商人の国
――――イブライン協商国は、商人たちの国である。
イブライン協商国には、いわゆる国王がいない。代わりに評議会と呼ばれる合議制の政治を行っていた。評議会は商都ミストルンにおかれ、そこで話し合いを行うのは、議員と呼ばれる者たちである。ただしこの議員たちは民衆の民意によって選ばれているわけではなかった。
まず議席のおよそ半分は、国内に領地を持つ領主たちに割り振られている。ただし、無条件で議席を確保できるわけではなく、毎年一定額の負担金を評議会に納めなければならない。負担金を納められなければ、その年は議席を失うことになる。そして空いた議席は領主たちを対象にして競売にかけられるのだ。
残り議席は、売りに出される。厳密に言うと少し違うのだが、金銭によってやり取りされていると言う意味では同じだ。そしてそれらの議席を買うのは、いわゆる大商人たち。つまり商人達の意見が大きく国政に反映されやすい政治形態であり、それゆえイブライン協商国は「商人たちの国」と呼ばれるのだ。
商人たちの国とはいえ、商売だけをしているわけではない。むしろ安心して商売を行うためにも、内外に対する防衛能力が必要だ。それでイブライン協商国には、二種類の防衛組織が存在した。
一つは領主が各自で組織するもので、警備隊と呼ばれる。治安維持を目的とした組織で、基本的にはそれぞれの領内で活動している。
もう一つは防衛軍と呼ばれ、評議会傘下に組織されている。いわゆる常備軍であり、国防のための組織だった。ちなみに対外的にはもっぱらイブライン軍と呼ばれている。
防衛軍の常備戦力は、およそ三万と言われている。これは実戦部隊の数であり、組織全体で見ればもっと多いのだが、しかしロストク帝国の皇帝直轄軍が十万の戦力を揃えていえることを考えると、かなり少ない。国力やこの世界の常識と照らし合わせても、戦力不足気味と言うのが実情だ。
その理由は主に二つ。一つは、大商人たちの意向だ。防衛軍は評議会傘下の組織であるから、その運営資金は当然評議会が出している。つまりそれぞれの領主たちが支払う年毎の負担金と、大商人たちが議席を買うために支払った金によってまかなわれているわけだ。
常備軍は国防のために必要だが、しかし養うには多額の金がかかる。しかもなんら生産に寄与しない。戦争がなければ金がかかるだけの存在だ。
無論、その方が国家としては健全であろう。だがそれを無駄と考える商人は多かった。しかも彼らは議席を持っていて、つまり評議会で発言力がある。彼らの意向を無視することはできず、結果として組織を縮小せざるを得なかったのである。
だが戦力がなくとも有事は起こる。その場合どうするのかと言うと、金をばら撒き傭兵を雇って戦力を整えるのだ。実際に他国からの侵略が起これば、商人たちといえども四の五のは言っていられない。むしろ自分達の権益を守るため、評議会に多額の寄付を行う者さえいる。尻に火がつく、とはこのことであろう。
そして、このようなやり方が常態化してしまったため、議員達のなかに「有事の際には傭兵を雇えばいい」という考え方が定着してしまっていた。平時における常備軍は最小限でいいというわけで、これが国力と比べてイブライン協商国防衛軍の規模が小さい二つ目の理由だった。
さてこの度、スタンピードがイブライン協商国を襲った。ある意味では他国の侵略よりも厄介で頭の痛い問題である。この有事に際し、事態を収拾するために動くべきは、言うまでもなく防衛軍だ。
実際、スタンピードによって溢れ出したモンスターを掃討するべく、防衛軍はすでに動いていた。彼らは各領地の警備隊と協力しつつ、モンスターを確実に討ち取っていく。その働きは見事で、自分たちが無駄飯食いではないことを、彼らは自らの働きによって証明したのだった。
しかし防衛軍がそのままダンジョン攻略へ向こうことはなかった。モンスターは広範囲に広がってしまっており、その掃討を行っている間に、ランヴィーア軍がダンジョンに張り付き、攻略を開始していたからである。
仮にここでランヴィーア軍と事を構えた場合、そのまま全面戦争に発展する可能性がある。防衛軍の司令官がどうするべきか評議会にお伺いを立てたのも当然だ。だが評議会は合議制。一つのことを決めるのにも時間がかかる。しかも今回、議会は紛糾した。利害が対立したのである。
危機感を覚える者や、ダンジョンの利権を狙う者たちはこう主張する。
『ただちに討伐軍を組織して、侵略者どもを成敗するべきである!』
『我が国のダンジョンを、ランヴィーア王国に渡してなるものか!』
『上手くすれば、国防上の重要な拠点ともなるはず。敵国にとられるのは、面白くありませんな』
一方でこう主張する者たちもいた。
『今手を出せば、ランヴィーア王国と全面戦争に突入するかも知れん』
『攻略は、ランヴィーア軍が行ってくれているのだろう? 今は彼らに任せればよい』
『左様。拡散したモンスターを討伐するだけで、ずいぶんと金を使っておる。この上、ランヴィーア軍と事を構えるとなれば、また別に予算を計上せねばならぬ。その金を一体誰が出すと思っておるのじゃ?』
両者の意見は真っ向から対立した。要約すれば「即刻ランヴィーア軍を排除するべし」という意見と、「暫くは様子見」という意見である。意見の違いは、それぞれの立場の違いだった。
イブライン協商国は交易によって栄える国だ。この時代、交易の主役は海路。そのためイブライン協商国も沿岸部に人とモノと金が集まり賑わっていた。いわゆる大商人たちも、沿岸部を拠点としている者が多い。沿岸部、つまり貿易港こそがイブライン協商国の玄関口であり、そして心臓部といえた。
しかしながら、心臓だけで国は成り立たない。頭脳が必要であり、なにより肉体が必要だ。そして頭脳に相当するのが評議会であり、肉体に相当するのが沿岸部を除いた内陸部の国土だった。
イブライン協商国の貿易港を中心とする沿岸部には、確かに人とモノと金が集まってくる。しかしながら特に人に関して、膨れ上がったその人口を養う力が沿岸部にはない。そこで必要になってくるのが、内陸部の食糧生産能力だった。
さらに言えば、内陸部は沿岸部に比べ人口も多い。単純に面積が違うのだから当然だ。そして人口とは消費人口のことであり、また労働人口のことでもある。つまり沿岸部にとっては大きな市場であると同時に、労働者の供給地でもあるのだ。
もう一つ、ダンジョンの存在も忘れてはならない。ダンジョンから供給される数々の資源は、イブライン協商国にとって重要なものだ。また有事に雇われる傭兵たちだが、平時にはダンジョン攻略を行って生計を立てている者が多い。見方を変えれば、ダンジョンのおかげで多数の傭兵たちを、国内に抱えることができているのだ。
このような国内事情のため、沿岸部と内陸部の発言力はほぼ拮抗していた。この「拮抗」という言葉で、交易による富がどれほど莫大なのかは、おおよそ察することができるだろう。「マネーパワー対マンパワー」と言葉にするのは少々陳腐か。何にしても、まあそういう構図である。
さて、「即刻ランヴィーア軍を排除するべし」と主張しているのは、内陸部の者たちである。放っておけば自分達の土地を奪われてしまうかもしれないのだから、当然の主張であろう。
一方、「暫くは様子見」と主張しているのは沿岸部の者たちだ。彼らが乗り気でないのは、ランヴィーア軍を排除しようとすると金がかかるからだ。国境近くの辺境など、彼らにとっては他国も同じ。そもそも興味が向いていないのだ。
もちろん、ランヴィーア軍が本格的な侵攻の気配を見せているなら、様子見などと悠長なことは言っていられない。しかし現在のところ、彼らが固執しているのはダンジョンだけのようだし、それなら様子見でいいのではないか。沿岸部の利益を代表する議員たちはそう考えているのだ。
(甘い考えだな……)
内心でそう呟き嘆息するのは、評議会の議員でルイスという男だ。彼は内陸部に領地を持つ領主の弟で、領主たる兄から議会工作を任され、こうして議員として働いていた。当然、その主張するところは「即刻ランヴィーア軍を排除するべし」であり、邪魔をする沿岸部の議員たちには苛立ちを募らせていた。
なにしろダンジョンが出現したのは、彼の故郷である兄の領地なのだ。当然、今回のスタンピードでは大きな被害も出している。今でさえ、警備隊だけでは手が足りていない。この上、ランヴィーア軍が本格的な侵攻に乗り出せば、被害はさらに拡大するだろう。その前に評議会を動かし、迎撃のための戦力を整えなければならないのだ。
しかしながら、議会は紛糾し結論は出そうにない。時間ばかりが過ぎていく中、ランヴィーア王国に派遣していた大使から火急の報告が評議会に寄せられた。
曰く「此度の軍事行動はダンジョン攻略のためのものであると、ランヴィーア王国は主張している。またそのためにランヴィーア王国は同盟に基づき、ロストク帝国へ援軍の派遣を要請した」
要約すればこんなところか。重要なのは後半である。ロストク帝国までもが、今回の事態に関わろうとしているのだ。
(ロストク帝国……!)
その名前を聞き、ルイスは背中に氷刃を差し込まれたかのように感じた。最悪、二カ国の連合軍による侵略を受けるかも知れぬ。その可能性に思い至ったのだ。
一般に、ダンジョンを安定的に管理するためには拠点が必要だとされている。そしてそのような拠点は軍事拠点としても利用が可能だ。つまり今回発見された新たなダンジョンをこのままランヴィーア王国に奪われた場合、そこが今後の侵略のための橋頭堡にされる可能性が高い。
ランヴィーア王国もロストク帝国も、交易の拠点となる貿易港を欲している。そしてイブライン協商国は以前からその標的とされていた。
敵が一カ国だけであれば、外交努力を尽くし、傭兵をかき集めて地の利のある場所で迎え撃てば、撃退は可能だろう。今までもそうして侵略を退けてきたのだ。しかし二カ国同時となると、さすがに危機感を抱かざるを得ない。
『……王都フォルメトから出撃したのは、歩兵のみで数千規模という話。現在ダンジョンを占拠している部隊、そしてロストク帝国の援軍を合わせても、当座は一万程度といったところでしょうか。
彼らは進軍の理由を「ダンジョン攻略のため」と主張していますが、その建前を鵜呑みにしている方は、まさかここにはおられますまい。本格的に事を構えるのはともかくとしても、侵略者どもに行動の自由を与えるのが非常に危険であることは、ご理解いただけるはず。日和見を決め込めば、あっという間に港を占拠されてしまうでしょう。
それで、まずは敵と同程度の迎撃軍を組織し、対陣させて敵軍を牽制することを提案します。同時に情報収集を行い、ダンジョンについてさらに詳しく調べ、同時に敵軍の真の意図も探らねばなりますまい』
ルイスは評議会でそう提案した。ロストク軍の参戦や、それによって敵の戦力が一万に迫ると言う話は、沿岸部の議員たちにとっても無視できるものではない。ここで小金をケチっていては、財布どころか仕事を失いかねないのだ。諸手を挙げてとはいかないものの、彼らも迎撃軍の組織に賛成した。
ただ、商人たちには別の思惑もある。今回の派兵は牽制のため。対陣が長期化する可能性もある。となれば膨大な量の輜重が必要になるだろう。つまり大きな商売のチャンスだ。本格的にランヴィーア軍を排除することに乗り気でなくとも、稼げる戦争なら、彼らは大歓迎なのだ。
このような思惑もあり、直ちに迎撃軍が組織された。その数、およそ八〇〇〇。ただしこの内、議決と同時に即応したのは正規兵四〇〇〇で、残り四〇〇〇は傭兵をかき集めて順次送り込まれることになった。
本来ならば愚策だが、展開の速度を重視したため、このような形になった。ランヴィーア軍の増援もまだ到着していなかったので、数的に不利というわけでもなかったのだ。
『まずは情報だ。ダンジョンについて、そして敵軍について、情報を集めてくれ』
ルイスは編成されたイブライン軍の司令官にそう要請した。彼の目的は変わっていない。すなわちランヴィーア軍を国外へたたき出し、ダンジョンを奪還することだ。しかしそのためには、評議会をもう一度動かして、本格的な迎撃軍を組織する必要がある。そして評議会を動かすためには、やはりまず情報が必要なのだ。
そして情報を集める中で、イブライン軍はダンジョンの出入り口を確保することに成功した。ランヴィーア軍が把握していなかったもので、彼らが思っていた以上にダンジョンは大規模だったのだ。
出入り口を、それも複数確保したことで、イブライン軍もまたダンジョン攻略を行うようになった。ただ、これはスタンピードを起こさないためと言うより、むしろ暇を持て余した傭兵たちのガス抜きが主たる目的だ。追加で金が稼げるとなれば、彼らの士気も上がるというものである。
余談になるが、イブライン軍で傭兵が多用されることはすでに述べた。そのため、どうやって傭兵たちの士気を維持し、さらには上手く戦わせるかについて、イブライン軍の司令官たちは常に頭を悩ませていた。今回はダンジョン攻略の許可という手っ取り早い手段があり、司令官は幸運だったと言えるだろう。
さて、出入り口を確保していることをランヴィーア軍に悟られぬよう、イブライン軍は意図的に小競り合いを繰り返すようになった。これは威力偵察もかねている。こうして迎撃軍はランヴィーア軍を牽制する一方で、着実に情報を集めていった。そうこうしている内に、ロストク軍が到着する。
「ついに来たか……!」
ロストク軍合流の報を聞き、ルイスは慄きつつそう呟いた。斥候からの報告によれば、ロストク軍はわざわざランヴィーア王国経由でイブライン協商国へ入ったと言う。これは援軍以上のことはしないという言外のメッセージであるようにルイスには思えた。無論、確証はないので思いこむのは禁物だが。
さらに報告は続く。ロストク軍の数はおよそ三〇〇〇弱。それほど多くはない。少なくとも現時点では、心配していたような全面侵攻はなさそうだった。そして彼らはロストク帝国との国境側に布陣し、そこでダンジョン攻略を始めたという。
(そんなところにもダンジョンの出入り口があったのか……)
ルイスは地図上で位置を確認する。イブライン軍が確保している出入り口、ランヴィーア軍が占拠している出入り口、そして今回ロストク軍が攻略を始めた出入り口。それぞれの位置を地図上で確認すると、ルイスは眉間にシワを寄せた。
ダンジョンの出入り口は、広範囲に存在していた。まだ発見されていない出入り口もあるはず。つまり今回出現したのは、かなり大規模なダンジョンであったわけだ。この全てを一つの都市の内部に収めるのは、おそらく不可能だろう。
「都市と、あとは城砦か……」
ルイスはそう呟いた。口にするのは簡単だが、しかし実際にそれを行おうとすれば、一大プロジェクトである。しかし行う価値があるように、彼には思えた。
ダンジョンは大規模で、しかも出入り口が多い。人数をかけて攻略を行いやすく、そしてそれだけ豊富に資源も手に入る。さらに国境近くに城砦を築ければ、他国の侵略に対する備えにもなるだろう。そしてダンジョンがあるのはルイスの兄の領地。もろもろの恩恵は大きい。
やはりなんとしても、ダンジョンをランヴィーア王国に奪われるわけにはいかない。ルイスはその思いを強くした。評議会を動かし、侵略者どもを撃退するのだ。
「ロストク軍の思惑がどこにあるのか。それも調べなければならないな……」
そう呟きつつ、ルイスはもう一度地図に視線を落とした。たった一つのダンジョンに、三カ国の軍隊が群がっている。その様子は、まるでケーキに蟻が群がっているかのようだ。そしてその感想は、さして間違ってはいるまい。ダンジョン利権は蜜より甘いのだから。
「この私も、一匹の蟻に過ぎぬというわけだ」
ルイスは自嘲気味にそう呟き、そして肩をすくめた。
ルイスの一言日記「胃が痛い……。ハゲそう……」