炎帝2
――――聖痕。
それは人を超えた証。そして聖痕を持つ者として広く知られ、周辺国に恐れられているのが、ロストク帝国皇帝にして炎帝の異名を持つダンダリオン一世その人だった。
ジノーファはそのダンダリオンとほぼ互角の戦いを演じた。そうであるならば、彼もまた聖痕を持っているのではないか。そう考えるのは、あながち的外れでもないだろう。ただ、ロストク軍の首脳部において、その可能性を考慮していたのはダンダリオンだけだった。
それだけ聖痕を持つ者は少なく、また特別視されているのだ。この周辺で知られているのは、ダンダリオンのみ。少なくともアンタルヤ王国の王太子が聖痕を持つなどと言う話は聞いたことがない。それでダンダリオンが「そなた、聖痕持ちだな?」と尋ねたとき、テントの中にいた人々の視線はジノーファに集まった。
「分かりませぬ」
視線を集める中、ジノーファは苦笑しながらそう答えた。それを聞いてダンダリオンは少しだけ眉間にしわを寄せる。
「分からぬ事はなかろう。そなた自身のことではないか」
「正直に申し上げて、わたしは今日まで自分が聖痕持ちであるとは考えたこともありませんでした。自分の身体に聖痕が現れるのを見たことがないからです。ですが昨日、もし陛下が手加減をしていなかったのであれば、わたし自身、あそこまで粘ることのできた理由が分かりませぬ」
ジノーファは困惑気にそう答えた。実際、この場で彼が一番困惑していた。そして彼の言い分を聞いたダンダリオンは「ふむ」と呟き、それから気軽な調子で彼をさらに困惑させることを口にする。
「ではひとまず脱げ」
「は、はぁ?」
ジノーファは思わず素っ頓狂な声を上げた。幕僚たちもダンダリオンの言葉の意図が分からないのか、顔に困惑を浮かべている。するとダンダリオンはこう意図を説明した。
「自分の身体に聖痕があるか分からぬのだろう? ということは、自分には確認できない場所にあるのかも知れん」
だから脱げ、とダンダリオンは言う。捕虜とはいえ一国の王太子に服を脱げというのはなかなか無礼な話だが、しかしジノーファ自身も自分が本当に聖痕持ちなのかどうか興味がある。それで彼は大人しく服を脱ぎ、そして下着一枚になった。
「よし、ではいくぞ……」
ダンダリオンが聖痕を顕現させる。さながら炎のような紋様が、赤く輝きながら彼の首から顔の右半分にかけてを覆った。彼は座ったままなのだが、しかし凄まじいプレッシャーが放たれて、ジノーファは思わず身構える。すると周りにいた幕僚たちから感嘆の声が上がった。
「おお……!」
「背中に……!」
「これは、まさしく……!」
幕僚たちのその反応を見て、ダンダリオンは小さく笑みを浮かべた。そして「背中を見せてみよ」とジノーファに告げる。彼の背中には、まるで鳥が翼を広げたときのような意匠の紋様が青く輝いていた。
間違いなく聖痕である。それを確認してダンダリオンは満足げに一つ頷いた。そして鏡を二つ持ってこさせ、ジノーファに自分の聖痕を確認させる。彼は喜ぶでもなく、ただ困惑したようにその手鏡を覗き込んでいた。
それから、ジノーファは服を着て、改めてダンダリオンと向かい合った。彼が聖痕持ちであることは確認された。胸のつかえが取れたようであり、一つ自信を得たようでもある。しかし今の彼が捕虜であることも変わらない。それでジノーファはダンダリオンの次の言葉を待った。
彼だけではない。テントの中にいる幕僚たち全ても、同様にダンダリオンの言葉を待っていた。これまで彼らが知る限り世界にただ一人であった聖痕持ち。それがもう一人現れたのだ。その扱いは、果たしてどうなるのか。
「さてジノーファ殿。聖痕持ちの貴公に一つ頼みたいことがある。ダンジョンの攻略を手伝ってはくれぬか?」
にやりと面白そうに笑って、ダンダリオンはそう尋ねた。あまりに予想外の頼み事で、ジノーファは咄嗟に返事ができない。先に我に返ったのは、周りにいる幕僚たちのほうだった。その内の一人が慌てたように声を上げる。
「陛下! 正気ですか!?」
「主君の正気を疑うとは無礼な奴だ」
ダンダリオンは苦笑を浮かべてそう言った。本気でないことは一目瞭然だ。ただし、撤回する気がないこともまた明らかだった。
「陛下、お考え直しください。他国の王太子殿下を伴ってダンジョンの攻略を行われるなど、前代未聞です!」
「だがな、聖痕持ちといえば最上級の戦力だ。協力を得られれば、攻略はよりスムーズに進むと思わんか」
「ですが、だからと言って……!」
「それにな、此度の戦はまだ終わったわけではない。ダンジョンの攻略などさっさと終えて、こちらから逆侵攻してやろうではないか」
ダンダリオンがそう言うと、幕僚たちも血気が逸るようで、「そうだ、そうだ」という声が上がる。それを見てダンダリオンは改めてジノーファに視線を向け、彼にこう言った。
「そういうわけだがジノーファ殿、協力していただけるかな?」
「お話をうかがう限り、お断りした方がアンタルヤの国益にかなうようなのですが……」
ジノーファは苦笑を浮かべてそう応えた。ダンジョンの攻略が早く終われば、アンタルヤ王国はロストク軍に逆侵攻されてしまうのだ。さすがアンタルヤ王国の王太子としては素直に頷くわけにはいかない。しかしダンダリオンは構わずさらにこう言った。
「まあ、そう言うな。協力してもらえるのであれば、夕食にワインをつけてやるぞ」
「そういうことならば、是非もなく」
結局、ジノーファのほうが折れた。ワインが呑みたかったわけではない。捕虜という自分の立場を鑑み、これ以上ごねても良い事はないと思ったのだ。加えて、ダンジョンなら隙を見て逃げ出せるのではないかとも思っていたのだが、ジノーファのその思惑はダンダリオンの次の言葉によって潰えることになる。
「では、ジノーファ殿には余と一緒に攻略を行ってもらおう。まあ、何にしてもダンジョンが見つかってからだ。今は下がって休むが良い」
「はっ。そうさせていただきます」
ジノーファはテントを後にする。こうして彼はなぜか、スタンピードを起こしたダンジョンの攻略を手伝うことになったのだった。
□ ■ □ ■
ダンジョンについて、説明しておかなければならない。
――――ダンジョン。
それは人の住む世界を侵食する魔境だ。モンスターを生み出す母体であり、そのモンスターが外へあふれ出すことでスタンピードが発生する。ダンダリオンが言っていたように新たに生まれることがあり、場所によっては発見が遅れ、スタンピードが発生して初めて気付く場合もある。今回のケースがまさにそれだ。
多くの場合、ダンジョンは地下にある。そのため、入り口は洞窟のようになっている。一つのダンジョンに複数の入り口があることも珍しくない。内部は異常に広く、外の世界の常識が通用しない場所で、それが魔境と呼ばれる由縁だった。
一方でダンジョンは枯れることのない、万能の鉱山でもある。つまり、その内部から多種多様な資源を得ることができるのだ。それでほとんどの場合、ダンジョンは権力者によって厳重に管理されている。その目的は主に二つ。第一にスタンピードを起こさないためであり、第二に可能な限り多くの資源をそこから得るためだ。
ダンジョンから資源を得る方法の一つ目は、モンスターを倒すことだ。ちなみにモンスターを倒す事はスタンピードの抑制にも繋がる。それでダンジョンに潜りモンスターを倒すこと、すなわち攻略が多くの国で奨励されていた。アンタルヤ王国やロストク帝国においても同様だ。
さて、モンスターを倒すと、まず魔石が手に入る。魔石は透明感のある青い色の石で、大きさや色の濃さは倒したモンスターによって個体差がある。一般に、より深い場所へ行けば行くほど、魔石はより大きくより濃くなっていく。
魔石は最初、淡い光を纏っている。この状態の魔石のことを、特に煌石と呼んだりもする。そして人間は煌石からマナと呼ばれる力を吸収することができた。
マナを吸収するとどうなるのか。陳腐な言葉だが、レベルアップするのだ。「力が体のすみずみにまで行き渡り、まるで生まれ変わったかのようだ」と表現する者もいる。ともかくマナを吸収することで比例して身体能力が向上するというのは、経験則としてよく知られていた。
余談になるが、ロストク帝国の皇帝直轄軍が精強として知られているのも、まさにこのためである。つまり直轄軍の兵士たちは訓練をかねて日常的にダンジョンの攻略を行い、魔石からマナを吸収して力を蓄えているのだ。
もちろん、アンタルヤ王国や他国も同様にして戦力の充実を図っている。ただ、他国にもましてこの分野に力をいれ、そして成果を挙げているのがロストク帝国の皇帝直轄軍だった。
閑話休題。マナを吸収した後の魔石も、立派な資源であり様々な使い道がある。もっとも単純なのは燃料として使うことだ。炭よりも火持ちがよく、また煙も出ないので重宝される。最近では魔道具の動力源としても需要が増えている。それで魔石はダンジョンを攻略する人々の貴重な収入源となっていた。
さて魔石はモンスターを倒すと必ず手に入るが、それとは別の資源も手に入ることがある。モンスターは倒すと灰のようになって消えてしまうのだが、その際に体の一部や使っていた装備品が消えずに残ることがある。ドロップアイテムと呼ばれる資源で、何がドロップするのかはまさに時の運なのだが、供給が安定していないため価格は高騰しがちで、攻略する人々のよい収入源となっていた。
ちなみに、時たま大きな肉の塊がドロップすることがある。もちろん食べられる肉で、しかもそれなりに美味い。ただ回収して持ち運ぶには少々不便なこともあり、なかなか攻略者泣かせのドロップアイテムだった。
その他にもダンジョンそのものから、つまり壁や床からも資源を得ることができる。ただし、どこからでも得られるというわけではない。いや、どこであっても掘り進めれば何かが出てくる可能性はあるのだが、効率よく資源を得ようと思えば場所は限られてくる。つまり採掘ポイントと呼ばれる場所だ。
採掘ポイントからは、主に鉱物を得ることができる。金、銀、銅、鉄はもちろんとして、宝石類や化石、ダンジョンでしか手に入らないレアメタルも採掘ポイントから得ることができた。
採掘ポイントはダンジョン内に無数にあるが、立地や規模などでどうしても優劣がつく。使いやすい場所は権力者が囲ってしまうか、そうでなくとも人が集まりすぎて逆に使いにくくなることもあった。
また、ダンジョン内には水が湧き出しており、この水もまた資源のひとつだ。薬の原材料の一つとして使われている。またこの水を使うとお茶を美味しく淹れることができ、そのため貴族の中にはわざわざ人を雇ってダンジョンの中へ水を汲みに行かせる者もいた。
さらに、ダンジョン内で水が湧いている場所には植物が茂っている場合が多い。この植物も、ダンジョンから得られる資源のひとつだ。薬草類は薬の原材料になるし、食べられる果実も生っている。特にダンジョンの中にしかない希少な果物や花は、高値で取引される場合もあった。
このように、ダンジョンから得られる資源は多岐に及ぶ。財政及び治安の両面から、ダンジョンを攻略する事は為政者の義務だった。
ただこの時、一つの問題が生じる。ダンジョンの攻略を担っているのは、主に平民と呼ばれる人々だ。そしてダンジョン攻略を行えば、平民の力が強化されることになる。つまり彼ら自身の身体能力が強化され、さらに取ってきた資源を売却することで多額の資金を得る事になる。支配者階級と呼ばれる人々から見れば、これは大きな問題だった。
平民が金を持つようになるのは、まあいい。個人が稼ぐ金額などたかが知れているし、税をかければ合法的に取り立てることもできる。経済的にもメリットがあるので、こちらはあまり問題にはならない。
ただ、攻略を行う平民の身体能力が強化されること。これは大問題だった。支配に実行力を持たせるのは軍隊や警察機構などの暴力装置であり、これが無力化される恐れがあるからだ。
簡単に言えば、力を持った平民に反乱を起こされるのが怖いのだ。しかしだからと言って、ダンジョンから平民を締め出す事はできない。貴族だけで攻略を行うには、単純に数が足りない。そんなことをすれば遠からずスタンピードが起こるだろう。
このような板ばさみの事情から、「ダンジョンを攻略するのは高貴な者の義務」という考え方が生まれた。つまり支配者階級の人々、それも主に男性が直々に、そして率先してダンジョンに潜り攻略を行うのだ。
表向きは「国や人々を守るため」という理由で、それは決して嘘ではないのだが、しかし全てでもない。自らと自らが保有する暴力装置を鍛え、いざ反乱が起こってもそれを鎮圧できるようにすること。あるいは実力を見せつけ反乱を抑止すること。それが彼らの隠れた本音というやつだった。なお、ロストク帝国の皇帝直轄軍などは、この典型であると言っていい。
このようなわけで、王太子という極めて高貴な身分のジノーファもまた、ダンジョンに潜ってモンスターと戦うことを日頃から行っていた。そしてマナを吸収し続けることで、ついには聖痕を得るにまで至ったのである。
しかしそれまでの道のりは、決して易しいものではなかった。ジノーファは父ガーレルラーンの指示もあり十歳の頃からダンジョンに潜っていたのだが、十二歳になった頃から一人で攻略を行うようになったのである。
直接的な原因は、護衛役として一緒に攻略を行っていた騎士がガーレルラーンに行った報告である。彼はこの時、ガーレルラーンにこう報告したとされる。
『王太子殿下はまことに天賦の才をお持ちでいらっしゃいます。エルビスタン公爵家のイスファード公子も、殿下と同い年ながら才気に溢れるとの評判ですが、しかし殿下には敵いますまい。さすがは陛下のお子にございます』
この報告のどこがガーレルラーンの勘気に触れたのか分からないが、しかし彼は憮然とした表情でこう命じたという。
『それだけの才があるのなら、護衛など必要あるまい。次からは一人で攻略を行わせよ』
無論、騎士は翻意を願って取りすがったが、しかしガーレルラーンは頑として首を縦に振ろうとはしなかった。この時以来、ジノーファは一人でダンジョン攻略を行うようになったのである。あるいはそのおかげで聖痕を得るに至ったのかもしれない。そう考えると、なかなか皮肉が利いている。
さて、ガーレルラーンの非常識な勅命が公になった時、周囲の人々はジノーファに同情した。ダンジョンの攻略とは、決して一人で行うようなものではなかったからである。彼らはジノーファが満足に攻略を行えなくなるか、あるいは早晩命を落すに違いないと考え悲嘆したが、しかしそうはならなかった。
ジノーファの攻略は確かに一時滞ったものの、しかしすぐにペースを取り戻し、そして今日まで生き延びてきた。件のイスファード公子も単独での攻略など行っておらず、また行うこともできないだろうから、期せずして彼の天賦の才が証明されたことになる。彼が殿を申し渡されたとき、最終的に容認する空気が生まれたのも、この実績があればこそだろう。
まあそんなわけで。ジノーファがパーティーを組んでダンジョンに潜るのは久しぶりのことである。「どうなるのだろうか」とジノーファは少しだけ心配し、すぐに「まあどうにかなるのだろう」と楽観した。