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王太子の真実1


 さて、ジノーファがダンダリオンらとダンジョン攻略に勤しんでいた頃、生き残った殿のアンタルヤ兵を率いるクワルドは、ようやくガーレルラーン二世のいる本隊に合流した。殿として残った一〇〇〇名のうち、生きて本隊に合流できたのはおよそ七〇〇名弱。三割以上の被害を出したことになる。


 普通であれば、全滅にも等しい損耗率だ。しかしながら彼らは殿。文字通り一兵も帰らないことも想定されていたのだから、それを思えば驚異的な生還率といえる。しかしガーレルラーンに謁見したクワルドは、沈痛な面持ちで平伏し、この場にジノーファを連れて来られなかったことをひたすら陳謝した。


「王太子殿下を後に残し、おめおめとここへ参りましたことは、すべては私の至らなさゆえ……。いかなる厳罰も覚悟しております。ただ、命を懸けて戦いました兵士たちには、どうか寛大なご処分を……」


「まずは経緯を説明せよ。なにゆえジノーファを後に残すことになったのか?」


 ガーレルラーンに問われ、クワルドはあの戦いについて説明した。


 急造した防御陣地にダンダリオン一世率いるロストク軍が迫ったこと。


 ロストク軍の攻勢が始まるその前に、彼らの背後にスタンピードによるモンスターの大群が現れたこと。


 これらのモンスターがアンタルヤ王国の領内へ侵入するのを防ぐべく、ジノーファがダンダリオン一世に共闘を申し出、そしてその共闘が成立したこと。


 アンタルヤ軍が時間を稼ぎ、再編を終えたロストク軍がモンスターの大群を包囲殲滅したこと。


 その後、敵に戻ったロストク軍の足を止めるべく、ジノーファがダンダリオン一世に対し一騎討ちをしかけたこと。


 同席した幕僚たちがざわつく中、ガーレルラーンは表情をわずかばかりも動かさずにその話を聞いた。


「では、ジノーファの生死は不明であると、そういうことか?」


「ご存命であると、信じております……」


 辛そうにしながら、クワルドはそう答えた。そしてダンダリオン一世が比較的好意的な態度であったことを話す。それを聞いてガーレルラーンは「そうか」と冷笑気味に呟いた。そしてクワルドにこう告げる。


「下がれ。沙汰は王都クルシェヒルに戻りしだい言い渡す」


「ははっ」


 クワルドは平伏し、それからガーレルラーンの御前を辞した。一人アンタルヤ軍の陣中を歩くクワルドは、胸中に言い知れぬ不安を抱えていた。先ほどのガーレルラーンの態度は一貫して冷淡であった。


 何か勘気に触ったのだろうか。しかしジノーファはあの状況で望みうる最大の成果を上げたと言っていい。殿の任務を全うしてロストク軍を足止めして本隊を追わせず、モンスターを王国領へ侵入させず、さらに多くの味方を無事に撤退させた。


 その過程や方法には様々な意見があるだろう。しかし戦場において重要なのは結果だ。王太子殿下以上の結果を、この陣中にいる誰ならば出せると言うのか。クワルドはそう叫びたかった。


(もしや……)


 もしや陛下は王太子殿下を見殺しにするのではないだろうか。漠然としていた不安がそのような形を持ち始め、クワルドは慌ててその考えを打ち消した。


(あり得ぬ。そう、あり得ぬ事だ……)


 クワルドは自分にそう言い聞かせる。ジノーファは王太子だ。次期アンタルヤ王国国王だ。それを見捨てるなど、ありえない。ガーレルラーンや王妃メルテムがジノーファに無関心で時に冷淡なように見えるのも、次期国王たる彼を甘やかさないよう厳しく接しているからに違いない。


 なにしろジノーファはアンタルヤ王家にとって、そしてガーレルラーンとメルテムにとっても、待望の男児なのだから。


 ガーレルラーンには現在、二人の子供がいる。長女ユリーシャと次男ジノーファだ。二人ともメルテムが産んだ子供である。ちなみにユリーシャはジノーファより八歳年上で、今年二三歳になる。少し癖のある眩いプラチナブロンドは母親譲りだ。


 しかしながらガーレルラーンには、さらに二人の子供がいた。上記でジノーファが次男となっているように、一人は長男であり、名はエルドアンという。当時ユリーシャは三歳で、彼が生まれたとき王都クルシェヒルは喜びに沸いたと言う。


 しかしその喜びは長くは続かなかった。一歳の誕生日を前にエルドアンは病を患い、そのまま死去したのである。ガーレルラーンと、特にメルテム王妃の悲しみはあまりにも深くて、涙は枯れ、食事は喉を通らず、眠りも彼女から遠ざかったと言う。早過ぎる王子の死を悼み、王都クルシェヒルは一〇〇日の間、喪に服した。


 エルドアンの死後、ガーレルラーンは侍女の一人に手をつけて彼女を孕ませた。王妃の子供ではないものの、第一王子の死後、どことなく暗い空気が漂っていたアンタルヤの王宮にあって久しぶりの慶事だった。


 しかしこの慶事は悲劇に変わった。あと一月ほどで出産という時期に、その侍女は突然命を落としたのである。食事を取った直後に血を吐いて死んだと言うから、毒物を用いた暗殺に間違いない。


 直接の犯人と思しき同僚の侍女は、翌日クルシェヒル郊外の水路に浮かんでいるのが発見された。ガーレルラーンの寵愛を受けた侍女への嫉みによる犯行とされたが、王宮内にそれを真に受ける者はいなかった。


 水路に浮かんでいた侍女は実行犯でしかなく、彼女に指示を出して犯行を行わせた黒幕がいるはず。誰もがそう考え、また捜査も行われたが、しかし捜査の手がその者へ届く事はなかった。


 このような事情の中で生まれたのが、第二王子のジノーファだった。彼を除けば、ガーレルラーンに他の男児はいない。ユリーシャ王女はすでに国内の貴族と結婚して降嫁し、子供も生まれている。王太子として冊立されていることもあり、ジノーファが王位を継承するのはほぼ決まったこととして国内では考えられていた。


 そのジノーファを見捨てることなど、常識的に考えてあり得ない。ガーレルラーンにとっては待望の男児にして公認した後継者であるし、メルテムにとってもお腹を痛めて産んだ実の息子である。ガーレルラーンは必ずや彼を救うだろう。普通に考えれば、それ以外の道などない。


(そうだ、それ以外にはない。ない、はずなのだ……)


 クワルドは自分にそう言い聞かせた。しかし否定しても否定しても、漠然とした不安が彼に付きまとう。結局、王都へ帰還するまでの間、彼はその不安を振り払う事はできなかった。



 □ ■ □ ■



 大統歴六三五年三月十九日、ガーレルラーン二世率いるアンタルヤ軍は王都クルシェヒルに帰還した。勝利の凱旋ではなく、いわば敗戦帰国なのだが、すぐに退いたので大敗したわけではない。全体としての傷は浅く、そのおかげで兵士達の顔にも帰還の喜びが浮かび、みすぼらしさは感じられない帰還だった。


 王都クルシェヒルに帰還すると、クワルドに対しガーレルラーンから沙汰が言い渡された。その内容は「別命あるまで現在の職責を全うせよ」というもので、事実上ジノーファのことは罪に問わぬと言われたに等しい。それどころか別命が示唆されているように出世する可能性も高く、クワルドは胸を撫で下ろした。


 クワルドを罪に問わぬということは、つまりはジノーファに対しても同様ということ。恐らくは身代金を支払うことになるが、それでも彼が見殺しにされることはないのだ。クワルドはようやく安心することができた。


 一方で、そうするとやはり、ジノーファを一人残してきてしまったと言う後悔が彼の中で叫び声を上げ始める。


『生き残った兵たちを、故郷に返してやって欲しい』


 あの時、ジノーファはクワルドにそう命じた。あの時は兵の命を負わせることで自分を説得しているのだと思っていた。そしてそういう側面も確かにあったのだろう。しかし故郷に帰る兵士の中に自分もまた含まれていたのだということに、クワルドはようやく気がついた。


(あの状況にあって、どれだけ兵たちのことを慈しんでおられたのか……!)


 そして自分はなんという方を置き去りにしてしまったのか。あの方をこそ、ここへ連れ帰るべきではなかったのか。そう考え始めてしまうと、自分の家に帰ることさえ、クワルドには罪悪のように感じられた。


「お帰りなさいませ、あなた。ああ、無事に帰ってきてくださり、良うございました……!」


 しかしそれでも、ああ、愛する妻が涙を浮かべて出迎えてくれれば、生きて帰ってこられて良かったと思うのだ。子供達の無事な顔を見れば、あそこで死ななくて良かったと思ってしまうのだ。


(ああ、私はなんと浅ましい人間だ……)


 幸福を噛み締めながら、クワルドはそう思った。そして家族に促されるまま、家の中へ入る。生き残った兵たちも、今頃はこうして家族に迎えられているのだろう。クワルドはジノーファが守ったものの尊さを思った。


「父上、お話を聞かせてください!」


 末息子のユスフがクワルドにそうねだる。彼は微笑みながら息子の頭を撫でた。そしてふとこう考える。ユスフは今年で十三歳。ジノーファとは年齢が近い。この子をジノーファに仕えさせるのもいいかもしれない、と。


 できるかどうかは分からない。王太子の近くに侍るとなれば、その場所を狙う者は他にも多くいるだろう。ただ、ジノーファには味方が必要だ。自分や家族が彼の味方になれるなら、少しは恩も返せるのではないだろうか。クワルドはそう思った。


 さて、ガーレルラーンは国内の主立った者たちを王都へ集めているらしかった。帰還の途中、それもクワルドらが本隊に合流した頃にその命令を各地へ送ったらしいが、しかしまだ参集は完了していない。


 国内の主立った者たちを王都へ集めるということは、なにか重要な布告がなされるということだ。時期から考えてロストク帝国への遠征やジノーファに関わることなのだろう。あれこれと憶測が飛び交ったが、それらの噂は要するに一種の娯楽だ。結局のところ布告がなされるまでその内容は分からない。それで参集が完了するまでの間、王都には比較的穏やかな時間が流れた。


 その間、クワルドのもとへは多くの来客があった。彼らのお目当てはクワルドら殿を務めた部隊の、いやジノーファの武勇伝だ。どのような状況で、どのような事柄が起こり、どんな決断を下し、どう戦ったのか。彼らは熱心に聴きたがった。


 あまりに熱心で、そのため職場にまでおしかけた者さえいた。しかもそういう者に限って、クワルドより身分が高かったりするので断るに断れない。彼には戦後処理の仕事がたくさんあったのだが、まずは彼等に話をしてやることが第一の仕事になってしまった。


 これが自分のことならば、クワルドは話そうとはしなかっただろう。しかし今回、彼等が聞きたがっているのはジノーファの話だ。それでクワルドはまた誇らしい気持ちの中に、ジノーファを一人残してきてしまったと言う一抹の後悔を混ぜて彼らに応じた。そしてクワルドの話を聞いた者たちは、皆揃って感嘆の声を上げた。


「うぅむ……。敵軍に加えスタンピードまで起こった状況にあって、そこまで冷静な判断を下されるとは……」


「王太子殿下の戦いぶりも素晴らしい。さすがにお一人でダンジョン攻略をなさっているだけのことはある」


「炎帝相手に一歩も引かぬ胆力。少女のように繊弱な方と思っていたが、なんとも豪儀なことよ!」


 軍人で状況の厳しさを理解できる者や、辺境に領地を持つ貴族などは特に好意的だった。寡兵をもって殿の務めを完璧に果たし、さらに敵軍を利用してスタンピードを鎮める。片方でさえ、成し遂げるのは困難を極める。そして失敗すればどれほどの被害が出るのか。それを想像できる者ほど、好意的だったのだ。


 ただ、もちろん、肯定的な意見ばかりではなかった。特に共闘について、ロストク軍を利する行為だったのではないかとの声は根深い。


「ロストク軍の傷を浅くしたのは、まさしく利敵行為ではないか」


「スタンピードを利用すれば、炎帝を討ち取ることもできたはずだ」


「ましてご自分が残られるなど、王太子としての自覚にかけると言わざるを得ない」


 そういう意見があったのは事実だ。しかしだからと言って、ジノーファが残した成果が否定されるわけではない。それに、こういう意見の大半は嫉妬によるものや、派閥の力学の関係上言わざるを得ないというもの。真に受ける者もほとんどおらず、否定的な意見はあくまで少数に留まった。


 クワルドの話を聞いた者たちは、そのことをまた別の者に話して聞かせた。敗戦の中にあって唯一と言っていい武功であるから、ジノーファの話は瞬く間に王都のすみずみにまで広まった。


 その中で尾ひれが付き、話が誇張されていくのは仕方のないことだろう。一般の庶民にとっては、伝え聞いた話が正確であるかはあまり問題ではないのだ。


 彼らにとって重要なのは、自分たちの王子様が立派な人物であるということ、ただその一点に尽きる。そして武勇伝の中のジノーファは確かに立派な人物だった。彼らはそのことを喜び、そして満足した。



 □ ■ □ ■



 大統歴六三五年三月二四日、ようやく国内の主立った者たちが王都クルシェヒルに参集した。翌二五日、ガーレルラーンはそれらの者たちを王宮へ召集し、謁見の間に集めた。


「これだけの人を集め、さて陛下はどのような布告をなされるのか……」


「ロストク帝国ではスタンピードが起こったと言う。炎帝も今はそちらにかかりきりであろう?」


「うむ。となれば、この機を逃さず、アンタルヤの全軍を挙げて一大攻勢をかけるおつもりなのか……」


「いやあ、しかし、戻られたばかりだぞ。そのようなことを果してなさるだろうか……?」


「ふむ、確かに陛下のもとには手勢があったのだ。その気があるのなら、王都まで戻らずそのまま再侵攻しても良さそうなものだが……」


 群臣たちは近くにいる者たちとそんな会話を交わす。そうこうしている内に、会場の警備を行っている近衛兵が国王と王妃の入場を告げた。


 静まり返った群臣の前で、ガーレルラーンとメルテムがそれぞれ壇上の席に着く。国王たるガーレルラーンはともかく、メルテム王妃がこのように姿を現すのは珍しい。長男のエルドアンを失ってからというもの、彼女は最低限しか公の場に姿を現さないのだ。


 そのメルテム王妃までがこうして姿を現したという事は、相当に重大な布告がなされるに違いない。群臣達の緊張が高まった。そしてついにガーレルラーンが口を開く。


 彼はまず、急いで王都へやってきた臣下たちについてその忠勤を褒めた。ただし何ら熱量の篭らぬ声であったから、お決まりの挨拶のようなものである。それは群臣たちも承知の上で、彼らは緊張感を維持したままガーレルラーンの次の言葉をまった。


 彼はまるで世の中の全てを嘲笑するかのような笑みを顔に貼り付け、そしてこう言った。


「卿等を招集したのは他でもない。卿等に真の王太子を紹介するためである」


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