識が薄いのだ。
「ギター弾いて歌うと疲れちゃうね。伯父さんも疲れたんじゃない?」
「自分で作ったものだから仕方ないな。まあ、そう意味のあるものだと思わないけどな。俺の祈りなんて値打ちのないものだろう」
普段の大言壮語に似合わぬ弱気な言い方に耳を留めて、童は訊いてみた。
「あんな曲を作るのは、……神様を信じているからなの?」
「ふん。信じてるって、どういう意味でだ? 存在をか? 自分のことを神様がわかってくれるってことか? だが、その意味をきちんと認識しているのか?」
この伯父とは、童が浪人しているとか、そんな世間話をしたことがない。畳みかけるような質問に童がとまどっているうちに、ガタンと揺れながら一階に着く。一緒に外に出る。正月らしい澄みきった寒風が吹いている。
「……いや別にむずかしい意味じゃない。おれがここにいる、おまえもここにいる、この地面がある、そういう確かな、確からしいと言ってもいいが、そういうリアルな意味で神がいると思うのかってことだ」
いつも風変わりな伯父はいつにも増して風変わりなことを言うと童は思う。今日みたいな空を蒼穹というのかなと感じる。
「自分と世界をリアルに感じるのと少なくとも同程度に神をリアルに感じられる奴なんて、そうそうはいないんじゃないか? 本当のところ。昼間街を歩いていて、いきなり大地が灰のかたまりのように頼りなくなって、底なしの暗闇に引きずり込まれそうな感覚を持ったことあるか? そういう経験がないと神の存在なんて考えても、おみくじのご利益を期待する以上の意味はないかもしれないぞ」
冷やかしではなく、伯父さんはあるの?と訊きたくなるのを唾とともに飲み込む。
駅へ向かう古いけれど活気のある商店街の中を二人で歩く。麻雀屋や喫茶店、焼き鳥屋、パチンコ屋などが立ち並んで、それぞれのにおいを歩く者に浴びせてくる。
元は闇市だったのが客に見えるところだけ手直しを重ねて、まあまあ見られるような店構えにしたところが多く、時折失火だか放火だかで火事になるのが、商店街としての新陳代謝には役立っているといった具合である。童はすれ違う人たちに当たらないよう、ギターケースを時々持ち替える。
「……そういうことは考えたことないなあ。伯父さんが言ってるのは、実存主義みたいなことなのかな。存在論とか認識論みたいなことは、高校の倫社でデカルトを読んだとき、だいぶ考えたつもりだったんだけど」
童がありあわせの知識で応えようとすると、多くの甥や姪がいてもこういう話をしたがるのはこいつだけだなと思いながら、口調は乱暴に言う。
「そういうのにいつまでも付き合ってても仕方ないだろ。パンツ下ろして、さあこれからっていう時におしまいになるような代物に」
「相変わらず、口が悪いなあ」
「まあいいさ。おまえが訊きたかったのは、あの曲を書いた動機なんだろ?……俺だって、そう大層なものがあるわけでもないんだが、ここんとこのくだらないいろんな事件で、おれたちってホントは底が抜けているんじゃないかって思ったんだ。『人命は地球より重い』って言っても、じゃあそんなことどこに書いてあるんだ? なんにも拠り所がないから、言葉が薄っぺらで説得力がないんだ」
この伯父の弁舌を何度となく聞いてきたせいもあるだろう、違和感なく頷く。
「人間性なんて言っても人間のことだけ考えていたら、袋小路だか螺旋階段をいつまでも降りて行くようなことになるだけだ。じゃあおれが考えてやるってところだったんだが、作曲を始めてみるとそっちであれこれいじる方がおもしろくなって、初志は忘れちまったな。……ただその手の勉強をしていると、少しずつイエスのことがわかってきたような気がするんだ。キリストと言っても生身の人間だろ? 人間には相性ってもんがある。あのユダって奴とは相性が悪かったんだよ」
ちょっと言葉を切って、童の方を見る。思わず視線がかち合う。
「最初からお互いなんかやだな、でも気になるなって思ってて、なまじイエスは賢いユダを切り捨てられなくて、ユダはユダでイエスのすばらしいところは頭ではわかっているつもりで、ついて行ってしまったんだ。よしゃあいいのに。……おまえも攻治に近づかないのがいちばんなのに、相性が悪い同士ってなぜか絡んじゃうんだよな」
甥がはっとしているのを置いて、くたびれた駅舎に入るとさっさと切符を買って、改札口の方へ行ってしまった。
DIES IRAE
1)Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla:
Teste David cum Sibylla.
2)Quantus tremor est futurus,
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!
3)Tuba mirum spargens sonum
Per sepulcra regionum,
Coget omnes ante thronum.
4)Mors stupebit et natura,
Cum resurget creatura,
Judicanti responsura.
5)Liber scriptus proferetur,
In quo totum continetur,
Unde mundus judicetur.
6)Judex ergo cum sedebit,
Quidquid latet, apparebit:
Nil inultum remanebit.
7)Quid sum miser tunc dicturus?
Quem patronum rogaturus?
Cum vix Justus sitsecurus.
8)Rex tremendae majestatis,
Qui salvandos salvas gratis,
Salva me,fons pietatis.
9)Recordare Jesu pie,
Quod sum causa tuae viae:
Ne me perdas illa die.
10)Quaerens me, sedisti lassus,
Redemisti, crucem passus;
Tantus labor non sit cassus.
11)Juste judex ultionis,
Donum fac remissionis
Ante diem rationis.
12)Ingemisco tamquam reus:
Culpa rubet vultus meus:
Supplicanti parce, Deus.
13)Qui Mariam absolvisti
Et latronem exaudisti,
Mihi quoque spem dedisti.
14)Preces meae non sunt dignae:
Sed tu bonus fac benigne,
Ne perenni cremer igne.
15)Inter oves locum praesta,
Et ab haedis me sequestra,
Statuens in parte dextra.
16)Conftatis maledictis,
Flammis acribus addictis,
Voca me cum benedictis.
17)Oro supplex et acclinis,
Cor contrium quasi cinis:
Gere curam mei finis.
18)Lacrimosa dies illa,
Qua resurget ex favilla.
19)Judicandus homo reus:
Huic ergo parce, Deus.
20)Pie Jesu Domine,
Dona eis requiem.
Amen.
怒りの日
①怒りの日、その日こそ、
この世は灰燼に帰すだろう、
ダヴィッドとシビッラが証したように。
②人びとの恐怖はどれほどのものか、
裁き主が来られ、
すべてを厳しく糾されたもうのだから。
③妙なる響きのラッパが
この世の墓の上に鳴り渡り、
すべてのものを玉座の前に集めるだろう。
④死も自然も驚くだろう、
すべてのものがよみがえり、
裁き主に答えるのだから。
⑤書き物が持ち出されるだろう、
すべてのことを書き記したものが、
この世を裁くため。
⑥裁き主が裁きの座に着く時、
隠されたものはことごとく暴かれ、
報われないことは何一つとしてないだろう。
⑦哀れなわたしは何を言えるだろう?
どんな保護者に願えばいいのか?
正しい人さえも心穏やかではいられないのに。
⑧畏れ多い偉大なる王よ、
救われるべき者を恵み深く救われる方よ、
わたしを救いたまえ、憐れみの泉よ。
⑨慈悲深きイエスよ、思い出してください、
地上にあなたが降りられたのは、何のためなのか、
その日、わたしを滅ぼされんように。
⑩わたしを尋ね疲れ、
わたしをあがなおうと十字架の刑を受けられた方よ、
その辛苦を空しくしないでください。
⑪正義により罰をくだす裁き主よ、
わたしに赦しの恩寵をくだされますように、
応報の日より先に。
⑫罪を負うわたしは嘆き、
罪を恥じて顔を赤らめています。
神よ、乞い願うわたしをゆるしてください。
⑬マグダラのマリアを赦し、
盗人の願いをも聴き届けられた方よ、
わたしにも希望を与えてください。
⑭わたしの祈りなど聴き入れるのに値しないものですが、
慈悲深い方よ、憐れみをもって、
わたしを永遠の火に追いやらないでください。
⑮羊の群れにわたしを置き、
山羊の群れから引き離して、
あなたの右に立たせてください。
⑯呪われた者どもを罰し、
激しい炎の中に落とされる時、
祝福された者と共に、わたしを呼んでください。
⑰ひれ伏してお願いします、
灰のように砕かれた心をもって、
わたしの終わりの時を取り計らってください。
⑱涙の日、その日は、
灰から蘇る時。
⑲罪ある者が裁かれるべきとしても、
神よ、お願いです、憐れみを。
⑳慈悲深いイエスよ、主よ、
彼らに安息をお与えください。
アーメン。