帰国
舞踏会の翌日。昼食を食べて少しした頃に、ジノーファはオーギュスタン二世に呼ばれた。昨日言っていた、詫びの品物の件であるという。ルドガーにはダンダリオン一世への手紙を託したいとの事で、二人は連れ立ちオーギュスタン二世のところへ向かった。
「二人共、よく来てくれた」
オーギュスタン二世はそう言ってにこやかに二人のことを迎えた。そして簡単な挨拶を交わした後、さっそく本題に入る。
「まずはルドガー将軍。この手紙をダンダリオン陛下にお渡し願いたい」
そう言ってオーギュスタン二世が目配せすると、侍従の一人が一通の手紙を台座に載せてルドガーのもとへ持ってくる。彼はそれを恭しく受け取り、そしてこう応じた。
「確かにお預かりいたしました。必ずやダンダリオン陛下にお渡しいたします」
「うむ。シルフィエラとフレイミース殿下のことも、口添えを頼むぞ」
「ははっ」
ルドガーはそう言って深々と頭を下げた。オーギュスタン二世は「うむ」と言って頷くと、次にジノーファのほうへ視線を向ける。そしてこう声をかけた。
「さてジノーファ卿。昨晩は卿にも迷惑をかけたな」
「いいえ。なにほどのこともございません」
「うむ。だが昨晩も言ったとおり、何もなしでは、ランヴィーア王家は恥知らずのそしりを免れぬ。詫びの品を用意したゆえ、受け取ってもらいたい」
そう言ってオーギュスタン二世が目配せをすると、先ほどとは別の侍従がジノーファの前へ進み出た。彼は手にやはり台座を持っており、その上には一振りの剣が載せられている。
成人男性が使う、ごく普通のサイズの長剣だ。成長途中のジノーファにはまだ少し大きい。オーギュスタン二世に勧められ、鯉口を切ってその刃を確かめてみて、彼はわずかに目を見張った。
長剣の刃は、やや浅黒い灰色をしていた。深みがあり、引き込まれるような光沢を宿している。普通の鋼では、どのように鍛え、また磨いても、この色合いは出せない。ということは、普通の鋼ではない素材が使われているのだ。
「王家に所蔵されていた名剣のうちの一振りでな。刀身はオリハルコン製らしい」
にやり、と悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべて、オーギュスタン二世はそう説明した。オリハルコンといえばダンジョンからのみ、しかも下層以下からしか採掘されない希少金属。それでしつらえた長剣ともなれば、国宝級とまではいかずとも、金を積めば買えるという代物ではない。ジノーファも反射的に固辞しようとする。
「このようなものは……」
「よい。ダンジョンを鎮めるための攻略では、卿にもずいぶん世話になった。その礼もかねてのものである」
「……謹んで頂戴いたします」
ジノーファは深々と頭を下げて長剣を受け取った。それを見てオーギュスタン二世は満足そうに「うむ」と頷く。これで今回の一件は、ジノーファに関する限り完全に終わりだ。ダンダリオン一世の方は何かあるかも知れないが、少なくともランヴィーア王国とオーギュスタン二世にはもう何の責任もない。それで彼は改めてジノーファをこう誘った。
「ジノーファ卿、我が国に仕官するつもりはないか?」
「……大変光栄なお話、恐悦至極にございます。ですが、今のわたしはダンダリオン陛下の客将。まずはその任を全うしたいと存じます」
「そうか。では気が向いたらいつでも訪ねてくるがいい。厚遇を約束しよう」
そう言ってオーギュスタン二世は勧誘を打ち切った。諦めたわけではない。しかしここで強引にジノーファを勧誘すれば、現在彼を雇用しているダンダリオン一世に喧嘩を売ることになる。それは避けなければならなかった。
最後に一言二言言葉を交わしてから、オーギュスタン二世は立ち上がった。そして、そのまま退出する。ジノーファとルドガーは頭を垂れてその背中を見送った。その後、この滞在中に二人がオーギュスタン二世と謁見する事はなかった。
オーギュスタン二世と謁見した、その次の日の早朝。ルドガー以下ロストク軍の面々は王都フォルメトを出立した。もちろんロストク人だけではなく、ランヴィーア人の案内人が一人同行している。彼らは全員騎乗していて、歩兵の足にあわせる必要もない。それで彼らは騎兵の俊足をいかし、ロストク帝国を目指して一気に西へ駆け抜けた。
その中には当然ジノーファの姿もあり、彼は背中に長剣を斜めにして背負っていた。ちなみにラヴィーネは、袈裟懸けにした革製のショルダーバッグに放り込んである。馬を駆けさせるので、片手にラヴィーネを抱いているわけにもいかなかったのだ。
ずっと駆け続けて馬を潰すわけにはいかないので、適宜休憩を挟みながら一行は進む。何度目かの休憩の際、シェリーは気になっていたことをジノーファに尋ねた。
「ジノーファ様は、これでよろしかったのですか?」
「ん? 何のことだろうか?」
「その、仕官のお話です。断ってしまって、本当によろしかったのですか?」
ロストク帝国に戻り客将の任を解かれれば、ジノーファはまた無位無官の騎士に戻る事になる。ダンダリオンもこのまま彼をずっと遊ばせておくつもりはないだろう。しかしどのタイミングで彼を重用するつもりなのか、それは誰にも分からない。
一方でオーギュスタン二世は、ジノーファを「厚遇する」と約束した。シルフィエラとの婚約まで画策していたのだ。口約束とはいえ、本気であったに違いない。栄達を求めるなら、それに乗る手もあったのではないか。シェリーはそう思っている。
「うん。だって、寒いじゃないか」
しかしながらジノーファはあっけらかんとそう答えた。その意図するところが分からず、シェリーは小さく困惑を浮かべる。彼女が「寒い?」と聞き返すと、ジノーファは肩をすくめてこう応えた。
「うん。ほら、ランヴィーア王国は内陸国だ。冬はロストク帝国より寒いに違いないと思ったのだ」
ジノーファの言うとおり、ランヴィーア王国はロストク帝国よりも寒い。地域差があるので全体的な傾向でしかないが、少なくとも王都フォルメトは帝都ガルガンドーよりも寒さが厳しいことで知られている。
ただ、それを理由に破格の仕官を断ると言うのも、あまり聞かない話だ。シェリーも呆れたような顔になっている。とはいえジノーファはもともとアンタルヤ王国の出身。温暖な気候で育った彼にとって、厳しい冬と言うのはやはり辛いのだ。
「オーギュスタン二世もお気の毒ですね……」
シェリーは小さく首を振りながらそう呟いた。まさか仕官を断られた理由が「寒いから」とは。主君の器がうんぬんとか、国同士の因縁がどうこうとかであれば、オーギュスタン二世はどうにかしたかもしれない。しかし「寒いから」というのは、もうどうしようもない。フォルメトの近くに火山でも噴火すれば温かくなるかもしれないが、その場合は仕官どころの話ではないだろう。
とはいえ、仕官の話を断った理由はそれだけではない。ジノーファは少し気恥ずかしそうな顔をしながら、別の理由をこう語った。
「それに、ランヴィーア王国に仕官することになったら、シェリーとも別れなければいけないだろうから……」
シェリーはロストク帝国の細作。今は男女の仲になっているが、ランヴィーア王国に仕官するなら、確かに別れなければならないだろう。彼女が細作をやめるという選択肢もあるが、国への忠誠心は捨てられないだろうし、ランヴィーア王国の側もそれだけでは信用するまい。
そういう事情を分かった上で、ジノーファは仕官による栄達とシェリーを天秤にかけ、そして後者を選んだのだ。それも、恐らくはいささかも葛藤することなく。シェリーは笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
「まあ」
シェリーは自然な仕草でジノーファの腕に自分の腕を絡める。その腕の温かさが、ジノーファに自分の選んだ道の正しさを確信させてくれた。
さて、国境の手前で案内役と別れ、一行はさらに西を目指した。そしてまずは国境近くにある、直轄軍の砦に向かう。ランヴィーア王国へ赴く際に、歩兵二〇〇〇と合流した砦だ。ヘングー砦で別れた派兵部隊はすでにこの砦へ戻って来ており、ルドガーらはここで彼らと合流した。
歩兵たちはこの砦の所属なので、彼らはここで原隊に復帰することになる。というかルドガーらが戻ってきた時点で、すでに彼らは日常の任務に戻っていた。彼らの恩賞については、ルドガーが帝都ガルガンドーへ戻り、ダンダリオンに正式な報告をしてから判断が下されることになる。ただ戦場働きをしたわけではなく、ひたすらダンジョン攻略をしていただけなので、単純にボーナスが支給されるだけになるだろうというのが大方の予想だった。
まあそれはそれとして。砦で騎兵隊と合流すると、ルドガーは帝都を目指してまた西へ向かった。急ぐ理由もなかったのだが、やはり騎兵の足は速く、往路と同じく彼らは三日で帝都に到着した。
帝都に到着すると、ジノーファはルドガーに連れられてそのままダンダリオンのところへ向かう。帰参の報告をするためだ。シェリーがジノーファに付き添い、ユスフは屋敷の方へ戻らせる。ラヴィーネを連れて行ってもらうのと、食事の準備をしてもらうためだ。時間的には夕食。今夜はご馳走である。
「ルドガー、ジノーファ、良く戻った」
ダンダリオンに謁見すると、彼は快活な笑みを浮かべてルドガーとジノーファを迎えた。そして早速、ルドガーから報告を聞く。ただ、ダンジョン攻略に関してはすでに報告書が届いているらしく、この場での報告は書かれていない部分、つまりオーギュスタン二世とのやり取りがメインになった。
「……そうか、相分かった。大儀である」
ルドガーの報告を聞き終えると、ダンダリオンはそう言って鷹揚に頷いた。ランヴィーア王国から支払われる謝礼が金貨一万枚と聞いたときには、赤字になると直感したのだろう、一瞬顔をしかめたものの特に口を挟みはしない。最終的にはルドガーの判断をそのまま受け入れた。
「報告した内容は書面にまとめ、後日提出せよ」
「ははっ。……それと別件ですが、オーギュスタン陛下から書状をお預かりしております」
「なに? 見せてみろ」
ルドガーが恭しく差し出したオーギュスタン二世の手紙を受け取ると、ダンダリオンはすぐに封を切って中身に目を通す。書面を確認していくと、たちまち彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「なにをやっているのだ、あの馬鹿は……」
手紙を読み終え、ダンダリオンは頭を抱えた。そしてフレイミースが仕出かした例の事件について、ルドガーから口頭で報告を受ける。どうやら手紙にはジノーファの引抜きを画策したことは書かれていなかったようで、ルドガーがそのことを話すと彼は顔を険しくした。
「そう、か……。結果的には良くやったと言うべきなのかもしれんな、これは」
そう言って、ダンダリオンは苦笑した。しかしながら、それは結果論に過ぎぬ。フレイミースの暴走は最悪、同盟を割ることになっていたかもしれないのだ。やはりちゃんと叱っておくべきだろうと彼は思った。
「まあ、何にしてもよく話をまとめてくれた。後はこちらで引き受ける。ご苦労だったな、ルドガー」
「ははっ、恐悦至極にございます」
ルドガーがそう言って頭を垂れると、ダンダリオンは満足げに「うむ」と頷いた。次に彼はジノーファのほうへ視線を向ける。そして威儀を正してこう言葉をかけた。
「ジノーファよ、まずは客将としての働き、見事であった。報告書にもあったが、派兵部隊に一人の犠牲者も出なかった事には、やはりそなたの働きが大きい。それで、金貨一〇〇枚を下賜するものとする」
ダンダリオンがそう言うと、侍従がトレイを持ってジノーファの前に進み出る。彼はそこから金貨の詰まった袋を恭しく受け取った。それを見届けると、ダンダリオンはふっと表情を緩め、さらにこう声をかけた。
「馬鹿息子がおぬしにも迷惑をかけたようだ。余の顔に免じて許してやってくれ」
「迷惑など、いささかも感じておりませぬ」
「はは、お前らしいな。だが、オーギュスタン二世も詫びの品を送ったようであるし、余だけ何もなしというわけにはいかぬ。後日用意するゆえ、受け取ってもらえるな?」
「ははっ」
ここで受け取らないという選択肢はない。ジノーファはすぐに頭を垂れて了解した。ちなみにダンダリオンが用意した詫びの品物は、温かい冬物のロングコート。シェリーの方から「ジノーファ様は寒がり」といった具合に報告が行ったのかもしれない。
ダンダリオンとの謁見を終えると、ジノーファはシェリーを伴ってダンジョンへ向かった。攻略を行うわけではない。使わなかった物資をシャドーホールから取り出して返品するのだ。
さらに今回の攻略は、希少性の高いドロップアイテムなどを手に入れた場合、ランヴィーア軍に売却するのではなくシャドーホールで保管していたのだが、そちらも取り出して直轄軍に納品する。ちなみにラヴィーネを助けた際に手に入れた例の剣と盾は、ジノーファの個人資産という扱いになるので納品はしない。
預かっていた物品を全て渡してしまうと、晴れてジノーファの客将としての仕事は終わりである。彼は担当の士官に見送られ、清々しい気分でダンジョンを後にした。
「ああ、旦那様。お帰りなさいませ」
ジノーファとシェリーが屋敷に帰ると、まず隻眼の庭師カイブが二人を見つけてそう挨拶した。ジノーファが留守にしていた間も、丁寧に手入れをしてくれていたのだろう。庭の様子は見違えるようだ。
ジノーファがそのことを褒めると、カイブは照れたように相好を崩して頭をかいた。最後に「これからも頼む」と声をかけてから、ジノーファは屋敷の中へ入る。すぐに家令のヴィクトールが彼を出迎えた。
「お帰りなさいませ、旦那様。無事のお戻り、お喜び申し上げます」
「うん、ただいま。何か変わった事はなかっただろうか?」
「何通か、旦那様宛てにお手紙が届いております」
ヴィクトールがそう教えてくれたので、ジノーファは食事の準備ができるまでの間、手紙のチェックをしてしまうことにした。自分の部屋へ向かうべく階段を一段二段と上ったところで、ジノーファはふと足を止めて振り返る。そしてヴィクトールにこう告げた。
「今日の夜は、みんなで一緒に食べようか」
「それは……。いえ、旦那様の仰るとおりにいたします」
そう言ってヴィクトールは一礼した。それに頷いてから、ジノーファは改めて階段を上る。久しぶりに戻ってきた部屋は、掃除の行き届いた清潔な状態で保たれていた。ジノーファは満足げに頷くと、まずは旅装を解く。
「お手伝いいたしますわ」
その彼を、シェリーが自然な動きで手伝う。彼女はジノーファと一緒に帰ってきたはずなのだが、すでに旅装を解いてメイド服に着替えている。一分の隙もないその正装に、ジノーファはちょっと目を丸くした。
「いつの間に……」
「メイドですから」
答えになっているような、いないような。けれどもシェリーらしいその受け答えに、ジノーファは小さく笑みを浮かべた。
着替え終わってから、ジノーファは机に向かい、そこに置かれていた手紙の封を切った。読み進め、返事が必要なものには返信をしたためる。そんなことをしていると、シェリーがお茶を入れてくれた。それを一口啜り、ジノーファは「ああ、帰ってきたんだな」と実感した。
使用人のみんなとボロネスが腕を振るった夕食を食べたあと、ジノーファはランヴィーア王国のメルストで買ったお土産の手袋を皆に手渡す。喜んでくれたので、買ってきて良かったとジノーファは思った。
談話室で雑談に興じた後、ジノーファはいつもより少し早い時間に寝室に向かった。部屋の中に入ると、月明かりに照らされながら、人影が静かにベッドに腰掛けている。シェリーだ。彼女は薄い肌着の上にストールを羽織り、優艶に微笑んでいる。そんな彼女に、ジノーファは小さく苦笑してこう尋ねた。
「……いいの? 今日は、疲れているかなと思ったのだけど」
「はい」
蕩けそうな笑みを浮かべて、シェリーは短くそう答えた。ジノーファはそんな彼女を優しく引き寄せ、そっと口付けをする。そして二つの人影は静かにベッドへ倒れこんだ。
□ ■ □ ■
おまけ
ジノーファが白い狼、つまりラヴィーネを可愛がっていたというのは、有名な話だ。ラヴィーネは魔獣であり、戦場やダンジョンを主人と一緒に駆け抜けたという。ジノーファの肖像画には、足元に彼女が伏している物も多い。
そんなラヴィーネのことを形容して、ある詩人がこんな言葉を残している。
曰く「雪のように白く、雪崩のように牙をむく」
ただし当然ながら、何の努力もなしにその境地へ達したわけではない。この言葉の後半は戦闘能力について形容しているわけだから、その力を身につけさせるべく、ジノーファはかなり大量のマナをラヴィーネに与えたという。
成長限界まで育てたというから、驚きである。もちろんラヴィーネ本人(狼?)の働きもあったのだろうが、それにしても尋常ではない。余談になるが、ラヴィーネが二五歳を超えて生き続けた、その長命の理由もそこにあるのだろう。
そして詩人の言葉の前半もまた、(主にシェリーの)涙ぐましい努力によって維持されていた。
「待ちなさいっ、ラヴィーネ!」
「キャウゥ!」
逃げるラヴィーネをシェリーが追いかける。本来なら狼にして生粋の魔獣たるラヴィーネの方に分があるのだろう。しかしシェリーは細作であり、さらにダンジョンを攻略して経験値を溜め込んでいる。それで、彼女はすぐにラヴィーネを廊下の角に追い詰めた。
「さあ、ラヴィーネ。もう逃げられませんよ?」
「キャ、キャウウゥ……」
にっこりと微笑むシェリーに見下ろされ、ラヴィーネは怯えたようにプルプルと震えた。ふさふさの尻尾も股の間で縮こまっている。
「お風呂ですよ、ラヴィーネ!!」
「ギャウニャギャアアウゥオァ!?」
この世のものとは思えない悲鳴が響き渡った。
ちなみに、後年は諦めたのかラヴィーネも大人しくお風呂に入るようになったという。どこか黄昏た目をしながら。
シェリーの一言報告書「ジノーファ様は寒がり」
ダンダリオン「なら、コートにでもするか」