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Ash Crown ‐アッシュ・クラウン‐  作者: 新月 乙夜
番外編 メフライル物語

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第一王子の傍付き2


 イスパルタ軍は集結が不十分な百国連合軍を強襲し、これを散々に蹴散らした。その結果を受け、マドハヴァディティアは今回の東征を断念。和平交渉が行われた。そしてそこから、話はベルノルトにとって思いがけない方向へ進む。


 交渉がまとまり、講和条約の調印式が行われることになると、ベルノルトは護衛に混じってそこへ参加することになったのだ。とはいえ彼が本当に護衛の仕事をするはずもない。実際に調印を行うのはジノーファだから、ベルノルトのやることと言えば、ただ立っているだけだ。


 しかし調印式にはマドハヴァディティアが来る。「敵の首魁がどんな顔をしているのか確かめてやる」と言って、ベルノルトは意気揚々と調印式に望んだ。メフライルは「社会見学ですね」と言って彼と一緒に調印が行われるテントへ赴く。ただしメフライルはテントの中へは入らず、外で待機した。


 それで彼はテントの中で行われていたことについて、実際に見聞きしたわけではない。だがテントの中から吹き出した猛烈なプレッシャーは、はっきりと彼にも分かった。思わずメフライルが身構えると、古参の騎士が彼の肩に手を置いてこう言った。


「落ち着け。……陛下が聖痕スティグマを使われたな」


聖痕スティグマ……!? これが……」


 メフライルはあえぐようにそう呟いた。彼が聖痕スティグマのプレッシャーを浴びるのはこれが初めてだ。直接向けられたわけでもないのに、まるで心臓を握られたかのように感じた。


「突入しなくて、良いのですか?」


「まだ発動させただけだ。事が起こっていないのに突入すれば、イスパルタ軍のせいで調印が決裂したことにされかねない」


 古参の騎士はそう答えたが、メフライルは少々納得しかねた。事前に聞いていたタイムスケジュールからすれば、今は会食が行われているはずだ。そのなかで聖痕スティグマを発動させるなど、ただ事ではない。そして自分たちは護衛としてここにいるのだ。ならば動くべきではないのか。


「安心しろ、というのも変な話だがな。たぶん、敵味方の護衛を全て合わせても、陛下お一人の方が強い」


 古参の騎士が苦笑を浮かべながらそう言うと、メフライルは思わず納得してしまった。そのような考え方は、護衛としては失格だろう。だがこのプレッシャーを浴びていると、確かに心配する必要はないのではないかと思えてくる。


 その後、プレッシャーはスッと消えた。ジノーファが聖痕スティグマを消したのだ。百国連合軍側の護衛たちは状況がよく分かっていないのか、右往左往している。一方でイスパルタ軍側の護衛たちは落ち着いたものだ。


 その中でメフライルは内心、安堵の息を吐いていた。プレッシャーが放たれていたのは、恐らく一分にも満たない。だがこの経験は、今回の戦争の印象を塗り替えてしまう程の衝撃を彼に与えたのだった。


 そしてどうやらそれは、ベルノルトにとっても同じだったらしい。調印式が終わり本陣へ引き上げると、彼はテントの中での出来事を興奮気味にまくし立てた。


「父上は凄い。マドハヴァディティアが父上に『聖痕スティグマを見せろ』って言ったんだ。そうしたら父上が聖痕スティグマを発動させてね。マドハヴァディティアは顔を引きつらせていたよ。それから父上に『心臓を見せろ』と言われたら、もう言葉もない様子だったね」


 ベルノルトがそう話すのを聞いて、メフライルはテントの中で何が起こったのかをようやく知ることができた。ジノーファの切り返しは鋭く、そして的確だ。何よりそういう判断を咄嗟にできるところが、凡人との最大の差であろう。メフライルはそう思いつつ、実家で家督について話し合った時のことを思い出した。


(あの時……)


 あの時、「どうして家を出ることにしたのか、その理由を言いなさいっ」と詰め寄る母に、メフライルはただ沈黙を返した。もしも自分に優れた才覚があったのなら、あの時一体どう返答していただろうか。今になって考えてみても、良い考えは出てこない。つまりそれが自分の限界なのだろう、と彼は思った。


 さて、講和条約への調印を済ませると、両軍は速やかに兵を退いた。百国連合軍は西へ、イスパルタ軍は東へそれぞれ引き上げる。だがマドハヴァディティアの軍事行動はこれで終わったわけではなかった。むしろ彼はこの時より、改めて兵を用い始めたのである。その標的は百国連合の加盟国、つまりいわば身内だった。


 マドハヴァディティアは自らに非協力的だった幾つかの小国や都市国家を滅ぼして粛清することで、百国連合に加わる他の国々を粛然とさせたのだ。これにより彼の権威はより確固としたものになった。ただし恐怖によって。何より苛烈な粛清は各地に火種を残すことになった。それらの火種は後に大火へと発展することになる。


 その火種のうちの一つは、イスパルタ朝にかくまわれることになった。アースルガムのサラ王女である。祖国をマドハヴァディティアに滅ぼされた彼女は、イスパルタ朝へ亡命してきたのである。


 ジノーファはこれを受け入れ、サラにアースルガムの再興を約束した。ただしこの時はまだ、それがいつになるのかはハッキリしていない。二〇年か、もしくは三〇年以上かかるのではないかという予測もあり、要するにかなり先のことと思われていた。


 アースルガムの再興が仮に三〇年先の話だとして、流石にそれまでサラが未婚でいるというのはあり得ない。むしろ再興に万全を期するのであれば、アースルガム王家の血筋が一人しかいないことがそもそも問題だ。


 イスパルタ朝の上層部では、当然ながらそのように考えていただろう。ではサラの結婚相手として相応しいのは誰か。メフライルも詳しい話は知らないが、恐らくベルノルトの名前も挙がったのだろう。亡命後、サラは良くベルノルトと時間を過ごすようになった。


 二人の距離を縮めるきっかけになったのはダンジョン攻略だった。サラがそれを希望し、ジノーファが許可を出したので、彼女はダンジョンに潜るようになった。とはいえ一人でというわけにはいかない。それで歳が近いこともあり、彼女はベルノルトのパーティーに加わることになったのだ。


「よろしくお願いいたします、ベルノルト殿下」


「こちらこそ、よろしく。サラ殿下」


 最初の顔合わせこそぎこちなかったものの、二人はすぐに打ち解けるようになった。ただ上層部が期待していたかもしれない、男女の甘酸っぱい関係になることはなかった。少なくともこの時点では。


 二人の関係は、どちらかと言えば、悪友のようなこざっぱりとした関係である。ベルノルトにはすでに、エマという別のお相手がいたことが大きかったのかも知れない。


「あれ、もしかして私ってお邪魔虫でしょうか?」


 あるとき、メフライルはふとそう思った。ベルノルトとサラの関係が男女のそれにならないのは、自分というお邪魔虫が常に近くにいるからではないだろうか、と。もっとも、それをベルノルトに告げたら、「馬鹿なことを言ってるんじゃない」と呆れられたが。そもそも彼がいなくても、ベルノルトとサラが二人っきりになることはほとんどないのだ。


 しかしながら、「馬鹿なことの一つでも言わなければやっていられない」というのがメフライルの本音である。なにしろ彼は王族を二人連れてダンジョンに潜るのだ。さらに場合によっては、サラとベルノルトとメフライルの三人だけで攻略を行うこともある。その負担は考えるまでもなく大きい。


 三人だけでエリアボスのところへ向かおうとしたときには、必死になって止めたものだ。多数決で強行されたが。メフライルは結構悲壮な覚悟を決めてエリアボス戦へと向かったものだった。


 とはいえ重傷(回復魔法等ですぐに治療できる怪我は重傷ではない)を負うこともなく、三人は順調に攻略を進め、またダンジョンの外では穏やかな日々を過ごした。そして第一次西方戦争の講和条約の締結から三年、歴史はまた動き出した。


 きっかけはルルグンス法国の法王ヌルルハーク四世の崩御だった。彼の死に対し、イスパルタ朝は哀悼の意を表して弔問団を送ることになったのだが、その代表に他でもないベルノルトが志願したのだ。


「良いだろう、やってみなさい」


 ジノーファが許可したことで、この人事は確定した。だがここから話は妙な方向へ進む。サラが「自分も法国へ行く」と言い出したのだ。


 アースルガム王家の本当の系図についてその確保か処分を、西方で反マドハヴァディティア勢力として活動しているアースルガム解放軍に頼むためだ。そして紆余曲折ありつつも、最終的にはやはりジノーファが許可して、彼女もまた法国へ行くことになった。


 ただし、話が決まったのですぐに出発、というわけにはいかない。行くなら行くで、それなりに準備が必要なのだ。出発の期日が迫る中、ベルノルトとサラはそれぞれの準備に忙しくすることになった。


「ベルノルト殿下、書き直しです」


「またか」


「サラ殿下も書き直しです」


「うっ……」


 特にベルノルトとサラを悩ませたのが、それぞれが書くことになっている弔問文と檄文だ。だが二つとも思いのままに書けば良いというものではない。弔問文はイスパルタ朝とルルグンス法国の関係に直接的な影響を与えるし、檄文はアースルガム解放軍の士気と活動に影響を与える。それで当然ながら文官による添削が行われ、二人はすでに二桁にのぼる書き直しを命じられていた。


 そしてまた書き直しに頭を悩ませる二人だが、実のところ彼らが自分で文章を考える必要はない。文官たちに任せれば、彼らがそれなりのものを作ってくれるだろう。それを分かっていて、しかし二人は自分たちで書くことにこだわった。


 それは二人がそうするべきだと思っていたからだし、また二人とも自分の言葉でなければ意味がないと思っていたからだった。それは青臭い理想論であったかもしれない。しかし彼らは斜に構えることなく、悪戦苦闘しつつも真っ直ぐに、自分たちの原稿と向き合っていた。


 そしてついに、ベルノルトを代表とするイスパルタ朝の弔問団がクルシェヒルを出発した。予定通りサラもそこに加わっているが、まさかアースルガムの王女として加わるわけにはいかない。彼女は髪を切り落として男装し、ベルノルトの従者ユラとして法都ヴァンガルへ赴いたのだった。


 ちなみにヴァンガルでは「サラ王女」として振る舞う必要がある。その場合、短く切りそろえた髪は致命的だ。それでユラの荷物の一番下には、切り落とした髪の毛でしつらえたかつらが忍ばせてあった。


 さてヴァンガルは喪中でありながら人で溢れかえっていた。ヌルルハーク四世の弔問のために、各地から人が集まってきているのだ。そのため普通であれば宿を取ることも難しいのだが、ベルノルトらはイスパルタ朝の大使館に泊まるので、宿の心配をする必要はなかった。


 ヴァンガルまで赴いた主たる目的である、ヌルルハーク四世の弔問とフサイン三世との会談はつつがなく行われた。この二つは、言ってみれば行うことが目的だ。お膳立ては済んでいて、よほどの問題でも起こさない限り、失敗することはありえない。ベルノルトもあえて問題を起こすような性格ではなく、彼は弔問と会談をつつがなく終えた。


 さて予想されていたことではあるが、ヴァンガルには百国連合からも弔問団が来ていた。代表はマドハヴァディティアの右腕と名高いラーヒズヤ将軍である。彼はふてぶてしくもベルノルトに会談を申し込んだ。そして彼はその場でこんな発言をした。


「……マドハヴァディティア陛下であれば、ジノーファ陛下の良きパートナーとなることが可能でしょう。お二人が手を取り合うことこそ、百国連合とイスパルタ朝が相互に発展する、最善の道ではありませぬかな?」


 それに対し、ベルノルトはこう答えた。


「百国連合とイスパルタ朝が手を取り合い、泰平の世において利益を共通することは、父上もきっとお望みになるだろう」


 要するにベルノルトは、「イスパルタ朝と手を結びたいのなら、これ以上の領土的野心は抑えろ」と言ったのだ。それも、無理であることを承知の上で。実際、ラーヒズヤは良くできた笑みを浮かべてありきたりな返事をしただけだった。


「また、戦争になるな」


「でしょうね」


 ラーヒズヤとの会談を終えると、ベルノルトとメフライルはそう言葉を交わした。マドハヴァディティアは領土的野心を抑えるつもりがない。そしてラーヒズヤはそういう主君の心を理解し、それに沿うように動いている。そうであるなら、百国連合による東征は時間の問題だろう。


 ただベルノルトもメフライルも、この時はまだ“その時”が数年先だと思っていた。講和条約で定められた、相互不可侵の期間が残っていたからだ。しかし二人が思うよりも早く、マドハヴァディティアは動いた。何とベルノルトがまだヴァンガルにいる間に、子飼いのヴェールール軍を動かしたのである。


「ラーヒズヤが何か言ったんでしょうね」


「迷惑なヤツだ」


 メフライルとベルノルトはお互いに険しい顔をしながら、短くそう言葉を交わした。事態は逼迫している。長々と愚痴をこぼしている時間はない。どう動くのかを、早急に決める必要があった。


 話し合いの末、ブルハーヌ枢機卿の提案が採用された。大聖堂に隠されたダンジョンを使い、ヴァンガルの外へと脱出するのだ。脱出するのはベルノルトとサラとメフライル。後は護衛としてアッバスとシェマルという、二人の近衛軍士官が選ばれた。二人とも成長限界に達した、信頼できる武人である。


 五人は特に問題なくダンジョンを通過した。護衛対象が前に出すぎることをアッバスとシェマルは問題視していたが、ベルノルトとしては五人の内の誰も重傷を負わなかったのだから問題はない。


 問題が起こったのは、ダンジョンを出てすぐのことだった。小高い山の上から、彼らは立ち上る黒煙を認めたのである。それは遊牧民の略奪隊がこの周辺を荒らし回っていることを示唆していた。


 話し合いの末、ベルノルトは西へ向かうことを決めた。百国連合域内へ入ることにしたのである。ただこれは当初の予定とは異なる行動だ。それでこのことを本国へ伝えるべく、シェマルが単身で東へと向かった。


 百国連合域内に入ったベルノルトら四人は、アースルガム解放軍の伝手を頼りつつ、さらに西へと向かった。そしてサラの祖国であるアースルガムに入り、その北に位置する辺境の街カリカットにたどり着いた。


 ただしカリカットの街も、彼らの目的地ではない。彼らの目的地はさらにその北にある、マデバト山である。荒涼としたこの山にはダンジョンがあり、山守衆と呼ばれる人々がそのダンジョンを管理していた。


「山守衆は、アースルガム王家の遠縁なの」


 サラは山守衆のことをそう話した。ただ血縁としては遠すぎて、親戚と言えるかは怪しい。とはいえ全く縁のないところへ飛び込むよりかはマシであろう。それに山守衆もアースルガム解放軍の一員であるし、加えてマデバト山は人目に付かぬ辺鄙な場所である。身を隠して潜伏するにはちょうど良いだろう。ともかく彼らには安全な場所が必要なのだった。


メフライル「多数決……、それは数の暴力……。常識と私の胃痛は踏みにじられた」

ベルノルト「大げさな」

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