act.3 残酷な慈悲2
それから毎日のようにカイルは地下牢に来るようになった。
毎昼前に地下牢にきては、使用人に部屋を掃除させ、メリアの身を清める手伝いをしたり、衣服を清潔なものに変えられたりーーー という現状が一ヶ月近く続いており、メリア自身、ころころと変わる状況を飲み込めずにいた。
これはどういうことだろう。
今もそうだ、何故か湯浴みをさせられているし、暴力に晒されることもない。
それも使用人に、ではなく、カイルが直接湯浴みをさせるのだと、反対を押し切って今に至っていた。
服を脱がされ、メリアの小さな体がすっぽりと入るくらいの桶の中に入れられ、もう一つの小さな桶で髪を洗われる。
今まで使われたこともないような石鹸で髪を磨かれ、使用人達はそれをオロオロとしながら見守っていた。
「やっぱりメリアの髪は綺麗だ、綺麗なんだからちゃんと手入れしないと勿体ない、肌も、髪も、瞳も… 」
カイルはそういうと、石鹸で洗っていたら髪の毛に指を通していく。
頭皮のなんとも言えない感覚にゾッ、と背中に鳥肌が立った。
「…… 、 」
なんだか居心地が悪い。
そんな感情が湧いた気がしたが、自分で考えるのも、自分で生きるのも諦めた事を思い出す。
さっとお湯で髪を流されると、思考も一緒に流されるようだった。
「ほら綺麗になった! …今日は服も新しく用意したんだけど… その前に… 」
カイルはそう呟くと、メリアの髪に触れる。
「最高神マルテに連なる、偉大なるドロシアの血に流れる意思に感謝を、渡の神メルシーアの恩恵をゼハルの名において許せーーー
オブジェクト・コード、ーーコマンドアクセル 」
カイルの手首に模様が浮き出ると弱く光を放つと同時に、ブワッと髪の毛が舞い上がると熱風に包まれる。
その瞬間呼吸の仕方を忘れ、息苦しくなるが、すぐに止んだ。
ーー魔術。
最近こうやって、髪の毛を乾かしたり、お湯を沸かす時にカイルが使うのをよく聞いていると思い出す。
いつぞや老人に聞いた、この世界の力。
綺麗だと思う反面、嫌悪感も湧いてくる。
ーー何故だろう。
ああ、私はこれの道具として生きるのだっけ。
道具として、アリスの為に生きるのだっけ。
魔術具についても、アリスについても、老人は何も答えてくれなかった。
魔術具になったらどうなるなど、教えてはもらえなかったけれど、死ぬのだろうか。意思はきえるのだろか 。
何も変わらなら、いっそーー
首に装着されている「自戒」の魔術具に触れる。
「こんなものは簡単に拷問で死なないように犯罪者に与えられるか、精神疾患を患った人間に与えられるものらしいよ! 」と、カイルが以前嬉々として語っていたのを思い出す。
考えているといつの間に終わったのか、カイルが顔を覗き込んできた。
「うん。これで大丈夫だよー! この服持ってきたから着替えよう! 」
そういうと、控えめだがレースがあしらわれた真っ白のワンピースに着せ替えられる。
毎日着せ替えられ、いちいちそんなに服を変える必要があるのか疑問だ。
「似合ってるね」
「……そう」
返事をするとじっと瞳を覗き込まれ気まずなる。
「……まだ変わらないか」
「え?」
「なんでもないよ!」
パッと視線を外すと次はーーと、また使用人を困らせているカイルの様子に、メリアの警戒心も段々と薄れていった。
その後は日課のように日が暮れるまで、他愛もない話を聞かされるか「兄上」の愚痴を聞かされていた。
たまに自分のことを聞かれ、答えると、カイルは嬉しそうに笑い自分の事を話す、そんな時間を繰り返していた。
いつからだろうか。
これはまるで話に聞かされてたことはある、本の中で出てくるような、家族や友人、のようだな、なんて思った。
何か、自分の中に大事なものが引き戻されていくような感覚。
ーーもしかして、私は今、期待しているのだろうか。
この現状に。
乾いてさらさらになった、カイルのおかげで最近艶が出てきた赤毛に触れる。
「さっきの神様の、名前… この地域の神様の名前… 」
「え? ああー、そうか。
メリアは父上にある程度神話や聖書を教えて貰ったんだったね 」
父上…?
もしかしてあの老人はカイルの父親だったのだろうか。
今までの青年との会話など、考えないようにしていた事も思い出すと、たしかにそういうことなのかもしれない。
「お父さん、お爺さんじゃなかったんだ」
そういうと、カイルは頬を掻いた。
「……あー、お父様は確かにかなり高齢で僕を作ったから…。
僕は、後妻の子供なんだって。
だから親子だけど年が凄い離れてるんだ。
でもとっても尊敬してるよ! 今使える魔術も父上が僕に教えてくれた物ばかりだしね」
ーー魔術……そうだ、今なら聞けるのではないか、ずっと聞きたかった、老人が答えてくれなかった事。
「ねえ、聞いてもいい?」
「 ? いいよ ? 何をだい?」
なんでも聞いて、と少年らしく胸を張っていたので、真っ直ぐとカイルの目を見る。
「『アリス』てなに?」
ピクリ、一瞬カイルから笑顔が完全に消え去り、聞いてはいけない事を聞いたのだと思い、思わず目を逸らす。
「…知らないなー、人の名前かな、西の地方にはよく聞く名前だと思うよ、それがどうしたの?」
すぐにいつも通りの無邪気な顔に戻った事に安心する。
「そっか、わからない、よね。ごめんなさい」
「気にしないで! むしろごめんね、君の知りたい事は全部答えられるようになってあげたいのに、まだまだだよねー」
カイルはニコリ、と笑うと、そういえばね、と声を弾ませる。
「僕は将来、この国の中心で父上のように新しい事をしていきたいんだ。
その為に三年後に新都の教育機関に通おうと思っていてね、そうなるとこうやって君と一緒にいられなくなっちゃうだ。」
カイルは寂しそうに目を伏せると、決心したように真っ直ぐと私を見た。
「だからメリアも付いてきて欲しいんだ 」
「……? 」
何を言ってるのだ。
外に出るなんて許されるわけがない、そう思って首を振った。
「心配しないで、なんとか兄上を説得して、ゼハルの人間として表に出れないか、交渉してみようと思う」
私は驚いて目を開いた。
「ゼハルの人間…私はカイルの、家族になるの? 」
少年はにっこりと笑う。
「奴隷だよ。
当たり前じゃないか、正式にゼハル家の奴隷として国や領地から承認を貰うんだよ。
兄上が、私生児は家族になれないってさ。僕もそれはちょっと。
それに本当は嫌だよ?
君が人になるだなんて。
僕がはじめて、自分で使える道具で、僕の物なんだから。
この家の共有財産だなんて、ゴメンだよ 」
ーー夕暮れの鐘が鳴る。
可愛らしい少年の双眸が、歪んだ弧を描いていた。