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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン

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会談1


「それはまことか!?」


 イゼルの報告を聞き、ダーマードは思わず腰を浮かせた。自分の耳で聞いたことが、にわかに信じられない。イゼルの持ち帰った報告は、彼にとってそれほど衝撃的だった。長年捜し求めた新しいダンジョンの出入り口を発見し、同時にそこでジノーファと邂逅を果たしたという。


「それで、ジノーファ様はどうされた!?」


 ダーマードにジノーファのことを尋ねられ、イゼルは彼とのやり取りについて報告する。情報交換をしたが、めぼしい情報は得られなかったこと。ダーマードに会わないかと誘ったが、それは断られたこと。ジノーファが一度ロストク軍の本陣に戻ったこと。そして皇太子ジェラルドの許可が得られれば、防衛線に顔を出すことになっていること。


「ジノーファ様は、ニルヴァという偽名を名乗られることになっています。以前にお渡しした書状を手形代わりにすることにしました」


「そうか。うむ、そうか」


「勝手に決めてしまい、申し訳ありません」


 そう言って、イゼルは自らの越権行為を詫びた。しかしダーマードにそれを気にした様子はない。彼は軽く手を振ってイゼルにこう応えた。


「かまわん。それよりもよく話をまとめてくれた」


 実際、イゼルがあそこで話をまとめてくれなければ、ジノーファを招くことはできなかっただろう。書状を送った際にははっきりと拒絶されてしまったが、今回はこうして約束を取り付けることができた。


 もちろん、必ずもう一度来てくれるという保証はない。しかし約束をしてくれたという、その反応それ自体に大きな意味がある。やはりジノーファはアンタルヤ王国のことを、完全に見限ってしまったわけではないのだ。


「しかし悠長にはしていられんな。すぐさま防衛線の各隊に通達を出さねば」


 ジノーファは魔の森からやって来る事になっている。数年前まで王太子であったとはいえ、防衛線にいる兵士たちのほとんどは彼の顔を知らない。その上、彼はニルヴァという偽名を名乗っているのだから、兵士たちから見て立派な不審者である。


 何の通達も無ければ、追い返すか、あるいは拘束するか、悪くすれば攻撃を仕掛けることさえありうる。そうなればジノーファの心象は最悪となり、彼に協力をもとめるのは不可能になるだろう。


 せっかくジノーファと直接会談できるこの機会を、そのような形で水泡に帰してしまうわけには行かない。魔の森から現れるニルヴァを丁重に迎えさせるべく、ダーマードはすぐさま防衛線に送る命令書をしたため始めた。


 本当であれば、ダーマード自身すぐさまとんで行きたい。しかし彼には領主として多くの仕事がある。これを放り出すわけにはいかない。重要な仕事を片付け、さらに予定を調整しなければ、彼自身が防衛線へ向かうことはできないだろう。


(だが、行くぞ。必ずだ)


 代理人を立てる、という方法もあるだろう。しかしダーマードはそうはせず、自らが直接ジノーファと会談することを望んでいた。新たな暗黒期の幕開け。絶望だけが募る日々のなか、ようやく見つけた一筋の希望なのだ。人任せになど、できるはずもない。


(防衛線へは、視察の名目で行くとしよう。新たなダンジョンの出入り口が見つかったとなれば、私が直々に動いても不自然ではあるまい)


 ペンを走らせながら、ダーマードはそう考えた。ダーマードが動けば、その動静は王家や他の貴族たちにも伝わるだろう。ジノーファは国外追放された身であるから、その彼と会談するのを他に知られるわけにはいかない。特に王家やエルビスタン公爵に知られるのは避けたいところだ。


 新たなダンジョンの出入り口は、そのよい隠れ蓑になるだろう。実際に見つかり、対応が必要なわけだから、ダーマードが防衛線を視察する理由としては妥当だ。実際、ジノーファのことがなくとも、彼は視察に行っただろう。


 こちらも重要な案件であることに違いはないのだ。もちろんすぐに部隊を派遣して攻略を行わせることはできないだろう。とはいえずっと捜し求めてきたものであるし、今後のことも考えれば、対応は早いにこしたことはない。


 ダーマードは指令書を必要な枚数書き上げると、人を呼んでそれを防衛線にいる各部隊の部隊長へ届けさせる。それから秘書を呼び、仕事のスケジュールを確認し、調整させる。大部分は他の者へ割り振ったり、後回しにしたりすることができたが、それでもどうしてもやらなければいけない仕事が幾つか残った。


「ぬう……!」


「閣下……」


 今にも飛び出しそうなダーマードに、秘書が恐るおそる声をかける。彼は「分かっている」と言って片手を上げ、それから「書類を持ってまいれ」と命じた。一分一秒も無駄にはできない。彼は怒涛の勢いで仕事に取り掛かった。



 □ ■ □ ■



 ネヴィーシェル辺境伯領の最北を守る、対魔の森の防衛線。そこへニルヴァと名乗る男が現れたのは、大統暦六三八年六月二八日のことだった。彼についてダーマードから直接指示が出ていたこともあり、ニルヴァとその同行者たちは丁重にもてなされた。


 彼らの世話係となったのは、事情を把握しているイゼルだった。今の彼女は、武官風の服を着て男装している。ダーマード直属の家臣、という設定らしい。彼女はまずニルヴァたちのためにテントを用意し、そこへ彼らを案内した。


 近くには指令所と呼ばれる建物もあるし、イゼルはそちらに部屋を用意するといったのだが、ジノーファがそれを断ったのだ。「厚遇が過ぎる」というのが理由で、要するにニルヴァがジノーファとばれないための印象操作だった。この防衛線の中に、王家やエルビスタン公の手の者が混じっていないとも限らないのだ。


「お待ちしておりました。お越しいただき、嬉しく思います。ジノーファ様」


 テントの中に入り他の者の目がなくなると、イゼルは畏まってジノーファに挨拶した。一方のジノーファは苦笑して小さく手を振り、「楽にしてくれ」と彼女に告げる。そしてさらにこう言葉を続けた。


「ここではニルヴァだ。……ジノーファなんて奴は知らないな」


 (ニルヴァ)が追放された元王太子のジノーファであることを他へ知られれば、いろいろと面倒なことになる。事と次第によっては、ダーマードとネヴィーシェル辺境伯領が苦境に立たされるかもしれない。


 それで彼はニルヴァという偽名を名乗っているのだが、しかしそれがダーマードには心苦しいらしい。そして主がそのように考えるのであれば、臣下もそれに倣うもの。非礼を詫びる意味も込めて、イゼルは彼に恭しく傅いたのだ。


 もっとも、ジノーファのほうに気にした様子は少しもない。彼自身、そういう事情はよくよく承知している。それどころか悪戯っぽく「知らないな」なんて嘯いているのだから、偽名を名乗るこの状況をけっこう楽しんでいるらしかった。


「それはそうとイゼル殿。ダーマード閣下は、こちらへ来られるのですか?」


 ジノーファは穏やかだが真剣な顔をしてイゼルにそう尋ねた。彼が大小の危険を冒してここへ来たのは、ダーマードと会談をするためだ。もちろんダーマードは大貴族として仕事に追われているだろうから、代理人が来る可能性もある。それでもできるなら本人と直接話がしたいとジノーファは思っていた。


「わたしのことはイゼルとお呼び下さい。……ダーマード様はニルヴァ様と直接お会いすることを望んでおられます。ただ、御館様はお忙しい方ですので……」


 どうしても片付けなければならない仕事を終わらせてから来るので少々遅れる、ということだ。イゼルは申し訳なさそうに言葉を濁したが、しかしジノーファに気にした様子はない。もともと日にちを決めて来たわけではないのだ。数日待たされることは、最初から織り込み済みである。


「分かった。ではダーマード閣下が来られるまで、待たせてもらおう」


 ジノーファがそう言うと、イゼルは深々と頭を下げた。そして「ここにおられる間は何なりとお申し付けください」と言い添える。ジノーファは笑って「頼りにしている」と言ったが、ダーマードを待つ間、イゼルが彼に煩わされることはほとんどなかった。


 ダーマードが視察を名目に防衛線へやってきたのは、それから三日後のことだった。ダーマードはジノーファがすでに到着していることを聞くと、すぐさま彼のテントへ向かおうとしたのだが、しかし報告をしたイゼルがそれを留めた。


 ダーマードのほうが出向いていては、それを訝しく思う者が現れる。そこからジノーファのことが露見しかねない。それに密談をするのなら、彼のテントよりもきちんとした部屋の方がいい。


 ダーマードはその諫言を受け入れ、ひとまず防衛線の指令所へ向かった。この指令所は石造りの立派なもので、堅牢な砦といったほうが様子が伝わるだろう。


 実際、魔の森から溢れてくるモンスターを想定してのもので、これまでに何度もスタンピードを跳ね返してきた不落の要塞だ。有事の際には辺境伯その人がここで指揮を取ることもある。辺境伯が寝泊りするための部屋も用意されており、ダーマードはそこでジノーファを待った。


「お初にお目にかかります。ダーマード閣下」


 しばらく待つと、イゼルに案内されてジノーファが姿を見せる。綺麗に一礼するその姿に、ダーマードは一瞬言葉を詰まらせた。


 ダーマードは王太子であった頃のジノーファしか知らない。その頃の彼はまだ十三か十四歳くらいで、ともすれば少女と見間違えてしまいそうな少年だった。ただ快活とはいい難い性格であったと記憶している。


 物静かな少年で、彼が一人でダンジョンを攻略していると知ったときは、王家の流布した宣伝だろうと思い本気にはしなかった。後にそれが事実だと、しかもエリアボスまで単独で倒していると知り、あの繊弱な少年のどこにそんな力があるのか、と心底不思議に思ったものである。


 同時に、ダーマードは彼の覇気のなさを訝しんだ。それほどに優れた武人であるなら、それ相応の自信や自負が表情や態度に表れるものだが、ジノーファにはそういうものがなかった。悪い意味で、子供らしくないのだ。彼の眼に浮かんでいたのはある種の諦念であり、それがダーマードの印象に強く残っている。


 灰色。一言で言えば、それがダーマードのジノーファに対する印象だった。髪や瞳の色もそうだが、何よりも彼の存在自体が煤けているように見えたものだ。人を率いる資質には欠けると、当時はそう思っていた。


 しかし今の彼はどうだろう。慣れた所作で拱手するその姿は涼しげで、清々しくすらある。確かにダーマードの知る彼の面影があるのに、しかしこうして相対し受ける印象は全く違う。まるで霞が晴れて、透きぬける夜空が現れたようだった。


「でん……」


 思わず「殿下」と口走りそうになり、ダーマードは慌てて咳払いをした。ジノーファはもう殿下ではないし、また彼がこの場にいることをあまり多くの者に知られるわけにはいかない。ここには事情を知らない者もまだいるのだ。少なくとも人払いをするまでは、ニルヴァとして接する必要がある。


「んん……。よくぞ参られた、ニルヴァ殿。会えて嬉しく思うぞ」


 そう言ってから、ダーマードはジノーファにソファーへ座るよう勧めた。ノーラとユスフはその後ろに控える。ちなみにラヴィーネはテントでお留守番だ。きっと今ごろは昼寝でもしているに違いない。


 ジノーファがソファーに座ると、ダーマードは侍従に命じてお茶の準備をさせる。お茶が出てくるまでの間、二人は他愛も無い雑談に興じた。その中で、ダーマードはふとジノーファを待っている間に報告されたことを思い出す。


「そういえば、一昨日はモンスターの討伐にも協力してもらったと聞いた。礼を言うぞ」


「いえ。大したことではありません。被害が少なく済み、幸いでした」


 ジノーファはそう何でもないように言ったが、実のところ一昨日の一件は「大したことのある」事案だった。エリアボスクラスのモンスターが、防衛線の内側に入ってしまったのだ。


 一昨日の昼前、モンスターの襲来があった。回収された魔石が五〇〇と少しという話なので、実際にはもう少しいたのだろう。モンスターの襲撃の規模としては、小さくはないが、それほど大きいものでもない。


 ただ、その中に一体、エリアボスクラスと思しきモンスターが混じっていた。グリフォンである。グリフォンは翼を持っていたが、しかし空を飛んで現れたわけではなく、他のモンスターと同じく地面を駆けて現れた。


 その様子を見て、防衛線の兵士たちは油断してしまった。翼を持ってはいても、空を飛ぶことはできないのだ、と思い込んでしまったのだ。それが勘違いであることに気付いたときにはもう遅く、グリフォンは飛び上がって空を駆け、兵士たちの頭上を越えてしまったのである。


 そのグリフォンを討伐するのに一役買ったのがジノーファたちだった。まずユスフがライトアローを射掛けてグリフォンのバランスを崩し、そこへジノーファが伸閃を放って片方の翼を半ばから切り捨てたのだ。


 本来であれば、ジノーファは翼ではなく腹を真っ二つに掻っ捌くこともできた。しかしそれをすると聖痕(スティグマ)持ちであることが露見してしまいそうなので、ほどほどに手を抜いたのである。さらにジノーファが双剣を使うというのは良く知られていたから、正体を隠すという意味もかねて、彼はこの時オリハルコンの長剣を使っていた。


 まあそれはそれとして。翼を失ったグリフォンは、もう空を飛ぶことができず、そのまま地面に墜落した。あとは駆けつけた兵士たちと協力し、見事にグリフォンを討伐したのである。


 もしもこのグリフォンがあのまま防衛線を突破し、辺境伯領内で暴れていたら、一体どれほどの被害が出ていたか分からない。討伐に手間取れば、防衛線の維持に影響が出ていたことも考えられる。ともかく大事にならずに済んだのは幸運だった。


 閑話休題。湯気の立つお茶が、ジノーファとダーマードの前に置かれる。ダーマードは一つ頷いてから、侍従に席を外すよう命じた。侍従が一礼して部屋から出ると、室内には事情を知っている者だけが残る。ダーマードはお茶を一口啜ってから、口調を変えて話を続けた。


「実は最近、モンスターどもの様子が少し違ってきているのです。例のグリフォンもそうですが、エリアボスクラスが以前より頻繁に現れるようになりました。イゼルからも、『森が騒がしい』と報告を受けています。何か心当たりはありませんかな?」


「心当たり、ですか……? そうですね……、スタンピードの影響かもしれません」


「スタンピード……。あったのですか?」


 ダーマードの問い掛けに、ジノーファは小さく頷いた。あのスタンピードでは、大量のマナが放出されていた。それらのマナが一方向へのみ放出されていた、と考えるのは現実的ではない。むしろ全方向へ拡散したと考えるべきで、その影響でこの辺りの魔の森が一層活性化してしまった、というのは可能性としてありえるだろう。


「なるほど……。それは確かに、ありえる話ですな……」


 ダーマードは顎先を撫でながら思案げにそう呟いた。もっともそれは可能性の一つでしかないし、またスタンピードの影響であったとしても、今まで通り警戒を強化する以外対策の立てようはない。ただ、何が起こっているのか分からない、ある種の不気味さだけはいくぶん薄れた。


 その後、ジノーファとダーマードは会談と言う名の情報交換を行った。ジノーファがジェラルドからの情報を伝えると、ダーマードは真剣な表情でその話に聞き入る。そして彼もまた幾つかの情報を教えてくれた。


 やはりというか、アンタルヤ王国の現状は芳しくないらしい。ダーマードも重要な部分はぼかしているが、聞いた範囲だけでも、防衛線を維持するために国力を擦り減らしているような状況だ。イスファードとエルビスタン公爵がその状況に拍車をかけているというのが、ジノーファには無性に居た堪れなかった。


 そうではないか。イスファードはジノーファを放逐して王太子の座に着いたのだ。そうであるなら、せめてそれに見合う行動をして欲しい。放逐された側としては、そう思わずにはいられない。


 ジノーファは渋い顔をした。それを見たからなのか、ダーマードは話題を変えてこう言った。


「……そういえば、ファリク殿下のことは、もうご存知ですかな?」


「いいえ、知りません。名前からすると男性のようですが、王家に新たな王子が生まれたのですか?」


「まあ、そういう言い方も、できるかもしれませんなぁ」


 ダーマードは苦笑しながらそう答えた。それを聞いてジノーファは嫌な予感を覚える。そしてその予感は、おおよそ思った通りの形で的中するのだった。



イゼル(男装は胸がきついわ……)

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