表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/46

1話:江成家の三男・勇三

 江成勇三は1952年6月7日、神奈川県高座郡相模原町の田名、地元では水郷田名と呼ばれる穀倉地帯の養蚕農家の5人兄弟の3男として生まれた。昔、この地区では、しばしば洪水が起こり江成勇三の先祖が私財をなげうって立派な堤防を建てたので地元では名家として知られているがその江成さんの遠い親戚だった。戦後、どこでもそうであったが貧しい生活を強いらたが、それでも食うに困らず、相模川ではアユ、ヤマメ、奥の山に行けば春にはタケノコ、秋には山菜、自然薯、食用キノコがとれ、食いつないぎ、贅沢は出来ないが、ひもじいい思いはしないで済んだ。


 勇三の家でも鶏を飼い卵と鶏肉も販売していた。江成勇三は歩き始めてから野山をかけめぐり木の実、山菜、タケノコ、食用キノコを袋にいっぱい取って来たり、兄ちゃんに魚の釣り方も教えてもらい男兄弟3人でシーズンには多くのアユ、ヤマメを釣ってきた。いわゆる野生児として元気に育っていった。そして、他の農家と同様に中学を出ると家の手伝いをしながら素朴な生活を続けていた。家には3台の自転車と農機具とオート三輪と軽トラックがあり、遠くに出かけるときは両親に許可を得て自転車で近くは相模原、遠くは、八王子、橋本、津久井湖、相模湖、厚木まで足を伸ばした。そして相模川の川下りの船頭の手伝いをして見習いをしていた。


 17歳の時の忙しい夏のシーズンに船頭をする事もあった。そんなある日、上品そうな洋服を着た若い娘達が10人程でやってきて船に載せて欲しいというので、いつも教えてもらってる島田拓蔵さんにお前の船の5人俺の船に5人乗せて一緒に行くから後をついてこいと言われた。言われたとおりに娘達を船にのせて注意事項を読み上げてから、これから30分の川下りをお楽しみ下さいと言って川を下流の厚木方面に向けてこぎ出した。


 そして慎重に船を漕いでいると15分たった頃に船の真ん中位に座っていた娘が急にバタッと倒れた。驚いた勇三は前の船の島田拓蔵に大声で娘が倒れたと怒鳴った。すると少しして相模原の方の岸に船を着けて勇三がその娘に肩を貸し、大きな草の影の場所に座らせて彼女の水筒の水を飲ませて気がつくと深呼吸させた。暑気にやられた様だった。そこで島田拓蔵がおまえら、ここを動かずに待ってろと言い後で車を呼んでやるからと言った。


 そして島田拓蔵が自分の船を漕いで行ってしまった。そして若い娘5人と勇三の6人が残され、待っている時間は長く感じるもので、勇三は何も言えずにいると意識が戻った娘があんたの名前は電話番号はと聞くのでなんで聞くのだと聞くと、そんなの当たり前じゃないのと大きな声で言うので勢いに負けて、彼女の手帳に勇三の名前と住所と電話番号を書いた。1時間過ぎて車が2台、川の堤防の道を走ってきて5人の女性を乗せて学校へ帰っていったようだ。その後、島田拓蔵が運転するトラックが来て、船頭が1人に降りて、後は俺がやると言って船の乗っていき、その車で勇三の家まで送り届けてくれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ