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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
商人の国のダンジョン
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攻略開始2

 ダンジョン内で魔獣化したイノシシと遭遇したジノーファら三人は、その死体をシャドーホールに収めて来た道を戻り出口へと向かった。そしてダンジョンから出ると、ルドガーのところへ向かい、イノシシの死体を見せながら状況について説明する。一通りの説明を聞くと、ルドガーは顎先を撫でながら小さく頷いた。


「なるほど、な……。ジノーファ殿、報告感謝する」


 そう言って、ルドガーはその場を後にした。そして真剣な面持ちで歩きながら、部下たちに次々と指示を出していく。その様子を見送り、ジノーファたちは安堵の息を吐いた。ともかく後は彼に任せておけばいいだろう。


 ちなみに持ち帰ったイノシシの死体だが、これは貴重な肉だ。捨てるなどもってのほかで、綺麗に捌いて兵士達の腹に収まった。ジノーファたちには優先的に振舞われて、三人は野味溢れるイノシシ肉に舌鼓を打つのだった。


 さて、夕食後、ジノーファはルドガーのテントに呼ばれた。案内役の兵士に先導されて向かうと、彼は一人でジノーファのことを待っていた。ワインとつまみも用意してあり、ジノーファがテントの中に入ると、ルドガーは杯を掲げにやりと笑いながらこう言った。


「ジノーファ殿、どうだ、一杯」


「いただきましょう」


 苦笑を浮かべながら、ジノーファは杯を受け取った。そして軽く乾杯してから杯を傾ける。中身は呑みやすい白ワインだ。鼻に抜ける果実の香りを楽しみながら、ジノーファはつまみの皿に手を伸ばし、チーズをつまんで口へ運んだ。


「それで、ジノーファ殿。今日の攻略はどうだった?」


「やはり、マナが濃かったですね。モンスターも多い。まあ、いい運動になりましたよ」


 冗談めかしてジノーファはそう答えた。モンスターの数が多かったとはいえ、所詮は上層。そこまで強いモンスターは出てこない。中層より下を主な活動の場としていたジノーファたちにとってさほどの脅威ではなく、彼の言うとおり戦闘というよりはまるで運動のようだった。


「そうか。羨ましい限りだ」


「ルドガー殿は、一日事務仕事ですか?」


「ああ。肩が凝ってかなわん。エリアボスも何体か見つかったという話だし、今度一緒に討伐に行かないか?」


「いいですね。ぜひ行きましょう」


 そう言ってルドガーとジノーファは笑みを交わした。側近や幕僚たちが聞けば慌てて止めそうな話だ。二人共、特にルドガーはダンダリオンの影響を強く受けていると言っていい。そしてひとしきり笑ってから、ルドガーはジノーファこう尋ねた。


「それはそうとジノーファ殿。攻略の状況について、どう見る?」


「……先ほども言いましたが、ダンジョン内のマナ濃度は高いままでした。ランヴィーア軍の攻略は進んでいないのでしょう」


「ふむ……。再びスタンピードが起こる可能性については?」


「さあ、分かりません」


 ジノーファは正直かつ無責任にそう答えた。それを聞いてルドガーも苦笑する。まあ確かに分かるはずもない。何にせよ、ロストク軍による攻略が始まったのだ。少なくとも抑制効果はあるだろう。後は、ここから状況が好転していくと信じて攻略を進めるだけである。


「それとあの魔獣のことだが、実際に戦ってみた感想として、どの程度の強さに思えた?」


「仮に同種のモンスターが出現するとすれば、中層と下層の境目辺りでしょう」


「ということは、かなり育っていたわけか……」


 厄介だな、とルドガーは呟いた。それを聞いてジノーファは小さく首を傾げる。もうすでに討伐してあるというのに、一体何が厄介なのか。その理由をルドガーはこう説明した。


「実は、今日の探索で水場がいくつか見つかった。その内の一つに、獣の足跡と糞が残されていたそうだ」


「それは……」


 驚いた様子のジノーファに、ルドガーは重々しく頷いてみせる。つまりあのイノシシ以外にも、ダンジョンの中に野生動物が迷い込んでいるのだ。それも恐らくは複数で、魔獣化している可能性が高い。


「意見を聞きたい。ジノーファ殿は、どう考える?」


「……魔獣だからといって、むやみに怖れる必要はないでしょう。モンスターと同じように討伐すればいい」


 少し考えてから、ジノーファはそう答えた。幸い、ロストク兵は精鋭揃い。今回はメイジやヒーラーも連れて来ている。下層クラスの魔獣が出たからと言って、そうそう後れをとることはないだろう。


 ならばそのまま討伐してしまうというのが、一番簡単な対処方法だ。というより、それ以外に対処のしようがない。


 ダンジョンから追い出すにしても、見つけることがまず困難。罠を仕掛けてもほぼ効果はないだろう。仮にかかったとしても、相手は魔獣なのだから、力ずくで脱出されてしまう可能性が高い。加えて、そもそも道具がない。結局、兵士たちに注意喚起を行い、その上で見つけ次第討伐するしかないのだ。


 最初から同じ結論に達していたのだろう。ルドガーは「同感だ」と答えて小さく頷いた。聞けばランヴィーア軍のほうにも、すでに報告と注意喚起を行ったらしい。それを聞いてジノーファは小さく首をかしげる。それならばわざわざジノーファを呼び出して、改めて意見を聞く必要があったようには思えない。


 一体ルドガーは何の用があって自分を呼び出したのか。ジノーファは少し疑問に思った。本当にただ一杯飲みたかっただけという可能性もあるし、それならそれで付き合うのはやぶさかではない。だが、やはりそれだけではないような気がするのだ。そしてその直感通り、ルドガーはジノーファにさらにこう尋ねた。


「それはそうとジノーファ殿。そもそもの話だが魔獣、というより動物は、どうしてダンジョンの中に入ったと思う?」


「……文字通り迷い込んだ、というのが一番自然ではないでしょうか?」


 スタンピードが起きてから攻略が開始されるまで、それなりに時間が空いている。つまりダンジョンが放置されていた時間があるのだ。加えてこのダンジョンは規模が大きく、出入り口が多くある。どこからか野生動物が迷い込んでしまう可能性は十分にあるだろう。


「ふむ。では、人為的なものである可能性については、どう考える?」


「……仮に人為的なものであるとすれば、それをやったのはランヴィーア軍でしょう。目的は停滞している攻略状況の打開」


 要するに、人手が足りないから魔獣に攻略を行わせる、ということだ。もちろん魔獣は言うことなど聞いてくれないが、最低限モンスターさえ倒してくれれば攻略の一助とはなる。ただ、この方法には当然大きなリスクがつきまとう。


 まず、解き放った魔獣に味方が襲われる危険がある。つまりジノーファたちのような例だ。ただ実際のところ、個別に襲われるだけならばそれほど問題はない。前述したようにモンスターと大差はなく、討伐してしまえばいいのだから。


 最も厄介なのは、ダンジョン内で魔獣が繁殖した場合である。この場合、下手をしたら人類の方がダンジョンから駆逐されかねない。当然、安定的な管理・運営など無理。ダンジョン権益が一つ丸ごと潰れ、さらにはいずれスタンピードも起こると考えられる。特に支配者階級からしてみれば、たまったものではないだろう。


「まあ、そんなところだろうな。実は、今日報告を行った際に、少しこの件について匂わせてみたのだ」


「無茶をしますね……。それで、反応は?」


「なにも。さすがにこの程度では尻尾は出さないな」


 そう言ってルドガーは苦笑した。まあそもそも、「魔獣の発生が人為的なもので、その黒幕がランヴィーア軍」という仮説自体が可能性の低いもの。状況証拠すらなく、ほとんど言いがかりに近いものなのだから、あまり彼らを疑うのも悪いだろう。


 要するに、ある種の牽制なのだ。魔獣の話題にかこつけて「もっと攻略に力を入れろ」と釘を刺したのである。もちろんランヴィーア軍にはランヴィーア軍の言い分があるだろう。しかしロストク軍にはロストク軍の言い分がある。子分のように使われないためにも、言うべきは言わねばならないのだ。


 軍事というよりは政治の話であろう。そんなところまで気を使わなければならないのだから、派遣軍司令官の仕事は大変である。もしかしたらその愚痴を吐きたくて自分を呼んだのだろうか。ジノーファはふとそう思った。


「……味方内でも腹の探り合い。大変ですね」


 そう言ってジノーファはルドガーの杯に白ワインを注ぐ。ルドガーは少し驚いたような顔をしてから杯に口をつけ、そしてつまみのナッツに手を伸ばした。その口元には小さな笑みが浮かんでいる。


「……ところで魔獣の一件だが、イブライン軍が黒幕という可能性についてはどう思う?」


 ふと思いついたように、ルドガーがまたジノーファにそう尋ねた。それを聞いてジノーファは苦笑を浮かべる。そしてこう答えた。


「もしそうなら、事態はさらに深刻です。イブライン軍も出入り口を最低でも一つは確保していることになる」


 すでに攻略の足がかりができているのなら、彼らは決してこのダンジョンを諦めないだろう。外の部隊を排除したとして、ダンジョンの中へ逃げ込まれゲリラ戦でも展開されたら、その脅威と面倒臭さは魔獣の比ではない。まさに泥沼である。


 そこまで考え、ジノーファは「あっ」と呟いた。黒幕云々は冗談としても、イブライン軍がダンジョンの出入り口をすでに確保している、その可能性は十分にあるのだ。彼が視線を上げると、ルドガーも一つ頷く。どうやら、彼もそれが言いたかったらしい。


「もちろん、確証はない。だが話を聞く限り、イブライン軍の動きは中途半端に積極的で不可解だ」


 兵を動員しはするが、しかし侵略者を撃退するほどには動員しない。戦線を膠着させたかと思えば、しかし小競り合いを繰り返す。イブライン軍のやっていることはチグハグで中途半端だ。しかし彼らがダンジョンの出入り口を確保しているとすれば、ある程度は説明がつく。


「あまり、上手いやり方だとは思えませんが……」


「それはランヴィーア軍も同じだな。要するに両方とも、方針がまだはっきりと定まっていないのだろう」


 それも現場レベルではなく、政治中枢のレベルで。ルドガーはそう推測した。それくらいスタンピードは一大事だし、ダンジョン利権は巨大で、その管理・運営は一大事業なのだ。ロストク帝国の意思決定が早かったのは、利権から遠い立ち位置だったことも関係しているだろう。


「まあ、今のところ全ては仮定の話だ。我々の方針は変わらないし、我々がやるべき事も変わらない」


 ルドガーは落ち着いた口調でそう言った。つまり、諸々の利権とは距離を置き、ダンジョン攻略に集中する。そしてダンジョンが安定的かつ長期的に管理される目途が立ったなら、速やかに撤退する。


 この場合、管理者となるのはランヴィーア王国でもイブライン協商国でも構わない。再びスタンピードが起こり、モンスターの大群によって国土が荒らされぬこと。それこそがロストク帝国が軍を動かした目的なのだから。


「それで、明日からの攻略のことだが、給水ポイントとして利用するのにちょうど良さそうな水場を見つけた。案内させるので、まずはそこから水を汲んできて欲しい」


 ルドガーがジノーファにそう依頼する。魔獣だ何だと色々話をしたが、どうやらこれが今日の本題であったらしい。もちろんジノーファにも異論はない。彼は「了解です」と即答するのだった。


 そして翌日。ジノーファたち三人は兵士の一団に案内されて、昨日見つかったばかりの水場へ向かった。攻略が始まってまだ二日目。ダンジョンの中はまだマナ濃度の高い状態だ。そのせいか途中、マナスポットを幾つも見つけたので、ジノーファは案内の兵士たちに順番でマナを吸収させた。


「こ、これは……!? ただの、壁から……!?」


 それを体験すると、兵士たちは口々に驚きの声を漏らした。そんな彼らの様子を、その道の先達であるシェリーやユスフは、「さもありなん」と言わんばかりに頷きながら眺めている。ジノーファとしては苦笑するしかない。


「あ、あのぅ……、ジノーファ様……。こ、これは、オレ達が知ってしまっていいことだったんでしょうか……?」


「大丈夫。ダンダリオン陛下にも報告済みだ」


 不安げに尋ねてきた兵士に、ジノーファはそう答えた。しかし兵士たちの表情は晴れない。そんな彼らにシェリーがこう告げる。


「このことは他言無用でお願いいたします。道案内の役得。そういうことにしておいて下さいませ」


「わ、分かりました」


 シェリーの言葉を聞いて、兵士たちはようやく納得したようだった。その様子を見て、しかしジノーファは少々納得がいかない。「大丈夫」と言ったのに、どうして「他言無用」と釘を刺されて納得するのか。そんな不満が顔に出ていたのか、シェリーが苦笑しながら彼を宥めた。


「ですから、ジノーファ様を基準にして考えないでくださいまし」


 シェリーにそう言われ、ジノーファは不承ながらも納得したようだった。ただシェリーが案内役の兵士たちに釘を刺したのには、もう少し深いわけがある。


 マナスポットのことが知れ渡れば、それと聖痕(スティグマ)を結びつけて考える者が多く出てくるだろう。つまり、「マナスポットからマナを吸収していけば、ジノーファのように聖痕(スティグマ)持ちになれるのではないのか」と考えるわけだ。


 その推論を肯定する根拠はないが、しかし否定する根拠もない。つまり可能性は十分にある。聖痕(スティグマ)持ちにはなれなくとも、レベルアップが早まるのは間違いないのだ。であればよからぬことを企む者も出てくるだろう。


 つまりジノーファを拉致するなりして、自分たちのレベルアップのために働かせようと考える者たちが出てくるかもしれない、ということだ。そういう可能性を考えれば、シェリーが情報の拡散をとどめようと考えたのも当然である。


 ただその一方で、シェリーはそれほど危機感を抱いてはいなかった。今のジノーファは炎帝ダンダリオン一世の庇護下にある。その彼を拉致しようなどと思えば、それはダンダリオンに、ひいてはロストク帝国に喧嘩を売るに等しい。


 加えて、妖精眼は魔法だ。そして魔法は模倣できる。まったく同じ魔法は無理でも、マナスポットを識別する魔法を覚えることは誰であっても可能だ。少なくとも、可能性はゼロではない。


 そしてこれら二つのことを考え合わせると、ジノーファを拉致するより、妖精眼を模倣した方がよほど安全で確実だ。人数を揃えることも可能だろう。特に、ジノーファを拉致するだけの力があるような組織にとっては、その方が魅力的に違いない。


 いち早く情報をつかんでいるダンダリオンなどは、すでに動き出しているという。シェリーはそういう事情を知っている。それで、兵士たちにはやんわりと釘を刺すに留め、ジノーファにも危機感を抱かせるようなことは言わなかったのだ。


 さて、そんなことをしつつ三十分ほどダンジョンの中を進むと、彼らは目的の水場に到着した。ちなみに、魔獣の糞が見つかったのとは別の場所である。この水場はいわゆる地底湖のようになっていて、大量の水が湖に溜まっている。さらに豊富な水が流れ込んでもいて、これならいくら汲んでも枯れることはないだろう。


 ジノーファは早速シャドーホールから樽を取り出す。そして兵士たちが手分けしながらそこへ水を汲んでいく。シェリーとユスフは周囲を警戒している。水場とはいえモンスターが近づいてくることはあるからだ。


 こうしてロストク軍は安定して水を手に入れることのできる環境を整えた。食糧のほうも問題はなく、これで腰をすえてダンジョン攻略に取り組むことができるだろう。ランヴィーア軍とイブライン軍の睨み合いと小競り合いは続いているが、ロストク軍の攻略が堅調な限り、スタンピードはもう起こらないと思っていい。


 こうしてスタンピードの脅威は、ようやく一歩遠のいたのである。



シェリーの一言報告書「魔獣の肉、旨し! 帝都のダンジョンにも放ちましょう!」

ダンダリオン「一考の余地あり」

ジェラルド「却下ッ!!」

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