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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン
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魔の森のスタンピード2


「総員配置に付けぇ! モタモタするな、お客さんが来る前に歓迎の準備を整えろ!」


 突然吹き荒れたマナの大暴風を浴び浮き足立っていた兵士たちも、部隊長たちの命令を受けて動き出す。初めは空気にアテられてぎこちなかったが、しかしここにいるのはよく訓練されたロストク帝国皇帝直轄軍の精兵たち。彼らは徐々に精彩を取り戻し、遠征軍が陣を構えた小高い丘は、戦場の熱気を帯び始める。その様子を、ジェラルドは腕組をして丘の頂上から睨みつけていた。


(タイミングは、良くないな……)


 彼は胸中でそう呟いた。今は昼前。本国へ帰還する兵士たちを乗せた船は、すでに出港してしまった。せめてもう三時間早ければ、およそ六〇〇〇の戦力でモンスターの大群を迎え撃てただろう。この差は大きい。


 ただ見方を変えれば、消耗していない新鮮な戦力が加わったばかりのタイミング、とも言える。そしてなにより、聖痕(スティグマ)持ちのジノーファがいる。それを考えれば、少なくとも最悪のタイミングではなかった。


 そこまで考え、ジェラルドはふっと苦笑した。「『ジノーファがいないと戦えない』では困る」と言い続け、しかしこの土壇場で彼を拠り所にしてしまっている。


(身勝手なことだ……)


 ジェラルドは内心でそう呟いた。だが援軍さえ期待できないこの状況で、彼を使わないという選択肢はない。それどころか最大限働いてもらわなければ、自軍に大きな被害が出るだろう。出し惜しみをしている余裕など無いのだ。


 さて、そうこうしている内に、各隊の配置が完了した。モンスターの大群はまだ現れていない。つまり間に合ったのだ。準備が終わっていないところへの奇襲だけは何とか回避することができ、報告を受けたジェラルドは頷きつつ内心で安堵の息を吐いた。


 遠征軍の迎撃準備が整っても、モンスターはすぐには現れなかった。イヤな緊張感だけが続く。先ほど吹き荒れたマナの大暴風は、今では落ち着きを取り戻している。押しつぶされそうだったプレッシャーも、かなり和らいだ。


 こうなると、本当にスタンピードが起こり、モンスターの大群が現れるのか、少々懐疑的にさえ思えてくる。しかし遠征軍の将兵は誰一人として気を抜かなかった。例えプレッシャーが和らいだとしても、先ほど感じた異質なソレは、彼らの中でうるさいぐらいに警鐘を鳴らし続けているのだ。


 ゴクリ、と誰かが唾を飲み込んだ。ジェラルドではない。恐らく傍に立つ幕僚の誰かだろう。こんなにも緊張しながらモンスターを待つのは、魔の森で初めて誘引作戦を行ったとき以来だ。ただあの時とは違い、「できれば来て欲しくない」と彼は思っていた。そして同時に、それが叶わないことも分かっていた。


 そしてついにその時が来た。森の奥から異様なざわめきが近づいてくるのだ。鳥が飛び立つことはない。すでにいないからだ。ジノーファの妖精眼も、マナの残滓が邪魔をしてあまり役に立たない。ただラヴィーネが牙をむいてうなり声を上げた。


「ウゥゥ……!」


「殿下」


「うむ。来るぞ、総員迎撃準備!」


 ジェラルドがそう命令を下すと、まだ不安を残していた将兵の動揺がピタリと収まった。そして彼らは戦士の顔つきになる。森の奥から聞こえてくる異様なざわめきは徐々に大きくなり、そのままざわめきではなくなり……。


「ガアルゥゥゥウウウウ!!」


「ギャジャァァァアアア!!」


「ブゥ! ブギィィイイ!!」


「ギィ! ギギィィイイ!!」


 モンスターの雄叫びが響いた。幾重にも重なったソレは、狂気ばかりが強調されているようで、迎え撃つ遠征軍の将兵は、みな一様に唾を飲み込んだ。そしてモンスターどもは血肉を求め、人間が立て篭もる陣地へ押し寄せた。


「メイジ隊、放てぇえ!」


 戦いはこれまでの定石通り、メイジ隊の一斉攻撃で始まった。炎が、雷が、氷の槍が、風の刃が、そして魔力弾がタイミングを合わせて放たれる。それらの攻撃はモンスターどもの先頭集団を吹き飛ばし、その狂乱状態に冷や水を浴びせた。だがそれでも、モンスターの数と勢いは、これまでの比ではない。


 吹き飛ばされたモンスターを、むしろ撥ね退けるような勢いで、後続のモンスターが迫り来る。その勢いは少しも衰えたように見えない。歩兵部隊を切り込ませれば、逆にすり潰されかねないほどだ。


 それで次に弓矢が一斉に放たれた。銀色の雨が降りそそぎ、モンスターが次々に倒れていく。倒れた個体が後続の邪魔をして、団子になっているような場所もあった。バリスタも一緒に放たれていて、特に大型のモンスターを狙っている。


 だが、それでもモンスターの勢いを殺ぐには足りない。全体としてはほとんど勢いを落さないまま、モンスターの大群は遠征軍の陣地に押し寄せた。それを兵士たちは槍を揃えて迎え撃つ。


「いいか、断じて退くな! 後ろは海! 我々に退路はないのだ! ここから逃げたところで、魔の森を彷徨うだけ。それがどれだけ絶望的なことか、今更説明する必要はないな!? 生き残りたければ、ひたすら前を向いて戦え!!」


 そして激突する。肉弾戦もひとまずは人間有利だ。地の利があるし、連携して戦えている。しかしこの先どうなるかは分からない。ジノーファの見た限り、モンスターの総数は予想通り一万を超えている。


 防衛陣地に篭っているとはいえ、遠征軍の二倍以上だ。しかも人間と違って、途中で撤退することがない。しかも今はスタンピードの狂乱状態だ。文字通り最後の一体まで牙をむくだろう。


 最終的に数の暴力で押しつぶされてしまう可能性は十分にある。勝ったとしても、大きなダメージが残るかもしれない。


 そしてここは本国から遠く離れた魔の森。しかも移動に船を使ったため、損害が大きいからとすぐに撤退を始めることさえできない。つまりこの大群を退けた後も、望むと望まざるとに関わらず、しばらくはここに居残らなければならないのだ。スタンピードによってまた活性化した、この魔の森に。


 その場合、ことさら誘引をしなくても、数千体規模のモンスターの大群が襲来することは、十分に考えられる。疲弊した遠征軍にとっては、悪夢のような展開だろう。であればここで出し惜しみをしている場合ではない。ジノーファはそう判断した。そして戦況を睨むジェラルドに近づき、彼にこう告げる。


「ジェラルド殿下。わたしも出ます」


「……どう動く?」


 ジェラルドは何か言いたそうにしたが、しかしそれを飲み込み、ただそれだけを尋ねた。それに対し、ジノーファはこう答える。


「敵の奥のほうで数を減らそうと思います」


「奥……? それでは本隊と連携が取れないぞ。危険ではないか?」


「はい。ですが、伸閃で撫で斬りにしてやるつもりなので、周りに味方がいると逆に……」


 危険、ということだ。聖痕(スティグマ)持ちの放つ伸閃に巻き込まれたら、鎧を着ていようが真っ二つだろう。


「……分かった。自由にやってくれ。ただ、エリアボスクラスを見つけたら、そちらを優先してほしい」


 少し悩んだ末、ジェラルドはそう決断した。本当は、ジノーファにはエリアボスクラスを潰して回ってもらうつもりだったのだ。だが、エリアボスクラスが一体何体現れるのか定かではない。


 加えて、エリアボスを討伐できる戦力は、決してジノーファ一人ではないのだ。であれば、ここで彼の思いどおりに動いてもらうのも一つの手だろう。


「了解です!」


 そう応えるが早いか、ジノーファは駆け出した。竜牙の双剣を両手に構え、聖痕(スティグマ)を発動させて猛然とモンスターの大群の中を突き進んでいく。立ちはだかる敵は、全て鎧袖一触だ。


 防衛陣地からある程度離れると、ジノーファは大群が途切れるわずかな隙間を見つけ、まずはそこで足を止めた。そして呼吸を整え、体内で魔力を高める。動かない彼は、一見して格好の獲物に見えたのだろう。モンスターが四方八方から襲い掛かった。


「はあああああああ!」


 その瞬間、ジノーファが裂帛の声を上げながら、身体を回転させつつ伸閃を放つ。その不可視の斬撃は、彼の周囲一帯を文字通り薙ぎ払った。モンスターは一様に動きを止め、次の瞬間灰のようになって崩れ落ちる。


「おお……!」


「これは、なんと凄まじい……!」


 その様子を、少し高い位置から見る事のできた者たちは、みな感嘆の声を上げた。ジノーファの周りだけ、突然ぽっかりと空白地帯が出来上がったのだ。一体、一度に何体のモンスターを切り捨てたのだろうか。


 ジノーファが両手の双剣を振るうたび、多数のモンスターが不可視の刃に切り裂かれていく。モンスターであった灰色の粒子が舞い上がり、まるで霞のように彼の姿をおぼろげにする。それはまるで、灰色のベールを被っているかのようだった。


「……っ」


 不意にジノーファが大きく跳躍して飛び退いた。次の瞬間、ついさっきまで彼のいた場所に多数の火炎弾が着弾する。さらに立て続けに火炎弾が放たれ、爆音を響かせながら逃げるジノーファを追いかける。


 彼を外れた火炎弾は周囲のモンスターに当たり、爆音と悲鳴が響いて狂乱が加速した。フレンドリーファイアをまるで気にしないこの攻撃の仕方は、モンスター特有のものだ。モンスターと人間の決定的な違いは、あるいはこういう部分なのかもしれない。


(どこだ……!?)


 四方八方から、そして執拗に自分を狙う火炎弾を回避しながら、ジノーファはそれを飛ばす術者を探した。これだけの火炎弾をばら撒くのだから、術者は相当強力な個体、つまりエリアボスクラスのはず。ジノーファはそう考え、妖精眼を発動させて周囲を探る。


 回避を優先しているのと、火炎弾の爆煙が邪魔をして、なかなか術者は見つからない。しかも火炎弾の飛んでくる方向もバラバラで、まるで何体もメイジがいるかのよう。しかしジノーファはこれが一体のメイジの仕業だと確信していた。


「居たっ」


 ジノーファが声を上げる。彼の視線の先にいるのは、数体のゴツいモンスター。どう見ても火炎弾を飛ばす、メイジタイプには見えない。それもそのはず。ジノーファが妖精眼で見ているのは、それらのモンスターの影に隠れた、別のモンスターなのだから。


 背丈の低いモンスターだ。二本足で立っているようだが、身長は一メートルもないだろう。ただ妙に丸い。どんなモンスターなのか、ジノーファはちょっと見当が付かなかった。とはいえ、その身に蓄えたマナは間違いなくエリアボスクラス。実際、ソイツが身体を揺らしたかと思うと、離れた場所に火炎弾が浮かび、それがジノーファ目掛けて飛んでくる。


 ジノーファは身体を一回転させつつ伸閃を放ち、周囲に居たモンスターを一掃する。そして姿勢を低くすると、鋭く踏み込んで一気に加速した。狙うのは当然、さっき見つけたモンスターだ。


 ジノーファの後ろで爆音が響く。それを置き去りにして、ジノーファは駆ける。立ち塞がるモンスターは全て切り捨て、彼はついにソイツを見つけた。


 火炎弾を放っていたのは、一つ目のピエロだった。背丈は低く、そして丸い。きっとあの丸い腹の中に、エリアボス特有の大きな魔石を収めているのだろう。そう思い、ジノーファは口元に笑みを浮かべた。戦いの中でしか見せることのない、獰猛な笑みを。


「ファッファファ!!」


 一つ目のピエロが声を上げる。人を馬鹿にしたような声だ。ヒョコヒョコとステップを踏みながら、ピエロは両手に火炎弾を生み出す。そして一つをジノーファに投げつけ、もう一つを足元に叩き付ける。


 ジノーファが火炎弾を回避している間に、ピエロの姿は土煙に隠れてしまった。そしてその向こうから、さらに幾つもの火炎弾が飛来する。


 ジノーファはその全てを回避するなり切り払うなりしたが、しかし土煙が晴れたとき、一つ目のピエロの姿はもうそこにはなかった。普通なら逃げてしまったと考えるところだろう。だがジノーファの眼は誤魔化せない。


「見えているぞ!」


「フォファ!?」


 ジノーファが伸閃を放つ。その不可視の刃は、確かに何かを切り裂いた。そして次の瞬間、一つ目の丸いピエロが姿を現す。魔法で姿を隠していたのである。だがマナを直接視認する妖精眼とは相性が最悪だ。ほとんど意味をなさず、伸閃をまともに喰らった。


 一撃で倒せなかったのは、さすがエリアボスクラスと言うべきか。しかしもはや瀕死だ。動きの鈍ったピエロを、ジノーファは次の伸閃で倒した。魔石の回収は後回しにして、彼はまた灰色の粒子を周囲に撒き散らす。その活躍は、まるで嵐のようだった。


 こうしてジノーファが孤軍奮闘していたわけだが、しかしその成果はすぐには現れなかった。すでに防衛陣地には多数のモンスターが押し寄せており、彼はそれを排除したわけではないからだ。


「グゥゥウウウウ!」


「ガァオ! ガァオ!」


「ブギィィイイイ!!」


 狂乱したモンスターの雄叫びが折り重なる。それは人間ならおよそ出すことの無い声だ。獣の声のようにも聞こえるが、しかし聞く者に嫌悪感を抱かせるこの声は、やはりモンスターの声としか言いようがない。


「くそっ、数が多い!」


「倒しても、倒しても、ちっとも減らないぞ!」


「貴様らぁっ、無駄口叩いてないで戦え!」


 部隊長の叱責が飛ぶ。とはいえ兵士達の言うとおりだった。これまでの戦闘では、どれだけ激しくとも息つく暇があった。モンスターの波が途絶えたり、そうでなくとも圧力が弱まったりする場面はあったのだ。


 だが今回は、そういうことが全くない。絶えずモンスターが押し寄せ、息つく暇がないのだ。そうなると当然、兵士たちは戦い続けなければならない。いかに戦闘中の興奮状態にあるとはいえ、疲労がたまらないわけがなかった。


「あっ……!」


 一人の兵士が不意に体勢を崩した。転びはしなかったものの、ガクッと膝が崩れたのだ。彼の運が悪かったのは、そこへ現れたのが巨体のオークだったこと。オークは太い棍棒を振り上げていた。


 兵士は盾を持っていた。ただ、人間とオークでは膂力が違う。普通にガードしただけでは腕を持っていかれるだろう。まして彼は今、体勢を崩している。踏ん張りの利かないこの状態では、盾ごと潰されかねない。


「転がれ!」


 誰かがそう叫び、彼は咄嗟に転がった。これが小型のモンスターであれば、また別のやり方もあったのだろう。だがオークの攻撃から逃れるにはそうするしかなかった。しかしここは丘の斜面だ。不必要に転がれば、身体は斜面に沿って転げ落ちていく。


「あ……!」


 そして気付いたときは、彼は味方から離れ、モンスターの只中にいた。彼の顔から血の気が引く。窮地から逃れた先が、絶体絶命の死地であることに気づいたのだ。


「うあああああああ!!」


 彼は遮二無二に剣を振り回した。一体、二体とモンスターを切り捨てる。櫓の上から様子を見ていた弓兵たちも彼を援護する。纏わり付くモンスターを振り払い、なんとか丘の斜面を登ろうとして彼が体の向きを変えたその瞬間、しかし彼の動きが止まった。


「えっ……?」


 彼がゆっくりと振り返る。そこにいたのは一匹のゴブリン。手には錆びたナイフを持っていて、そのナイフは彼の右の太ももに突き刺さっていた。


「ギギィ」


 ニタリ、とゴブリンがイヤらしい笑みを浮かべる。兵士は剣を一閃してそのゴブリンの首をはねた。同時に、立っていられなくなって尻餅をつく。そこへモンスターどもが殺到した。


「く、来るな! くるなぁあ!!」


 彼は悲鳴を上げて剣を振り回したが、それで振り払えるのはせいぜい一体か二体。味方の救援も間に合わない。やがて右腕に噛み付かれ、左腕は押しつぶされ、そして彼は生きたまま食われた。


 防衛陣地のあちこちで見られた、代わり映えのしない光景である。



ユスフ(ええい! 貴様ら邪魔だ、ジノーファ様の勇士がみえんだろうがっ!)

注:彼は弓兵隊に混じってちゃんと仕事をしています。

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