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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン
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魔の森のスタンピード1


 ジノーファの休暇は、全部で十日間。ただしその間中、彼はゆっくりと休むことができたわけではなかった。収納魔法の需要は多い。特に今は魔の森でモンスターの誘引作戦を行っている関係で、ポーションの備蓄が少なくなっている。それでジノーファはこの休暇中に、三回も中層まで水を汲みに行くことになった。


「もう。これでは休みに帰ってきたのか、働きに来たのか、分からないではありませんか」


 そう言って、シェリーは少々子供っぽくむくれた。ジノーファと一緒にいる時間を大幅に削られたせいである。それでもダンダリオンの名前を出して非難しないのは、培われた職業倫理のたまものか。難儀なものである。


 そういうわけで、休暇と言いつつジノーファは結構忙しかったわけだが、それでもシェリーは彼女的に最も重要なイベントを無事にこなすことができた。すなわち、服飾業者を交えての、ウェディングドレスの検討会である。ちなみにこの女性は、ジノーファが以前に正装を依頼した店の職人だ。


「いかがでしょうか。ご提案のあったアイディアをもとに、デザイン画を起こしてみたのですが……」


 服飾業者の女性はそう言って、何枚かのデザイン画をテーブルに広げた。ジノーファもそれを手にとって眺める。ほとんど思いつきで口にしたアイディアだったのだが、こうしてデザイン画になるとそれらしく見えるから不思議だ。もっともそれは、業者の技量と経験のおかげだろう。


「シェリーはどれがいいと思う?」


「どれも素敵ですわ。ぜひ、ジノーファ様が決めてくださいまし」


 そう言ってシェリーはジノーファに甘えた。彼が自分のために悩み、時間を使ってくれるのが嬉しくてしかたないのだ。


 そんな彼女の期待に応えるべく、ジノーファは慣れない闘いに「う~ん」と唸りつつ、それでも一枚のデザイン画を選んだ。そしてさらに細かい希望を業者の女性に伝える。彼女はそれを聞くと、力強く頷いてこう請け負った。


「お任せください! 必ずや素敵なドレスを仕立てて見せます!」


「ああ、よろしく頼む」


 ジノーファも顔に達成感を浮かべてそう言った。これでもうドレスについては心配ないだろう。後はシェリーやヴィクトールに任せておけば良い。内心でそう思いながら、彼は自分で選んだデザイン画をもう一度手に取る。このドレスをシェリーが着るのだ。その時が今から楽しみだった。


 さてその一方、工房モルガノで頼んでおいた新しい双剣は、この休暇中に完成した。どうやら店主が仕事を前倒ししてくれたらしい。魔の森へ戻る前日に受け取ったのだが、新しい双剣もかなりの業物だった。両刃の直剣で、長さも注文通りだ。


「今回は、ダマスカス鋼を使いました。ドロップ素材は混ぜていません」


 ジノーファが刃の具合を確かめていると、店主がそう解説を述べる。ダマスカス鋼はダンジョンの中で採掘される希少金属(レアメタル)だ。もっともオリハルコンなどと比べれば結構量が出るので、オーダーメイドされた武器の素材としては一般的だった。


 今回の双剣も、一組で銀貨二〇〇枚。高価ではあるが、しかしまったく手が出ないわけでもない。仮に直轄軍の一般兵であれば、年収の三割から五割程度で買えるだろう。部隊長クラスともなれば、これくらいの武器を持っているのは珍しくない。


 さらに今回の双剣は、ドロップ素材を混ぜていないと言う。通常、ドロップ素材を混ぜると魔力の通りが良くなる代わりに、武器それ自体は脆くなる。よって金属素材を混ぜていない竜牙の双剣などは、完全にダンジョンの中だけで使うことを想定した武器と言えるだろう。


 新しい双剣はその逆だ。もちろんダンジョンの中でも十分に使えるが、むしろその外で使うことに重きを置いた武器と言える。つまり対モンスター用というよりは、むしろ対人用。人間相手を想定した武器だ。


「うん、いい剣だ」


 満足そうにそう言って、ジノーファは剣を鞘に戻した。それを見て店主も安堵の息を吐く。そしてジノーファがカウンターの上に置いた金貨を受け取る。その様子をユスフは少し複雑そうな面持ちで見守っていた。


 竜牙の双剣はいい武器だが、しかし用途が限定される。それでより汎用性の高い、新しい双剣を求めた。それは少しもおかしいことではない。だがこのタイミングで、というのがどうにもユスフには引っ掛かった。そしてカイブとの会話を思い出す。


『坊ちゃん、ちょっといいですか?』


『坊ちゃんはよしてくれ。それと、同じ使用人なんだから、敬語もいらない。……それで、どうかしたのか?』


『はは、まあ分かっちゃいるんだがな……。まあ、それはそうと、旦那様が新しい双剣を注文するときに、わざわざ「ダンジョンの外でも」って言ってたんだ。それが少し気になってな。何かあったのか?』


 カイブがそう尋ねると、ユスフは眉間にシワを寄せて黙り込んだ。ネヴィーシェル辺境伯ダーマードから招聘の書状が届いたことは、屋敷の使用人たちにはまだ伏せられている。ユスフが勝手に口外してしまうわけにはいかない。


『……分かった。ぼく……、わたしも少し気にかけておく』


『ああ、そうしてくれ。旦那様もいよいよ戦場働きを求められたのかとも思ったが、今は魔の森のほうに行っているだろう? なんだか少し、ちぐはぐな気がしてな……。……それと、坊ちゃんはまだ「ぼく」でいいと思いますよ』


『うっさいよ』


 カイブは「ちぐはぐ」と表現したが、ユスフには前述したようにより具体的な心当りがある。とはいえジノーファはそれをまったく切り捨てたはずだった。しかしながら、ユスフはジノーファの心を完全に理解できているわけではない。王太子として育てられた彼が、魔の森の活性化と言う脅威に際し祖国を気がかりに想うのは、ある意味では当然のようにも思えた。


(ジノーファ様は、どうお考えなのだろう……?)


 主の考えを理解できなくて、ユスフは歯噛みした。こんなことでは従者失格である。執事見習いから、「見習い」の文字が取れる日はまだ遠い。しかしその日が来るのをただ待っているわけにも行かないのだ。


「……ジノーファ様はいつの日か、アンタルヤ王国へお戻りになられるつもりなのですか?」


 魔の森へ向かう船の上、海を眺めていたジノーファに、ユスフは思い切ってそう尋ねた。ジノーファは少しだけ彼に目を向けたが、すぐにまた視線を海に戻す。いや、彼が見ているのは海のさらにまた向こうなのだろうとユスフは思った。そしてややあってから、ジノーファはこう問い返す。


「……もしもそんな日が来たら、ユスフは付いてきてくれるだろうか?」


「地の果てまでも、お供いたします」


 わずかばかりの逡巡もせず、ユスフはそう答えた。それを聞くと、ジノーファは海の向こうを見たまま、口元に小さく笑みを浮かべる。その横顔を見て、ユスフは胸の中のモヤモヤがすぅっと消えていくのを感じた。


(そう、どこまでも一緒に……)


 この時、彼はそう誓った。



 □ ■ □ ■



 魔の森に戻ってくると、ジノーファはまずジェラルドに挨拶をしに彼のテントへ向かった。警備の兵士に取次ぎを頼み、許可が下りてから中へ入る。ジノーファの顔を見ると、ジェラルドはわずかに表情を和らげ、そしてこう言った。


「よく戻ってきた。まあ、座れ」


 言われたとおり、ジノーファはジェラルドの前に座った。ちなみにユスフとラヴィーネは外で待機しているから、テントの中にいるのは彼ら二人だけだ。


 二人は少しの間、他愛も無い雑談をする。そして頃合を見計らい、ジノーファは三通の手紙を取り出し、それをジェラルドに差し出す。ジェラルドはそれらの手紙を見て、少々いぶかしげにしながらこう尋ねた。


「それは?」


「預かってまいりました。アーデルハイト陛下とツェツィーリア殿下とマリカーシェル殿下からです」


 ジノーファがその三名の名前を出すと、ジェラルドはいささか渋い顔をして三通の手紙を受け取った。それらの手紙は分厚い。三通重ねると四センチくらいある。さて何が書かれているのか、ジノーファは詮索する気はなかった。


「……確かに受け取った。面倒をかけたな」


「いえ、大したことではありません」


「うむ。また頼りにさせてもらう。下がれ」


 ジェラルドにそう促され、ジノーファは彼のテントを辞した。中でジェラルドがどんな顔をして手紙を読んでいるのか興味はあったが、しかしまさか覗くわけにもいかない。小さく忍び笑いをもらしながら、ジノーファはユスフやラヴィーネと合流した。


 彼らが次に向かったのは、後方で物資を管理している部署だ。シャドーホールに収納してきた物資を渡すためである。彼が持ってきた物資を見て、物資を管理している兵士たちは喜んだ。


「すごい、武器も食糧もこんなに!」


 今回の作戦では、補給のために馬車ではなく船を使っている。船は積載量が多いから、本国から遠く離れた魔の森にいるにも関わらず、遠征軍の兵站は安定していた。それが兵士達の士気を高める一つの要因にもなっている。


 ただ、ロストク帝国は決して海洋大国というわけではない。作戦に使える船の数には限りがある。つまり、一度に運べる物資の量にも限界があるのだ。そもそも兵員五〇〇〇というのは、その限界を考慮しての戦力だった。


 輸送量には限りがある。であれば当然、必要なものが優先して運ばれる。作戦が始まってからこれまで、遠征軍は物資に不足してこなかったが、しかし兵站部に言わせれば「カツカツの状態の綱渡り」。彼らはもっと余裕が欲しいと何度も要請していた。


 そこへジノーファの一時帰国である。シャドーホールを使えば大量の物資を運べることはすでに分かっているのだ。兵站に関わる者たちが、この格好のチャンスを見過ごすはずがなかった。


 もちろん、他の収納魔法の使い手たちが一時帰国する際にも、兵站部は彼らにも同様に物資の輸送を頼んでいた。ただ彼らの収納魔法は、五〇〇〇人分規模の物資を運ぶには決して十分とはいえない。やはりジノーファを使うのが最も効果的なのだ。


 彼の一時帰国に際し、残される兵士たちの多くは一抹の不安を覚えたというが、兵站部は喝采を上げたという。そして嬉々としながら追加で発注する物資のリストを作成し、それを本国へ送った。ジノーファの休暇期間中、最も忙しかったのは、その膨大な量の物資を手配しなければならなくなった、本国の兵站部であったという。


 そのかいあって、こうして魔の森には潤沢な物資が持ち込まれた。もちろん、船で運ばれてきた本命の物資に比べれば、ジノーファが運んできた物資の量は少ない。けれどもこれでかなりの程度余裕ができた。これで想定外の展開にもある程度対応できるだろう。もっとも、兵士たちが喜んだ理由はそれだけではなかった。


「ワインだ! 嬉しいなぁ、久しぶりに飲めるぞ!」


 前述したとおり、船で輸送できる物資には限りがある。それでこれまで、嗜好品の類はどうしても後回しにされていた。だが今回、ジノーファはそれをたっぷりと持ってきた。もちろん五〇〇〇人で分けるのだから、一人分はどうしても少なくなるだろう。だが全員に行き渡る。そして戦友と飲むワインは、最高に美味いに違いない。


 さて、その次の日。この日は休養日だった。もちろん休養日と言っても仕事がないわけではない。それどころか崩れた壕や破損した塁の修復など、なすべき仕事は多く、そして多岐にわたる。


 要するに休養日と言うのは、モンスターの誘引が行われないという意味なのだ。そしてこれまでに数万のモンスターを間引いた成果なのか、森のほうからモンスターの集団が散発的に襲来することはほとんどなくなっている。


 もちろん、だからと言って気を抜いていいわけではない。ただ魔の森の、少なくともこの拠点の周囲の脅威度が下がっていることを、ほとんど全ての将兵が感じ取っている。そしてそれはジノーファも同じだった。


(ずいぶんと空気が柔らかい……)


 それを、彼はそんなふうに表現した。およそ二週間前、彼がここを離れたときとは随分違う。気を抜けばここが人外魔境であることさえ忘れてしまいそうだ。日差しは温かく、風は優しく頬を撫でる。木陰で昼寝でもすれば、きっと気持ちいいだろう。


 まるで誘引作戦その物が幕引きに差し掛かったような、そんな雰囲気である。しかし後から思えば、それは人間の油断だった。魔の森の脅威は少しも衰えておらず、その化け物は飛び掛る瞬間を今か今かと待っていたのである。


 ――――そして、ついに牙をむく。


(っ!?)


 その瞬間、ジノーファは全身に鳥肌が立った。魔の森の空気が一瞬にして変わったのだ。それはあまりにも劇的で、気付かない方がどうかしていると言っていい。実際、あちこちで兵士たちがざわめいている。


「な、なんだ!?」


「一体、どういう……!?」


「何が、何が起こって……!?」


 ざわめきが広がり、兵士たちが浮き足立つ。気温も日差しも風も、何一つ変わってはいない。しかしただ空気だけが、誰にでも分かるほど、はっきりと変わった。大きすぎる気配があたり一面を飲み込んで、いや喰い尽してしまったのだ。


 騒然とする陣中で、ジノーファは立ち尽くしていた。兵士たちは肌で空気の変化を感じ取ったが、妖精眼を使っていた彼はその変化を眼で捉えていたのだ。当然それは「なんとなく」などというあやふやなものではない。彼はそれを、はっきりと見たのだ。


 彼が見たもの、それは押し寄せる青い光だった。巨大なプレッシャーを伴って押し寄せたその青い光は、瞬く間に彼と周囲を覆い尽くす。まるで神の息吹を吹きかけられたかのようだった。


「ウゥゥ……、ワン、ワン!」


 圧倒的な存在感に押しつぶされ、呆然と立ち尽くすジノーファ。その足元でラヴィーネが吼え声を上げる。それが耳に届いて、ジノーファははっと我に返った。ラヴィーネを見ると、彼女は怯えたように尻尾を股の間に挟んでいる。


 ジノーファは小さく笑って彼女の頭を撫でたが、その時ようやく彼は自分の手が震えていることに気付いた。同時に全身から冷や汗が噴出す。口元に浮かべた笑みも、きっと引き攣っていたに違いない。


「っ!」


 ジノーファは両手で自分の頬を叩いた。それで彼の身体に感覚が戻ってくる。それから彼はジェラルドを探して駆け出した。


「殿下!」


「ジノーファか! これは……!」


 ジェラルドも異変は感じ取っていたらしい。だがやはりというか、訳が分からないようで、動揺しているのが見て取れる。そんな彼に、ジノーファはこう告げた。


「スタンピードです!」


「……っ、まことか!?」


「膨大な量のマナがいきなり噴き出しました。こんな現象、スタンピード以外に考えられません!」


 ジノーファがそう言うと、ジェラルドは一瞬顔を歪めた。同時に、彼の動揺が鎮まる。何が起こっているかがわかり、彼の頭が回転を始めたのだ。そして彼は浮き足立つ兵士たちに命令を下す。


「総員、戦闘配置!! 敵は最低でも一万を超えるぞ! 心してかかれ!」


 さらにジェラルドは矢継ぎ早に指示を飛ばす。そのおかげで遠征軍はモンスターの大群が襲来する前に迎撃態勢を整えることができた。


 何事もなく過ぎるかと思われた一日。その一日は、しかし予想外に長くなりそうだった。



ジェラルド(手紙の件はこれでうやむやにしてしまおう……)

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