直言
ジノーファが帰参した、次の日の昼下がり。ジェラルドは主だった幕僚を集めて会議を開いた。その席で彼はまず、ノーラに命じて諸々の説明を行わせる。予想通りというか、場は騒然となった。
「まさか、魔の森に人が暮らして……」
「湖に点在する島、か。確かに、それならば……」
「いや、それよりも重大なのは三人目の聖痕持ちだ」
「ラグナ殿、と言ったか。ネヴィーシェル辺境伯領へ移住するのであれば、我らの敵となるのであろうか」
「もし聖痕持ちが敵になるようなことがあれば、味方の士気に影響が出ることが懸念されますぞ」
「ジェラルド殿下、あまり言いたくはありませんが、これは重大な利敵行為ではありませんか?」
幕僚の一人がそう尋ねると、ジェラルドに視線が集中する。その中で、彼は一拍置いてからこう答えた。
「……利敵行為であるとは、考えていない。要するに、この件を我々が利用すればよいのだ」
幕僚の質問に対し、ジェラルドは淡々とそう答えた。ネヴィーシェル辺境伯ダーマードは現在、魔の森に対する防衛線の維持を巡り、イスファード王太子やエルビスタン公爵の派閥と対立している。主流派から疎まれ、冷や飯を食っている状態だ。
両者とも、お互い自分たちのことで手一杯であるし、また曲がりなりにも味方であるため武力衝突にはいたっていないが、同時に良い感情も抱いてはいないだろう。そこへジノーファの手引きでアヤロンの民が、ひいては三人目の聖痕持ちが辺境伯領へ移住してくるのだ。
イスファード王太子やエルビスタン公爵としては面白くないだろうし、彼らが結果を残せばなおのこと面白くあるまい。特に、その件にジノーファが関わっていると知れば、イスファードの内心はささくれ立つだろう。
それを、利用する。対立をあおり、両者の亀裂を深くし、最終的にダーマードを調略するのだ。上手くいけば彼の派閥だけでなく、アンタルヤ王国の西域を丸ごと切り取れるかもしれない。そうなればロストク帝国は戦うことなく、念願の貿易港を手に入れることができる。
まあ、そこまで上手く行かずとも、来るべき遠征の足がかりを得ることはできるだろう。敵国の大貴族を調略できれば、遠征は容易に進むに違いない。調略できずとも、その情報を流すなどして、敵を疑心暗鬼に陥らせることはできる。敵を内部で分断できれば、やはり遠征は容易になる。
「なるほど、そこまでお考えでしたか」
「ジノーファは考えていないだろうがな。まあ、我々は悪い大人であるから、利用できるものは利用させてもらう」
ジェラルドが肩をすくめてそう言うと、幕僚たちの間に笑いが起こった。それが深刻になりかけていたテントの中の雰囲気を変える。部下達の笑いがおさまるのを待ってから、彼はさらにこう続けた。
「さて、アヤロンの民の移住に関してだが、ジノーファから護衛のための兵を借りたいと要請があった」
そう告げてから、ジェラルドはさらに、ジノーファの言い分を幕僚たちに伝える。彼らも頷いているから、やはり筋は通っているのだ。そして説明を終えると、ジェラルドはさらにこう言った。
「それで、この件について皆の意見を聞きたい」
「…………ジェラルド殿下は、どうお考えなのですかな?」
「正直、そこまでやる必要はないと思っている」
ジェラルドはそう答えた。ジノーファの言い分を聞いた上での判断である。もともと現在の場所でモンスターを間引く、というのが遠征軍の方針だったのだ。ここでの成果しか、当初は計算に入れていなかったわけである。
つまりアヤロンの民がダンジョンを攻略して、ロストク帝国に対する魔の森の脅威を減らしてくれたとすれば、それは全て望外の成果ということになる。計算外の成果が出るのはほぼ確定しているのだから、そこへさらに手を出す必要はないだろう。
加えて調略というのは、相手がほどほどに弱っているほうがやりやすい。アヤロンの民が移住することで辺境伯領は持ち直すことが予想される。将来のことを考えれば、あまり力を持たせすぎるのも考えものだ。
(それに……)
それに、三人目の聖痕持ちがいるのだ。その程度のことは自分たちで何とかするだろう。ジェラルドはそんなふうにも思っている。個人的な感想に過ぎないので、あえて口に出すことはしていないが。
「うぅむ……。確かに……」
「どちらにしても、遠征軍、ひいては本国に大きな影響があるようには思えませんな」
「殿下が、そう言われるのでしたら……」
ジェラルドの考えを聞くと、幕僚たちの大半はその意見に同調した。遠征軍としてどうしても動かなければならない理由があるわけではないのだ。しかも直接的に助けることになるのは敵国。指揮官も否定的な意見を述べているわけだし、であればわざわざここで異を唱えることもあるまい。それで方針は決まりかけたのだが、その中で一人の幕僚が手を上げ発言を求めた。ルドガーである。
「殿下。ここはジノーファ殿の要請に応えるべきと考えます」
「……ルドガー。お前はいささか、ジノーファに入れ込みすぎではないか?」
顔をしかめつつ、ジェラルドはそう言った。少々不機嫌そうな物言いだが、実際、彼は内心あまり面白くなかった。それは決して、ルドガーが異を唱えたからではない。もっと根本的なこと、ジノーファが語った論法そのものに起因している。
ジノーファは「アヤロンの民に護衛を付けるべし」と主張した際、その理由として「彼らがダンジョンの攻略を行えば、その効果は帝国本土にまで波及する」と言った。だからこそ遠征軍の目的に資すると主張したのだ。
確かに、その通りではあるだろう。より帝国本土に近い場所でダンジョン攻略を行った方が抑制効果が高いというのは、納得できる考え方だ。それを否定するつもりはない。そしてモンスターの脅威がなくなれば、ロストク帝国の国益に繋がるのも事実だ。
だが、「帝国本土をモンスターの脅威から防衛する」という遠征の目的それ自体が、実際のところ建前でしかない。本当の目的は「帝位継承を見据え、ジェラルドに武勲を積ませる」こと。
ジノーファもそれは分かっているだろう。しかし彼は理論武装する際、建前のほうを全面に押し出し、しかもそれをジェラルド本人に対して説明した。それはまるで、「自分の都合のためにこれだけの軍を動かすのは心苦しいだろう。わたしが建前のほうも達成できるようにしてやる」と言っているかのようだ。
いや、ジノーファにそのつもりがないことは、ジェラルドも分かっている。彼が感じたことは、結局のところ彼自身の心の声なのだ。この作戦に負い目があり、また恥にさえ感じていることも、彼はちゃんと自覚している。自覚してなお、そのように理論武装したジノーファのことを、彼はこう思ってしまった。
――――小賢しい、と。
同時に自らの性根が度し難く思え、ジェラルドは内心嘆息したものだ。それでその場ではすぐに結論を出さず、こうして幕僚たちに諮るなどして、なるべく公平であるよう彼は心がけたつもりだった。
なにより、ジノーファ自身が手を貸すことまで止めるつもりはない。そうすれば聖痕持ちが二人も護衛に付くことになる。ジェラルドは詳しいことを知らないので断定的なことは言えないが、それだけの戦力があれば十分であろう。
手持ちの情報をなるべく公平な立場で総合的に勘案し、ジェラルドは「護衛は不要」という結論を出したつもりだった。しかしルドガーが異を唱えたことで、彼は自分が本当に公平であったのか、その自信が揺らいだ。
それを悟られたくなくて、まるでルドガーの方がえこひいきをしているかのような物言いをしてしまったのである。しかしそれでも、ルドガーはジェラルドの目を真っ直ぐに見て、さらにこう言葉を続けた。
「確かに私は、ジノーファ殿のことを高く評価しております。ですが今回このように申しましたのは、殿下のためでございます」
「私のため、だと?」
「はい。恐れながら、殿下は聖痕をお持ちではありません」
ルドガーがそう言うと、ジェラルドは眉間にシワを寄せて表情を険しくした。ジェラルドが聖痕を持っていないのは周知の事実だ。そして炎帝ダンダリオンの後継者として、彼がそのことに苦しんでいるのも、少し考えれば分かることである。
だからこそ、今までそれをジェラルドに面と向かって言う者はいなかった。言ったところでどうしようもないし、言えば彼を傷つけ不興を買うことが明白だったからだ。しかし今、ルドガーはあえてそこへ踏み込んだ。
「……何が言いたい?」
底冷えするような声で、ジェラルドはそう尋ねた。テントの中の空気は凍りつき、居並ぶ幕僚たちは凄まじく居心地の悪そうな顔をしている。「逃げ出したいがそういうわけにもいかぬ」という顔だ。そんな中で、ルドガーは臆することなく真っ直ぐジェラルドの目を見、また口を開いてこう言った。
「殿下は聖痕をお持ちではありません。そしてこの先、得ることも叶わぬでしょう。しかしそれでも、殿下は帝位にお付きになられなければなりませぬ。であれば、殿下はお示しになられなければなりません」
「……何を、示せというのだ?」
「ロストク帝国皇帝は聖痕持ちよりもはるかに強大な存在であることを、でございます」
「……!」
ルドガーの言葉を聞き、ジェラルドの険しかった表情がわずかに動いた。そんな彼に、ルドガーはさらにこう言葉を続けた。
「我々が知る聖痕持ちは、全部でお三方でございます。しかしそのいずれの方も、人を頼るということはほとんどなさいません。ダンダリオン陛下は言うに及ばず、ジノーファ殿もあの気性ですし、ラグナ殿もまずは身内で事にあたりましょう。
であれば今回だけと思ってよいでしょう。聖痕持ちが、それも二人も、殿下のお力を借りたいと縋ってくるのは、今回だけなのです。さらに申せば、アンタルヤ王国は護衛の兵を出すことを断ったとか。
もし殿下がお二人にご助力されれば、殿下とロストク帝国にはそれだけの力があるのだと、天下万民に知らしめることができます。しかもそれは、アンタルヤ王国にはできなかったことなのです。
殿下、今一度申し上げます。護衛の件、どうかご了承なさいますように。さすれば全軍が、いいえ万民が知るでしょう。それこそが殿下のお力であり、そして帝国の尊厳と威光である、と!」
ルドガーは声に力を込めてそう語った。凍り付いていた空気は、いつの間にか熱を帯び始めている。そのなかで彼はふっと笑みを浮かべ、さらにこう言った。
「それに、痛快ではありませぬか」
「痛快?」
「左様。聖痕持ちの方々が、我らの武を見込み、そして頼ってこられたのです。これほど痛快なことはありませぬ」
ルドガーがそう言うと、幕僚たちも頷いたり膝を打ったりして同意を示した。直轄軍の幕僚だけあって、ここにいるのは優れた武人でもある者たちだ。それぞれ自分の武芸には自信を持っている。自信だけでなく実績も残しており、一般に尊敬され、相応の待遇を与えられてしかるべき者たちだ。
しかしそんな彼らでも、聖痕持ちには及ばない。しかも身近に二人もいるため、どうしても比べられ、一段低く見られてしまうのだ。実力に差があるのは事実だし、聖痕持ちはあくまでも例外的な存在であるため、普段それを気にすることはあまりない。だが改めて指摘されれば、「一度くらいは上回ってみたい」という気持ちは否定できなかった。
もちろん、アヤロンの民の護衛をしたからと言って、それで聖痕持ちを「上回った」と言えるか微妙だ。しかし聖痕持ちが決して万能ではなく、また自分達の力だってそう捨てたものではないことは証明できる。そしてそれは十分痛快なことのように思えた。
「殿下、やりましょう!」
「ロストク帝国皇帝直轄軍の力を見せるべきときです!」
「アンタルヤ王国に、格の違いを見せ付けてやるのです!」
「皇太子殿下!」
「ジェラルド殿下!」
幕僚たちは口々にそう声を上げた。テントの中には熱気が渦巻いている。視線が集中する中、腕を組んで瞑目していたジェラルドは、ゆっくりと口を開いてこう言った。
「相分かった。皆がそういうのであれば、護衛の件、了承しよう」
ジェラルドがそう裁決を下すと、幕僚たちは歓声を上げた。ルドガーも穏やかに微笑んで一つ頷く。そんな彼の様子を見て、ジェラルドは苦笑しつつ内心でこう呟いた。
(思わぬ伏兵がいたものだ……)
ほとんど決まりかけたものを、弁舌だけでひっくり返された。「弁が立つ」というのは、こういう事を言うのだろう。ただ、それでも不思議と腹は立たない。
それはたぶん、ジェラルド自身がルドガーの言葉に共感したからだろう。聖痕を持たず、しかしそれでも炎帝ダンダリオンの後を継がねばならない。そんな彼の苦悩に、ルドガーは真正面から踏み込み、そして道を示して見せた。
実力については言うに及ばず、それでいておもねるだけでなく、時に耳に痛い諫言も臆せず口にする。得がたい臣だ。自分と同世代にこのような将を得られたことは幸運だった、とジェラルドは思う。
加えて、「困難にあって聖痕持ちに助力した」という形であれば、それはジェラルドにとって格好の箔付けとなる。つまり今回の遠征の、本当の目的にかなうのだ。そこをまさに突いたルドガーの発言は、まさしく至言と言っていい。
また今後、四人目、五人目の聖痕持ちがロストク帝国以外の国に現れる可能性は否定できない。その場合、ダンダリオンやジノーファを知るロストク兵だからこそ、士気に重大な影響が出かねない。
だが、今回のように聖痕持ちとて全能ではないことを知らしめておけば、聖痕持ちを過度に神聖視したり、神格化したりしてしまうことを避けられる。そうやって予防線を張っておくことは、将来のために重要だ。
(まあ、諸々そう上手く行くかは別問題だがな……)
ジェラルドは内心でそう皮肉気に呟いた。もっとも、彼はそれほど心配していない。要するに、そうなるよう情報操作してやればいいのだ。周辺諸国までやる必要はない。国内でそういう評価が確定すればいいのであって、それだけなら比較的容易だろう。
もっとも、そのためには基となる事実が必要だ。つまり今回の護衛の件、ぜひとも成功させなければならない。それに必要なのは人員だけではないだろう。食料やポーションをはじめとした物資、また装備品の類も必要になってくるに違いない。
そういうものを全て揃えられるのは、確かにロストク軍くらいかもしれない。ジェラルドはそう思った。ならばこれは、似合いの役回りなのだろう。
ジェラルド「ルドガーには、煽動家の才能もあるな」
ルドガー「武官に弁舌で負けていては、次期皇帝の立つ瀬がありませぬぞ?」