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ジャパンレクイエム:Requiem Japonica  作者: 夢のもつれ
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1.イントロ~INTROITUS

 土曜日は、物語を始めるのに悪くない。考えごとをしながら散歩するのもいい、さらさらと流れる音楽を聴くのもいい、明るいうちからお風呂に入るのもいい。そう、時間を無駄に過ごしてもかまわない、”may”の日なのだから。


 日曜日は、”must”の日だ。買い物をしておかなければならない、髪をカットしておかなければならない、部屋の掃除をしておかなければならない。何より休日を楽しんでおかなければならない。……そんな日にこんな悠長な物語は必要ない。


 鳥海童(とりうみどう)は、妻子が外出した土曜日の午後、ブクステフーデのオルガン曲を聴きながら、久しぶりの独りぼっちを楽しんでいる。やれやれ、一週間やたら忙しかったが、一体何ができたというのだろう。うんざりするような連中が持ってくるうんざりするような案件。それへの対応、上司への説明、説得。……まあ、しかし今、そんなことを思い出すのは愚かなことだ。考えなくていいときには考えないようにできるのが大人というものだ。


 彼はやがてLPレコードでも掛けてみようかという気になるだろう。そして、一枚のアルバムに手を触れるだろう。かび臭くなった、中学生のときに買ったものを。その頃、中学生がロックのレコードを買うには、何か月かお金を貯める根気とそんなものにうつつを抜かしてという親の小言を撥ねつける勇気が必要だった。このロック・シンガーは彼が予備校に行っている頃、交通事故で死んでしまった。いつかタンスの奥から自分のアルバムを見つけて、なつかしく思ってくれればいいという言葉を残して。……そんなことを彼は思い出すだろう。


 上川月子は、さっき起きたばかりで、シャワーを浴びるために洗面所でパジャマ代わりの裾の長いTシャツを脱ごうとしている。いくら金曜日だからといって昨晩は付き合いが良すぎたと、ぼさぼさの髪で皺の目立ち始めた鏡の中の顔につぶやいていた。あの大手生命保険会社の関連企業の部長(名刺の肩書きは何とかリーダーとかいうカタカナだったが、最初に名刺をもらったときに部長クラスだとわざわざ自ら注釈した)は、子どもが最近口を聞いてくれないとずっとぼやいていた。同情を引こうということなのか。お生憎さま、あんたの子の気持ちがわかるよ、そんな自慢げな説教臭い言い方じゃねと内心思いながら、適当に相槌を打っておいた。

 女の子たちを帰して、電車がなくなるからと言っても、タクシーで送っていくよと帰らないのを、びっくりするくらいの請求書を送ってやるからいいかと思って、3時過ぎまで相手をしたのだった。熱いシャワーを背中に受けながら、水商売ってお客のよけいな思いを背負い込みやすいんだよねと改めて思う。その分を税務署で控除してくれるわけではないから、何か気晴らしでもしなければ。……バイクにまた乗ってみようかしらと、戯れのように考える。


 羽部輪子(はべりんこ)は、子どもたちが田植えをしているのを見ている。最近はこうした体験学習が盛んで、初夏の田植えと秋の稲刈りを子どもにさせて、親子で自然に触れさせようということらしい。参加者はけっこう多く、父親も参加している家族もある。子どもたちと一緒になって田植えだか、泥遊びだかわからないが、誰かが尻餅をついたりするたびに歓声が挙がる。

 輪子は田んぼには入らない。午前中ももっぱら昼食のおにぎりを握る役をしていた。昔は体験学習なんかじゃなくて、家の仕事の手伝いでやらされたという親がけっこういるのに驚いた。彼女は農作業どころか、田んぼや畑もあまり見た覚えがない。小学生の低学年の頃まで住んでいた公営住宅の周りに、田んぼが広がっていたのをわずかに覚えているくらいだ。春先にれんげのネックレスを作ったり、秋に麦わらの山にランドセルを背負ったまま体を預けて友だちと話をしたことが、その時のにおいとともに自分のどこかにしまわれていたのを今日ここに来て思い出した。


 しかし、水を張った泥田に入るなんてとてもできそうもない。蛙とか虫は見るのも嫌で、自分の子どもが服が汚れるのも頓着せずにザリガニや田螺たにしを探しているのを見て、ふだんはまるで自然に触れていないのにどういうことだろうと思う。

 子どもは親に似ないものなのかも知れない。自分だって一人っ子だったのが嫌で、4人も産んでしまった。そのうち今日は、小学生の3人を連れて来た。

 でも、育児にしても、食事や掃除や洗濯(今日は大量の洗濯物だ)にしても母親よりは手間をかけてきたと思う。意地を張っていたのかも知れない。そんなことをしても誰も誉めてくれないのに。父親に至っては、自分のことを考えたことさえあったのかどうか。……

 付き添いの教師が子どもたちを集める声が響く。それに応じて親たちも我が子の名を呼ぶ。強い陽射しの下に田植えの済んだ田んぼを残して、輪子が育ち、今も住む都市にもうすぐ帰らなければならなかった。


 仲林欽二は、デイケア・センターの座敷の広間に寝転んで、うつらうつらしている。筋力トレーニングや水中ウォーキングをして寝たきり防止を心がけている老人が多くなってきているのに、欽二はヘルパーや他の老人に向かって、早く駄目になって死にたいと軍隊仕込みのドラ声でしょっちゅう言うものだから、嫌われていた。それも彼としては本望で、こんな役立たずの老人を長生きさせるような建物(と彼は毒づいていた)に来たくはなかったのだが、お節介なホーム・ヘルパーがあんまりうるさいので、仕方なく来てやってるのだった。

 毎日2時間は散歩するし、食欲も旺盛で、80半ばになっても健康そのものだった。量こそ減ったものの毎日欠かさず、晩酌もしていた。妻が10年前に死んでからは、相手をしてくれるのはテレビだけだったが。くだらない、何も考えてないだろとテレビとそれを見ている連中に悪態を吐きながら何時間もチャンネルを渡り歩き、10時54分という変な時間から始まるニュースが終わって、若者向けの深夜番組ばかりなのにだらだらと見続ける。しまいには、そのまま通年出してあるこたつの中で眠ってしまったりする。テレビは絶え間なくついているのだった。


 あいつならもっと辛辣なことを言うんだろうな、ひどいことを言う奴だと思ってたけど、おまえの言いたかったことが今なら少しはわかるよ。何で俺たちは最後の最後になってあんなことになってしまったんだろう。俺はおまえのことがわからなかったし、おまえはわかってもらいたくなかったのか。……そんなことを長すぎる夕暮れのような日々の中で、時折つぶやいていたりしていた。


 彼らもいずれは帰るべきところに帰るだろう。彼らの親族や友人の何人かがこれから我々の語る、1972年の6月から10年間ほどの物語においてそうだったように。いずれは我々の物語の登場人物など元々いなかったのと同じことになってしまうだろう。しかし、物語は言葉だけで伝えられるものであり、我々の言葉がある限りは、彼らもまたここにおいて生きていると言えるのかもしれない。


  Ο κοσμοζ σκηνη,ο βιοζ παροδοζ ηλθεζ,ειδεζ,απηλθεζ.

  (この世は舞台、人生は花道。君来たり、見たり、去りぬ)


 古人の言うとおりなのだろう。――では、始めよう。


  INTROITUS

 Requiem aeternam dona eis, Domine: et lux perpetua luceat eis.

 Te decet hymnus Deus in Sion,

 et tibi reddetur votum in Jerusarem:

 exaudi orationem meam

 ad te omnis caro veniet.


  入祭唱

 主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光により彼らを照らしてください。

 神への賛歌はシオンでこそふさわしく歌われ、

 主への誓いはエルサレムで果たされるでしょう。

 主よ、わたしの祈りを聞き入れてください、

 死すべきものすべては、主に帰っていきます。


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