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灰色の道化

『ジノーファは王子にあらず。エルビスタン公爵家の公子として育てられたイスファードこそが真の王太子である。真の王太子イスファード率いる遠征軍が、ロストク帝国を成敗するであろう。またジノーファは王太子を詐称した罪によって国外追放処分とする』


 アンタルヤ王国の王宮においてなされた衝撃的な布告は、ダンジョン攻略に勤しんでいたダンダリオン一世にも知らされた。その布告と背後関係について報告を受けたダンダリオンは、苦悶の表情を浮かべて頭を抱えたと言う。


「酷いことをする……」


「これが、これが国王たる者のすることなのか!?」


「他国のこととはいえ、気分の良いものではないな」


「醜悪……、醜悪に過ぎる!」


 居合わせた幕僚たちからも、次々に非難の声が上がる。その中にはジノーファと一緒にダンジョン攻略を行っている、ルドガー、ガムエル、イーサンの姿もあった。彼らも当然、義憤を感じて目を怒らせている。


「それで、陛下。このこと、ジノーファ殿下には……」


 幕僚の一人がダンダリオンにそう尋ねると、テントの中は静まり返った。ジノーファは確かに捕虜だったが、しかし同時に恩人であり戦友でもある。その彼に、今までの全てを否定するこの酷い真実を伝えねばならぬというのか。


「……話さねば、なるまい。いくら緘口令を敷いたところで、いずれはあやつの耳にも入る。ならば今この時に、余から伝えるのが最もよかろう」


 顔をゆがめながらどこまでも苦い口調で、ダンダリオンはそう言った。すぐさまジノーファを呼びに兵士が遣わされる。彼が来るまでの間、テントの中には重苦しい沈黙が漂った。やがて彼の声がテントの外から響いた。


「ジノーファです。参りました」


「入ってくれ」


 ジノーファがテントの中に入ってくる。何人かが見ていられぬとばかりに目を背けた。その様子にジノーファは少し首をかしげながらも、ダンダリオンに勧められた席に座る。その彼に、ダンダリオンはまずこう尋ねた。


「ジノーファ、連日攻略続きであるが、疲れてはおらぬか?」


「いえ、疲れてはおりません。わたしなどは、外へ出ればすることもありませんので、ゆっくりと休ませていただいておりますゆえ」


 ジノーファは快活にそう答えた。ダンダリオンは小さな笑みを浮かべて頷き、そしてさらにこう言葉を続ける。


「そなたには、世話になっておるな。おかげで攻略はずいぶんと捗っている」


 攻略が始まって以来、ジノーファは五十体以上のエリアボスを討伐している。もちろん彼一人ではなくパーティーでの戦果だが、しかしながら確かに大きな成果だ。彼の貢献は間違いなく大きい。それはこの場にいる全ての者が認めていた。


「いえ、わたしの力など微々たるものです。……それで、わたしをお呼びになられたのは、どのようなご用件でしょうか?」


 持ち上げられるのがこそばゆかったのか、ジノーファの方が話題を変え本題に入るよう促した。


「実は、な……」


 それだけ口にして、しかしダンダリオンは口を閉じた。そして言いにくそうに視線を彷徨わせる。だがすぐにジノーファの真っ直ぐな視線に捕まり、彼は内心で諦めたようにため息を吐いた。そして意を決してジノーファにこう告げる。


「実はな。ガーレルラーン二世が布告を出した。『エルビスタン公爵家の公子イスファードこそが、真の王子である』だそうだ」


「は、え……?」


 本当に意味が分からなかったのだろう。ジノーファは当惑したような声を出した。そして困ったように苦笑を浮かべる。ただその苦笑はどこか引き攣っているようにも見えた。その目に浮かぶのは、間違いなく怯えた光だ。


 そのジノーファの様子に、ダンダリオンはやりきれなさを覚えずにはいられない。なぜこのように重大なことを、まったくの他人である自分が伝えているのか。名目上であれ便宜上であれ、両親であった者の責任ではないのか。


 しかし伝えないわけにもいかない。それでダンダリオンはここにはいない者たちへの怒りを抑えつつ、布告の内容をジノーファに説明した。そしてその説明に理解が及ぶや、ジノーファは顔色を失った。


 がらがらと足もとの崩れていくような感覚。全身の血の気が引き、鼓動と動悸だけが速まる。鉛を飲み込んだかのように、お腹の辺りが重い。喉が渇く。何も考えられない。説明されたことだけが、頭の中をぐるぐると何度も回った。


「……では、では、わたしは一体、何者なのですか……?」


 何秒経っただろうか。ようやく、ジノーファはそれだけ尋ねた。瞳に不安と絶望をため込んで。嘘だと言ってくれ、と心の声が聞こえてくる。しかしダンダリオンはこう答えるしかない。


「分からぬ。布告では、そなたの出生については何も述べられていなかった」


「そう、です、か……」


 ジノーファは平坦な声でそう応えた。失望しているようであり、逆に安堵しているようでもある。彼は顔を伏せてしまい、その表情を見る事はできない。そしてそのまま沈黙してしまう。痛々しい静寂の中、ダンダリオンは無理を承知で話を先に進めた。


「それで、これからのことだが……」


「これから……」


 ジノーファはゆっくりと顔を上げた。血の気は引いたままで、表情はひどく弱々しい。その様子に胸をかき裂かれる思いをしながら、ダンダリオンはさらにこう言葉を続けた。


「うむ。これからのことだ。何か望みはあるか?」


「…………どうぞ、この命をお取り下さい」


 ゆっくりと平伏して、ジノーファはそう言った。


「なぜ、そのようなことを願う」


「それ以外に、この身の処し方が分かりませぬ」


 ダンダリオンは悲痛に顔を歪めた。努めて平静を保っていたのだが、堪えきれなくなったのだ。そして立ち上がり、大股でジノーファに近づくと、平伏する彼の肩を力任せに抱いた。


「案ずるな。ああ、そうだ、何も案ずることはない。すべてこの炎帝に任せておけ。お主は戦友だ。そしてお主には借りがある。決して悪いようにはせぬ。早まってはならぬぞ」


 ジノーファは無言のまま一つ頷いた。そしてルドガーに付き添われてあてがわれたテントへ戻る。


 テントの中で、ジノーファは一人立ち尽くした。もうすっかり見慣れたはずのテントの中は、しかし今までにないくらい色あせて見えた。そしてその色あせた景色が不意に歪む。


「う、うう……」


 何も分からない。何も信じられない。たった一つ分かっている事は、自分は全てを失ったのだという、ただそれだけ。


「う、うう……、うあああああああああ!」


 ジノーファは泣いた。大きな声を上げて泣いた。アンタルヤの王宮にいたときも、こんなにも形振り構わず泣いたことはない。そして彼の泣き声を聞いた者たちは皆、聞かなかった振りをした。


 この日、ジノーファは捕虜から正式にダンダリオンの客人となった。自由の身となった彼が、しかし自由に振舞うことはなかった。彼がテントから出てくる事はほとんどなかったからである。


 三日後、帝都ガルガンドーへ戻る部隊と一緒に、ジノーファは北へ向かった。部隊を率いる隊長にはダンダリオン直筆の手紙が渡されており、彼は客人として宮殿に迎えられることになっている。


 ただ、彼の表情は暗く、顔にも生気がない。肩を落とし俯くその様子からは、とても彼が皇帝の客人として迎えられるようには見えなかった。捕虜と言われた方が、万人が納得できるだろう。


「では、出発します」


 北へ向かう部隊が移動を始める。怪我人を帝都へ帰すための部隊なので、その動きはゆっくりだ。


 空は曇天。今にも泣き出しそうな空の下、ジノーファは北へ向かった。



 □ ■ □ ■



 ジノーファを帝都へ送り出すと、ダンダリオンは本陣を旧フレゼシア公国の首都ストルーアへ移した。もちろん、ダンジョンの攻略は続けている。ただ、この攻略はあくまでも応急処置的なもの。この新たなダンジョンを安定的に管理していくためには、定期的な攻略が欠かせず、そのためには近くに何かしらの拠点を築かなければならない。そのためには膨大な仕事をする必要があった。


 加えて、アンタルヤ軍の再襲来が宣言されている。ダンダリオンはそちらにも対処しなければならない。報告を受けるにせよ、指示を出すにせよ、野戦陣よりも都市のほうが便利なのは自明だった。


 状況は、それほど悪くはない。ダンジョンは比較的落ち着いたし、ダンダリオンのもとには歩兵二万、騎兵一万、合計で三万ほどの戦力がある。帝都ガルガンドーでは皇太子ジェラルドが政務を代行しており、大きな問題が起こったと言う報告もない。


「皇太子殿下は、陛下の一日も早いご帰還を願っておいでだと思いますが……」


「そうは言うがな、アンタルヤ軍の再襲来が迫っているこの時期に、余だけ帝都へ戻るわけにもいくまい。代わりの司令官を連れて来るだけでも、相応に時間がかかるのだからな」


 苦笑を浮かべる幕僚に、同じく苦笑しながらダンダリオンはそう応えた。司令官の人選は、実はそれほど難しくはない。すぐに二、三人くらいは名前が挙がるだろう。直轄軍の人材は豊富だ。


 ただ選ばれた人物がここへ来るまでに時間がかかるし、また全軍を掌握するまでにまた時間がかかる。それがアンタルヤ軍の付け入る隙にならないとも限らない。それならば引き続きダンダリオンが指揮を取った方がいいだろう。


 ともかくアンタルヤ軍は撃退しなければならないのだし、撃退したあとには事後処理が待っている。ダンダリオンはそれらの仕事を引き受けるつもりだったし、また同時に新たなダンジョンの管理についてもある程度形にしてしまうつもりだった。


 そしてそのための仕事で、ダンダリオンは毎日忙しく働いていた。炎帝の異名を持つ彼は優れた武将としてのイメージが強く、またそれは決して間違っていないのだが、同時に彼は優れた為政者でもある。出される指示は的確で、来るべき決戦に向けて、またダンジョンを管理するための拠点の建設に向けて、準備は着実に進んでいった。


 そして大統歴六三五年四月十日。王太子イスファード率いるアンタルヤ軍四万が出陣したとの報告を受け、ダンダリオンもまた軍勢を率いて旧公都ストルーアを出陣。準備を進めておいた、防御用の陣地へと向かった。またダンジョン攻略を行っていた部隊もそれを一時中断。防御陣地へと集結した。


 立派な城砦に比べれば、いかにも急造の陣地である。しかし入念に準備されたもので、空堀は人の背丈よりも深く、またその分の土は内側に盛り上げられて城壁のようになっている。柵が何重にもめぐらされ、高い櫓が幾つも立っていた。


 ダンダリオンが防衛陣地に入ったその日の夜。アンタルヤ軍が国境近くにまで迫ったとの報告がもたらされた。それを聞いて彼は一つ頷く。前回、ガーレルラーン二世が率いる侵攻軍は、ほとんど戦わずして退いた。しかし今回はそうはなるまい。


 新たに王太子となったイスファードは、ジノーファを超える戦績を残さなければならないからだ。そうでなければ彼はこの先ずっと、ジノーファに劣る王太子として嘲られ続けることになる。


 どれだけの功績を残そうとも、どれだけ善政を敷こうとも、「ジノーファであればもっと上手くやっただろうに」と言われるのだ。そして一度でも失敗すれば「それ見たことか。やはりジノーファには及ばない」と言われるのだ。耐えられるものではないだろう。


 しかしだからと言って、勝ちを譲ってやるつもりなどダンダリオンには毛頭なかった。もちろんアンタルヤ軍は必死になって攻めてくるだろう。だがそれでも勝つ自信が彼にはあった。


 そもそも、ダンダリオンはイスファードのことが気に入らないのだ。ジノーファを追い落とした、その過程の全てが気に入らぬ。最も気に入らないのはガーレルラーン二世だが、彼はこの度戦場には出てこない。それでも、もう一方の当事者であるイスファードを、それも大義名分を掲げて叩き潰せる機会を得たのだから、躊躇うつもりはなかった。


「『この先、汚辱にまみれて生きよ』というのは子供にはちと酷いかな?」


「それもこれも、本人たちが望んだことでございましょう。我等はただ、侵略者どもを撃退するのみにございます」


「左様。そもそも、イスファード王太子殿下(・・・・・)が生き残れるのかも定かではありませぬ。我が軍の士気は、大いに高まっておりますゆえ」


「ほう、何があった?」


 ダンダリオンが興味深そうにそう尋ねると、幕僚たちは顔を見合わせて小さく笑った。そして兵士たちの士気が高まった事情をこんなふうに説明する。


「それもこれも、ジノーファ殿のおかげでございます」


 なぜここでジノーファの名前が出てくるのか。それには最近まで行っていたダンジョン攻略の際のことが関係していた。その時にジノーファが活躍していたことを兵士たちは知っているし、また彼がイスファードに王太子の座を奪われたこともまた知れ渡っている。となれば、“戦友”に同情的な空気が広がるのは、むしろ当然だろう。


 また、ドロップ肉のこともある。ジノーファがため込んでいたドロップ肉を提供してくれたおかげで、それを口にできた兵士は多い。肉を食わせてくれた恩人というのは、戦友と同じくらい彼等にとって大切だった。それで、兵士たちはこんな会話を交わしていたのである。


『アンタルヤ軍が、また性懲りもなく攻めてくるんだって?』


『ああ。それも、率いているのはイスファード王太子殿下(・・・・・)らしいぞ』


『イスファード、“王太子殿下(・・・・・)”ねぇ……』


『血筋だとかよく分からんけどさぁ、ジノーファ様は立派な方だったじゃねぇか』


『ああ。ダンジョン攻略を手伝ってくださったし、肉も食わせてくださった。しかも奢りだったって話だ』


『いやあ、それ以前に、スタンピードを生き残れたのも、ジノーファ様のおかげだ』


『……なあ、俺たちはダンダリオン陛下の兵士だし、それを誇りに思っている。だけど、食った肉の分くらいは、ジノーファ様のために戦ってもいいんじゃねぇか?』


『おお、そうだな! 食った肉の分くらいは、ジノーファ様のために戦うか!』


『『『おお!!』』』


 これが、兵士たちが士気を高めたあらましである。そしてそれを聞いたダンダリオンは腹を抱えて笑った。


「くっはははははははは! 食った肉の分くらいは、か! では、余も肉を食ったことであるし、その分くらいはあやつのために戦ってやらねばならんな! そうは思わぬか!?」


「「「応!!」」」


 幕僚たちは拳を突き上げてそう応えた。陳腐なきっかけではあるのだろう。しかし陳腐だったからこそ、彼等はそれを面白がり、それが結束を強める結果につながったのだ。逆説的に言えば、心底面白がったダンダリオンの器の大きさこそが、この結果をもたらしたと言えるのかもしれない。


 さて、大統歴六三五年四月十五日、ついにアンタルヤ軍とロストク軍が相対する。後の世に言うカーブロの戦いが始まろうとしていた。


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肉!肉はすべてを解決する!
[気になる点] 敵国からの情報を鵜呑みにして泣き喚くって、、 [一言] 裏とってから泣き喚いてほしかったと思います。 天然キャラであるとか、幼児であるとか、王印が入った書状とか 敵からの言葉を鵜呑みに…
2022/10/30 19:53 すこふまん
[良い点] 中身のない小説ばかりがランキングされている昨今、とても面白く更新されている間は毎日楽しみに読ませて頂きました。唐突な完結でショックでしたが、切りの良いところでとのことで納得です。 [一言]…
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