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相談

 シェリーの懐妊を告げられてから数日後、ジノーファは宮殿の図書室に来ていた。個人的に書物を集めているとはいえ、やはりここは規模が違う。三年前から通っているが、未だに読みつくすことができない。


 目をつけておいた一冊を手に取ると、彼は奥まった場所にある窓際のソファーに腰掛ける。窓から海まで見渡せるその場所は、ジノーファのお気に入りの席だ。彼はそこに腰掛けると、手に取った本を開いた。


 それから数分後、ジノーファが陣取る一角へ、別の人物が現れた。長身で、赤毛の男だ。服を着崩しているせいか、あまりこの場には馴染まない。実際、彼は本を手に取るでもなく、ジノーファに声をかけた。


「ジノーファ殿」


「……ああ、これはシュナイダー殿下。どうかされましたか?」


「本が逆さまだ」


「おっと」


 シュナイダーに指摘され、ジノーファはなにくわぬ顔で本をひっくり返した。そんな彼の様子を見て、シュナイダーは「くくくっ……」と小さく笑い声をもらす。そしておかしそうにこう呟いた。


「ジノーファ殿も、そんなふうに動揺するんだな」


「なにぶん初めてなもので」


 ジノーファはさらりとそう応えた。すまし顔だが、それはバツの悪さを隠すための仮面である。もちろんシュナイダーはそれを見透かしていて、彼は含み笑いをしながらジノーファの向かいのソファに座った。


「で、どうだ。父親になった感想は?」


「……実感がありません」


 ジノーファは正直にそう答えた。シェリーからは、確かに妊娠を知らされた。そしてそれに基づいて、必要な手立てを講じることもした。しかしどこかまだ、現実と言う気がしない。


「はは。まあ、そんなものなのかもしれないな。実際、まだ生まれてもいないわけだし」


 シュナイダーの言葉に、ジノーファは一つ頷く。確かにそれは、彼が実感をもてない理由の一つだろう。


 ただ、実感を持てないなら持てないで、それは大きな問題ではない。実際に子供が生まれれば、それ以前にシェリーのお腹が大きくなってくれば、否応なく現実と向かい合わなければならないのだ。その頃までには実感もわくだろう、とジノーファはすでに割り切っている。


 問題なのは、実感はないくせに不安だけはわき上がってくることだ。


 子供が無事に生まれることを、ジノーファは疑っていない。そのための準備も、シェリーを含めた使用人たちに任せておけばいい。彼がしなければならないことがあるなら、その都度教えてくれるはずだ。それで彼の不安とはつまり、子供が生まれてからのことだった。


「……子育てとは、一体どうすればいいのでしょう?」


「お前ね。それを俺に聞くか? 結婚はおろか、婚約すらまだしてないってのに」


 シュナイダーは呆れたようにそう答えた。彼自身、人生経験はそれなりに豊富なつもりだが、こればっかりは相談相手を間違えている。しかしジノーファは真剣な表情を取り繕ってこう言った。


「そう言わずに。婚約はまだでも、隠し子の一人や二人はいるのでしょう?」


「いねぇよ。この俺がそんなヘマするか。フレイミースじゃあるまいし」


「……フレイミース殿下には、隠し子がいらっしゃるのですか?」


「前にそんな騒動があったんだ」


 何でも、フレイミースと関係を持った女性が、「殿下の子を身篭りました」と言い出したらしい。それで困り果てた弟に泣き付かれ、シュナイダーがその案件を処理したのだと言う。


「結局、詐欺だということが分かってな。その女をガルガンドーから放逐して、それで終わりだよ」


「ははあ、なるほど……」


 事の顛末を聞いて、ジノーファは苦笑した。フレイミースは本当に、この次兄には頭が上がらないに違いない。そんな彼も、現在はランヴィーア王国のシルフィエラ王女と結婚し、今は王都フォルメトで暮らしている。ガルガンドーに戻ってこないのは、昔の乱行を彼女に知られたくないからなのかもしれない。ジノーファはそう思った。


 まあそれはそれとして。今はジノーファの話である。生まれてくる子供をどう育てればいいのか、いやそもそも自分に子育てなどできるのか。ジノーファは今から不安だった。


「正直、どうすればいいのか見当も付かない状態で……。自分のことを振り返ってみても、その、特殊すぎて参考にはならなくて……」


 ほとほと困り果てた様子で、ジノーファはそうこぼした。そんな彼の様子を見て、シュナイダーは内心で苦笑する。


 いわゆる高貴な身分の者たちの中には、自分の子供であろうと興味を示さない者がいる。そんな中で、まだ生まれてもいない子供のことをこれだけ真剣に想えるのなら、何の心配もいらないだろう。傍観者ながら、シュナイダーはそう思った。


 とまれ、困り果てた若人を前に、なんのアドバイスもなしというわけにはいくまい。それでシュナイダーは少し考えてから、ジノーファにこう尋ねた。


「ジノーファ殿は、どうして欲しかったんだ?」


「わたし、は……」


 そう呟いてジノーファは考え込む。もっと、色々なことを教えて欲しかった。いや、教えてくれずともいい。もっと一緒に色んなことをしたかった。抱きしめて「愛している」と言って欲しかった。剣術を、馬術を教えて欲しかった。「さすが私の息子だ」と言って欲しかった。物などいらない。ただその一言だけが欲しかった。


「じゃあ、お前さんはそうしてやればいい。それでいいんじゃないのか?」


「娘だったらどうしましょう……?」


「面倒くせぇな!」


 その後、二人は司書から「図書室では静かに!」と怒られた。



 □ ■ □ ■



 この世界にはダンジョンがある。そしてダンジョンを攻略せずに放置していると、モンスターの氾濫、すなわちスタンピードが起こる。スタンピードを起こしたダンジョンを放っておくとまた再び、それも比較的短期間のうちにスタンピードを起こす。そのためスタンピードが起きた場合には、原因となったダンジョンを速やかに攻略して鎮めることが肝要とされている。


 ここまでは、すでに語った事柄である。では、スタンピードを起こしたダンジョンを放置した場合、どうなるのか。前述したとおり、比較的短期間のうちに再びスタンピードを起こすことになる。


 それでもなおダンジョンを放置した場合、どうなるのか。また再び、スタンピードを起こすことになる。そしてまた放置すれば、またスタンピードが起こり、それも放置すればまた、とループが延々と続くことになるのだ。


 それだけでも大問題だが、実は他にも問題がある。スタンピードを繰り返す度に、そのスパンは徐々に短くなっていくのだ。もちろんある程度のところで天井にはなるが、脅威の度合いは格段に跳ね上がると言っていい。


 そうやってダンジョンから溢れ出したモンスターは、まるで狂ったように肉と血を求める。仮初の命でしかない奴らは、あるいはそれを自覚していて、自分たちに足りないものを必死になって求めているのかもしれない。いずれにしても、だからこそモンスターは人間を襲うのだ。


 実際、モンスターにとって人間は理想的な獲物といえる。目に付くだけの大きさがあり、数百数千、時には一万を越える獲物が一箇所にかたまっているのだ。そりゃ、襲うに決まっている。


 つまり、ダンジョンから一定の範囲内にある人間の集落は、スタンピードのたびにモンスターに襲撃されるのだ。そしてダンジョンを鎮めない限り、スタンピードは起こり続ける。どのような大都市や大要塞であっても、いずれは陥落して蹂躙されるだろう。人がモンスターによって駆逐されるのだ。


 ここまででも、ダンジョンとスタンピードは人類にとって十分すぎるほどの脅威だ。しかし真の脅威は実のところ他にある。人が駆逐され、モンスターが闊歩するようになった大地は、徐々にダンジョン化していくのだ。


 今のところ、本物のダンジョンのように、地表で空間がおかしなことになったと言う例は聞かない。つまり距離や方角は変わらないし、また「大地が浮かび上がった」ということもない。


 しかしモンスターが出現するようになり、魔法が使えることも確認されている。それは大地のダンジョン化に他ならない。そして、そうやってダンジョン化した大地のことを、人々は【表層】と呼んだ。


 アンタルヤ王国の北、北海から見て西から南西にかけて、かつてヴァルハバン皇国と呼ばれる国があった。「あった」と過去形で記述したとおり、皇国はすでに滅亡している。その原因はダンジョンとスタンピードであった。


 ヴァルハバン皇国最後の皇王は放蕩者であったとされている。贅を尽くして遊び、国の内外から芸術家を呼び寄せ、その作品を愛した。宮殿や劇場を建て、園を整備させた。国が滅びさえしなければ、あるいは彼は文化を花開かせた偉人として名を残していたかも知れない。


 もちろん、彼が行った事業には多額の金がかかった。彼はその費用を国税でまかない、要するに民衆から搾取した。当然、民衆は反感と憎しみを募らせる。そしてそのことに彼は気付いていた。


 彼は民衆による武力蜂起を危惧した。そして特に、その際に戦力の中核となるであろう者たちを危険視した。つまりダンジョンで攻略を行い、経験値(マナ)を溜め込んでいる平民たちである。


 これを排除してしまえば、後は所詮烏合の衆。木っ端がいくら集まったところで、国軍を動員すれば撃退は容易い。彼はそう考えた。そしてこれらの者たちを徹底的に弾圧し、排除することにしたのである。そして、それが悲劇の始まりだった。


 皇国中でダンジョン攻略を行っていた平民たちが逮捕され、辺境の開拓地や鉱山に送られた。殺された者も多い。平民はダンジョンから締め出され、攻略を行えるのは貴族階級か、国軍の兵士に限定されるようになった。


 ダンジョンを攻略する人数が、一気に減ったのである。その影響はすぐに出た。一年も経たないうちに、最初のスタンピードが起こったのだ。そしてこれを皮切りに、皇国中のダンジョンでスタンピードが起こるようになった。


 頻発するスタンピードに対し、皇国の対応は後手に回った。国軍によって対処していたものの、如何せん回数が多すぎる。すぐに対処能力の限界を超えた。モンスターの大群に蹂躙され、国土は急速に荒廃していく。そしてついには国軍すらも維持できなくなり、人類は組織的な抵抗の手段を失った。ヴァルハバン皇国と呼ばれたその場所から、人類は駆逐されたのである。


 人類が姿を消しても、ダンジョンはその場に存在し続けている。その後もスタンピードは繰り返された。大地はダンジョン化し、表層は徐々に広がっていく。人を寄せ付けぬ魔境が誕生しようとしていた。


 さて、モンスターにとって国境などなんの意味もない。それでモンスターの大群は国境を越えて周辺諸国にも雪崩れ込んだ。モンスターの前に難民が押し寄せていたため、周辺国も事情は承知している。戦力が投じられ、それらモンスターの大群は迎撃された。ただ、モンスターの襲来はその後も断続的に続いた。


 一方で、旧皇国へ遠征し、ダンジョンを攻略する事はされなかった。攻略するべきダンジョンは一箇所ではないし、何より旧皇国領内には大量のモンスターの存在が予想される。二の足を踏むのは当然だった。


 結局、モンスターが侵入してきた場合にはその都度対処するという、消極的な対応が取られることになった。そうするしかなかった、とも言える。この時点ではまだ表層のことは知られていなかったが、旧皇国領が荒廃していることは確実で、誰もそんな土地は欲しがらなかったのだ。


 幸いだったのは、旧皇国領内である程度拡散しているのか、外へ出てくるモンスターがそれほど多くはなかったこと。それでも周辺各国はいつ起こるか分からないモンスターの襲来に対し、警戒と対処を続けなければならなくなった。それが大変な負担であったことは、改めて語る必要もあるまい。


 先の見えない戦いが、およそ十年続いたといわれている。被害を受け続けた各国にとっては、暗黒期であったに違いない。しかしそこへ光明が現れる。ただしそれは、人の手によるものではなかった。


 少し話はそれるが、ダンジョンから出てきたモンスターが血と肉を求めて人を襲うという話はすでにした。では人がいなくなったらどうなるのか。その場合は動物も襲うが、しかし野生動物は人間ほど一箇所にかたまって暮らしているわけではない。つまり量的にはどうしても不足することになる。


 その場合、モンスターは共食いをするようになる。モンスターがモンスターを襲うのだ。つまり、共食いによって旧皇国領から流出してくるモンスターの数が格段に減ったのである。これが暗黒期にさした光明だった。


 ただ通常ならば、モンスター共もそこまで激しく共食いをすることはありえない。実際、激しく共食いをするのであれば、およそ十年に及ぶ暗黒期もなかったはずだ。それで旧皇国領内ではある種の変化、異変が起こっているものと考えられた。


 その異変とは、とあるモンスターの出現であった。そのモンスターは巨大な樹木の形をしていた。その高さは当時の時点で一〇〇メートル以上。しかも今なお成長を続けている。その樹木のモンスターのことを、人々は畏怖を込めて【トレント・キング】と呼んだ。


 トレント・キングは、その名の通り(キング)種である。つまり、討伐されるまで、ほぼ無限に配下のモンスターを生み出す。そしてトレント・キングの生み出す配下とは、やはり樹木のモンスターであるトレントだった。


 トレント・キングやその配下たるトレントたちは、樹木の形をしているだけあって、動くことを好まない。トレントは動くことも可能だが、トレント・キングに至っては出現してこのかた不動である。あるいは数十メートル程度動いているのかもしれないが、この場合その程度は誤差だ。それが数百メートルであっても、それは変わらない。


 そして(キング)種とその配下のモンスターは、互いに相食むことをしない。それで、共食いをするとすれば、それは他のモンスターを対象とする。その多くは自由に動き回り、旧皇国領外へあふれ出る可能性のあるモンスターだ。


 つまりはこういうことだ。「スタンピードによって溢れ出したモンスター」と「トレント・キングとその配下たち」が互いに食い合うことによって、旧皇国領外へ溢れ出すモンスターの数が著しく減ったのである。


 旧皇国領内ではモンスター同士が共食いをする地獄絵図が繰り広げられているわけだが、しかしそのおかげで領外へモンスターが出てくることは減った。いわば領内でバランスが取れるようになったのだ。


 周辺各国は警戒を続けながらも、しかしやっと一息つくことができるようになった。砦や城壁を築くことによって、迎撃態勢を整えることもできた。被害は許容範囲内に収まるようになり、ようやく先の見通しが立つようになった。明るい時代の幕開けを、人々は予想しただろう。


 ただ当然ながら、旧皇国領へ侵攻しようとする国は現れなかった。だいたい表層を、モンスターが出現するような土地を手に入れてどうしようと言うのか。そこはもう魔境なのだ。人が手を出せるような場所ではない。


 こうして旧ヴァルハバン皇国領は人を寄せ付けぬ魔境となった。人類がダンジョンに敗北した土地だ。今日、人々はそこを【魔の森】、あるいは【トレント・キングの森】と呼んでいる。そこにまつわる逸話と教訓を共に語りながら。


重要:フレイミースの黒歴史がまた一つ暴露された!


そんなわけで。

今回はここまでです。続きは気長にお待ちくださいませ。

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