入植の条件
魔の森を睨む防衛線に設けられた、石造りの要塞。指令所と呼ばれるその防衛拠点に戻ってきた時、ジノーファたちは慌しいものを感じた。人が忙しく動き回り、それぞれの表情に余裕がない。
(何かあったな……)
ジノーファはすぐにそれを察した。イゼルも同じことを感じ取ったのか、すぐさまダーマードのところへは行かず、まずはジノーファたちを司令所の一室に案内した。華美ではないものの、ベッドやソファーもあり、十分に休むことのできる部屋だ。
「そうだ、シグムント。ここでは、わたしのことはニルヴァと呼んでくれ」
「ニルヴァ?」
「ああ。ちょっと訳有りなんだ」
ジノーファがそう言うと、シグムントは怪訝そうな顔をしながらも一つ頷いた。あれこれと追求することはしない。その顔には緊張が浮かんでいるから、気にならなかったというよりは、気にする余裕がなかったのだろう。
「ここで少しお待ちください」
そう言ってから、ジノーファらを部屋に残し、イゼルはダーマードのところへ向かった。彼の執務室には多くの人が出たり入ったりしていてせわしない。ダーマード自身も忙しそうにしていて、イゼルは謁見するまでに多少待たなければならなかった。
「閣下、ただいま戻りました」
「おお、イゼルか! して、次第はどうであった?」
イゼルの姿を認めると、厳しかったダーマードの表情が少し明るくなった。そして彼に尋ねられて、イゼルはダンジョンの攻略と探索について報告する。彼女の報告を聞くうちに、ダーマードの表情はまた険しくなっていった。
「魔の森に集落が……? しかも、三人目の聖痕持ちだと……!?」
荒唐無稽すぎて、にわかには信じられない話だった。しかしイゼルがそんなウソをつく人間ではないことは、ダーマードも良く知っている。なにより、発見された集落から使者が来ているという。
「ニルヴァ様も、お話したいことがあるようです。お会いになられますか?」
「もちろんだ。だが、もう少し待て。指示を出し終えてからでなければ……」
そう言って、ダーマードは苦い顔をした。それを見て、イゼルはよほどの事態があったことを察する。それで、こう尋ねた。
「皆さま慌しくされていますが、何かあったのですか?」
「……防衛線が破られたのだ」
「……ッ! それは……!」
ダーマードの言葉を聞き、イゼルは顔を強張らせた。モンスターに防衛線を破られたとなると、これ以上ないくらいの緊急事態だ。防衛線の中枢たる指令所が慌しくなっているのも当然であろう。
幸い、応急処置とはいえ、破られた防衛線の穴はすでに塞いだという。だが破られた際、少なく見積もっても一〇〇体以上のモンスターが防衛線の内側に入ってしまった。しかもその中にはエリアボスクラスのモンスターがいるという。
「……モンスターの襲来があり、その中にエリアボスクラスが二体も混じっていたのだ。一体は倒したのだが、そやつに防衛線の一角を崩されてな。もう一体にそこを突かれ、あれよと言う間に突破されたという話だ」
ダーマードは苦々しげにそう話した。防衛線の一点にエリアボスクラスが二体も集中してしまったのは、不幸としか言いようがない。だがそれでも、防衛線を破られ領内への浸透を許してしまったのは、ダーマードにとって痛恨事だった。
領内に侵入したモンスター、特にエリアボスクラスのモンスターを好き勝手にさせていては、どれだけの被害が出るか分かったものではない。早急に討伐しなければならないが、同時に防衛線の手当てと建て直しも急がなければならない。二つの大仕事を同時にこなさなければならず、それが指令所の慌しさの原因だった。
「ニルヴァ様と使者には、必ずお会いする。ただ今はこの通りでな。少し時間をいただきたい、とお伝えしてくれ」
「りょ、了解しました。私のほうからも、事情をご説明しておきます」
「うむ。頼んだぞ」
イゼルにそう告げると、ダーマードはまた執務に戻った。次から次にもたらされる報告を聞き、その都度適切な指示を出す。見ていないことを承知で、そんな彼に一礼してから、彼女はジノーファたちが待つ部屋へ戻った。
「そう、か。そんなことが……」
イゼルの話を聞くと、ジノーファはそう言って痛ましそうに目を伏せた。エリアボスクラスのモンスター。それを討伐するためにどれほどの戦力が必要になり、どれほどの犠牲が出るのか。それを慮ってのことだ。
もちろん、エリアボスを討伐したことのあるパーティーは、この世に数多くいるだろう。辺境伯が抱える兵士達の中にも、その経験がある者は多いに違いない。しかしそれはダンジョンの中や表層域での、魔法や武技を使える環境での話だ。
魔法や武技が使えなければ、純粋な身体能力のみで戦わなければならない。もちろん、ダンジョンの中では使えないような兵器を使ったり、人数を揃えたりと、対抗策はいくつかある。だが基本的にエリアボスクラスというのは化け物だ。人間相手のように考えるわけにはいかず、どれだけ準備を整えても一抹の不安を拭いきれないのが現実だろう。
その上、件のモンスターは行方をくらませている。討伐するためには、まずは索敵からはじめなければならない。ということは、広範囲に部隊を展開する必要がある。また見つけたとしても、その場に留まっていてくれることなどまずない。であれば討伐を担当する部隊も、複数用意する必要があるだろう。
言い方を変えれば、戦力を分散させる必要がある。しかもそれぞれにエリアボスクラスを討伐するだけの戦力がなければならない。それはつまり精鋭部隊を複数用意するということだ。今の辺境伯領軍にとっては、重い負担であるに違いない。
しかもそれだけやって、すぐさま件のモンスターを討伐できるとは限らない。討伐部隊が到着する前に集落が襲われるかも知れず、その場合、被害は大きなものになるだろう。討伐部隊が間に合ったとしても、あるいは失敗するかもしれない。そうしたら、状況はさらに悪くなる。
さらに言えば、領内に浸透したモンスターは、エリアボスクラスだけではない。少なく見積もっても一〇〇体以上のモンスターが、一緒に防衛線を突破している。こちらへの対処も必要だし、またどうやっても被害は出るだろう。対処の難しさと言う意味では、あるいはエリアボスクラス以上かもしれない。
ダーマードはそれらの被害を少しでも抑えようと、今まさに奮闘しているのだ。それに横槍を入れるのは、ジノーファとしても本意ではない。手伝えることがあるわけでもなく、「少し待ってくれ」というのであれば、彼としてはいくらでも待つつもりだった。
「申し訳ありません。それで、お待ちいただいている間ですが、指令所の中であれば、自由にしていただいて大丈夫です。ただ、私以外に人手はさけませんが……」
「大丈夫。自分のことくらい、自分でするさ」
ジノーファがそう応えると、他のメンバーもそろって頷いた。それから彼らはダーマードに呼ばれるまでの間、比較的リラックスして過ごした。厨房に料理をねだって部屋で食事を食べたりもしたのだが、その時はシグムントが森の外の料理にいたく感動した様子だった。
さて、ダーマードがジノーファたちを呼んだのは、次の日の昼食時のことだった。彼の仕事はまだ山積みでいつ終わるか分からない。それで昼食を食べながら話を聞くことにしたのだ。
すでに概要の報告は受けていたのだが、その席でダーマードはもう一度イゼルから詳細な報告を受けた。ダーマードは食事をしながら彼女の報告を聞き、一方のイゼルは全く食事に手をつけずに説明をすることになった。彼女がちょっぴり恨めしそうな目をしていたのは、たぶんジノーファの勘違いだろう。
「……夜間に天測を行った結果、アヤロンの里は魔の森のほぼ中央に位置していることが分かりました。ダンジョンを用いたルートでなければ、たどり着くことはまず不可能でしょう」
その報告に、ダーマードも深く頷いた。魔の森を普通に踏破しようなどというのは、正気の沙汰ではない。そもそも普通に歩いてたどり着けるのであれば、アヤロンの民が森に取り残されることはなかっただろう。
「……その後、使徒、つまり聖痕持ちであるラグナ殿とニルヴァ様の間で話し合いが行われました。その中でアヤロンの民が森からの脱出を望んでいることが話され、その希望をかなえるため、まずは使者を立てることが決まりました。それが、こちらのシグムント殿です」
「拙者、シグムントと申す。こうして“かっか”にお目通りがかなったこと、まずは感謝いたしまする」
イゼルに紹介されると、シグムントは立ち上がってそう自己紹介をした。ちなみに「閣下」の発音がたどたどしいのは、アヤロンの民の間では使われない言葉であり、昨日イゼルから教えてもらったばかりだからだ。
「うむ。私がネヴィーシェル辺境伯ダーマードだ。魔の森に人が暮らしていたとは驚きであるが、こうして話し合いの場を持てたことを嬉しく思うぞ」
激務の疲れもあるだろうに、ダーマードは鷹揚にそう応じた。二人の自己紹介が終わったところで、シグムントは持参した品をダーマードに献上する。ジノーファのアドバイスを聞いて用意した品々で、金細工やドロップアイテムを使った武器などだ。
ちなみにこれらの品はジノーファのシャドーホールに収納して持ってきたのだが、指令所では魔法が使えず、取り出すために彼らは一度表層域まで出なければならなかった。シグムントにとっては初めての経験で、彼は「これが、楽土か」と神妙な様子だった。
献上された品々を見て、ダーマードは感心したように「ほう」と呟いた。隔絶された環境で作られてきただけあって、特に金細工などの装飾品は、見た事のない意匠をしている。異国情緒があり、まるで舶来品のようだ。
武器は無骨だが、だからこそ実用的であることが一目で分かった。なにより、それぞれドロップアイテムの特徴をよく捉えて生かしている。文明のレベルは低いと聞いていたが、なかなかどうして優れた技術を持っているようだ。
「よい品だ。ありがたく頂戴しよう」
「はっ、お喜びいただけて何よりと存じます」
シグムントがそう言って一礼する。その堂々とした立ち振る舞いにも、ダーマードは感心した様子だった。
その後は、実際にラグナと話をしたジノーファが引き継いだ。彼と話し合ったことを、かいつまんで説明する。ダーマードからはいくつか質問があったが、シグムントにも補足してもらいながら答えていく。しばらく質疑応答を繰り返すと、ダーマードもおおよそ事情を理解できたようで、「なるほど」と呟きながら顎先を撫でた。
「つまり、アヤロンの民は森からの脱出と我が領内への入植を希望しており、その代わりに魔の森のダンジョンの攻略を請け負う、というわけですな」
ジノーファが「そうです」と言うのを聞いて、ダーマードはさらに思案する。アヤロンの民は全部で三五〇名程度だと言う。あまり多いと困るが、その程度なら受け入れにさほどの負担はない。人数については、受け入れは十分に可能だ。
また、彼らはこれまで手が出せなかった、魔の森のダンジョンを攻略してくれるという。現在、ダーマードが把握している魔の森のダンジョンの出入り口は二つ。まずは一つに注力することになるだろうが、将来的には二つとも攻略は可能だろう、というのがジノーファの見立てだ。
その根拠となっているのが、収納魔法の使い手たちである。なんとアヤロンの里には二〇名を越える収納魔法の使い手たちがいるという。使い手がそれだけいれば、補給線を気にすることなく、かなり柔軟な部隊運用ができる。もちろん表層域に限った話だが、攻略するダンジョンは魔の森にあるので問題はない。
さらにラグナその人、三人目の聖痕持ちがいる。アヤロンの民を迎えれば、一緒に彼も迎えることができるのだ。戦力としてはもちろん、政治的にもかなり大きな意味を持つことは言うまでもない。
「……魔の森のダンジョンの攻略を請け負ってくれるのであれば、むしろこちらから頼みたいくらいですな。アヤロンの民の入植、ネヴィーシェル辺境伯として許可しましょう」
ダーマードがそう宣言すると、シグムントは満面の笑顔を浮かべた。そして立ち上がり、深々と一礼する。ダーマードは鷹揚に頷いて応じた。それからこう言葉を続けた。
「ただ、入植地の選定などには幾分時間がかかる。それで、まずはこの指令所を仮住まいとするがよかろう」
ダーマードはそう提案する。指令所は最大で五〇〇〇名程度の兵が寝起きできる造りになっているが、現在ここにいるのは一〇〇〇名弱。アヤロンの民を受け入れるだけの余裕は十分にある。
アヤロンの民にしても、魔の森からの脱出は早いほうがいい。またこの指令所はダンジョンの出入り口に近く、攻略がしやすい。早いうちから目に見える形で貢献すれば、彼らの評価と価値も上がるだろう。
シグムントは少し考え、それからジノーファのほうに視線を向けた。彼が頷いたのを見て、シグムントも指令所を仮住まいとすることに同意する。アヤロンの里にいるのは屈強な守人ばかりではない。女子供も多いのだ。彼らのためにも、雨風をしのげる寝床はぜひとも必要だった。
シグムントが同意してくれたのを見て、ダーマードは内心で安堵の息を吐いた。彼が話を急いだのは、もちろん早急にダンジョン攻略を始めてもらうためだったが、しかしそれだけが理由ではない。要するに、この話をロストク帝国に取られないためだった。
ジノーファにその意図はないだろう。しかしこの場には細作であるノーラがいる。これまで彼女は沈黙を守っているが、しかしこの場でのやり取りは全て帝国側に知られると思ったほうがいい。ラグナのことを知れば、彼らも当然興味を持つだろう。
(やりにくい交渉だな……)
ダーマードは内心で苦笑する。正直なところ、未開の蛮族を丸め込むことなど、彼にとっては児戯に等しい。しかしこの場にはジノーファがいて、さらに彼の後ろにはロストク帝国がいる。はからずも監視されているような状態だ。下手を打てば全てを失うことになりかねない。
(まあ、いい)
こうなればなるべく良い条件をそろえてアヤロンの民を迎えるべき。ダーマードはそう結論した。二〇名を越える収納魔法の使い手と三人目の聖痕持ち。そしてその力を用いてのダンジョン攻略。これだけでも十分、彼らを迎える価値はある。またここで誠実な態度を見せれば、それだけジノーファの心証もよくなるだろう。
「入植地を選定した後のことだが、最初の一年間は援助を行おう。これで新しい集落は形になるはずだ。また五年間は租税を免除する」
ダーマードはそう条件を提示した。それを聞き、またジノーファも賛成しているのを確認してから、シグムントはその条件を飲んだ。
その後、さらに細かい条件について話し合われた。予定時間は過ぎていたが、ダーマードはこちらを優先した。そして話が大よそ煮詰まってきたところで、ジノーファは彼にもう一つこんなお願いをした。
「ダーマード殿、五〇名で良いのですが、領軍から兵を貸していただけませんか?」
移住の際、アヤロンの民はダンジョンの中を通って移動することになる。戦う力のない者も多く、ジノーファは護衛が必要と考えたのだ。しかしダーマードの返答は期待したようなものではなかった。
「それは、できません。我々にはもはや、それだけの戦力を出す余裕はないのです」
ダーマードは沈痛な面持ちでそう言った。
イゼルの一言報告書「使者殿をお連れしました」
ダーマード「本当に次から次へと……」




