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16話:台風がくるぞ

 1978年も寒い時期はストーブをたいて孫が風邪ひかないように気を使い、ミルク作り、オシメの取り替え、家の周りの散歩を祖父母がやってくれ、勇三は梨農家の指導に忙しく動き回っていた。その他に農協から委託されて梨の苗作りも続けていた。やがて4月の花粉付けが始まり、この作業が梨のできを左右するので後輩の梨農家の人達に懇切丁寧に教えてあげ実際にやらせた。


 5月からの摘果6月からの袋かけ、ネット張り、7月の総点検も実地訓練で後輩指導をして、とにかく忙しい年で8月の収穫期、梨もぎ、収穫と販売を近隣の農家総出で手伝ってもらい、今後、自分達だけでできるように指導した。9月中旬に梨の販売が終了して近くの料理屋で農家、農協の関係者30人が集まってご苦労さん会をして盛り上がった。思ったよりも収益性が高いせいか俺もなしやりたいと言う農家の若者が増えてきたようで農協の方で大きな梨果樹園を10人の農家の若者でやって欲しいと言う話も出た。そして農協の幹部の人が田名でも減反政策で米からの転作で何か新しいものとして梨に注力してきたので是非とも成功させたいと意気込んでいた。


 そして勇三に来年から若手農家の指導に少し給料を払うと言ってくれた。それだけ勇三には期待していると肩をたたいた。勇三が、かなり飲んで家に帰ってきてすぐに床についた。翌朝、もう、子供達は1歳を過ぎて家の中を動き回って祖父母が追いかけ回している光景が多くなり元気に育った。梨も大好きで小さく切ってやると2人で甘くて旨い梨をたくさん食べた。山田さんの家でもお仕え物に気を使って多く買い込んでくれ進物用に使ってくれた。やがて12月になり、今年のクリスマスに山田家の3人が孫に大きなプレゼントと多くの食べ物、オモチャ、絵本を持って12月24日にやってきて鳥の丸焼きを4つと大きなケーキを3つを持参して賑やかなクリスマスパーティーとなった。


 夜遅くまで楽しみ、帰って行った。やがて1979年が空け1月1日に昼に山田家の3人がやってきて、お年玉を和男と和子に渡してくれた。そして、お雑煮とおせち料理を総勢9人で笑いながら和やかに、食べて、おしゃべりして今年も宜しくと挨拶して帰って行った。1月下旬に和男が赤い顔して熱があるとおばあちゃんが気がつき、氷嚢をつくって額につけて寝かしてくれた。翌日の午後に今度は和子が赤い顔して熱が上がり、同じ様に氷嚢をつくって寝かせた。生まれて初めての風邪を経験したようだ。そして冬が終わり梨の花粉付けの4月となり、これから本格的な梨のシーズンとなる。今年は10人の農家の若者が勇三のもとで研修し1人月間5千円、10人で5万円の給料が農協から指導料として支払われることになった。


 5月からの摘果、6月からの袋かけ、ネット張り、7月の総点検も実地訓練で極力、若手だけで作業させて、間違えそうな時に勇三が手を出すようにして指導していった。気象庁の3ヶ月予報を見て、大きな台風が来そうな年は早めに収穫し、そうでない時には通常通りに収穫して1979年は通常通り9月10日まで幸水、豊水梨を収穫して販売も9月中に終えた。10月16日に梨の木が折れないようにと縄で結わく作業を農家総出でする事となった。しかし10月中旬に大型の台風20号が発生し10月18日に日本を縦断していった、それでも大きな被害が出ずに何とか乗り越えられた。

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