3.ソクラテスはいやな奴~GRADUALE
≪1973年≫
それから五か月ほど経って、羽部宇八は妻の末妹、鳥海光子の住む郊外の団地の六畳間に妻子共々転がり込んでいる。健闘空しく事業は欽二の予想どおり失敗し、債権者に追われる身となってしまったのだ。
その際には、「さあ、今夜、夜逃げするぞ」との彼の号令一下、準備を整え、大中小のリュックサックに最低限の荷物を詰め込んだ。幼い一人娘もあたかも「夜逃げ」というのは夜に出かける旅行くらいの理解をしているのか、特段の表情も浮かべずに淡々と勉強道具や紙の着せ替え人形などを詰めている。この子は一九六四年の十月十日生まれなので、オリンピック=五輪の輪子で「りんこ」という。
妻の栄子は、持って行けないけれど、捨てるのに忍びないものを何度も手に取っては戻しながら、思わずため息が出そうになるのをこらえていた。輪子の運動会のお弁当を作った玉子焼き器、肉がほんの少ししか入っていないシュウマイや会社を興したときに赤飯をふかした蒸し器。こんなものでも買うまでには、幾晩もやりくりを考えたのに。……
辺りを伺いながら終バスに乗り込んで、六年間(彼としてはここ何十年でいちばん長く)住んだ、台所の窓からため池が見えるスレート葺きの平屋の公営住宅を後にしたのだった。舗装されていないカーヴをバスが曲がるとき、首をねじるようにして窓の外を見ていた栄子の目には、自分たちが去った家が揺れるように映った。
夏の間は、妻子を義妹宅に委ねるとその脚で、宇八は債権者の手を逃れるべく行方をくらました。東京に行くとは言っていたものの、九月に入ると、妻子にも行方不明、音信不通の状態になったが、十月も終わろうとする頃になってひょっこり団地に現われ、家族再会と相成った。
妹夫婦には、高校一年の娘と中学二年の息子がいたので、新興団地の三階の3DKに都合七人が住むという、向寒の候にしてはずいぶん暑苦しいことになってしまった。具体的には甥が一人で使っていた六畳間に大きな和ダンスと洋ダンスがあって、畳の部分は四畳半もないところに、宇八の家族三人が居候することになり、小柄な栄子や小学二年生の輪子はまだしも、宇八の巨体があれば肩を寄せ合わずともまだまだ火の気は要らなかった。
もう一つの六畳間に義妹夫婦、四畳半に体格的には既に大人の姪と甥とが暮らすわけだから、文句の出ないはずがない。最初は愛想の良かった光子の夫の薫も次第に重箱の隅を突くような物言いになってきた。この薫という人物は、本人の認識はともかくひと言で言ってしまえば、おめでたい人間ということになるだろう。彼自身は自分はそこそこ優秀であると考えており、学校での成績とか会社での評価とから言えばそれはそうなのだが、なかなか世の中というものはそんなことで決まるものではない。
妻や子どもに対して説教したり、偉そうなことを言ったりもし、それ自体としては一般的には夫として父として当然必要なことなのだが、個別具体的には結局のところ自分の知識なり、経験なりをひけらかし満足することに傾いたものと言わざるを得ないものだったのだ。そして、そんな夫を甘やかしてきたのが三歳年上の光子だったのであり、薫が光子に依存しきっているのは第三者からは明白なのに、幸福な夫はいっかな気付く気配がないといった具合なのである。
ただ一点我々として彼を評価しておきたいのは、自分の子どもの名前への執着である。自分の薫という名前、とりわけその漢字の形が気に入っていたので、娘には菫という名を考え、役所へ届けに行ったものの、当時は当用漢字でも人名漢字でもなかったので使えないと言われ、彼としては空前絶後お上に楯突くこと二時間、届出はカタカナのスミレで泣く泣く引き下がったが、娘には最初から漢字で書くことを強要した。我々としてもこの熱意を多とし、この物語では菫と表記しよう。
長男も同じ発想で童と届けに行き、振り仮名を見もせずに「わらべですか?」と言った窓口の女性職員に(初めからケンカ腰だったこともあるが)カッとなって、「ドウだ!」と叫び、奥にいた住民課長を含めて職員一同を立ち上がらせたのだった。
光子は夫への遠慮と、自分たちを賓客とでも思っているかのような長姉(栄子と光子の間には達子という次姉がいる)夫婦の態度との板挟みになって、子どもたちに当りがちになってしまうことで、ある種の自己嫌悪に陥っていたのだった。
姉の菫も弟の童も中学生になってようやく自分たちの部屋が与えられ、二段ベッドから別々のベッドが持てるようになったところだったので被害は甚大であった。菫がパンダや熊のぬいぐるみなんぞをタンスの上に飾り、ベッドの下や押入れの奥は別として、女の子らしく小ぎれいにしていた部屋に、いきなりロック・スターやピンナップ・ガールのポスターが漂わせる独特のにおいのする弟の部屋が、これまた机の引出し辺りに誰にも見られたくないものを潜ませながら闖入してきたようなものであった。ただでさえこうした年代の姉弟はお互い関わり合いたくないのに、こうした次第では二人が言葉を交わすことは当時のアメリカとソ連以上になくなってしまった。
ところが、こうした事態の原因である羽部家の人びとに対する鳥海家の子どもたちの反応は、親たちとはまた違っていて、つらく当たったりするわけでもなく、菫などは輪子をこれまで以上にかわいがっていたし、それよりも自分の両親から離れるという態度に出たのだった。菫は、弟のみならず両親ともほとんど口をきかなくなり、最近早くなっていた帰宅時間も遅くなって、両親のイライラのタネになっていた。
「あたしがいなければ人口密度が少しでも減るでしょ」などと嘯いていた。
童は、中学校に入った頃から次第に無口になっていたこともあって、両親と疎遠になってもそれはこの年代の子どもによくあることと理解され、あまり注意を引くことはなかった。
さて、こういった3DKの中で我らが主人公がどんな顔をしていたのかと言えば、いつもと同じ表情、同じ態度、同じ横柄な口のきき方であり、一銭たりも義妹の家庭に入れないという真正の居候にしてはなんとも愛嬌のない話であった。つまり栄子は言うに及ばず、幼い輪子でもしばらくは食欲がなくなったというのに、狭いところで妻の妹の夫の家という気兼ねしなければならないという圧迫感、ストレスといったものをこの男は、全く気付いていないか、気付いていながらあえて無視しているのかどちらかといったふうであった。
平日の午後、たまたま宇八と光子が二人きりになった。宇八は出かける様子もなく黙って食卓の前に座っている。彼に言わせれば金もない中年男の行き場などないのでそこにいるだけのことだったが、光子としては何を考えているのかわからない、職を探す気だけはなさそうな義兄に当たり障りのない話をしても、相槌一つがまるで専制君主から賜るありがたいお言葉であるかのような気になってしまうのに疲れていた。話題を探しあぐねて「そうそう」とか言って、息子が理科のノートに書いた詩のようなものを持って来て見せた。
野球のない世界
多くの罪を重ね、神の最後の怒りを招いた愚かな人類は、
「野球」と引き換えに生き延びることが許された。
かくして野球は永遠に失われた。
バットもボールもグローブもユニフォームもヘルメットも
野球場も野球選手も野球監督も野球中継も野球評論家も
野球に関する一切がこの世から消えてなくなった。
その言葉と記憶とともに。
野球は始めから地上に存在しないのと同じになった。
それは大したことではなかった。
後楽園の遊園地が広くなって、甲子園にはマンションが建っていた。
王はゴルファーになっていて、長嶋はサッカーをしていた。
二人とも歴史に残る名選手だった。
江夏はよくわからなかった。
テレビのゴールデンタイムには、筋書きのあるドラマが流れていた。
それだけのことだった。
ただどうしたわけか、ぼくの机の引出しにこの世でたった一つのボールがあった。
それがなんなのかぼくにはさっぱりわからなかった。
家族や友人や教師や、いろんな人に見せたけれど、
誰もその使い途を知らなかった。
なんの役にも立たないものなんだろう。
でも明るい空の下で、それを高く投げ上げると少し切ない気持ちがしないか?
「この間、ちゃんと勉強してるかしらと思ってちょっとパラパラめくったら見つけたんですよ。……そんなに野球好きなように見えないのに」
思春期の息子を持つ母親がそうであるように、自分の子が秘密を持ち始める不安と成長を誇る気持ちとをにじませながら言うのに対し、宇八は不得要領に言った。
「まあ、いいんじゃないか」
関心もなさそうに見える。光子は話頭を転じるため、『晩ご飯どうしようかしら』と独り言のように言いかけたのを飲み込んだ。前にそんなことを言ったら、『寿司かステーキがいいんじゃないか』と即答されたのを思い出したからだ。
何にもしゃべれやしないと思って、洗濯物を取り込むことにした。……光子は、気が向けばこっちの都合も気にしないで話し掛けてくるのに、気が向かなければいつまでも黙っているこの義兄が苦手である。
ある日の夕食時、めずらしく菫も早く帰って来て、全員がそろったところで、何の脈絡もなく宇八が発言した。
「ソクラテスっていやな奴だって思われてたんだよな」
まるでこの家の家長のような口をききやがると薫は反発しているのに話を合わせてしまう。
「そのあれですか、アテネで死刑に処せられたのは、嫌われ者だったからってことですか? わたしもソクラテス関係の本は何冊か若い頃読みましたが、そういうのは記憶にないなあ。義兄さんの新説だな」
ただでさえカニ・クリームコロッケが破裂したり、べちょべちょになったりで情けない思いをしていた光子は、姉に当てつけるような気分で言った。
「奥さんのせいじゃないの? ソクラテスの奥さんって悪妻だったんでしょ? ちゃんと家を守って、夫を助けてあげてなかったんじゃあ……」
栄子は、料理屋や賄い付きの下宿屋をしていた家の長女だったくせに、あるいはなんでも女中任せにしてきたせいなのか、料理はからっきしダメだった。親戚の子どもたちの中でも『羽部のおばちゃんのカレー』はやたら黄色くて粉っぽく、評判が悪かった。その代わり食卓を飾ったり、食器周りに洒落た工夫をするのが好きで、無残な形のコロッケはこの家でいちばん大きな平皿の上で、レッドキャベツとともに牡丹のような形に並べられていた。刻んだタマネギとパセリをマグカップの中で、マヨネーズと混ぜた『羽部家特製のソース』が添えられていた。
ところが、宇八はそんな妻の創意工夫に頓着することなく、ウスターソースをじゃぶじゃぶ掛けてコロッケを次々と口に放り込みながら言う。
「クサンティッペか、色々言われているが、肝心のところはわからないな。ふつうの夫婦と同じようなもんだろ」
栄子がやや微妙な顔付きをしているのを童は気付いていたが、意味合いを測ることができないので、玉ねぎが目に沁みるタルタルソースもどきに辟易しながら、意図的に単純な質問をした。
「でもプラトンなんかの若者たちには慕われていたんでしょう?」
「そうさ。だから危険視されてたんだ。……不服そうだな。今だって若い連中に人気のあるロックやマンガは危険で有害だって言われてるんじゃないのか?」
童は伯父の言葉にコロッケの味も忘れてしまった。この当時のフォークやロックは世間、特に学校の教師からは危険視されていた。童が髪の毛を長めにしてギターを抱えて学校に行っているだけで『不良』だと思われていた。
『おまえ、成績いいんだってな。意外だぞ』
別の学年の教師にいきなり言われて思わず反抗的な目をしたことがあった。ソクラテスがロックシンガーと同じだと言う伯父の言葉には興奮を抑えきれなかった。
「そりゃそうなんだって。有害だって言われないようじゃあ、にせものだ。ソクラテスがやったことって、評論家の先生やマスコミなんかの何でも知ってるつもりで、偉そうなことを言ってるおっさんどもを片っ端から公道でとっ捕まえて、そいつらの無知振りをさらすってことだから」
「そういうことなんだ?!」
感心して喜んでいるのは童だけで、他の五人は押し黙って夕食を咀嚼している。
「そうさ。またソクラテスのやり方が汚い。教えを乞うと慇懃に出ながら、いつの間にか恥をかかせるようなことをする。いくら善い人には悪いことは起きないと嘯いたっていつかは……」
「童、肘をついて飯を食うんじゃない、いつも言っているだろ。菫も女の子なんだからお箸を……」
薫の少し甲高くなった声が合図のように、菫は「ごちそうさま」と立ち上がりながら言って、プイと自分たちの部屋に入ってしまった。
座が白けたまま宇八は座ったまま三本目のビールを取りに冷蔵庫に手を伸ばす。狭い家は便利なこともある。
「もうないから、冷やしておけ」
誰も今更その図々しさを咎めたりはしない。
童もつまらなそうな顔で自分たちの部屋へ入る。しばらくして姉弟の言い争う鋭い声が二言三言聞こえ、菫が何も言わず、急な用事でもあるようなふうに外へ出た。
ある日(菫が例によって帰るのが遅い日だったのだが)、気まぐれのように宇八が童のところにやって来た。勉強を教えに来たのか、からかいに来たのか、本人にもよくわからない。
しかし、先日、光子から見せられた詩が影響していないとは言えないだろう。あれは、母親ばかりか本人もどこまで気がついているかどうか知らないが、野球のことなどではなく、自分の死について語っていることをこの伯父はすぐに気づいた。
思春期は自我が目覚める時期とよく言われるが、目覚めは終わりがあることを知ることに他ならない。自分自身が死に、周りの人間もやがて死んで、誰の記憶からも消えてなくなってしまう。砂の上の足跡が消えていくように「始めから地上に存在しないのと同じに」なる。そうしたことを「それは大したことではなかった」とか「それだけのことだった」と言っているのだろう。
宇八の脳裏にも(そう、実に意外なことなのだが、誰にも思春期はあるのだ)冷え冷えとした三畳間で切羽詰ったような気分で本を読んでいた場面が蘇る。自我が本能的に感じる死への寄る辺のない怖れと、懐かしいものに抱かれ、甘く静かに溶け込まされていく大きな安らぎとが併存する気分。そんな自分がまだどこかにいるように思えた。……
童がうんざりしていた数学の問題集を取り上げながら伯父が言った。
「数学は? 好きなわけないな」
机の脇の本棚にはシャーロック・ホームズだの芥川龍之介だのカフカの『城』だのといった文庫本が参考書の間に恥ずかしそうに並んでいる。
「でも、数学はものごとを厳密に考えるのに必要だ」
「そうかもしんないけど」
「……ふうむと。計算とかはおれも嫌いなんだ。そんなのが得意でも機械として優秀なだけだ。……こういうクイズはどうだ? 一から二を、次に三をつくれってのは」
「一たす一は二じゃ小学生だし……」
「そりゃそうだ。じゃあ一辺が一の長さの正方形を考えて……」
童は、伯父がノートに描いた正方形を見て、少し考えてからひらめいたような顔をしたが、何気ないふうを装った声で言った。
「対角線が√2になるから、それを一辺にした正方形を作れば面積が2になるよね」
宇八は頷きながら、図を書き加える。
「そう、ふつうはそれが答えなんだろうけど、おれのはちょっと違うんだな。面積じゃなくて一の長さから二の長さがダイレクトにほしいところだ。……この正方形からこうすると立方体ができるだろう? この頂点といちばん遠い頂点とを繋いだ線の長さはどうなる?」
元々図形、特に立体図形が苦手な甥は困ったような顔をしていたが、伯父が「立体は切ったり、回したりするもんだ」と言いながら斜めに切り取った三角形を描いてやるとなんとかわかった。
「そうか√3になるんだ」
「……ここでちょっと整理しようか? ここまで出てきたのは、1、√2、√3だ。それぞれの次元はなんだ?」
童は、え?と思いながら、初めて宇八の目を正面から見た。にやにやしながら輝いている。
「そうさ、次は4次元の……立方体とは言わないんだろうが、そういったものを描いて同じようにすれば長さが√4、つまり2の長さの対角線が出てくるだろう。……いや、おれだって4次元の図形なんてイメージできないし、別に確かめたわけじゃない。けどさ、そうなってなきゃ変じゃないか? 9次元は3、16次元は4というふうに、次元数の平方根の長さの対角線が出てくるって考える方が自然だろう? これが1から順に2、3を作っていく自然なやり方だ」
言葉の終わり頃はもう立ち上がっていて、放屁をしながら部屋を出て行ってしまった。
それから、宇八は甥のところへ時々暇つぶしのようにやって来るようになった。
「伯父さんは、ビートルズとか聴くの?」
伯父が”Eight Days a Week”を口笛で吹きながら、階段を登って(エレベーターなどないのだ)帰って来ることがあるので、そう訊いてみた。
「聴くよ。おれは雑食だからな」
「そうなんだ。……ぼくもジャンルとか関係なくて、サイモンとガーファンクルみたいなきれいなのも、T.レックスみたいな激しいのも……」
「雑食で、悪食でいいんだ」
童はその言葉にやや反発を覚えてぶつぶつ言いながらも、この堂々たる居候の伯父に訊いてみたいことがあった。
「でさ、ビートルズで何がいちばん好きなの? ”A Day in the Life”かな?」
「それはおまえのいちばんだろ? おれはそんなにのめり込んじゃいない」
「じゃあ”Blackbird”? ……それとも」
宇八は、その熱を帯びた言い方に笑い出してしまった。
「わかった、わかった。いつか教えてやるよ、おれのいちばん好きなビートルズを。でもな、ロックをやりたいんなら形から入んないと。ロックは不良のやるもんだろ? 髪はもっと伸ばして、タバコ吸って、教科書破いて、友だちんち泊まり歩いて、オンナ作んなきゃ。……伯父さんとお行儀良く音楽評論やっててどうするんだよ」
そう言って話を打ち切ってしまった。
さて、我々としてはこの機会に彼の一人娘の輪子について、もう少し触れておかなければならないのかもしれない。こうやって宇八と甥との親交を書き連ねているのだから。しかし、実際のところ彼は小さい頃にはかわいがったりもしたが、それも彼女が小学校に上がる頃にはおもちゃに飽きたようになってしまったのだった。
この点については、我々としても弁明できないような気分であるが、彼としては男の子が生まれるものと信じ込んでいたのだった。息子が生まれれば自分のできなかったこと、最近になって(つまり手遅れになって)ようやくわかってきたことを教えてやりたいと。
栄子が妊娠している間、まだ見ぬ息子に彼はしばしば語りかけていた。……クリアにものを考えられるように数学を勉強しろ。心の運動法則を知るためにギャグに習熟しろ。しかし、決して数学者やお笑い芸人になってはいけない。それは死屍累々たる恐ろしい職業なのだから。無限の深淵に理性の錘を垂らしたり、めまぐるしく動き回るほんの毛穴ほどの笑いのツボを突くなんてことを日々の糧としてはいけない。
そうだ、おまえの仕事にはコックはどうだ? きちんと手間を掛ければきちんと結果が出る。什器や食材の仕入れ、選択。肉や魚や野菜の切り方、下ごしらえ。煮る、焼く、揚げる、蒸す……。味付け、盛り付け。準備に時間を掛け、手順を整理し、一気に仕上げる。結果はお客の舌の上で直ちに現れ、そして胃袋へと消えていく。な? さっぱりとしたまともな仕事だろ?……
だが、それほど自分のかなわなかった夢を託した子どもだったのに、生まれたのは女の子だった。サルというか、人間への進化の途上といった、そのしわだらけの赤黒い新生児は見事に彼の期待を裏切って、か細い声で、しかし執拗にふぎゃふぎゃとわめいていた。彼は、初めて見せるようなしわくちゃの表情でベッドに横たわった妻を見遣った。
羽部一家が栄子のやりくり算段でなんとか居候生活から脱し、団地から出て行けるようになった日、童だけが駅まで送って行くことにした。二月の冷たい雨の降る午前中だった。夜逃げの時と同様の三つのリュックサックの上に黒のこうもり傘、薄い紫の傘、無地の赤い小さな傘がかぶさっていて、先を行くこうもり傘の左隣に黒の折りたたみ傘が寄り添っている。
童は、今度はいつ会えるのか伯父に訊きたくて仕方がないのだが、どう言い方を工夫しても妙な具合になりそうで口を開けないでいた。
「今度来るときは円周率の話でもしようか?」
傘の縁越しに見る伯父の横顔は、いつものように苦虫を噛み潰したようだったが、その反対側は柔和というか、いたずら小僧のような表情を浮かべているのを甥は知っていた。折りたたみ傘が縦に揺れる。
「πは不思議な怖いような世界への入り口なんだ。すごく根本的であちこちに出てくるのに、現代数学だってきちんと捕まえられない。……『2001年宇宙の旅』って映画があるだろ? あのモノリスとかいうの、ああいう感じかな?」
彼はいつものように楽しそうに大声で、虚空に数式でも書いているように右手を振り回す。駅へ向かうだらだらした下り坂を行き交う人や自転車は、お昼前でもあり、そう多くないが、みんなこの奇妙な二人連れを避けて行く。輪子が長靴の中に氷雨が入って足が痛いとむずかり、母子はますます遅れる。
「……でもキューブリックのあれは違うな。無限はあんなふうにずーっと迫って行くもんじゃない。通俗的だ。それじゃあ、オイラーの公式とかと同じで、いやあこんな具合にずっと続くってことで一つご勘弁をってなもんだ。中途半端だ。ストンといきなり入れないもんかね? だって円周率だぜ? 自然の中には円や球なんていくらでもあるじゃないか。ほらこの波紋」
宇八が指差すまでもなく、まだまだ工事中のところが多いこの団地の玄関口である駅前広場のバスの乗り場も電気工事で再度掘り返していたりしていて、あちこちに大きな水たまりが出来ているのだった。泥がはね上がる。
「直線の方が見つけにくいくらいだ。正確には存在しないんだろう。言葉は直線、有限。自然は曲線、無限。ま、そんなところだ。無限を有限な脳みそに取り入れようとしていかに現代数学が悪戦苦闘したか。……じゃ、坊主世話になったな」
そう言うとさっさと橋上駅の階段をどんどん登って行ってしまった。伯母が「落ち着いたらうちにも来てちょうだいね」といった社交辞令を述べながら、小遣いを渡そうとするのを、童はどうすれば傷つけずに振り切れるかと、例によってもたもた考えていたが、「あ、宿題思い出したから」と彼としてはまあまあのセリフを言って、雨の中を走り出して行った。
羽部一家の落ち着き先といっても、六畳間と二畳足らずの板の間にぺかぺかした流し台の付いた木賃アパートである。その環境も市の中心部とはいえ、あまり乗降客の多くない駅前には、ピンク映画のポスターや匂い立つ赤いペンキの鳥居が目立つコンクリートの高い壁の上を電車が走っている。壁の反対側には安いモツ焼き屋やパチンコ屋が軒を連ねている。暗いトンネルのような(夜鳴きそば屋の屋台が置いてあったり、誰かが昼間から寝ていたりもするような)ガード下をくぐると、事務所、町工場、カステラの一切れのような一戸建て、外階段のあるアパート(その一つが羽部家の落ち着き先である)が並んでいる。銭湯や四階建のビルでも十分目印になる、寝ぼけたような街が広がっているのだった。
街を一周する国鉄の高架を走る電車もこの辺りでは、春にはレンゲが咲くような土手になっていて、庭に盆栽を並べた木造住宅まで線路脇なのに建っている。少し離れた一帯にはノイシュヴァンシュタイン城と見まごうばかりの豪奢な建物やラスベガスに似た土星の形をした巨大なネオンサインを載せたビルが林立していて、早い話、ラブホテルが市内有数の規模で集中している地域だった。
実は駅名もこのホテル街の代名詞として理解されているというのが実際で、若い女性にこの駅に行こうと言おうものなら、あらぬ誤解を受けること必定であった。夜ともなれば宮殿群は一際輝きを増す。赤、青、ピンク、様々な色のネオンサインが近くを流れる川の水面に映し出すきらめきと、街を縦断する川を跨ぐ銀色のアーチ構造の鉄橋との取り合わせは、絵ハガキにしたいくらいの美しさだったが、世間の常識はそういう美的センスを持ち合わせなかった。ともかく、この物語の終わりまで羽部家の住所はこの街の一角のガードにほど近いところにある。
輪子の目線と行動範囲で言うと、駄菓子屋が二軒ほど、貸本マンガ屋が一軒。冬には焼き芋屋、夏には同じ片目の濁ったおじさんが冷し飴屋になってやって来る。音色のにぎやかな風鈴売りや売り声が昼寝の耳について離れなくなる竿竹売りも来たりする。近くの神社の祭礼や盆踊りの折には、金魚すくい、射的屋、カラクリ覗きなどの露店が軒を連ね、夜ともなればアセチレン・バーナーの二つの口から出た炎が合わさるのに見入ってしまうといった、楽しかったり、妖しい魅力を持っていたりする街であった。ずっと後になっても輪子は、悲しいことがあったりするとどういうわけか、この街の風景を次々と思い出すのであった。
GRADUALE
Requiem aeternam dona eis, Domine:
et lux perpetua luceat eis.
In memoria aeterna erit justus:
ad auditione mala non timebit.
昇階唱
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光で彼らを照らしてください。
正しい人の思い出は朽ち果てることなく、
悪いことが起きると怖れることはない。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今後、執筆していく励みになりますので、よろしければ★★★★★とブックマークをお願いします。
感想やレビューをいただけるととてもうれしいです。