隠し通路
「ガ、ガァァァ……!」
身体を斜めに切り裂かれ、うめき声を上げる四本腕のオーガ。ジノーファたちが油断なく見据える先で、そのオーガはやがて灰のようになって崩れ落ちる。それを見てジノーファは「ふう」と息を吐き、竜牙の双剣を鞘に収めた。
ジノーファたちは現在、魔の森のダンジョンの、最初に見つけた大広間にいる。そして今さっき、エリアボスを倒したところだ。ユスフに大きな魔石からマナを吸収させ、それをシャドーホールに放り込むと、彼らは予定通りさらに奥へと向かった。
大広間から先は、まだ探索を行っていない、未踏破領域である。そのせいなのか、ジノーファはモンスター出現の頻度が少し上がったように感じた。またマナスポットの数も、ここまでより多い。足を止めつつ、彼らは慎重に進んだ。
これまで通り、彼らは広くて攻略しやすい通路を選んで進む。しばらく進むと脇道に入ったところで、水場を見つけた。広々とした水場で、滝が大きな音を立てながら流れ落ちている。なかなか迫力のある光景だ。
ジノーファたちはその水場で休憩を取ることにした。食事にはまだ早いので、腰を下ろして少し水を飲む程度に留める。そうやって休憩していると、不意にラヴィーネが立ち上がった。
「ラヴィーネ?」
ジノーファが首をかしげていると、ラヴィーネは滝の方へ歩いていく。まさか水浴びがしたいわけではないだろうと思いつつその背中を視線で追っていると、彼女は滝の裏側へ姿を消した。そして数秒後、滝の流れ落ちる音に混じって、ラヴィーネの鳴き声が響いた。
「ワンッ、ワンッ、ワンッ」
ジノーファたちは顔を見合わせつつ、その鳴き声に呼ばれて滝の裏側へ向かう。その滝の死角になっている位置には、新しい洞窟がぽっかりと口を開けていた。ただ、中を覗きこむと、ほんの数メートル入ったところで洞窟は行き止まりになっている。その狭い洞窟の中、ラヴィーネは側面の壁に向かって吠えていた。
「この壁がどうかしたのか、ラヴィーネ?」
「クゥゥゥン……」
ジノーファが片膝をついて頭を撫でつつそう尋ねると、ラヴィーネは吠えるのをやめた。そして彼の顔と洞窟の壁を交互に見つめる。その様子を見て、ジノーファはまず妖精眼を使って壁を眺めた。
だが、異常や特異な点はない。マナスポットでないし、小規模な採掘ポイントでもない。なんでもないとして、彼はこの場所を無視しても良かっただろう。しかしラヴィーネは明らかにこの場所に反応している。それがジノーファには引っ掛かった。
思い出されるのは、帝都ガルガンドーのダンジョンでのことだ。当時、下層廃墟エリアを攻略していた彼らは、全域を探索したにも関わらず、先へ進むルートを見つけることができなかった。妖精眼を駆使しても、見つけることができなかったのである。
そのルートを見つけたのが、ラヴィーネだった。地下室の壁の向こうにルートが続いていたのだが、それを見つけたあの時も、ちょうどこんなふうに教えてくれたのだ。そういう実績があるのだから、あるいは今回もそうなのかもしれない。
ジノーファはそう考え、立ち上がるとラヴィーネが教えてくれた壁に、そっと右手を添えた。そして浸透勁を放つ。それも一度ではなく、何度も何度も放つ。そして壁がヒビだらけになったところで、彼はシャドーホールからハンマーを取り出し、その壁を強打した。聖痕持ちの膂力で叩かれた壁が崩れ落ちる。それも、向こう側へ。
「隠し通路、ってところですかね。ジノーファ様」
「そうみたいだな」
ユスフにそう応えながら、ジノーファはさらにハンマーを振るう。廃墟エリアの前例を知っている二人は、ある程度予想していたこともあり冷静だが、ノーラは大きく目を見開いて絶句している。
彼女も、ジノーファとダンジョンを探索するようになり、常識外れの経験は幾つもしたが、その中でもこれは飛び切りだった。ダンジョンで隠し通路など、聞いたこともない。
「さて、と……」
壁を崩し終えると、ジノーファはそう呟いてハンマーをシャドーホールにしまった。そして警戒しつつ、新たに発見したルートの様子を、見える範囲で窺う。
隠し通路で繋がっていたのは、広い空間だった。ただ、大広間ではない。すぐに見える範囲で出入り口は二つ。その二つを、なだらかな坂道が緩やかにカーブしながら繋いでいる。それを見て、ジノーファは少し考え込んだ。
普通であれば、こんな隠し通路の先にあるエリアなど、探索するのは差し控えるべきだ。ただこうして上に向かうルートと下へ向かうルートを、はっきり区別できる場所はなかなか希少だ。ここから上へと向かえば、新たなダンジョンの出入り口を見つけることができるかもしれない。
「ノーラ、どう思う?」
ジノーファはノーラに意見を求めた。隠し通路を見つけてからずっと絶句しっ放しだった彼女は、話を振られてようやく我に返る。
「は、はいっ! ええっと、その……、わ、わたしも見せてもらっていいですか?」
「うん、どうぞ」
そう言ってジノーファはノーラに場所を譲った。なだらかな坂道の様子を見て、彼女も少し難しそうな顔をした。そして言葉を選びつつ、こう答える。
「仮に、ダンジョンの出入り口をもう一つ見つけたとしても、皇太子殿下がそこへも兵を送り込まれる可能性は低いでしょう」
ノーラの言葉に、ジノーファも頷く。ジェラルドはこの度、このダンジョンの攻略を決意したが、しかし同時に沈静化を目指しているわけではない。次なるスタンピードの抑制と、採掘場から資源を回収すること。あくまでもこの二つが彼の目的だ。
それだけなら今ある出入り口だけで十分で、さらにもう一つ見つかったとしても、そちらは恐らく放置されるだろう。それがノーラの見立てで、ジノーファもその意見には賛成だった。ただ、それでは出入り口をもう一つ見つけても無駄なのかと言うと、実はそうでもない。
「ですが将来のことを考えると、魔の森の情報を少しでも集めておくことには意味があります」
ノーラのその言葉に、ジノーファはもう一度頷いた。今回の遠征軍の作戦で、魔の森全体が沈静化することはまずない。活性化した状態は今後も続くだろう。であるならロストク帝国本土へ被害を出さないために、今後もロストク軍が魔の森で活動することは十分に考えられる。
また二年後にはアンタルヤ王国への遠征が控えている。ロストク帝国が求めているのは貿易港であり、それは王国の南側にあるから、北にある魔の森と直接関わることはないだろう。しかし王国の領土を切り取れば、否応なしに魔の森の影響は強まる。将来的に何かしらの手を打つ必要が出てくるかもしれない。
その時、ダンジョンの出入り口が二つ判明していることは、大きな意味を持つだろう。もしかしたら、ロストク軍の戦略目標さえ変えてしまうかもしれない。これはそれくらい重要な情報なのだ。
「……行ってみよう」
ジノーファは少し考え込んでから、そう決断した。ユスフとノーラもその判断に異を唱えることなく頷く。こうして彼らは新たなエリアの探索を開始した。本当にダンジョンの出入り口をもう一つ見つけられるのか、それはある面賭けだ。それはジノーファも承知していて、食糧がなくなる前に撤収するつもりだった。
新しいエリアとは言っても、そこは普通のダンジョンと何ら代わり映えしない。魔石の大きさもノーラに確認してもらったが、いきなり大きくなったり、逆に小さくなったりはしていないという。ということは、この辺りはだいたい中層ということになる。
(ただ……)
ただ、本当に何となくなのだが、マナの濃度が少し上がったような気がジノーファはした。とはいえ初めて足を踏み入れる場所なのだから、マナ濃度が高いのは当然とも言える。それで特に気にすることはせず、彼は攻略と探索を続けた。
「出口を探して攻略、というのは初めてですよ」
途中、ユスフがそう軽口をたたく。それを聞いてジノーファも苦笑した。普通、ダンジョンの攻略や探索と言えば、奥へ奥へと進むもの。しかし現在彼らがやっているのはその逆で、より浅い場所を選んで突き進んでいる。強いて言うなら、帰り道の様子に近い。
こんな攻略の仕方は、今回のような特殊な条件下でしか成立しないだろう。つまりこのルートをなぞる者たちはいないということだ。いたとしてもごく少数であるに違いない。であるなら、わざわざ広くて大きな通路を選ぶ必要もない。
そう考え、ジノーファたちはこれまでは避けていたようなルートも使うことにした。基本的に彼らは上へ上へと向かっている。それで、例えば崖の上や、細い急勾配の坂道など、効率よく上へいけるルートを選んで彼らは進んだ。
そうやって進んでいくと、また何かに気付いたのか、不意にラヴィーネが駆け出した。ジノーファたちは顔を見合わせ、それから彼女の背中を追う。ラヴィーネが向かったのは細い通路の一つ。その先はT字路のようになっていたのだが、ラヴィーネは吠え声を上げながらその壁面とジノーファの顔を交互に見つめる。
「ジノーファ様、これは……!」
「ああ……」
ユスフとジノーファが頷き会う。今度は誰の眼にも明らかだった。ラヴィーネが案内してくれたその場所には、壁面から細かい光が差し込んでいる。わずかに風も吹き込んでいるようで、その風に乗って木々の香りがしたように感じた。間違いなく、ここは外へ通じているのだ。
「でも、これは……」
差し込む光を見ながら、しかしノーラは顔を険しくする。そこにあるはずのダンジョン出入り口は、しかしほぼ完全に塞がれていた。人間が通れる場所はおろか、ラヴィーネが通れるほどのスペースもない。
ジノーファは思案げに「ふむ」と呟くと、外からの光が差し込む壁面の様子を注意深く確認する。実際に外までどれほどの厚みがあるのか、それは分からない。ただよく見てみると、光が差し込む部分は他の部分とは様子が異なっている。
基本的にダンジョンの壁面と言うのは、ゴツゴツとした凹凸はあるものの、継ぎ目のない一枚岩になっている。しかし外からの光が差し込んでいる場所は違う。幾つもの岩石が積み重なっているような状態である。要するに、大量の岩石で出入り口が埋まってしまっているのだ。
(これならなんとかなりそうだ……)
ジノーファはそう思い、小さく頷いた。そして他のメンバーに少し下がるように告げてから、彼はシャドーホールを発動させる。彼の影が波打ったかと思うと一気に広がり、そして出入り口を塞ぐ岩石の下に入り込んでいく。そして次の瞬間、大量の岩石がずぶずぶと影の中に沈みこんでいく。
「あ……」
そう声を漏らしたのは、ユスフだったのか、それともノーラだったのか。ともかく彼らが見守る前で、ダンジョンの出入り口を塞いでいた大量の岩石がその姿を消していく。同時にまるでカーテンを開けたかのように、一気に光が差し込んだ。風も吹き込んできて、ジノーファたちの髪を揺らす。出入り口が開通したのである。
ジノーファたちは、周囲を警戒しつつダンジョンの外へ出る。外へ出ると、当たり前だが、そこは森の中だった。背後を振り返ると小高い岩山があり、その低い位置にダンジョンの出入り口がぽっかりと開いている。
周りを見渡すと、あちこちに岩石が散らばっている。もしかしたら過去に地震か何かがあってこの岩山の一部が崩れ、そのせいでダンジョンの出入り口が埋まってしまったのかもしれない。ジノーファふとそんなふうに思った。
「それにしても、ここはどこなんでしょうか……?」
ユスフがそう呟いたが、あいにくとジノーファもノーラもその疑問には答えることができない。岩山に上って高い位置から望遠鏡を使い周囲を見渡すこともしたが、しかし遠征軍の防衛陣地の姿はない。
「そういえば、さっき見た限りでは、森に大きく荒れた様子がなかったな」
ジノーファがそう呟く。スタンピードが起こってから、まだそれほど時間は経っていない。何かしらの痕跡が残っていて良さそうなものだが、しかしそれは見当たらなかった。ということは、この辺りはスタンピードの影響を受けなかったのだろう。つまり遠征軍の防衛陣地からはかなり離れた場所である可能性が高かった。
「まいったな。予想外だ」
そう言ってジノーファは肩をすくめた。スタンピードの痕跡を辿って防衛陣地まで戻る予定だったのだが、どうやらそれはできそうにない。それどころかこの先、見つけた出入り口を利用できるかも怪しい。
骨折り損のくたびれ儲け、とジノーファは内心で嘆息した。とはいえせっかく見つけたのだから、なんとか位置くらいは判明させたい。それでどうにかならないだろうかと相談したところ、ノーラが小さく手を上げた。
「あの、天測を行えば、位置を調べることはできると思います」
「本当か?」
「はい。ジノーファ様に預かっていただいた荷物の中に、そのための道具も入っています。ただ、夜になって星が見えなければ、天測はできませんが……」
「それじゃあ、夜まで待とうか」
あっさりとジノーファはそう決めた。夜を待つ間に食事も食べてしまうことにして、彼らは火をおこす。ダンジョン内のように魔道具を使っても良かったのだが、魔石を節約するためと、あとは野生動物除けだ。もっとも、ここは魔の森。モンスターや魔獣を相手にどれほど効果があるのかは未知数だが。
焚き火をおこし、そしてドロップ肉を焼く。そうしていると、匂いに誘われたのか、モンスターや魔獣が押しかけてくる。無論、肉も命もくれてやるつもりはないので、ジノーファたちはその全てを返り討ちにした。
モンスターからは魔石とドロップアイテムを回収し、魔獣の死体はそのままシャドーホールに放り込む。ジノーファが「いいお土産になりそうだ」と言うと、ユスフとノーラは揃って肩をすくめた。
「よし、いい具合に焼けた。……そこの君も一緒にどうだい?」
ジノーファが何気なくそう尋ねると、ユスフとノーラはギョッとして周囲を警戒した。そんな二人にジノーファは構えた様子もなく、フライパンの上でステーキを切り分けながら、「大丈夫だよ」と告げる。
その様子を見て腹をくくったのか、十メートルほど離れた木の影から、一人の女性が姿を現した。密偵のように動きやすい格好をしているが、しかし覆面などはしていない。姿を現した彼女は、少し困惑した様子でジノーファにこう尋ねた。
「どうして分かったのですか? そちらの番犬には、気付かれていないと思ったのですが……」
「ラヴィーネはちゃんと気付いていたよ。それに、わたしも眼はいいんだ。……それはそうと、久しぶりだね、不審者殿。ネヴィーシェル辺境伯には、ちゃんと返事を伝えてもらえたかな?」
ジノーファがそう尋ねると、ユスフが「あの時の……」と小声で呟いた。そう、彼女はかつて遠征軍の防衛陣地に忍び込み、ジノーファにネヴィーシェル辺境伯ダーマードからの手紙を渡した、あの不審者だ。彼女は、ユスフには視線もくれず、ジノーファにこう答えた。
「はい、確かにお伝えいたしました。閣下も残念がっておられました。……それで、その、幾つかお伺いしたいことがあるのですが……」
「だろうな。わたしも聞きたい事がある。まあ、話はコレを食べながらにしよう」
そう言ってジノーファは切り分けたドロップ肉のステーキを見せる。女の密偵は、思わず生唾を飲み込んだ。
ユスフ「さて一体誰だっけ?」(すっとぼけ)
イゼル「覚えていなさいと言ったでしょう!」