呪詛魔法
僕は”草原の迷宮”一層目でひしめいていた魔物を一掃した後、オーランド領の街道をリリアと歩いていた。
歩く道の両側に延々と畑が続いている。
初夏のこの季節、空の下には黄金色をした麦補が借り入れを待つばかりになっている。……のはずなのだが、昔見た光景に比べて何か今一つ異なった景色だ。
「これが黄金の海と言われたオーランドの麦畑ですか?なんだか薄汚れて貧相な海に見えますねぇ……。」
リリアの言う通り明らかに実りが悪い。
この季節なら麦の補がたわわに実っているはずなのだが、実入りが今一つのように見える。
「昔見たのは本当に黄金の海だったのだが……。何世代にも渡って改良した肥沃な土に……?肥沃な土?」
オーランド領は元々大きな穀倉地帯だったが”黄金色の穂が美しく実る土地”と言われるほどの穀倉地帯ではなかった。その様に言われるようになったのは祖父の時代からだ。
祖父が土地改良に取り組んだおかげで”黄金色の穂が美しく実る土地”と言われるようになったのだ。その土は黒々としてよく肥えている。
だが僕の目の前にある土は肥沃とは言えない。
「師匠、どの穂もあまり実っていないみたいですね。それにすぐ倒れそうなぐらい弱々しいです。呪いの魔法でも使ったのでしょうか?」
どの麦もあまり実っていないようだ。中には全体が枯れてしまっているものもある。
「リリア。これは土壌が悪くなったことで実りや病気になったのだよ。それに。呪いの魔法はもっと別のものだ。」
僕はリリアにそう言って左腕の複の袖を肩までまくり上げた。
「一見すると何もないように見える。が……。」
二の腕の部分に”保温”の魔法を使う。
”保温”の魔法は寒い時に体を温める事に使うことのできる魔法だ。この魔法で温めると温泉に入ったように体が少し赤くなる。
「!」
暖められた二の腕には禍々しく歪な赤い跡がうっすらと浮かび上がってきた。
「これは昔、セルダンが僕に呪詛魔法の一つ、呪炎を使った跡だよ。同時のセルダンが術者として未熟だったことと執事のステーブンが庇ってくれたおかげでこの程度で済んでいる。」
「……治らないのですか?」
「治癒魔法でもこの様にしか治すことが出来ない。この世界の魔法にはさまざまな種類がある。時には雨を降らせ時には風を起こす。様々な現象を起こす魔法だがその中でも厄介な系列の魔法が呪詛魔法だ。」
「リリア。”呪詛魔法”とは魂の形に効果を及ぼす魔法なのだよ。」
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かつてオーランドの屋敷が建っていた場所。そこには別の建物、いや城塞と言うべきものが建てられていた。
元々の屋敷はアイザックが貴族院へ入学後、しばらくして取り壊されていた。
取り壊された後もしばらく放置されていたがアイザックが貴族院を出奔する前後でまったく別、城塞と言われる物が建設された。
オーランドの屋敷近くにあった街は新しくたてられた城塞の城下町として取り込まれる。
城塞が建てられてしばらくすると城下町で疫病が発生し元々からいた住人の大半が死亡した。
運よく生き残っても一人、また一人といつの間にか町から消えていった。
そして、今の城下町にかつてのオーランドを知る者はほとんどいなくなっていた。
町の住人達の間に幾つかの噂が広まっていた。
「行方不明になった町の住人は城塞に連れて行かれた。」
「城に呼ばれた者の中には帰ってこなかった者もいる。」
「新しく建てられた城塞の地下では毎夜、様々な魔法実験が行われている。」
そしてこの噂はどの噂も正しかった。
現に今も、城塞の地下で屈強な男が大きな長テーブルの上に縛られていた。その男の前には黒い魔法使いのローブを身に纏った男が何やら怪しげな魔法を使おうとしている最中だ。
男が呪文を唱えると縛られた男の頭に角が生え腕の筋肉が盛り上がり自らを縛る戒めを引きちぎる。
だが、自由になったのも束の間、突然男は吐血し体がズルズルと崩れ落ちてしまった。
「ふむ。どうやら違ったようだな。」
「おいウィルの爺さん。何時まで掛かっているのだ?」
ウィルと呼ばれた男は声の方へ振り向いた。振り向いた時に翻った黒いローブの下には皺だらけの顔と不気味な三日月状の笑みが覗いていた。
「これはセルダンさま。……今日は黒髪では無いのですね?よろしいのですか?」
「ふん。ここに居る時まであの出来損ないの真似をする必要はない。要はバレなければいいのだ。」
セルダンはウィルに髪の毛の事を指摘され途端に不機嫌な顔をしている。
「そうでございますか。」
「それより例の物は仕上がっているのか?」
「ええ、少々数が多ございましたが今までの蓄積があります。それに今回の物は今までのとは違い特に方向性は固定されておりませんので楽な物でした。」
「ふむ。それは僥倖。そうだ、それとは別に例の兵士を何体か連れて行くぞ。」
「構いませんが、何故に?」
「……狩には猟犬が必要だろう?」
セルダンはそう言うとニヤリといやらしく笑った。




