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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン
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会談2


 ――――ファリク。


 それは最近王家に迎えられた、新たな王子の名前であるという。ガーレルラーン二世の子供であり、彼にとっては三番目の男児となる。


 ただし、ファリクはガーレルラーン二世の子供ではあっても、メルテム王妃の子供ではなかった。ガーレルラーン二世が侍女に手を出して産ませた子供であり、ようするに庶子だった。


 ファリクを身篭った侍女は、懐妊が発覚するとすぐに王宮を去っている。おそらくはガーレルラーン二世の指示であろうと思われた。自分の子供を孕ませた女を放り出したのだから、普通であれば冷血漢と言われても仕方がない。


 ただアンタルヤ王家の場合、少し事情が異なる。遡ることおよそ二十年前、やはりガーレルラーン二世の子を身篭った侍女が、毒によって暗殺されている。今回、侍女の懐妊を知った彼がこれを思い出さなかったはずはなく、であれば王宮から出すことで彼女の身を守ったともいえるだろう。


 実際、その頃はまだジノーファが王太子とされており、イスファードはエルビスタン公爵家の公子だった。そこへ庶子とはいえ新たな王子(あるいは王女)が誕生することになれば、メルテム王妃の内心は穏やかではあるまい。あるいは彼女こそが暗殺を命じる可能性は十分にあった。


 さて、王宮を去った侍女は王都クルシェヒルでファリクを産み、そして市井で彼を育てた。ガーレルラーン二世から毎年秘密裏に金が届けられていたこともあり、母子の生活は裕福ではなかったものの、決して困窮していたわけでもなかった。


 それどころかファリクは学問をするために塾へ通っていたというから、生活にはそれなりに余裕があったと思っていい。ただ、それをガーレルラーン二世の愛情ゆえと考えるのは早計だ。実際、彼が手を出した侍女に会いに行くことはついぞなかったのである。


 ともあれ、ファリクは市井でのびのびと育った。彼は父の顔を知らなかったが、しかし彼には母がいたし、その母は彼にありったけの愛情を注いだ。ジノーファなどよりも、よほど温かい家庭環境にあったと言っていい。要するに、彼はそれなりに幸せに暮らしていたのだ。


 転機が訪れたのは、ファリクが六歳のときである。母親が流行り病にかかり、そのまま帰らぬ人となったのだ。そして天涯孤独の身となった彼を、王宮からの使者が迎えに来る。こうして彼はガーレルラーン二世の子供と認められ、王宮で生活するようになったのである。


「それは、なんとも……」


 ダーマードからファリクの話を聞くと、ジノーファは痛ましげな顔をした。彼の境遇に同情したのだ。


 市井に紛れていたご落胤が父王に迎えられて王宮に上がる。これが物語であるなら、「そして王子様は幸せに暮らしましたとさ」といった具合で終わるのだろう。しかし現実は違う。王宮に上がってからも人生は続く。


 王宮は冷たい場所だ。ジノーファはそれを良く知っていた。日差しの差し込む中庭でさえ、寒気がする。人の心が冷たいのだ。母親を失って傷心のファリクを、あの場所はどれだけさらに傷つけるのだろうか。それを思うと、ジノーファはやりきれなかった。


「ジノーファ様はお優しくていらっしゃいますな。しかしご安心されよ。ファリク殿下はもう王宮では暮らしておりませぬ」


 沈痛な顔をするジノーファに、ダーマードはそう告げた。王宮で暮らし始めた頃、ファリクの生活はおおよそジノーファが想像したとおりのものだった。味方はおらず、冷遇され、呼び寄せたはずの父も彼に関心を示さない。ファリクは早々に塞ぎこんでいたのだが、そんな彼を見かねたのだがユリーシャだった。


 彼女は夫であるオルハンと相談した上で、この腹違いの弟をヘリアナ侯爵家で養育することを父王に申し出たのだ。そしてガーレルラーン二世はそれを諒とした。メルテム王妃も目障りな庶子が王宮から消えれば清々する。それで彼女も特に反対すること無く、こうしてファリクは王宮を去り、ヘリアナ侯爵家で暮らすようになったのである。


「そう、か……。姉上が……」


 ジノーファは小さな声でそう呟いた。彼の胸に去来するのは、深い喜びである。ユリーシャが動いてくれたその背後には、きっと自分との思い出があるに違いない。そう考えるのは傲慢だろうか。なんにしても、彼女が昔のまま優しい人であることが、ジノーファには何ものにも代えがたく嬉しかった。


「……お戻りになられませんか?」


 不意にダーマードがそう尋ねた。ジノーファの様子を見て、彼がアンタルヤ王国にたっぷりと未練を残しているのを見て取ったのだ。イゼルから聞いた限りでは、そんな様子はなかったということだったのだが、こういうことはやはり直接会ってみなければ分からない。


 ジノーファがアンタルヤ王国へ戻ることを希望するなら、ダーマードは全力で支援するつもりだった。もちろん「元王太子のジノーファ」として帰還することは無理だろう。だが彼の顔を知っている者など、ごく少数だ。髪を染め、名前を変え、王都クルシェヒルに近づかなければ、それと見破られることなどまずない。


 加えて、辺境伯領に来てくれるのであれば、ダーマードは彼のために身分と地位を用意するつもりでいる。そこまですれば、ほぼ完全に別の人間になれるだろう。しかしジノーファは苦笑しつつ、逆にこう尋ねた。


「ダーマード閣下。わたしは一体何者なのでしょうか?」


「それは……」


 この問いは簡単ではない。ダーマードはそう思い、口をつぐんだ。すると、そもそも答えを求めてはいなかったのだろう。ジノーファはさらにこう言葉を続けた。


「自分が一体どこの誰なのか。わたしはそれさえも弁えない者です。この上、己の素性さえ偽るなら、わたしという存在は消えてなくなってしまうでしょう」


 それは謝絶の言葉だ。同時にジノーファの意地そのものであるようにも、ダーマードには聞こえた。己が何者であるか分からない。だからこそ今までの自分を否定したり、自分を偽ったりすることは絶対にしたくない。そんな思いがひしひしと感じられた。


「……そうですか。そうであれば、仕方ありませんなぁ」


 そう言って、ダーマードは小さくため息を吐いた。とはいえ、駄目でもともと。ショックはさほど大きくない。それで彼はすぐに気分を切り替え、ジノーファのほうを真っ直ぐに見てこう切り出した。


「では、その代わりと言うわけではありませんが、一つお願いしたいことがあります」


「何でしょうか?」


「代々、ネヴィーシェル辺境伯家は魔の森の探索を行ってきました。その成果の一つとして、ダンジョンの出入り口を発見しています。これはジノーファ様がいらっしゃったのとは別のものです。ただ生憎と、探索はほとんど進んでいません。それで、その探索をお願いしたいのです」


「要するに、ダンジョン攻略、ですか?」


「はい。案内はイゼルにさせます。マッピングも彼女に任せればいいでしょう。……無論、必要な物資はこちらで負担し、報酬もお支払いします。私の名前で通行手形を発行いたしましょう。これでアンタルヤ王国への出入りは容易になるはずです」


 それを聞いてジノーファは苦笑を浮かべた。通行手形を発行するということは、つまり「いつかお戻りください」ということだ。明確に謝絶したはずなのだが、ダーマードもなかなか諦めが悪い。もっとも、そうでなければ生き馬の目を抜く貴族社会で生きていくことはできないのだろう。


「……分かりました。やりましょう」


 少し考えるフリをしてから、ジノーファはそう答えた。通行手形に用はない。ただ、ジェラルドから辺境伯家が把握している、ダンジョンの出入り口についても情報が欲しいといわれている。攻略を請け負うことになれば、自然とそれらの情報も手に入るだろう。


「おお、感謝いたしますぞ」


 ダーマードは大げさな笑顔を浮かべてそう言った。こうしてジノーファはまた新しいダンジョンの攻略をすることになった。



 □ ■ □ ■



 ダーマードと会談を行った次の日。ジノーファたちは早速、攻略を依頼されたダンジョンへと向かった。ダンジョンは司令所の比較的近くにある。というより、ダンジョンの近くに司令所を造った、といったほうが正しいだろう。


 案内役はイゼル。打ち合わせの際、彼女がそのダンジョンの地図を持ってきてくれたが、ダーマードも言っていた通り、攻略はほとんど進んでいない。これまでは攻略まで手が回らなかったのだ。


 入り口の近くがほんの少しだけマッピングされている、という状況である。つまり、ほとんど未攻略のダンジョンと言っていい。きっとマナ濃度が濃く、モンスターの数も多いに違いない。いつものことだが、気を引き締めて攻略に臨まなければならないだろう。


 森の中を、イゼルは地図も見ずに進む。彼女の足取りには迷いがない。聞くところによると、ところどころに目印があり、それを辿っているのだと言う。それならば確かに、地図を確認する必要もない。


 ダンジョンを向かう道中、ジノーファたちはたびたびモンスターの襲撃を受けた。イゼル一人なら気付かれることなく進めたのだろうが、今は他のメンバーと一緒だ。彼女一人だけ気配を隠しても意味がない。


 ただ人数が多い分、戦力は充実している。またラヴィーネが早期に敵の接近を教えてくれるので、不意を突かれることがない。思った以上に楽です、とイゼルは笑顔を見せた。そして出発してからおよそ四時間後、彼らはダンジョンに到着した。


「まずは、この一番広い通路を進もう」


 ジノーファが用意された地図を見ながらそう言うと、他のメンバーは一様に頷いた。これは後に続く者たちのための探索。であればまずは最も広くて大きな通路を進むのがよい。分岐の数などの情報と合わせれば、どれくらいの人数を送り込むのがベストなのかも分かってくるだろう。


 ダンジョンに入ると、ジノーファは息苦しさを覚えた。やはりマナ濃度が高いのだ。そしてそのためか、すぐにモンスターと遭遇する。巨大なムカデのモンスターだったのだが、飛び掛ってきたところをユスフがライトアローで射抜いて討伐した。その魔石を回収してノーラに見せると、彼女はそれをまじまじと見てからジノーファにこう告げた。


「普通の、上層の魔石です」


「そうか。よし、気を引き締めていこう」


 そのやり取りをイゼルは少し不思議そうに聞いていた。入り口のすぐ近くが上層であるのは当たり前のこと。それをいちいち確認する必要があるようには思えない。


 もちろんジノーファが魔石を確認させたのは、遠征軍の拠点近くにあるダンジョンの例があるからだ。中層なのに上層のつもりでいれば、手痛い失態を犯しかねない。とはいえこのダンジョンは普通であるようだから、いつも通り気を引き締めて臨めば問題あるまい。


 ジノーファたちはダンジョンの中を、警戒しつつも萎縮した様子なく進む。パーティーの荷物は、全てジノーファのシャドーホールに収納してある。戦いやすくして、効率と安全性を上げるためだ。イゼルはこの魔法のことを知っているし、そうであればダーマードにも情報は伝わっているだろう。出し惜しみする理由はなかった。


 一方で妖精眼については秘匿した。イゼルもダーマードも、この魔法についてはまだ知らないだろうからだ。特にイゼルの場合、妖精眼について知れば自分の魔法を見破られた理由をすぐに察するだろう。


 原因が分かれば、イゼルは何かしらの対策を講じるに違いない。そうなれば彼女の隠形を、ジノーファは見破れないかもしれない。遠征軍がいつまで魔の森で活動するのか分からないが、それは少し危険であるような気がしたのだ。


 イゼルは今は確かに味方だが、しかし彼女が忠誠を誓っているのは、ジノーファではなくダーマードだ。彼が命じれば、イゼルは優秀な暗殺者に早代わりするだろう。その時、ジノーファやラヴィーネが彼女を妨げられるかは分からない。


(まあ、考えすぎだとは思うけど……)


 胸中でそう呟いて、ジノーファは小さく苦笑した。現状、ダーマードがジノーファやジェラルドをはじめ、遠征軍の要人を暗殺する理由はない。そして遠征軍が魔の森から撤退すれば、イゼルの魔法を怖れる理由もなくなる。


 それでも、完全に味方とはいい難いイゼルやダーマードに対し、知られる情報はなるべく少ない方がいい。ジノーファはそう判断した。ただそうなると、イゼルの目の前でマナスポットからマナを吸収することもできなくなる。


 実際、このダンジョンに入ってからジノーファたち四人はマナスポットからマナを吸収していない。とはいえ、決して無駄にしているわけではなかった。


「あの、ジノーファ様。ラヴィーネがさっきから動き回っているのは、どうしてですか?」


 イゼルが少し不思議そうにそう尋ねた。彼女の言うとおり、ダンジョンに入ってからというもの、ラヴィーネはひっきりなしに動き回っている。床や壁に鼻を近づけたかと思うと、そのまま何事もなかったかのように別の場所へ行き、また同じようにする。


 何かを探しているようにも見えるが、それにしてはこれまでにまだ何も見つかっていない。ジノーファが何かしらの指示を出したことは確かなのだが、ラヴィーネの動きを見てもそれが一体何なのか、イゼルにはさっぱり分からなかった。そんな彼女に、ジノーファはわずかに視線を逸らしつつこう答えた。


「ああ、うん。隠し通路でも探してるんじゃないかな」


「隠し通路!? そんなものがあるのですか!?」


「ああ。わたしも驚いたけどね。実際にあったんだ」


 ジノーファがダンジョンの隠し通路や、岩石で塞がれていた出入り口のことを話すと、イゼルは感心した様子で何度も頷いた。ラヴィーネの探知能力の高さに、改めて驚いた様子だ。


 ラヴィーネの探知能力が高いのは事実だが、しかし今彼女がせっせと探し回っているのはもちろん隠し通路ではない。マナスポットである。今回ジノーファたちはマナスポットを使わないので、それは全てラヴィーネのモノになっていた。落ち着きなく動き回っているように見えるのは、それだけ数があるということだ。


 ちなみにマナスポットを独占しているので、魔石の分のマナの分配はラヴィーネ抜きでやっている。マナスポットの数は多いが、同時にモンスターの数も多いので、それぞれのマナの吸収量はおおむね同じくらいだった。


「そういえば、魔石やドロップアイテムの扱いはどうなるのだ?」


「戦利品は全てジノーファ様たちがお取りになってください。ダーマード様も承知しておられます」


「そうか。それじゃあ、ドロップ肉も食べてしまっていいということだな」


「それは、もちろんです」


 先ほど手に入れたドロップ肉のことを思い出しながら、イゼルはそう言って力強く頷いた。ちなみに彼女がドロップ肉のステーキのことを報告した時、ダーマードは羨ましそうにしていたのだが、ひとまず今は関係ない。


「それじゃあ、水場を見つけたら食べようか。そろそろお昼も食べたいしね。ラヴィーネ、水場があったら教えてくれ」


「ワンッ」


 ラヴィーネの元気のいい返事がダンジョンの中に響く。彼女がメイン通路から少し外れた場所に水場を見つけたのは、それからおよそ二十分後のことだった。ジノーファたちはその水場で、少し遅い昼食を食べる。もちろんドロップ肉のステーキも焼いた。


 今回の攻略では、三日から四日程度の時間をかけて、このダンジョンをマッピングすることになっている。当然、ダンジョンの中で何度か睡眠を取ることになるだろう。ここは少し入り口に近いが、それでも早い段階でこうして水場を見つけられたのは幸先がいい。


(このまま順調に進んでくれればいいけれど……)


 ステーキを焼きながら、ジノーファはそう思った。


ノーラの一言報告書「王家に御落胤はつきもの」

ジェラルド「一般論を言えば帝室も、だな。……あくまで一般論だぞ」

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