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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
魔の森のダンジョン

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恋慕と思惑


 ジノーファが魔の森から帰ってきてから三日目。彼は帝都ガルガンドーの中枢、すなわち宮殿を訪れていた。宮殿と言えば、彼が最も利用しているのは図書室だ。しかし今日はそちらへは寄らない。今日はダンダリオンに呼び出されたのだ。


 ダンダリオンの侍従に案内され、ジノーファは宮殿の庭を進む。今日は良く晴れていて、吹き抜けるやわらかな風も心地よい。庭でお茶をするには、絶好の日和だろう。ただ同時に、ダンダリオンの趣向にしては可愛らしすぎる気もした。


「あちらでございます」


 侍従に案内されたのは、庭の奥まった場所にある、人目につかない東屋だった。侍従は東屋から少し離れた場所で足を止めたので、ジノーファは彼に礼を言ってからそこへ向かう。


 蔦の這う東屋に近づくと、そこにはすでに何人かの人影があった。立って控えているのはメイドたちだ。座ってお茶を飲んでいる人たちもいて、そこにはジノーファを呼びつけたダンダリオンの姿もあった。


「おお、ジノーファか。良く来た。さあ、そこへ座れ」


 そのダンダリオンがジノーファに気付き、ジノーファを手招きする。彼は一礼すると、言われたとおり席に着いた。すぐにメイドの一人が彼にお茶を用意する。礼を言ってそれを一口啜ってから、ジノーファは改めてその場を見渡した。


 お茶会の参加者は全部で六人。ジノーファが直接話したことがあるのは、ダンダリオンと彼の末姫のマリカーシェルの二人。残りの四人も、話したことはないものの、心当たりのある人物だ。ダンダリオンが彼らを紹介するが、その名前はジノーファの予想通りだった。


「必要ないとは思うが、一応紹介しておこう。まずは皇后アーデルハイト。余の妻だ。次に皇太子妃ツェツィーリア。その子である、ジークハルトとグリンダ。それと、マリカーシェルだな」


「お父様、わたくしはついでなのですか?」


 いささかぞんざいな扱いを受けたマリカーシェルが、不満げに頬を膨らませた。ダンダリオンはそれを見て楽しげに笑うと、「ジノーファがマリーのことを忘れるなど、ありえまい?」と告げる。するとたちまち、彼女は頬を薄く染めて俯いた。


 ジノーファがマリカーシェルと初めて出会ったのは、彼女がまだ十三歳のときのことだ。ダンスを踊った可愛らしいお姫様のことを、ジノーファはもちろん忘れたことなどない。以来、時には一緒にお茶を飲むこともあったのだから、当然だ。年下ということで、どこか妹のようにさえ感じていたのは、ジノーファだけの秘密である。


 そんなマリカーシェルも、今年で十六歳になる。可愛らしいお姫様は、美しい淑女へと成長した。ピンクブロンドの髪は艶やかで、肌は雪のように白い。ぷっくりとした唇は蠱惑的だが、恥ずかしげに俯く姿は年齢よりも幼く見える。咲き誇る満開の花というより、ほころびかけた蕾のようだ。そんな彼女に小さく微笑んでから、ジノーファは自己紹介をした。


「改めまして、皆様。ジノーファと申します。本日はお招きいただき、光栄に存じます」


「そう堅苦しくならないでくださいな、ジノーファ様。今日はジェラルドの様子を窺いたくて、お呼びたてしましたの。あの子ったら、手紙の一つも満足によこさないのよ。『報せがないのは無事な証拠』とも言いますけれど、それでもやっぱり心配で」


 アーデルハイトが困ったように微笑みながらそう言うと、ツェツィーリアも小さく頷いて同意を示す。もちろん、これまでに一時帰国した将兵からも話は聞いているのだろう。ただ魔の森と言えば、人を寄せ付けぬ人外魔境。そういうイメージもあり、留まって戦い続けている彼のことが気がかりなのだろう。それでジノーファは請われるままに、魔の森の様子やジェラルドのことを語った。


「皇太子殿下が布陣しておられるのは、森のただなかではなく、海岸沿いの小高い丘です。海がすぐ傍にあるので、船の中で休むこともできます。魚や貝も良く獲れるので、食事が豊かになると、兵士たちも喜んでおりました」


「森ではないのですか?」


「はい。魔の森で戦ってはいますが、実際に森の中に入ったことはまだないのです。将兵の中にはこれまでの戦果に昂揚し、『森の中へ進軍すべし』と主張する方もいらっしゃるようですが、殿下はそうされず、慎重な姿勢を崩しておられません。今日まで遠征軍が大きな被害を出さずに済んだのは、きっとそのおかげでしょう」


「父上は勇敢に戦っておられないのですか?」


「いいえ。皇太子殿下は勇敢です。わたしが帰国の途に着く前にも戦闘があったのですが、そこで殿下は、四つ腕の巨大な狒々を相手に戦い、見事勝利を収められました。その勇猛な戦いぶりに、全軍の将兵が奮立ったものです」


「父上、すごい!」


 そう言って、ジェラルドの長子であるジークハルトは目を輝かせた。一方でダンダリオンは苦笑を浮かべている。その顔には「慣れないことをしているな」と、書いてあるようだった。


「ですが、わざわざジェラルド様がそのようなことをなさらずとも……。直轄軍は精兵揃いなのではありませんか?」


「まあ、そう言ってやるな。大将たる者、時には口先ではなく、背中で語ることも必要なのだ」


 ツェツィーリアが恐ろしげに眉をひそめると、ダンダリオンはそう語って彼女を宥めた。するとアーデルハイトがからかうようにして彼にこう告げる。


「あなたの真似をしているのではありませんか?」


「だとしたら、余の教育は間違っていなかったということだ」


 ダンダリオンがぬけぬけとそう言うので、その場にいた者たちは皆一様に笑った。それからまたしばらく、魔の森やジェラルドのことを話題にした会話が続く。話が一段落すると、頃合を見計ってツェツィーリアが立ち上がった。


「名残惜しいですが、この子達の勉強もありますので、そろそろお暇させていただきます」


「母上、もっとお話を聞きたいです」


「ダメよ、グリンダ。お勉強を頑張らないと、お父様が帰ってきたときに、悲しまれるわ」


 愚図ったグリンダを、ツェツィーリアがそう言い聞かせて宥める。それから彼女は二人の子供と手をつなぎ、挨拶をしてから東屋を後にした。さらにアーデルハイトも「わたくしもこれで」と言って東屋を去る。結局、ダンダリオンとマリカーシェルとジノーファの三人だけが後に残った。


「……そういえば今日は、シュナイダー殿下はどうされたのですか?」


 アーデルハイトらを見送ってから、ジノーファはダンダリオンにそう尋ねた。今日は皇家が勢ぞろいしていた中で、シュナイダーの姿だけがなかった。するとダンダリオンは少し呆れたような調子でこう答えた。


「あいつなら逃げたぞ。今ごろ、どこぞで遊んでいることだろうよ。……それはそうとジノーファ、例のものは持ってきたか?」


「はい。こちらに」


 そう言ってジノーファは懐から一通の書状を取り出した。ダーマードからの招聘状だ。ダンダリオンはそれを受け取ると、ざっと目を通す。そして書状をジノーファに返すと、彼は苦笑を浮かべてこう尋ねた。


「なかなか熱烈な勧誘ではないか。断ってしまって良かったのか?」


「はい。シェリーや子供のこともありますし、アンタルヤ王国に未練はありません」


 ジノーファとしては、さらりとそう答えたつもりだった。しかしそんな彼を、ダンダリオンが鋭く見据える。そしてこう重ねて問うた。


「本当にそうなのか?」


「陛下……」


 ジノーファが困惑した様子を見せる。だがダンダリオンは視線を緩めない。そしてさらにこう言葉を続ける。


「その書状を受け取ったとき、お前は中身を見ることなく話を断ったそうだな。その上、シャドーホールに隠しておくこともせず、すぐさまジェラルドに話を通した。なるほど確かに、清々しいほど未練はないように思える。


 だが実のところ、これは全て未練があるための裏返しではないのか? 未練がある。しかしそれよりも優先するべきと思うものができた。それで未練を断ち切るべく、自ら外堀を埋めているのではないのか」


「……ッ」


 ジノーファが顔色を変える。図星と自白しているようなものだ。それを見てダンダリオンはようやく視線を緩め、それからため息を吐いた。


「……やはりお前はアンタルヤ王国の王太子だよ。血筋と身分を失い、国を追われても、それでもお前の魂はそこにある」


「陛下、わたしは……!」


 ジノーファは何かを言いかけて、しかし結局何も言わずに口を閉じた。言葉が見つからなかったのではない。それ以前の問題として、自分が何を言いたいのか、それさえも今の彼には判然としないのだ。ジノーファが黙り込んでしまった中、唐突に今度はマリカーシェルが口を開いた。


「……それほどまでに、シェリー様とお子様を愛しておられるのですね。正直、羨ましいです」


「マリ、カーシェル、殿下……?」


 声に誘われるようにして、ジノーファはマリカーシェルのほうを見た。そしてお茶会が始まってから初めて、彼はマリカーシェルの視線を真っ直ぐに受け止める。彼女の薄紫色の瞳は澄み切っていて、その輝きにジノーファは少しだけ慄いた。


 さっきまでは幼く思えた彼女が、今は皇女の名に相応しい威厳を纏っている。そしてマリカーシェルはさらにこう言葉を続けた。


「王族や皇族としての教育がどのようなものか、わたくしも少しは存じております。きっとジノーファ様にとっては、祖国を思うことは呼吸をするようなものなのでしょう。それなのにジノーファ様はシェリー様を選ばれた。きっと、お二人は深い愛で結ばれているのですね。……でも、わたくしも諦めません」


「……っ、……それは、どういう……?」


 ジノーファは思わずそう聞き返した。しかしマリカーシェルは微笑むだけで何も答えない。それから彼女は「わたくしもこのあたりで失礼いたします」と言い、立ち上がって美しく一礼すると、静々と歩いて東屋を後にした。


 ……そこまでは良かったのだが、途中で限界が来たのか、マリカーシェルはうなじまで真っ赤になった顔を両手で覆った。そしてドレスの裾を乱しながら、駆け足になって建物の中に飛び込む。メイドたちが慌てた様子で彼女の後を追った。そんな娘の様子を見て、ダンダリオンは楽しげに喉の奥を鳴らして笑う。


「くっくっく……。教育の成果と言うべきか、それともはしたないと窘めるべきか。ともあれジノーファよ、まさかマリーにここまで言わせておいて、何のことか分からぬなどと言いはせぬだろうな?」


「……そこまで朴念仁ではないつもりです」


 少々呆然としつつも、ジノーファはそう答えた。それを聞いて、ダンダリオンは「よろしい」と言って頷き莞爾と笑う。その笑みがどうにも憎たらしく思えて、ジノーファは反論を試みた。


「ですが、ロストク帝国の国益はどうなさるのですか」


 皇女や王女といった存在は、政略結婚の駒とされるのが歴史の常だ。ダンダリオンもマリカーシェルにそれを求めているのではなかったのか。しかし彼はすまし顔でこう答えた。


「無論、国益も考えている。その上で、相手がジノーファならば、そう悪い話ではないと考えている」


 同盟国たるランヴィーア王国へは第三皇子フレイミースが行った。アンタルヤ王国でつりあうのは王太子イスファードくらいだが、彼はもうファティマを王太子妃に迎えた。イブライン協商国には、そもそも相手がいない。


 北海対岸の国々のいずれかにやるという手もあるが、ダンダリオンは今のところ、それらの国々とそこまで深い結びつきを求めてはいない。よってマリカーシェルの相手は国内で探すことになるが、であれば聖痕(スティグマ)持ちのジノーファは当然候補に入ってくる。彼を他国に取られるわけにはいかないのだ。


「それならシェリーがいるではありませんか。彼女をわたしのそばに置いたのは、陛下ではありませんか」


「そうだ。余がシェリーに命じてお主のそばに侍らせ、そして監視をさせた。いずれは手を出し、子を生すことを期待してな。それもこれも、そなたをロストク帝国に止め置くためだ」


「でしたら、すべて陛下の思惑通りになったではありませんか。この上、さらに柵を増やす必要など……!」


 地位も名誉もいらない。ただ愛する人や子供と穏やかに暮らしたい。それが叶うなら、その他のことは全て切り捨ててもかまわない。特にシェリーの懐妊を知らされからというもの、ジノーファはその覚悟でいたのだ。


 そしてロストク帝国にいる限りは、おおよそ望んだとおりに暮らせるだろう、とジノーファは思っていた。それこそがダンダリオンの意図したことであるはずだからだ。だからこそ、その思惑に乗ったのである。だがマリカーシェルがジノーファに恋慕していて、ダンダリオンがそれを認めていると言うのなら、話は全く違ってくる。


「なんだ、マリーのことは気に入らぬか?」


「そういう問題では……!」


 ダンダリオンが軽い口調でかわそうとすると、ジノーファはさすがに気色ばんで立ち上がった。彼にしてみれば、いきなり梯子を外されたようなものだ。わけも分からぬうちに皇族の姫を押し付けられてはたまらない。


 いや、彼とてマリカーシェルを嫌っているわけではないのだ。ただ、彼女とシェリーとでは、あまりに身分が違いすぎる。マリカーシェルの望みをかなえるために、シェリーが涙を流すことになりかねない。要するに彼の懸念はそこにあった。


「落ち着け。なにもシェリーと結婚するなと言うつもりはない。安心しろ」


 今にも聖痕(スティグマ)を発動させそうなジノーファを、ダンダリオンは苦笑しつつそう言って宥めた。そしてジノーファを座らせると、顎に手を当てて何事かを思案する。それから残っていたメイドたちに席を外すよう命じる。その際、「この場で見聞きしたことは他言無用」と言い渡した。


「この際だ。今後、お前にやってもらうつもりのことも話しておこう」


 メイドたちが東屋から去ると、ダンダリオンはおもむろにそう切り出した。シェリーやマリカーシェルのことを話していたはずなのに、いきなり話題が変わってしまい、ジノーファは困惑する。それでも何か関係があるのだろうと思い、彼は無言のままひとまず頷いた。


「アンタルヤ王国との間で、五年間の相互不可侵条約が結ばれていることは知っているな。そして今年はその三年目だ。あと二年経ったら、ロストク帝国はアンタルヤ王国へ宣戦布告する」


 ダンダリオンははっきりとそう断言した。ジノーファは内心に衝撃を受けつつも、しかし驚くことはない。十分に予想されたことだからだ。ロストク帝国は南方の大洋に面した貿易港を欲している。それを手に入れるため、いよいよ本格的に動くつもりなのだ。


 今すぐに動かないのは、相互不可侵の期間が残っているからというより、準備のための時間が欲しいのと、あとは活性化した魔の森の状況をもう少し見極めたいからだろう。加えて、その間にアンタルヤ王国が消耗していくことも見込んでいるに違いない。


「そして遠征軍の総司令官だが、ジノーファ、お前にやってもらいたいと考えている」


「ッ、陛下、それは……!」


「そして大洋へと通じる国土を切り取った後は、そこを総督領としてお前に任せるつもりだ」


「……ッ」


 これにはジノーファもさすがに絶句した。そして同時に理解する。だからこそマリカーシェルなのだ。彼女と婚姻を結ばせることでジノーファを皇室に迎え入れ、その権威を後ろ盾にして彼を遠征軍総司令官に、そして新領土の総督にならせる。それがダンダリオンの思惑なのだ。


 切り捨てようとしていた未練を指摘され、マリカーシェルからは想いを告白され、その上さらにこれだ。色々なことが一度に起こりすぎて、ジノーファは驚くことも忘れ、ただ呆然とするしかなかった。



マリカーシェル(どどどどどうしましょう……! いいいいいい言ってしまいましたわ……!? はしたないとか図々しいとか、思われないでしょうかしら……!?)

メイド一同(うちのお姫様かわいい)

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