魔の森3
魔の森における緒戦は、ジェラルドにとっておおよそ満足のいくものだった。回収された魔石は、全部で五八二六個。見落としてしまったものや、不届き者が懐にねじ込んでしまった分もあるだろうから、モンスターの総数は六〇〇〇を越えていたと見ていいだろう。上々の戦果である。誘引は成功したと言っていい。
(まあ、ひとまず、だがな)
ジェラルドは内心でそう呟いた。今回、モンスターを誘引するために香り大根を使ったが、しかしその方法が本当に有効なのかはまだまだ検証が必要だ。さらにあと何度か、繰り返してみる必要があるだろう。そうやって回数を重ね、知見を蓄えるのだ。しばらくは手探りの状態が続くと思ったほうがいい。
戦闘そのものは、終始ロストク軍優勢だった。事前に行った準備が、かなりの程度有効に働いたのである。堅牢な野戦陣地はモンスターの猛攻を跳ね返したし、魔法を組織的に運用したことで、攻撃力・回復力は飛躍的に高まった。バリスタも有効であったし、騎兵隊の破壊力は相変わらず頼もしい。
もちろん改善するべき点は多々ある。しかしあの緒戦でジェラルドは自信を得た。魔の森でも自分たちは十分に戦える、という自信だ。それは兵士たちも同じだろうし、あるいは彼らの方がその想いは深く大きいかもしれない。
(ただまあ、油断は禁物だがな)
ジェラルドは自分にそう言い聞かせる。自信を得たその一方で、この地はやはり人外魔境であるという事を、彼はあの緒戦で再認識していた。最後に現れたあの巨大な獣脚竜は、一体で戦況をひっくり返しかねないほどの力を秘めていた。さもありなん。魔石を回収して分かったことだが、あのモンスターはエリアボスだったのだ。
あの獣脚竜がエリアボスだったことに驚きはない。それくらい強力な個体であることは一目瞭然だった。ただ、エリアボスクラスのモンスターがこうして普通に現れることには、少々頭の痛い思いをせざるをえない。
今後もエリアボスクラスのモンスターは現れるだろう。ともすれば、複数体が同時に現れることもありうる。普通に暴れられたら、大きな被害がでるだろう。被害を抑えつつ、どう撃退するのか。指揮官としては頭の痛い問題だった。
(やはり……)
やはり、ジノーファを頼るのが、最も賢いやり方だろう。ジェラルドはそれを認めていたし、またそのやり方を否定するつもりもなかった。予定では何十回とこのような戦闘を繰り返すのだ。味方の損耗を抑えるためにも、使えるカードは使うべきだし、彼はそのつもりだった。
今回、ジノーファが獣脚竜に手出しするのを許さなかったのは、先を見据えてのことである。「ジノーファがいないと戦えない」では困るのだ。彼の力を借りずとも敵は倒せるのだと示すこと。それがジェラルドの目的で、それは達成された。これで兵士たちはロストク軍の力を信じて戦えるだろう。
これでジェラルドの行うべき準備は全て終わったと言っていい。誘引の問題が残ってはいるが、これはもう彼の力だけではどうしようもない。香り大根で駄目そうなら、その時はまた別の手段を考えるだけだ。
(その時は、肉でも焼くか……)
ジェラルドは内心でそう呟くと、小さく肩をすくめた。いや、肉はコストがかかるからあまりやりたくない。むしろ海がすぐそばにあるのだから魚でも釣ろうか、と益体もないことを考えた。
さて、指揮官がそんなことを考える中、兵士たちは精力的に働いていた。行っている仕事の大部分は、戦闘で損傷した野戦陣地の修復である。拠点の堅牢さが損なわれれば、モンスターの猛攻に耐え切れず、自分たちの命が危うくなりかねない。兵士たちは真剣に作業を行っていた。
加えて、薪として使う流木の回収や、川へ水を汲みに行くこともされている。ただ従事している人数はさほど多くない。収納魔法の使い手と、あとは護衛をかねた騎兵が数十騎といったところだ。ジノーファは不測の事態に備えて本陣で待機しているが、フォルカーはかり出されたようで、「戦闘が終わってからの方が忙しいです」とぼやいていた。
また、魔石と一緒に回収されたドロップアイテムを船に運び込む作業もされている。魔石は燃料としても使うので手元においてあるが、ドロップアイテムは残しておいても使い道がない。本国へ送り、換金して戦費に当てるのだ。
一方でドロップ肉だけは残してある。輸送しても、その間に腐るからだ。一旦、ジノーファのシャドーホールに収納してもらい、彼が保管していた分と合わせ、今夜にでも兵士たちに振舞われることになっていた。
ただ、全体的な傾向として、ドロップアイテムの回収率はあまりよくなかった。ドロップしないのではない。ドロップしても、後ろから来た別のモンスターに踏み潰されたり、魔法攻撃に巻き込まれたりして駄目になってしまうモノが多いのだ。
とはいえ、駄目にしないよう気をつけながら戦うのも難しい。何より優先するべきはモンスターの殲滅。スタンピードの際にも同じようなことは起こるし、ある程度のロスは諦めるよりほかないだろう。
ジェラルドもそのことは承知している。そもそも彼にしてみれば、ドロップアイテムの確保よりも兵士たちの方が大事だ。ここは人外魔境。ここで戦い抜くためには、精強なロストク兵の力が絶対に必要なのだ。目先の小銭と兵の命を天秤にかけるような真似はできない。
同様の理由で、次にモンスターの誘引作戦を行うのは、明日以降の予定になっていた。兵士たちの負担を考慮してのことだ。功を焦って連戦すれば、兵士たちに疲労が蓄積し、結果的に損害は大きくなる。まずは腰を落ち着けて、じっくりと戦い続けることに焦点を合わせるべきだろう。
(そうだ……。次の補給物資と、あとは兵の交代要員についても手配しなければ……)
ジェラルドは頭の中でそう考えた。戦闘の持続力、あるいは継続能力のことを考えるなら、当然ながら兵站が重要になってくる。それは物資だけでなく、人員についても同様だ。緒戦での戦死者や戦線離脱せざるをえない者は驚くほど少なかったが、しかしだからと言って、同じ兵を何ヶ月もの間ずっとここで戦わせるのは現実的ではない。
であれば、定期的に入れ替えていく必要がある。そのことは作戦前から分かっていたし、本国で準備もしてきた。ただ実際にどれほどの量を要求するのか、それは当然現場で判断する必要がある。そしてそれはジェラルドの仕事だ。
ジェラルドは一度、大きく深呼吸した。そして緒戦の興奮と勝利の昂揚を身体の外に排出する。いつまでも浮かれているわけにはいかない。仕事の時間だ。
□ ■ □ ■
緒戦の二日後、二回目の誘引作戦が行われた。緒戦と同じく、香り大根が用いられている。そして兵士たちが固唾を飲んで見守る中、森からモンスターが大挙して押し寄せた。その数、およそ二〇〇〇。ただ緒戦の例を考えるなら、敵の数は最終的に倍程度になると考えておいた方がいいだろう。
(ふむ、今回も上手くいったか……)
モンスターが野戦陣地に引き寄せられてくる様子を見ながら、ジェラルドは内心でそう呟いた。香り大根を用いた誘引策は今のところ上手く行っている。まだ二回目だが、この調子ならわざわざ他の策を考える必要はなさそうだ。
(とはいえ……)
とはいえ、誘引されて来たモンスターの数が、緒戦より少ないのが多少気になる。緒戦の戦果によって、この周辺いるモンスターの総数が減ったことによる影響だろうか。今回は緒戦と同じく六つの大鍋で香り大根を煮ているが、次は大鍋の数を増やしてみようかとジェラルドは思った。
さて、ジェラルドがそんなことを考えている間に、戦いの火蓋は切られた。緒戦と同じく、まずは魔法の一斉攻撃がモンスターを迎え撃つ。混乱したところへ、さらに弓矢が銀色の雨となって降りそそぐ。大型モンスターも、バリスタが着実にしとめていった。
「よし、突撃!」
頃合を見て、前線指揮官の一人が突撃命令を出す。すると一〇〇人ほどの部隊が全部で五つ、混乱するモンスターの大群へ切り込んでいく。彼らは勢いを失ったモンスターどもにさらなる出血を強い、そしてそのまま押し返す。ただ深い追いはせず、合図があるとすぐに取って返した。その後を追って、またモンスターたちが野戦陣地へ迫る。
そこへ再び、魔法の一斉攻撃が加えられた。鼻先を吹き飛ばされ、モンスターどもが右往左往する。そこへまた大量の弓矢が射ち込まれ混乱に拍車をかけた。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。もっとも人間が巻き込まれていないので、ジノーファの心は少しも痛まない。むしろ彼は少し興奮した様子でこう呟いた。
「お見事」
「緒戦をふまえ、戦術を見直した成果だな」
ジノーファの呟きが聞こえたのか、ジェラルドがそう答えた。隊長格を集め、昨日一日かけて、魔の森での戦術について再検討したのだ。魔法と言う要素を戦術に組み込むのは皆初めてで、まだまだ手探りの状態だが、それでも再検討した分の成果は出ている。その証拠に、兵士たちは緒戦の時よりも戦いやすそうだった。
ただ、それは戦術が精練されたから、ということだけではない。緒戦を乗り越えたことで、兵士たちも経験を積んだのだ。経験は自信を裏打ちし、自信は落ち着いた状態を生み出し、落ち着いた状態は視野の広さにつながる。また昨日はモンスターの襲撃も少なく、おかげでゆっくりと休むことがでた。兵士達のコンディションは良好で、それが戦果にも現れているのだ。
さて、この日の戦いは緒戦に比べモンスターの数も少なく、そのため苦戦することもなく終わるかに思えた。しかしやはりそう甘くはないらしい。混乱するモンスターどもの後方、森の中から土埃を上げながら敵の騎兵隊が現れた。
いや、それを「騎兵隊」と言っていいのかは分からない。なぜなら全騎、馬ではなく巨大なトカゲのモンスター、すなわち地竜に跨っていたからだ。数は全部で一〇〇騎ほど。先頭を駆けるのは、他と比べ一回り大きな地竜に跨ったフルプレートの騎士。エリアボスクラスのモンスターで、さしずめドラゴンライダー・ジェネラルと言ったところか。
ドラゴンライダーの一団を見て、ジェラルドは眉間にシワを寄せた。何であれ、騎兵隊は脅威だ。その上、敵は馬ではなく地竜を駆っている。つまり蹄ではなく、地面をしっかり掴む指があるのだ。多少足場が悪くても、それを苦にせず駆けるだろう。となれば、野戦陣地にまで切り込まれると、少々面倒なことになりそうだ。そう考え、ジェラルドはジノーファの方を振り返った。
「ジノーファ。敵将の首を、あ、いや心臓を所望してもいいか?」
「はっ、お望みとあらば」
「うむ。では魔法攻撃を射ち込んで敵の隊列を崩す。そこへ切り込め。他は味方の騎兵隊に任せるといい」
「御意!」
そう言ってジノーファは駆け出した。その後にラヴィーネが続く。ちなみにユスフはいない。彼は、緒戦があまりに暇だったので、「これでは腕が鈍ってしまいます」と言ってイーサンの部隊に混じっている。先ほども散弾状のライトアローを放っていた。
まあそれはそれとして。ジノーファは前線近くまで来ると、塁の一つに身を隠してタイミングを窺った。そしてジェラルドが言っていた通り、魔法の一斉攻撃がドラゴンライダー隊に射ち込まれる。その瞬間、ジノーファは聖痕を発動させて飛び出した。
ジノーファとドラゴンライダー・ジェネラルの間には、有象無象のモンスターがいわば層のようになって彼の行く手を阻んでいる。彼はそこを一気に駆け抜ける。その際、後ろからライトアローが放たれて彼を援護した。
「ガァルルゥゥウウウ!!」
あと少しと言うところで、トラのようなモンスターが彼の前に立ち塞がった。ジノーファはスッと眼差しを鋭くするが、しかし彼が何かするより前に、ラヴィーネが飛び出してそのモンスターの首元に喰らいつく。そしてそのまま無理やり横倒しにし、力ずくで道を開けさせた。
(わたしは仲間に恵まれたっ)
ジノーファはその横を駆け抜ける。そして敵陣を突破しドラゴンライダー・ジェネラルの姿を見つけると、彼は口元に獰猛な笑みを浮かべた。彼もまた、戦場の空気に当てられて血が滾っているのだ。
彼はドラゴンライダー・ジェネラル目掛けて鋭く間合いを詰める。しかしそこへ、ドラゴンライダー・ジェネラルの跨る地竜がブレスを放つ。地面をなめるように広がる炎を避け、ジノーファは大きく跳躍する。そしてそのまま新調した双剣を抜いて斬りかかる。ドラゴンライダー・ジェネラルはその一撃を右手に持ったランスで防いだ。
「ギィッ」
ドラゴンライダー・ジェネラルが短く声をもらす。そして次の瞬間、ランスを大きく薙いでジノーファを弾き飛ばした。彼は慌てずに柔らかく着地したのだが、そこへジェネラル配下のドラゴンライダーが殺到する。
「邪、魔、だッ!」
ジノーファは竜牙の双剣を無尽に振るい伸閃を放つ。その鋭い斬撃はまるで結界のように折り重なり、殺到するドラゴンライダーをことごとく斬り捨てた。騎手だけでなく騎竜までも一刀のもとに斬り捨てている。その武威を目の当りにして、ロストク兵たちは皆一様に唾を飲み込んだ。
配下を鎧袖一触に蹴散らされても、ドラゴンライダー・ジェネラルに焦った様子はない。ただ地竜が不機嫌そうに唸り声を上げている。一人と二体の視線が擦れて火花を散らした瞬間、ジノーファが動いた。
彼は姿勢を低くして真正面から突っ込んだ。ドラゴンライダー・ジェネラルはそれを左回りに避け、彼の側面から背後に回りこもうとする。ジノーファは体の向きを変えつつ伸閃を放ったが、その一撃はランスで防がれた。
しばしの間、位置取りと消極的な攻防が続く。ドラゴンライダー・ジェネラルは慎重だった。敵が小さいからと、安易に踏み潰そうとはしない。実はジノーファはそれを狙っていて、地竜が腹を見せたら遠慮なく掻っ捌いてやるつもりだったのだ。
(予定変更、かな……?)
血は滾っているが、ジノーファの頭は冷静だった。消極的な攻防をしつつ、周囲の状況を確認する。ルドガー率いる騎兵隊は、ドラゴンライダー隊の数を着実に減らしていた。見事な連携で敵を分断し、各個撃破している。ジノーファのところへ横槍が入らないのも、彼らのおかげだ。
また騎兵隊は正面切って戦うだけでなく、巧みに誘導してバリスタの射程に誘い込んでもいた。的の大きなドラゴンライダーは、バリスタのいい獲物である。野戦陣地正面のモンスターの数が減ってくると、弓矢や魔法も放たれ、ドラゴンライダーはあっという間に数を減らしていく。
趨勢は間違いなくロストク軍のほうに傾いている。そしてドラゴンライダー・ジェネラルもその状況を承知していた。このままではジリ貧と思ったのだろう。戦い方を変え、猛然とジノーファに襲い掛かった。しかし彼はそれを悠然といなす。適度な距離を取りつつ、円を描くように動いて敵の側面や背後へ回りこむ。そして隙を見つけるやすかさず伸閃を叩き込んだ。
「ギィ!?」
ドラゴンライダー・ジェネラルが伸閃の斬撃を無理な姿勢で防ぎ、そのせいでバランスを崩し騎竜から落ちる。その隙を見逃さず、ジノーファはまず地竜に仕掛けた。双剣を無尽に振るって伸閃を放つが、しかしこの個体はそう簡単には切り裂けない。浅い傷をつけるに留まった。
「ガァオオオオオ!」
地竜は大きく顎を開き、鋭い牙を見せながらジノーファに噛み付く。しかし彼はそれを余裕を持って避け、両手の双剣をそろえて突き出して刺突を放つ。そして地竜の両目を潰した。
「ギャウウウ!?」
地竜が絶叫を上げる。そしてブレスを吐き出すが、ジノーファはそこにはもういなかった。妖精眼でブレスを察知した段階で側面へ回りこんでいたのだ。そして素早く竜牙の双剣を鞘に収め、シャドーホールからオリハルコンの長剣を引き抜く。彼はその剣を大上段に構え、そして稲妻の如くに振り下ろす。地竜は真っ二つになった。
地竜を仕留めると、ジノーファは残心もそこそこにその場から飛び退いた。代わりに突っ込んできたのは、騎竜を失ったドラゴンライダー・ジェネラル。構えたランスの周囲には黒いマナが渦巻いている。
ジノーファの動きが早かったので、そのランスが彼を捉えることはなかった。そしてランスが地面に突き刺さった瞬間、その周辺が爆ぜる。だいたい直径で一メートルほどだろうか。かなりの威力だ。ジノーファは警戒を高めた。
ドラゴンライダー・ジェネラルがランスを水平に構え、その穂先をジノーファに向ける。彼もまたオリハルコンの長剣を正面に構えてそれに応じた。周囲の喧騒は徐々に収まりつつある。幕引きの時間だ。
ユスフ「ようやくまともに仕事した」