表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/364

王太子の真実2


「卿等を招集したのは他でもない。卿等に真の王太子を紹介するためである」


 ガーレルラーンがそう言うと、居並ぶ群臣たちの中にざわめきが広がった。王太子とはすなわちジノーファのことであり、彼のほかに現在の王家に王子はいない。では真の王太子とは一体誰のことなのか。ざわめきが収まらぬ中、ガーレルラーンはまた口を開き、さらにこう続けた。


「エルビスタン公爵家公子、イスファード。前へ」


 名前を呼ばれ、一人の少年がガーレルラーンの前へ出た。エルビスタン公爵家の公子イスファードだ。歳はジノーファと同じで、今年で十五になる。ガーレルラーンと同じ黒い髪の毛は、黒曜石の輝きを放っていた。


 彼はガーレルラーンの前へやって来ると、片膝をついて頭を垂れる。そして緊張の滲む声でこう言った。


「エルビスタン公爵家公子、イスファード。仰せに従い、御前にまかりこしました」


「うむ。皆の者、よく聞くがいい。このイスファードこそ、余の、そしてメルテムのまことの息子である」


 ガーレルラーンがそう宣言すると、ざわめきはさらに大きくなった。誰も彼もが事情を飲み込めずに困惑を顔に浮かべている。そんな中、王妃の座に座っていたメルテムが、感極まった様子で飛び出しイスファードを抱きしめた。


「ああ、イスファード、イスファード! わたくしの息子! 貴方を息子と呼ぶことができるこの日を、どれだけ夢見たことでしょう!」


「はい、母上。私もこの日を心待ちにしておりました!」


 イスファードから「母上」と呼ばれ、メルテムはついに涙を浮かべた。彼らの心情としては感動の親子の再会であるのだろう。しかし見る者からすれば、どこか白々しさを覚えずにはいられない。


 展開についていけないのは、背景となる事情がなにも知らされていないからである。群臣たちの疑問は何一つ解消されず、またガーレルラーンの方にも説明する気はないように見えた。群臣たちの困惑が深まる中、謁見の間に震える声が響いた。


「それでは……、それでは……、ジノーファ殿下は、いかがなさるのですか……?」


 それはまさにその場にいた人々が知りたいことだった。途端に現実に戻った人々は視線を声のした方へ向ける。そこにいたのはクワルドだった。彼が顔面を蒼白にし、おぼつかない足取りで人混みの中から前にでる。誰もが固唾を飲む中、ガーレルラーンは冷たい声でこう答えた。


「ジノーファなる者は、その資格がないにも関わらずアンタルヤの兵たちを指揮し、余の兵権を侵した。よって国内における一切の立場、権利を剥奪し、国外追放処分とする」


 静まり返っていた謁見の間に、再びざわめきが起こった。クワルドは息を飲み、そして縋るように玉座に座るガーレルラーンを見た。返される視線は、どこまでも冷たい。まるで身体中の血が熱を失っていくかのようにクワルドは感じた。


「それは……、それでは……、あまりにも、あまりにも酷うございます……!」


 それで彼は声を絞り出す。そしてさらにこう言葉を続けた。


「例え、例えその資格がなかったのだとしても、ジノーファ殿下が敵軍を足止めし、モンスターの殲滅に尽力し、多くのお味方を生還させたことは事実でございます。その功を全く無視し、一方的に国外追放とは、信賞必罰の原則にもとるものではございませんか。なにとぞ、なにとぞお考え直しを……」


 クワルドは涙を流しながらそう訴えた。群臣の中にも頷く者の姿が多くある。そもそも殿の任はガーレルラーンの勅命によるもの。ガーレルラーンは「兵を率いる資格がない」と言ったが、例えジノーファが王子でなかったとしても、その勅命が資格を保証するものとなる。


 ジノーファに対して下された沙汰は、彼の功績だけでなく、こうした事情をも全く無視したものだ。そのような沙汰がまかり通るのであれば、臣下たちは一体何を信じて王命に従えばいいのか。


 普通に考えれば、撤回は当然だ。しかしガーレルラーンの返答は非情だった。


「クワルドよ。誰が発言を許可した」


「…………!」


 それを聞いてクワルドはわなないた。思考が溢れ、言葉にならない。それでも何かを言わねばとの衝動が彼のうちでとぐろを巻く。そう、言わなければならないのだ。他でもない、ジノーファとジノーファの名誉のために。


 しかしクワルドが何かを口にするよりも早く、誰かが彼の肩に手を置いた。振り返ってみると、そこには彼の上官たる老将が立っていた。ジノーファの代わりに殿を申し出た、あの老将である。彼は視線だけでクワルドを制すると、ガーレルラーンにこう言った。


「部下が失礼をいたしました、陛下。頭を冷やさせますゆえ、退出のご許可をいただけますでしょうか?」


「許す」


 退出の許可が出ると、老将は一礼してからクワルドを連れて謁見の間を後にした。その背中を見送りながら、居並ぶ群臣は理解する。つまりジノーファは邪魔なのだ。むしろ、イスファードを王太子としたいガーレルラーンとメルテムにしてみえれば、何がなんでも彼を排除しなければならない。


 しかしだからと言ってジノーファが不審死を遂げた後、すぐさまイスファードこそが実の息子であることを公表し彼を王太子として冊立すれば、よほどの間抜けでなければ暗殺を疑うだろう。


 それではせっかくの息子の晴れ舞台にケチがつく、とでも思ったのかもしれない。いずれにしても、ジノーファがロストク軍に囚われたこの情勢は好機だと考えたのだろう。ガーレルラーンは彼を無理やり国外追放にしてしまった。


 この後、クワルドはある地方都市の守備隊長に任命された。形式の上では栄転だったが、実質的には左遷である。ガーレルラーンは自らに批判的だった彼を遠ざけたのだ。


 クワルドはそれを承知の上で、しかし異論を挟まずにその命を受け、家族と共に王都から地方都市へ向かった。この時にはすでに、彼はガーレルラーン二世に愛想を尽かしていたのかもしれない。


 さて、ここまででも、少なくともガーレルラーンやイスファードにとっては、十分な喜劇だ。しかしこの喜劇はまだ続いた。演者たちが、演者たちのために続けるのだ。観客のことは置き去りにして。


「……さて、イスファードよ。これからの話をせねばならぬ」


 クワルドと老将が謁見の間から退出すると、ガーレルラーンは再び視線をイスファードに向けた。メルテム王妃は息子に抱きついたままであったが、しかし王の切り出した話を聞いて王妃の座に戻る。それを見届けてから、イスファードはこう応えた。


「はい、陛下。なんなりとお申し付けください」


「うむ。まずはそなたを王太子として冊立する。当然だな。そなたは現在の王家にあってただ一人の王子なのだから」


 それは、そこにいた人々にとっては、とてつもなく違和感のある話だった。王家にあってただ一人の王子とは、ジノーファのことではなかったのか。それを、エルビスタン公爵家の公子が成り代わると言うのか。では一体、何を信じればいいというのか。人々の困惑と疑問を置き去りにして、ガーレルラーンは話を進めた。


「さらにエルビスタン公爵家公女ファティマとの婚約を申し渡す。エルビスタン公、異論はないな?」


「ははっ。これ以上ない名誉なお話でございますれば、謹んでお受けいたします」


 群臣の中から、また一人演者がガーレルラーンの前に姿を現した。エルビスタン公爵カルカヴァンだ。ファティマとは今年で十五歳になる彼の娘であり、これまでイスファードの双子の妹とされていた。


 その、ついさっきまで妹とされていた令嬢が王太子イスファードの婚約者となり、そして実父であった大貴族は将来的に義父になるのだという。なにもかもがあっという間に決まっていく。いや、全ては何年も前から決まっていたのだという事に、人々は後になってから気がついた。


「ではイスファードよ、そなたに勅命を下す。軍勢を率い、ロストク帝国を成敗せよ」


「ははっ!」


「エルビスタン公、その方の娘の婚約者の初陣だ。助けてやるが良い」


「御意。ただ一つ、お願いがございます」


「申してみよ」


「はっ。王太子殿下の初陣を飾るには、我がエルビスタン公爵家だけでは力が足りませぬ。どうか、縁のある他家にも助力を求めることをお許しください」


「許す。全力を尽くせ」


「エルビスタン公。イスファードのこと、どうぞよしなに」


「ははっ。必ずや陛下と王太子殿下に勝利を献上いたしまする」


 こうして王太子イスファードの初陣が決まった。



 □ ■ □ ■



 ガーレルラーンには現在、二人の子供がいる。長女ユリーシャと次男イスファードだ。二人ともメルテムが産んだ子供である。


 イスファードを産んだとき、メルテムはその誕生を喜ぶと同時に有る可能性について非常な恐れを抱いた。つまり、「この子もエルドアンと同じように死んでしまうのではないか」と恐れたのである。


 エルドアンの死後に囁かれたある噂も、それを思い出したメルテムの恐怖を煽った。その噂は「エルドアンは病死したのではなく暗殺されたのだ」というもので、噂らしく根も葉もない、稚拙な陰謀説でしかない。


 ただ、その後にガーレルラーンの子を身篭った侍女が暗殺されたのは紛れもない事実。その事を考え合わせたとき、メルテムはイスファードもまたエルドアンと同じく暗殺されてしまうのではないかと思ったのだ。


 メルテムはその恐怖をガーレルラーンに切々と訴えた。そしてイスファードの命が決して脅かされることのないようにして欲しいと頼み込んだ。その願いは母親として当然のものだったろう。ただ、彼女はガーレルラーンがどれだけの対策を約束しても、それで安心することができなかった。


 そして最後にガーレルラーンが示した案こそが、イスファードを王家の外で育てるというものだった。表向き、王子ではないことにして育てれば、暗殺される心配は格段に減る。扶養先さえしっかり選べば、病気や教育などについても心配する必要はないだろう。


 メルテムはこの案にも最初は難色を示した。息子を手元で育てられないばかりか、我が子と呼ぶことさえできなくなってしまう。しかし息子の健やかな成長には代えられぬと最終的には同意した。彼女はそれを、母の自己犠牲だと信じた。


 扶養先には国内屈指の大貴族、エルビスタン公爵家が選ばれた。公爵家なれば、王子を預け扶養させるのになんの不足もない。またちょうど良いことにこの時期、公爵家にはファティマ公女が誕生している。生まれたのが双子であったと言うことにすれば、イスファードを預けても不自然ではない。


 さらにこの時点で、イスファードとファティマの婚約が内定した。将来におけるエルビスタン公爵家の影響力を担保するものであり、彼等はイスファードを大切に育ててくれるだろう。そして公爵家と公爵家が取りまとめる派閥の力を後ろ盾とすれば、イスファードの治世は安定したものとなるに違いない。


 もちろん、エルビスタン公爵家の側にも思惑があった。見方を変えれば、イスファードは人質であるともいえる。彼を預かっている限り、王家は公爵家に対し陰謀を企てる事はないだろう。


 また将来の国王を自分達の手で育てることができるのだ。公爵家にとって都合のいい王を作り上げるのに、これほど効果的な方法はない。その上でファティマと婚約させれば、公爵家の権勢はまさに約束されたものと言っていい。


 ただ、ここで一つ問題が生じた。つまり、生まれたはずの王子をどうするのか、ということだ。メルテムが王子を産んだ事はすでに知れ渡っている。これをなかったことにするのは無理だ。しかしイスファードを公爵家で育てるのであれば、王家には王子がいないことになってしまう。


 死んだことにしてしまうのが、最も簡単ではあった。しかしその場合、時期国王の座に最も近いのは、皮肉なことにエルビスタン公爵家に生まれた男児、つまりイスファードである。となれば、やはり暗殺の危険は高まるだろう。


 彼を守るためには、王家に王子がいたほうが良い。つまり陰謀を企む者たちの目をひきつける囮だ。そのような思惑が、偽りの王子ジノーファを産んだのである。


 ジノーファは、生贄だった。イスファードを守るための影武者だった。ガーレルラーンとメルテムが彼に冷たかったのは、こういう理由である。我が子ではなく、それどころかほとんど道具のように考えていたのだから、愛情など注ぐはずもない。


 そのような環境にあって、ジノーファの性格が歪まなかったのは、事情を知らない侍女や乳母が彼を大切に育てたからである。特に姉であるユリーシャ王女の存在は大きかった。彼女は弟にありったけの愛情を注いだのである。ジノーファにとってはほとんど母親代わりであったといっていい。


 さて、このようにガーレルラーンとメルテムはジノーファについてほとんどなんとも思っていなかった。ただその一方で、すぐに死なれるのも都合が悪かった。ジノーファはイスファードの代わりだったが、しかし表向き王子としている以上、彼の代わりはそう簡単に用意できない。そして彼が死ねば、その犯人はエルビスタン公以外の人物であるはずだから、次には当然イスファードのことも狙うだろう。


 ある程度までは、ジノーファにも生きていてもらう必要がある。それでガーレルラーンは彼の身辺を守らせた。鉄壁、というほどではない。むしろ、あえて隙を作った。陰謀を企む者たちが仕掛けやすいようにするためだ。実際、これまでに三件のジノーファ王子暗殺未遂事件が摘発されている。囮としては優秀であった、と言うべきなのだろう。


 いや、ジノーファは囮以外の面においても優秀だった。表向き彼は王子であったから、教師たちから様々な分野の学問を学んでいる。そして教師たちは揃って彼を褒めた。優秀な生徒であったのだ。


 ジノーファが際立った優秀さを示したのは、武芸とダンジョン攻略だった。当然、武芸を習い始めた頃はへっぴり腰の小僧でしかなかったが、しかしダンジョン攻略を始めるとめきめきと頭角を現し始めた。


『王太子殿下はまことに天賦の才をお持ちでいらっしゃいます。エルビスタン公爵家のイスファード公子も、殿下と同い年ながら才気に溢れるとの評判ですが、しかし殿下には敵いますまい。さすがは陛下のお子にございます』


 一緒に攻略を行っていた騎士はガーレルラーンにそう報告した。絶賛と言っていい。しかしよりにもよってイスファードと比較されたことが、ガーレルラーンの勘気に触った。それでこの件以降、ジノーファは一人で攻略を行うようになったのである。ほとんど「死ね」と命ずるに等しい暴挙だった。


 しかしジノーファは死ななかった。それどころか攻略に行き詰ることさえなく、着実に成果を上げた。そしてその頃になると、特にメルテム王妃は彼の才覚に恐れを抱くようになった。


 王太子の座は、いずれイスファードのものになる。しかしその時、彼は間違いなくジノーファと比較されるだろう。もしもイスファードがジノーファに劣ると評価されるようなことになっては、アンタルヤ王家は世間の笑いものになる。


 メルテムはジノーファの排除をガーレルラーンに求めた。それがロストク帝国への侵攻に繋がったのである。そしてジノーファは戦死こそ免れたものの、敵軍の手に落ちた。イスファードを王太子として冊立するための準備が整ったのである。


 しかしこのタイミングだったからこそ、イスファードには避けては通れない試練が残った。全て無視されたとはいえ、ジノーファは功績をあげている。イスファードはその功績を超えなければならない。そうやって、自分がジノーファよりも優秀であることを証明しなければならないのだ。そのための再侵攻だった。


「…………っ」


「あまり緊張なさいますな、王太子殿下。聞くところによれば、炎帝はスタンピードを起こしたダンジョンの攻略にかかりきりになっております。その隙をつけばよいのです」


「そうだな。その通りだ。頼りにしているぞ、エルビスタン公」


 かつて親子であった二人は、しかし今は主従として言葉を交わす。王太子イスファード率いるアンタルヤ軍四万がロストク帝国領へ向かって出陣したのは、大統歴六三五年四月七日のことだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
相当無能な国王だなこいつ
[良い点] 主人公がちゃんと考えていて、格好いい所。 15歳といいながら、将としての責任を果たそうとするのは とても好感が持てます。 [気になる点] 替え玉の王太子ってアルスラーン戦記ですよね。 この…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ