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皇太子の要件

 使者を通じてジェラルドから呼び出された翌日。ジノーファはユスフを連れて、約束の時間に彼の執務室を訪れた。その室内にもう一人、見知った顔を見つけて、彼は小さく驚いた。


「ルドガー殿?」


「やあ、ジノーファ殿。久しぶり、というほどでもないか」


「はい、三日ぶりです。……というか、ルドガー殿も、今回の一件で?」


「そうだ。では二人揃ったことだし、打合せを始めよう」


 ジノーファにそう答えたのは、この部屋の主だった。赤毛の男で、息子だけあってダンダリオンに良く似ている。ただ父親が豪放磊落な性格をしているのに対し、彼は少々神経質なところがあるように見受けられた。


 とはいえそんな感想を口に出すこともなく、ジノーファはジェラルドに勧められるままルドガーの隣に座った。ユスフはその後ろで待機する。侍女が彼にお茶を差し出し、ルドガーのカップにも新しいお茶を注いでから、彼女は一礼して退出した。


「……さて、ルドガーにはすでに話をしてあるが、ジノーファにはまだ何も話していないのでな。今回の作戦について、かいつまんで説明しておこう」


 お茶を一口啜り、そう前置きをしてからジェラルドは説明を始めた。彼はまずテーブルの上に地図を広げる。ロストク帝国や北海、それにアンタルヤ王国も描かれている地図だ。彼はその地図上のある一点、かつてヴァルハバン皇国と呼ばれた場所を指差し、それからジノーファにこう尋ねた。


「ここが何であるのか、いまさら卿に説明する必要はないな?」


「はい。魔の森、ですね」


 アンタルヤ王国にとって魔の森は決して無視できない場所。アンタルヤ王国の王太子として教育されていたジノーファが、そこを知らないはずがない。彼の答えに一つ頷くと、ジェラルドは次に衝撃的な言葉を告げた。


「その魔の森だが、最近になって活性化の兆しを見せている」


「ッ!!?」


 ジノーファは息を飲んだ。これほど驚いたのは、王太子ではないと告げられた時以来かもしれない。正直、何が起こっているのかは分からない。しかし何かが起こっている。だからこそ、ジェラルドは「活性化」という言葉を使ったのだ。


「それは、どういう……!?」


「つまり、魔の森から流れてくるモンスターの数が増えた、ということだ」


 もう一度、ジノーファは驚いた。しかし同時に納得もする。なるほど、それならば確かに活性化していると言っていいだろう。そして納得した様子の彼に、ジェラルドは現状の説明を続けた。


「すでにアンタルヤ王国の北部では、モンスター襲来の頻度が高くなっていることが確認されている。今のところ、防衛線は破られていないようだが、疲弊は避けられまい」


 忍び込ませている細作から報告を受けているのだろう。確信的な口調でジェラルドはそう語った。それを聞いてジノーファはわずかに顔をしかめる。


 これまで魔の森は比較的安定した状態だった。ただしそれは「あまりモンスターが外へ出てこない」という意味。そしてその小康状態が保たれていたのは、内部である種のバランスが保たれていたからに他ならない。


 その魔の森が活性化しているという事は、すなわち内部のバランスが崩れてきているということに他ならない。そしてその要因にジノーファは心当たりがあった。


 これまで魔の森は、「ダンジョンから溢れ出すモンスター」と「トレント・キングとその配下」が互いに喰いあうことによってバランスを取っていた。しかしながら、スタンピードは繰り返される度、徐々にスパンが短くなっていく。


 一回のスタンピードで溢れ出すモンスターの数は、場合によってまちまちだ。だが回数が増えれば累積数は比例する。つまり同じ時間であっても、溢れ出すモンスターの量が増えるのだ。それによって「トレント・キングとその配下」の処理能力を超えた分が、魔の森の外へ流れているというのが活性化の真相だろう。


 魔の森の脅威が、いやそこで繰り返されているスタンピードの脅威が、新たな段階に入ったのだ。説明を聞く限りアンタルヤ王国、特に北部地域は、その影響をもろに受けているらしい。今は遠い祖国のことを想い、ジノーファはほんの数秒瞳を閉じた。


「……それで、魔の森の活性化が、ロストク帝国にどう影響してくるのでしょうか?」


「モンスターの襲来は、アンタルヤ王国だけの問題ではない。旧フレゼシア大公領でも、モンスターの襲来が確認された」


 淡々とした口調で、ジェラルドはそう答えた。ジノーファの内心の葛藤は、意図的に無視したらしい。もっとも、その方が彼にとってはありがたい。下手に気遣われたところで、どうしようもないのだから。


 まあそれはともかく。問題は魔の森の活性化に伴うロストク帝国への影響である。ジェラルドの言うとおり、アンタルヤ王国だけでなくロストク帝国でもモンスターの襲来があった。幸い、小規模だったので、大きな被害は出さずにすんだという。


 ただ言ってみれば、これは先触れに過ぎない。魔の森は活性化した。そして沈静化する見込みは、今のところない。であればこの先も、モンスターの襲来はあるだろう。そしてその規模は、今後大きくなっていくと推測される。


「これを座して見ているわけにはいかない。それが国としての判断だ。そこで、ここだ」


 そう言ってジェラルドは地図上の一点を指差した。そこは旧フレゼシア大公領から見て北、北海を挟んだ対岸。魔の森と呼ばれている領域の縁だ。もしかしたら森ではないかもしれないが、しかし表層域に飲まれているであろうことはほぼ間違いない。そしてその地点を指差しながら、ジェラルドはさらにこう言葉を続けた。


「ここに拠点を築き、モンスターを誘引して間引く。これによって帝国領をモンスターの襲来より守護する、というのが今回の作戦の大筋だ」


「……幾つか、よろしいでしょうか?」


 真剣な顔つきで地図を睨みながら、ジノーファはそう尋ねた。言っている事は、まあ理解できる。ただ納得できない点が幾つかあった。


「なんだ?」


「まず一点。魔の森に直接防衛の拠点を築くのは、リスクが高くありませんか? まずは旧フレゼシア大公領に、というのが順当だと思いますが……」


 実のところ、旧大公領は魔の森と直接隣り合っているわけではない。その間にはまだ表層域に飲み込まれていない、いわば緩衝地帯とでも言うべき場所が広がっている。そしてこの緩衝地帯があったおかげで、旧大公領はこれまで魔の森の影響を受けず、今回も被害が小さくて済んだのだ。


 であるなら、この緩衝地帯を可能な限り利用するべしと考えるのは当然だろう。また魔の森に直接拠点を築いた場合、ロストク帝国から見てそこは飛び地になる。維持していく上で、それは大きな問題であるように思えた。その点はジェラルドも認めつつ、彼はまずこう答えた。


「ジノーファの言うことも一理ある。だが相手は魔の森からあふれ出してくるモンスターだ。しかも一度ではなく、この先何度もこれを撃退せねばならん。そうである以上、魔法が使えないのは痛手だ」


 だからこそ魔法を使える表層に拠点を築く、とジェラルドは言う。その言い分には説得力があった。なぜなら、アンタルヤ王国では実際にそうしているからだ。つまり表層域に防壁を築き、そこから魔法を放ってモンスターを撃退しているのである。


 ジノーファは当然その事を知っている。それで、モンスターを撃退する上で魔法が有効、というのは認めざるを得なかった。


 加えて、コストと手間の問題もあると言う。拠点を築こうと思えば、普通全て手作業である。しかも対モンスターを想定して堅牢な造りにしなければならない。膨大な人手と時間とコストがかかる事は想像に難くないだろう。


 しかし表層域であれば、魔法が使える。特に土属性の魔法を使えば、塁を盛り上げたり壕を掘ったりするのも容易だ。しかもすでにダンジョンの中である程度検証を行っていて、確実性の高い話だと言う。


 人手と時間とコストを節約できるのだ。為政者の側から見て、これは大きな魅力だった。


「なにも街を造ろうというのではない。防衛陣地や防壁だけなら、土属性の魔法で十分可能なはずだ」


「……よしんばそうであったとして、補給の問題はどうするおつもりですか? 兵站が破綻していては、拠点を造っても維持できません」


 自国の領土内であれば、兵站を維持するのは比較的容易だ。しかし魔の森に拠点を築けば、前述したとおりそこは飛び地。補給はおろか、兵員を送り込むことさえ困難なように思える。しかしジェラルドはこう答えた。


「補給には船を使う。つまり海路だ」


「ぁ!」


 それを聞いて、ジノーファは小さく息を飲んだ。海路を使えば、帝都ガルガンドーと魔の森を直接繋ぐことができる。しかも北海は三方を陸地に囲まれているおかげで時化ることが少ない。補給路として安定していると言えるだろう。


 その後、ジノーファはさらに幾つかの点を質問した。ジェラルドは淡々と、しかし丁寧にそれに答える。それを聞いてジノーファは、この作戦が十分に練られたものであることを理解できた。


「……作戦の概要は理解できました。それで、わたしの力を借りたいというのは?」


 ジェラルドの作戦は十分に練られている。加えてルドガーともすでに話をしているのだ。不備はないと思っていいだろう。であればなおのこと、いまさら自分の力が必要であるとは、ジノーファは思えなかった。


「防衛拠点には、当然耐久性が求められる。となれば、土嚢だけでなく石材が必要になる。だが、魔の森から石を切り出すのは現実的ではない」


 それで、石材は持ち込みになるわけだが、これも普通にやろうと思えば大変な手間とコストがかかる。そこでジェラルドは拠点を造るのが表層であることを積極的に利用することにした。つまり収納魔法を使って石材を持ち込むのだ。


「いえ、待ってください。魔法はダンジョン内でしか使えません。つまり、ダンジョンから石材を調達するおつもりですか!?」


「そうだ。うってつけの場所があるだろう?」


「……! 廃墟、エリア……」


 ジノーファがそう呟くと、ジェラルドは表情を変えないまま一つ頷いた。ダンジョン下層の廃墟エリアには、その名の通り廃墟となった街が丸ごと再現されている。それら廃墟の多くは石やレンガ造り。ジェラルドはこれを利用するつもりなのだ。


「まず廃墟エリアに部隊を送り込み、石材を確保する。ジノーファにはまずその手伝いと、道案内を頼みたい」


「道案内はともかく、手伝いと言うのは……。つまりシャドーホールを使いたい、と?」


「シャドーホールも、だ。この作戦のために、収納魔法を使える人材を六人確保してある。全員直轄軍所属だ。卿を入れれば七人だな」


 ジェラルドのその言葉に、ジノーファは素直に感嘆した。三年前、ジノーファが初めてダンダリオンらとダンジョン攻略を行ったとき、彼らはシャドーホールの魔法を見て驚いていた。収納魔法について、彼らは知らなかったのだ。


 少なくとも、その使い手は直轄軍にはいなかったに違いない。それがこの三年で収納魔法の使い手を、それも六人以上も確保したのだ。さすがに人材の層が厚い。もしかしたら、取水任務がそれだけイヤだったことの裏返しかもしれないが。


 それはそうとジェラルドの説明を聞き、ジノーファには少し気になるところがあった。彼はそれをこう尋ねる。


「……シャドーホールも使うということは、わたしも魔の森へ同行するのですか?」


「そうしてもらえば助かる」


「……了解しました」


 ジノーファは半ば諦め気味にそう応えた。皇太子の口から「そうしてもらえば助かる」などと言われたら、それはもうほとんど命令に等しい。それを分かっているのかいないのか、ジェラルドは顔色を変えないまま「うむ」と小さく呟き、それからこう言葉を続けた。


「なんにしてもまずは石材の調達だ。部隊の指揮官はルドガー。編成は一任してある。ジノーファの身分は私の客将だ。後は二人で話し合ってくれ。何か質問は?」


「……いえ、ありません」


 ジノーファは少し考えてからそう答えた。それに対し、ジェラルドは小さく頷いて「よろしい」と応じる。それが退席の合図だった。ジノーファは立ち上がると、ユスフを伴いルドガーと一緒に部屋を出た。


「…………」


 ジノーファとルドガーが退出すると、一人になった執務室の中で、ジェラルドは「ふう」と小さく息を吐いた。そして残っていた紅茶を飲もうとして、それがすっかり冷めてしまっていることに気付く。なんとなく侍女を呼ぶ気にはなれず、彼はカップをソーサーに戻すと、ソファの背もたれに身体を預けた。


『お前が進めている作戦に、ジノーファを加えろ』


 ジェラルドがダンダリオンから唐突にそう言われたのは、つい先日のことである。断る理由はないし、何よりジノーファの協力を得られるならメリットは大きい。それで「御意」と答えはしたものの、彼の内心は複雑だった。


 ジノーファのことは嫌いではないが、しかし好きになれそうにもない。いつかダンダリオンにも話したその気持ちは、ジェラルドの嘘偽りのない本心だ。そしてその気持ちは今も変わらない。


 ロストク帝国は大国にして強国。その次期皇帝であるジェラルドは、傍から見れば欠けたところのない人物であろう。強大な権力を持ち、将来を約束されている。文武両道であり、美しい妻を娶り、臣下にも恵まれている。


 しかし彼にはたった一つ、欠けているものがあった。それが聖痕(スティグマ)だ。炎帝ダンダリオン一世の後継者でありながら、彼は聖痕(スティグマ)を得ることができなかった。だがそれだけなら納得する事はできただろう。「父はやはり特別だった」と自分を慰めることができただろう。しかしよりにもよって、もう一人の聖痕(スティグマ)持ちが現れるとは!


 魔の森に拠点を築くという今回の作戦、ジノーファにはああ言ったが、実のところそこまでする必要性は低い。そもそも魔の森との間には緩衝地帯があるのだ。魔の森が活性化したからと言って、まずその影響を被るのはアンタルヤ王国であって、ロストク帝国ではない。ならばまずは最小限の手当てだけして、しばらく様子を見るという選択肢もあった。


 だがそれでもやるのは、近い将来の帝位継承を見越してのことである。要するに箔付けだ。モンスターの大群を打ち払ったという、武功を得るためだ。炎帝ダンダリオン一世の後継者として、ジェラルドにはその武功が必要なのだ。


「みっともないことだ……」


 ジェラルドはそう呟いた。武功が必要と言う事は、つまりそれがなければ軽く見られるということ。ダンダリオンと比べ、侮られるということだ。何より、それを否定できない自分が、一番みっともない。


 ――――聖痕(スティグマ)が欲しい。


 何度そう思ったか分からない。聖痕(スティグマ)さえあれば、こんなふうに武功を稼ぐ必要もなかっただろう。


(必要なことだ)


 ジェラルドは自分にそう言い聞かせた。魔の森のモンスターに対処するのも、ここで自分が武功を稼ぐのも、どちらも必要なこと。ならばやらなければならない。粛々と、そして淡々と。


 ジェラルドはソファから立ち上がると、自分の執務用の机に向かった。やるべき事はまだ多くある。感傷に浸っている暇はない。そんなことをしていて作戦が失敗でもしたら、それこそみっともないことこの上ないではないか。


(そういう意味では……)


 そういう意味では、ジノーファの力を借りられるのはありがたい。モンスター相手のこの作戦で、聖痕(スティグマ)持ちがいることの意味は極めて大きいといえる。実際、ジェラルドの複雑な内心さえ無視すれば、メリットしかないのだ。


(まあ、いい)


 自分の手柄のために、せいぜいこき使ってやろう。そう思うと、胸のつかえは少しだけ軽くなった。



重要:皇太子も嫉妬する。

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